85.ゴリムノ・アスト
私は、ゴリムノ・アスト。ガラリア王国財務省の長官をしている。
現、アスト侯爵の叔父にあたる。
残念な事に、魔力が無かったため、王宮文官として働いてきた。
今、我が財務省の主業務である予算策定作業は既に終わり、次に各領地からの報告が上がるまでの、ほんの3ヶ月ほどの休息期間になった。
年末に、各領地の税収報告が上り、それを集計。
各部門からの予算との擦り合わせを行ない、最終的な予算額が確定したのが先週だ。
陛下と宰相閣下に上奏したのが2日ほど前。昨日認可を頂き、最も忙しい時期を乗り越えることができた。
以前は、税収が伸びず、各部門との擦り合せにも苦労した。
若い頃、各部門との遣り取りに腕力が必要だったこともあった。
今となっては懐しい思い出だ。
最近は、前年の税収を遥かに上まわる税収となるために、事前にムダと判断された項目以外は、特段、揉める事もなく終わる。
今年も、残念ながら、旧ノルドル王国からの税収は期待できなかった。
とは言っても、収益が上り始めた領地も僅かながら有る。
今後に期待するしかない。
昨年から、マリムと王都の間での商品の流通が活発になり、王都やアトラス領の税収の増加がさらに大きくなった。
王国東部の領地の税収も安定してきた様だ。
彼の地は、魔物被害や天候不順で作物の収穫が変動しやすい。
マリムとの交易で領地運営は随分と順調のようだ。
4年ほど前から、王国の財務環境は好調だ。やはりアトラス領の貢献が大きい。
アトラス領からの、税収がみるみるうちに増え、今では、王国の税収の1/3を担っている。
今年から、ゼオンとロッサでコンビナートというものが立ち上がったそうだ。
聞くところによると、アトラス領の繁栄を生み出している要因となっている仕組みらしい。これまで危惧していた、アトラス領にだけ依存している今の税務状況の改善が期待できる。
順調に立ち上がれば、二つの領地を合わせて、現在のアトラス領の税収の半分ほどになると聞いている。
その税収増があれば、旧ノルドル王国の領地への税負担の軽減措置も延長できるようになるだろう。
いずれにしても、アトラス領の安定が、王国内では最も重要な状況になっている。
そうそう、アトラス領の貢献にはソロバンと数字があった。
あれが生み出されるまでは、予算策定が今の様には進まなかった。
一年中、計算と検算に追われていた。
3年ほど前ぐらいからだろうか。予算を策定して、一時の休息が得られるようになったのは。
一昨年から、この時期に纏めて休日を取る職員が出てきた。
今年は、半分ほどの職員が休暇を取る予定になっている。
私も、明日からしばらく休暇を取って、妻と一緒に過すことにしようか。
「ゴリムノ・アスト財務長官。宰相閣下から呼び出しでございます。」
連絡官が、突然やってきて、宰相閣下からの呼び出しを告げてきた。
何か、予算で、不都合な事が起こったのだろうか?
あるいは、どこかで事故や災害が発生したのか?
宰相執務室へ急ぐ。
何時見ても、宰相執務室の扉は大きい。中も私の執務室とは比べものにならない程広いのだ。
扉に向って、声を掛けた。
「財務長官ゴリムノ・アストであります。」
「ああ、中に入ってくれ。」
中から、入室を促す、宰相閣下の声が聞こえた。
重い扉を開けて中に入った。
宰相閣下以外、誰も居ない。
閣下は、紙の書類に目を通している。
程なくして、顔を上げて、こちらを見た。
「先日、隣国の状況報告がタウリンから上ってきた。」
タウリンとは、内務省の諜報機関長官のジュペト・タウリンの事か?
