78.魔法研究室
入学式の午後。
私とアイルは魔法研究室で、設立検討会の準備をしていた。
そこに、ムザル、エリオ、ゼリアの学生3名がやって来た。
彼等は、午前中、入学式の後で、オリエンテーションを受けていたはず。
カイロスさんにも手伝ってもらう予定なんだけど、今日は来ていない。
グルムおじさんが、陛下達の対応でてんてこ舞いなので、領地の仕事を頼まれているらしい。今は領主館に行っているはずだ。
准教授のエドガー・バルトロッチさんは、今日から正式に、魔法研究室のメンバーになった。正式に王国立魔法学校の教員を辞めてこちらの専属になるそうだ。
エドガーさんは、ご家族連れだ。奥さんと娘さん息子さん一人ずつだと聞いている。職員寮にも引っ越してきた。
魔術師会会長で客員教授のジョルジ・ジェメーラさん、国務館からウィリッテさんとジーナさんにも最初の打ち合わせなので、来てもらっている。
ちなみに、ウィリッテさんは客員教授だ。
研究室の中の、居室に集って、お茶会みたいになっている。
専属の侍女さん兼事務兼助手のニニイさんと男性の助手兼事務のディドさんに、お茶の準備とお茶菓子を出してもらった。
今日は、シンプルに、紅茶とクッキーだ。
今日は、とりあえず、顔合せをして、今後の予定をアイルが説明することになっている。
私は、自分のところの準備で、忙しくしていたので、魔法研究室で具体的に何をするのか、詳細は聞いていない。
お互いに自己紹介をしてもらった。
エリオさんが、王族でメーテスの学生なのは、皆に伝えてあったけれど、それなりに驚いてはいるみたいだ。
「みなさん。お集りいただきありがとうございます。今日から魔法研究室が正式に開設されます。
今後、よろしくお願いいたします。」
自己紹介が終ったところで、アイルが、魔法研究室を開設することを宣言した。
別に、宣言なんかしなくても……最初が肝心か。
「この研究室は、魔法そのものを調査して解明することを目的としています。
そのためには、魔法を使うことが必須になります。
研究に参加できる魔法使いの人にもお集まりいただきました。ありがとうございます。
学生のエリオさん、ムザルさん、ゼリアさんには、学業の合間に時々お手伝いをお願いすることになると思いますので、宜しくお願いします。
あと、ジーナさんには、魔法の測定が出来るようになったら、調査の協力をお願いします。」
その後、お茶を楽しみながら、アイルは、調べていきたい色々な項目の説明をしていった。
物理学には、色々な保存法則がある。
エネルギー保存法則、運動量保存法則、角運動量保存法則、質量保存法則等々。
要するに、物理的な変化や、化学変化があっても、変わらない物理量がある。
他にも、熱力学的なエントロピーのように単に保存されるのではなく、増大しかしない量もある。
量子力学の分野では、通常の保存法則以外に、電荷保存とか、パリティ保存などの保存法則。それに対応する対称性という概念もある。
魔法に関しては、便利に使っているけど、一体何がどうなっているのか全く理解できていない。
私達が最初に魔法を使ったときに疑念を持った、物理的な法則と魔法が折り合わないことについて、これから調べていくことになる。
ただ、集ってもらったメンバーに説明するのが、大変だった。
まあ、アイルの説明の仕方が悪いのもあるんだけれど、この世界で、エネルギーだの、運動量だの、質量だの、電荷だの言っても、分る訳がない。
そもそも、そんな概念以前に、物理法則そのものが理解されていない。
私も補足して説明をしていったんだけど、全員の頭の上にはクエスチョンマークが浮んでいる。
まあ、しょうがないよ。追々だよね。
当面は、アイルが実験装置を作って、データを取ってもらうことになる。
ただ、重大な問題があることも分っている。
物理実験を魔法使いがやると上手く行かないのだ。
そのために、助手を務めるニニイさんや、ディドさんには実験の操作をしてもらう予定だと説明をした。
「魔法使いが実験をするのが難しいと言うのだが、本当にそうなのか?」
ニニイさんやディドさんが実験の為に必要だという説明に、納得できないエドガーさんが、質問してきた。
「そう言われると思っていたので、準備している実験をしてもらいますね。」
アイルが、助手さん達に振り子の実験道具を持ってきてもらって、皆の前に置いた。
振り子については、見知っている人も居た。エリオさん、ムザルさん、ゼリアさんは、全く知らなかった。
「これは、振り子です。時計の時刻を刻むために使われている仕組みです。
これ、ボクが見ていると、ダメなんで、後ろを向いてますね。」
助手さんたちが、打ち合わせ通りに、振り子を動かした。
最初は、単純に往復していたんだけど、これだけ沢山の魔法使いが見ていると、そのうち、動きが変になっていく。
うーん。この状況は前世でも見たことがあるな。コックリさんだろ。これ。
見ている人達は、何かしようとなんて全然思っていないのだろうけど、人間、何かが動いていると、次の状態を予測してしまう。
変な動きが始まると、予測と違うと思ってしまう。
動きを予測するイメージが魔法として作用するため、動きに変化を与えてしまう。
振り子が途中で止ったかと思うと、別な方向に揺れ、それが止まり、元に戻ったり、その場で振動したり、回転したり。
様々な人の心の動きが、振り子の動作に反映されると、あとは、カオスだ。
