83.印刷機
ニコニコが止まらない、バールさんとロッコさんと分れて、領主館に戻った。
仕様が無いよね。
宰相閣下が乗り気なんだったら、どうにかしないと。
夕食で一緒になったアイルに相談することにした。
どこまで、話を広げて良いのか分らなかったんで、最初から日本語で相談だ。
一通り、今日の午後、経済研究室であったことを伝えた。
『それじゃ、紙幣を作る機械を考えなきゃならないのか?
今、メーテスでやっている授業はどうするんだ?』
『そんなの、准教授に任せりゃ良いんじゃない。どうせ今は初歩的な数学を教えているだけでしょ?』
『まあ、それは、そうなんだけど……。でも、来月から、物理学と化学の授業が始まるんだよ。
そうなったら、オレもニケも対応しなきゃならないんじゃないか?』
『それだって、高校の物理と化学の領域でしょ。もう授業のテキストは作ってあるし、実験のための道具も作ってあるじゃない。
問題なのは、この世界の人に理解できるかどうかで、それも、助手さん達……准教授達は乗り越えたんじゃない?
下手に私達が説明する方が弊害があるかも知れないよ。』
『うーん。どうなんだろう。何となく不安はあるんだよな……。』
『それも、准教授達の修行よ。私達に頼らないと何も出来ないなんて事じゃダメなのよ。
それに、アイルのお祖父様が大乗り気なのよ。』
『まあ、それは、そうなんだろうけど……。ただ、紙幣の印刷の方法なんて知らないよ。』
よーし。話に乗ってきたぞ。
『それを言われると……私も詳しくは知らないわね……。
それは、やりながらどうにかするしか無いわ。』
それから二人で、お札ってどうやって印刷していたものなのかを議論した。
私が知っていることも、アイルが知っている事も中途半端な記憶だ。
それは、そうだろ。
お札を印刷しようなんて思った事は、過去一度も無いんだから……。
多色印刷だったとか、線が物凄く細かったとか、紫外線を当てたら光るらしいとか、新札に置き換わる時に、報道番組で伝えていた事ぐらいしか分らない。
そう言えば、手触りで、視力に傷害が有る人にもお札の種類が判るようになっていた。
色々話をして、細い線を印刷するためには、凹版印刷する必要があるだろうという結論になった。
あと、紙も表面の平坦度の高いな特殊な紙が必要になる。そうそう、透しも必要だな。
こっちは、アイルに製造方法を調整してもらおう。
『お札って1枚ずつ印刷してたんだろうか?』
アイルが疑問を口にした。
昔、何かのテレビ番組で、造幣局だか日銀だかで、大きな紙に沢山お札が印刷されているのを見たことがある。
『大きな紙に何枚も一遍に印刷していたのをテレビで見た記憶があるわね……』
『それって、同じ版を幾つも並べていたってこと?』
『多分そうなんだと思うけど……悪いけど、全然分らないわ。ただ、そのテレビ番組を見たときに、これ1枚で幾らだろうとか、どうやって切るんだろうって思っただけよ。』
『お札って沢山印刷しなきゃならないだろ。
同じ版を沢山用意して一遍に多数印刷するのが良いとは思うけど、同じ版なんて用意出来るもんなんだろうか……。
ひょっとすると、半導体みたいに、露光とエッチングして同じものを作るのかな?
ニケ。感光樹脂なんて作れるか?』
『まあ、出来なくは無いけど、普通の化学合成だと準備が大変だわね。』
アイルが提案してきたプランは、大きな紙に着色する色毎の線画を描いて、それを写真で縮小する。
その写真をフォトマスクにして、平坦な金属の表面にフォトレジストを塗布したものへ露光する。
金属をエッチングして何枚もの印刷用の凹版を作るというものだった。
問題は、フォトポリマーと高解像の写真乾板だな。
これは、一回作ったら、あとはしばらく作ることはないので、反則技の魔法で作ることにした。
その方が良いだろう。ますます偽造は難しくなる。
一通り方針が立ったところで、アウド義父様、お父さん、グルムおじさんに、国務館の貨幣管理部門から、メーテスの経済研究室の業務として、紙幣を作ることになったと伝えた。
いっしょに、テーベ王国の状況で、貴金属の価格が不安定になりかねないとか、貨幣の発行量に制限があるために、産業が発展すると、お金が足らなくなるといった説明もした。
そして、ノアール川のあたりにある金の鉱山の埋蔵量の調査や、金の精製をする事になったと伝えた。
「また、思いもしない事をするんですな。」
とグルムおじさんが呟いた。
「それで、紙に数字が書かれたものが、金として流通するのか?
そんなもの、本当に大丈夫なのか?」
義父様が心配そうに聞いてきた。
「特殊な紙を使う心算だし、インクも特殊なものにするの。多色でとても細かな文様を描くので、簡単に偽造は出来無い筈。
それに、王国で、同じ金額の金と交換するという事にするから、紙幣の価値については問題は無いのよ。」
「しかし、使い慣れた銀貨や銅貨が紙になるのか?