今、ガラリア国王と国境を接しているのは、テーベ王国とスワディ王国の二国だ。砂漠の国であるルパート王国とも国境は接しているのだが、これは無いだろう。
スワディ王国の事では無いとは思うのだが……。
「それは、スワディ王国ではなく、テーベ王国の報告でしょうか?」
「そんなもの、テーベ王国に決っているだろう。」
「はっ。申し訳ございません。正確を期すため確認を……。」
「相変らず、お前は堅いな。まあ良い。テーベ王国の財政がかなり怪しくなってきている様だ。」
「テーベ王国の財政でございますか?」
流石、タウリンだ。隣国の財政状況まで情報として入手したのか。
しかし、あくまで、隣国の財政状況だ。今、好調を極めているガラリア王国において、隣国が破産しようとも、小揺るぎもしないはずだ。
「ああ。そうだ。少し前から、テーベ王国の貨幣に混ぜ物が増えたという報告があった。
今では、テーベ王国の貨幣の交換比率が大分下っているそうだ。
そして、彼の国では、銅の価格が、随分と上っているらしい。
どうやら、貴金属類の価格統制も出来なくなりつつあるようだ。
その影響が、少しずつだが、我が国にも及び始めている。」
「しかし、それは、財務省とどのような関係がありますのでしょう?
貴金属類の価格統制は、貨幣管理部門の管轄でございます。」
「その部分だけ取り出せば、そのとおりだが、隣国で財政が破綻すれば、こちらも影響を受ける。
その上、それを引き起しているのは、テーベ王国が軍備を増強していることにあるようだ。
まったくもってノルドル王国が滅んだことは、何の教訓にもなってないと見える。
そして、彼の国では、昨年小麦が不作だったようだ。」
王国で貯蔵している貴金属類は、当然の事だが、王国の財政を支えている。
万一の特別な支出の際には、貯蔵貴金属を金に替える事もある。
どうやら、テーベ王国では、その余剰貴金属が底を突いてきているのだろう。
貨幣の価格を維持するためにも、市場に出回っている貴金属類の量を調整するためにも、その余剰貴金属を利用する。
その貴金属の保有量が足りなくなると、色々な問題が発生する。
それが、隣国が今置かれている状況だと思われる。
対抗するために、宰相閣下は、何らかの予算措置が必要だと言われているのだろうか。
さらに、小麦の価格上昇は、王国民の生活を脅かしかねない。
そのための予算出動も視野に入れる必要があるということなのだろうか……?
しかし、それは、対応すれば良い事だ。それが、何だと言うのだろう?
「どうやら、国境沿いの小麦の価格は上り始めているらしい。
そして、何より、銅の価格差だ。
今、国境沿いの侯爵領では、銅製品の禁輸を実施してもらっているのだが、完全には抑え切れていない。
このままでは、ガラリア王国の銅価格にも影響が出ることになる。
そして、忌しい事に、ガラリア王国の銅貨が大量に、テーベ王国に移動しているという報告がある。差し詰め、我が国の銅貨を鋳潰して武具でも作っているのだろう。
隣国がどのようになろうが、こちらでは関与できる事ではない。
しかし、隣国の失政の影響を受けるのは堪ったものではない。
それに、我が国の貨幣が、隣国の武具製造に使われるのは、我慢ならない。
なんとか、それを断ち切ろうかと思うのだ。」
「そんな事が出来るのですか?様々な物品は、交易によって繋っています。
制限を掛けることは、莫大な費用が掛りかねません。」
「そうよな。ところが、メーテスから興味深い話が入ってきた。」
メーテス?
ああ、アトラス領に作られた学校だな?
今月の1日に開校と言っていたから、開校したのは、つい先日の事だろう。
また、何か考案したという話なのだろうか?