「うわ。何だ、これ?」
「何故、普通に揺れないんだ?」
「こんな事になるのか?」
学生三人が、口々に驚いて声を上げていた。
「なるほど、物理実験にカイロスさんの手助けが必要なのは、こういう事だったのか。」
エリオさんが、呟いていた。
「こんな事が起こるのだな。これまで気付いていなかった。
魔法が及ぼす効果だけを見ていたから、気にしていなかったのだが……。確かにこれでは、困ったことになる。
なるほど、それで、魔法使いの拘束装束を準備したのか。」
そう、エドガーさんが話して、その装束を机の上に出した。
アイルは、事前に、エドガーさんに装束の入手を頼んでいたみたいだ。
「これを使って、実験をするという事なのだろう?」
「えーと。それはちょっと違うんですよ。」
それから、アイルは、その拘束装束を準備してもらった理由について説明を始めた。
アイル自身、魔法と物理法則との関連をどうやって調べるか考えていたみたいだ。保存法則を検証しようとすると、物理的な孤立系を作り出さなきゃならない。
つまり、外界と物理的に隔離されている空間が必要になる。
だけど、魔法は、魔法使いが居ないと実現しない。
どうすれば孤立系が実現できるのかと言うと、これがなかなか難しい。
魔法使いを含んだ孤立系を考えなければならないのだ。
色々思考実験している内に、アイルは、逆にどうやったら、魔法が関与しない場所が作り出せるのかという事を考えた。
アウド義父様や、フローラ義母様、ウィリッテさんに、魔法が使えなくなる方法を聞いた。
最初は、話が通じなかったみたいだけど、ある時、魔法使いを捕縛して拘束するための道具があると教えてもらえた。
その道具というか、衣装を着せると、魔法使いは魔法を使うことが極めて困難になる。
罪を犯した魔法使いを捕まえたとしても、魔法で抵抗されると拘束するのが難しくなる。
この衣装は、魔法使いに魔法を使えなくして、拘束するために使うものだそうだ。
義父様達に聞いたら、アトラス領には、その衣装は存在していなかった。
何しろ、魔法使いがほとんど居ない領地だ。
拘束具が必要なほどの魔法を使えるのは、義父様達や私達、あとはアトラス家で働いている侍女さん、あとはウィリッテさんぐらいしか居ない。
アトラス領では、そんな特殊な拘束具を使う可能性自体が無かったのだ。
今回、エドガーさんにお願いしてその魔法使い用の特殊な拘束具を王都から持ってきてもらったらしい。
「魔法に関して、影響を与えるものがあるんですね。始めて知りました。」
とエリオさん。
「魔法使いの罪人にしか使わないものだから、一部の騎士にしか知らていないはずだ。
それで、これは、アトラス領には無いのかい?」
「父さんに聞いてみたけれど、アトラス領には無いと言ってました。」
「ふむ、それで、これは何に使うんだね?」
「ウィリッテさんに聞いたら、この拘束具の効果は分っていても、何故魔法使いが魔法を使えなくなるのかといった原理は不明だと聞いています。
それで合っていますか?」
「原理が不明と言われればその通りだ。
この拘束のための衣装に使われている布は、随分昔に効果が知られて、それ以来作られていると聞いている。
そもそも魔法そのものに不明な事が多いので、この拘束のための衣装が何故機能するのかは長い間不明のままだ。
魔法使いに、効果が有ったので、そのまま使われているのだ。
かなり特殊な鉱石の粉を布を織るための糸に練り込んである。
一説によると、その鉱石が魔法使いの思考に作用して、魔法が使えなくなるんじゃないかと言われているが、それも本当なのかは不明だ。」
ジョルジさんが説明をしてくれた。
「ボクもそう聞いています。それで、ニケにお願いして、一体その鉱石がどういったものなのかを調べてもらおうと思っています。
そして、ニケに、より効果がある素材を作ってもらう心算なんです。
そうすれば、その素材と魔法がどう関わっているのかが解るんじゃないかと考えたんです。
効果のある素材が何なのかが分れば、その素材を使って、魔法使いに効いているのか、魔法そのものに効いているのかといった事も明確になるんじゃないかなと思うんです。」
およよ。突然私に振られたな。
まあ、調べることは直ぐに出来るだろうけど。
ひょっとして、その鉱石というものは、通常の物質じゃなかったりしないよね。
「なるほど、まず、魔法が使えなくなる素材をはっきりさせて、それを足掛りにして魔法について調べるという事なのか。」
「そうです。そして、もし、その素材が魔法そのものに効いている場合は、その素材で囲った空間は、外界と切り離された、魔法の孤立系になってくれるんじゃないかと思うんですよ。」
「つまり、先程言っていた孤立系というものが、魔法も含めて実現出来るかもしれないという事なのか。」
「そうなれば良いのですが……今の段階だと何とも言えないですね。」
それから、ものは試しとその衣装--上から被せるもので、目だけが開いているものだ。前世のお化けの衣装の様なものに見える--を被って、魔法が使えるかを確認してみた。
確かに、魔法が起動為難い。全然魔法が使えないかと言うと、そうでもないけれど、感覚的に、1/4から1/8位の威力の様な気がする。
他の人達は、全然魔法が起動しなかった。
アイルだけは、全然問題無く魔法が起動していた……。
この違いも、謎だった。