何だか、有難味が無くなってしまうんじゃないかな。」
とお父さん。
まあ、本位貨幣と比べると、慣れるまで、戸惑うかもしれない。
前世だと、金貨が有ったりしたけど、流通しているという事は無かったんじゃないかな。
物珍しくてお祖父さんが手に入れてたので、何度か見せてもらった。
プラスチックの容器の中に入ったままだった。結局使わなかったんじゃないだろうか。
金額が10万円だったからかも知れないけど……。
とりあえず、アトラス領でも協力してもらえる様になった。
特に、ノアール川の金鉱山の調査は、以前鉱石調査をしてくれていた文官の人に協力してもらって船で往復できることになった。
翌日。国務館の貨幣管理部門に行って、バールさんに面会した。
「これは、これは、アイルさんまでご一緒で、どうかされましたか?」
紙幣の生産のための検討について相談しに来たと言うと、凄く喜んでいた。
ただ、まだ、秘匿性の高い事案なので、国務館の職員の目や耳がある場所で話をするよりは、メーテスの方が良いとバールさんが言うので、メーテスの経済研究室に移動することになった。
馬車で移動しながら、アイルのプランを説明していったんだけど、写真とか、光で反応する素材とか、酸で金属を溶かしてとか……無理だよねぇ。
理解してもらうのは諦めた。
仕方が無いと言えば、仕方が無いんだけどね……。
特殊な紙を作る工場と、印刷のための工場を作らないとならない。それを何処に作るのかを相談をした。
コンビナートに作るのはマズそうなので、新たな工場は、メーテスの敷地の北の川沿いの場所に建造することにした。
王都周辺の何処かという事にはならなかった。隣国の目から隠すためにも、メーテスは都合が良いらしい。
紙を作るのに必要な原料をコンビナートから運び込まなきゃならないから、川沿いは外せないんだよね。
様々な検討をするのに、化学研究所の准教授達を動員しても良いかといった事を相談した。
メーテスの職員であれば、ギリセーフみたいだ。
そうこうしている間に、メーテスに着いたので、経済研究室に移動した。
紙幣を作るための説明は一通り終っていたので、紙幣の図案の相談をした。
そう言えば、前世のお札には、何で人物が描かれていたんだ?
『ねぇ。アイル。何で、お札には人物が描かれてたんだと思う?』
『国会議事堂とか五重塔とか建物も描かれてたんじゃなかったか?』
『でも、知っているお札は、大体人物の顔が描かれてたよ。栄一さんとか、諭吉さんとか。太子とか。』
『それ、みんな1万円札じゃないか。
でも、そう言われれば、そうだな。うーん何でだろう?
あっ、違っているかもしれないけど、人の顔って印象的じゃない。
もし、顔が少しでも違っていたら気付くんじゃないか?
それも偽札防止なんじゃないかな?』
『あっ。なるほど。そうかもしれない。じゃあ、人物の顔は外せないんだね。』
二人で日本語で話していたのを見て、バールさんは少し吃驚していたけど、ニコニコしていた。
「初めて聞きましたけれど、それが噂の神の国の言葉なんですね。」
「あっ、スミマセン。ちょっと込み入った相談があったんです。
それでですね、こんな感じの図案にしようかと思うんですよ。」
いくつか前世で見たお札のイメージを紙に描いて見せた。
人物なんて描ける訳が無いので、丸を描いてこの場所に人物の肖像を描くと伝えた。
「えっ、人物の肖像ですか?また何ででしょう?」
「人物の絵って、印象に残るじゃないですか。そして少しでも違っていたら気付くんですよ。」
アイルが説明してくれた。
「ほほぅ。なるほど。それは良いですね。偽造防止になる訳ですな。」
ふふふ。感心されたね。とは言っても、私達のアイディアじゃないんだけどね。
「それで、何方の肖像にします?やっぱり陛下とかでしょうか?」
「それは、どうでしょうか。ご本人にも確認しないとなりませんね。」
「あとは、昔の偉人とかってのもありえます。初代国王陛下とか昔の王国の英雄とか。王国民なら知っている人が良いと思います。
図案の特に肖像の部分は、王国の方で、決めてもらわないとなりませんね。」
「わかりました。それは、宰相閣下とも話をしておきます。」
「あと、紙幣の肖像なんかを描く絵師の人なんですけど、アトラス家やグラナラ家の専属絵師をしているバール・コモドさんなんかどうかと思っているんですけど?」
民間人のバールさんを使うのは、抵抗があるようだった。
でもね、絵心なんて私達持ち合わせてないからな……。
その時、ヨーランダさんは絵が上手だったのを思い出した。
昔、植物の図鑑を作った時に植物を線画で描いていた。
絵師のバールさんの絵は、普通に、絵の具を面で塗っている。ヨーランダさんの方が、紙幣の絵を描いてもらうのは良さそうだ。
肖像を誰にしても良いけれど、その元になる肖像画も入手して欲しいと伝えた。
「あとは、金種ですね。1ガントも紙幣にするのかというのもあります。
逆に高額のd1,000ガリオン(=3,456万円)なんていうのも印刷ですから作れます。
ただ、あまり高額の紙幣は、使い道が無いので、やめておいた方が良いかもしれません。
大金貨のd100ガリオン(=288万円)、小金貨のd10ガリオン(=24万円)などは、使う事がほとんど無いんじゃないでしょうか。
仮にその金額になったとしても、紙幣は薄いので、d100(144)枚を束にしてもそれほど問題無いです。
他には、6ガントとか、d60ガント、d600ガント、d6ガリオンなどの中間の金額の紙幣も作ることができます。
そういったことは、私達には分りませんから、どうするのか決めてもらえませんか?
ただ、あまり種類が多いと、印刷するのも管理するのも大変なので、なんでもかんでもって訳にはいかないですけれど。」
一通り説明が終わった。バールさんは、あとは、宰相閣下と相談すると言っていた。
その後、三人で工場予定の場所を見に行って、敷地の大きさを決めた。
早速アイルは、敷地に塀を作って、工場の土台を作り始めた。
私は、助手さん達に、仕事を割り振るために、化学研究所へ向うことにした。
バールさんは、ご機嫌で、国務館に戻って行った。