しかし、何やら雲を掴むような話の流れで、何が何やら理解し難い。
「そのメーテスと隣国の失政とが、どの様に繋がるのか……不肖の身なれば、分りかねますが……。」
「まあ、そうだろう。
実は、メーテスには、経済研究室というものを置いているのだ。
アトラス領にある王国国務館には、産業管理部門と貨幣管理部門がある。
その研究室では、その部門の業務を支援する研究をしてもらう事になっている。
そこでの初会合で、産業振興と貨幣制度についての興味深い話が出てきた。」
「何ですか?それは?」
それから宰相閣下は、産業振興と貨幣制度の変更についての話を始めた。
現在の貨幣は本位貨幣と言うのだそうだ。
貴金属の価値で、貨幣の価値が決まる。
産業を振興させるためには、資金を必要とする。
しかし、貨幣の発行量を増やすのは難しい。なぜなら、貨幣を発行するには、相応の貴金属が必要になるからだ。
大量の貨幣を発行しつつ、貴金属の価格を維持するのは極めて困難な事になる。
一方で、隣国の失政の影響を受けて、金、銀、銅の価格変動に見舞われかねない状況が発生しつつある。
そもそも、金と銀と銅の価格を連動させる事自体に無理があるのだ。
採掘する量も、年々変動していく。
それならば、最も価値がある金だけに注目して、他の貴金属類の価格は、市場に任せてしまえば良いという考えが提起された。
特に、隣国との関連では、銅の価格が大きくガラリア王国とズレ始めている。
「全ての貨幣を金で発行するですか?
少額の貨幣をどういった形にするのでしょうか?想像する事が難しいです。
それに、産業を振興するために必要な資金を準備することは、益々難しくなると思われますが?
貨幣を発行するための金はどうやって手に入れるのでありましょうか?」
「それがな。王国に信用がありさえすれば、そこらの石塊に数字を刻んで、それを通貨として流通させても良いと言うのだよ。」
「石ですか?そんなものに価値など無いではありませんか。ひょっとして、宝石を貨幣にするのでしょうか?」
「それが、本位貨幣を使わないことで全て解決できるのだ。」
それからの話は、詐欺にでも会ったような話だった。
紙に金額が記載されている図案を描き、それを紙幣と呼ぶ。
そして、その紙幣に記載された金額と同じ価値の金と王国が交換すると宣言する。
そうすれば、単なる紙が金として機能する。
当然、偽造を防ぐために、特別な紙を準備し、他では真似の出来無い図案を大量の紙に描く道具を開発することになるのだそうだ。
理解が追い付かない。
要するに、簡単に真似の出来無い紙に書かれた数字が、金額となり、それは王国が所有する金で価値が保証されるということなのか。
ああ、それで、王国の信用が有ればとなる訳だ。
「しかし、発行した紙幣に見合うだけの金を準備しておくとなるならば、紙幣の発行枚数にも制限があると思われます。
容易に産業を振興するための資金を準備することは出来ないのではありませんか?」
「それがな。全ての発行紙幣の総額の金を保有しなくても良いのだそうだ。」
「そのような事をすれば、それこそ王国の信用問題となります。」
「いや。それは、実は、逆なのだ。
王国が信用できさえすれば、何時でも金に交換出来るということだけで、その紙幣には価値があることになる。
そもそも、発行した紙幣全てを王国に金に変えてくれなどと言ってくる事はまず無いと言って良い。
その様な事が起こるのは、王国が滅亡する時であろう。」
それは……。確かに、その通りかもしれないが、王国がその様な詐欺紛いの事をするのはマズいのではないだろうか。
「堅いな。堅い。詐欺の様なものと思っておるのであろう?」
「いえ……その様な……」
「まあ、良い。私も最初は詐欺の様な話だと思ったのだ。
しかし、紙幣というのは、王国が発行する手形の様なものだと聞いてなるほどと思った。
手形を決済するかどうかは、手形を持った者が決める事だ。
手形の相手が信用できるのであれば、敢えて決済しなくても良いのだ。
こちらは、いつ決済されても良い様に準備だけしておけば良い。
しかし、最初から、王国で保有している金の総額を大幅に逸脱する様な紙幣を発行するような真似はしたく無い。
そこでだ。
アスト長官には、今王国では、どのぐらいの金を保有できるのか、この制度に変更した場合に何か問題になる事があるかを考えてもらいたい。
あっ、そうそう。これは、極めて秘匿性の高い業務だ。
申し訳ないが、君一人で作業をしてもらえないか?
他言無用だ。
明日の同時刻に、その回答を持って、ここに来てくれ。」
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