73.複写装置
当面、教壇には、私とアイルは立たないことになった。
最初から、こんな子供にしか見えないのが、「教師です」なんてやっても、バカにされそうだ。
授業は、私とアイルはオブザーバーで脇にいて、助手さん、元い、准教授に教鞭を持たせることになった。
まあ、この世界の非常識みたいな事を教えるんだから、この世界の人に教えてもらった方が良さそうだって事もある。
もうじき、メーテスの授業を始めることになるんだけど……。
授業用の資料作りがこんなに大変だとは思ってもみなかったよ。
最近は、ジーナさんと二人で人間コピーマシンと化している……。
うーん。何とかしたい。
私やジーナさんが複写しなくても何とかならんか?
メーテスの教員室で、アイルは、授業資料と睨めっこしている。
今、アイルが見ているのは、授業の時に生徒に渡す授業の要約みたいな文書だ。
これを大量に複写して、生徒に配布することになる。
「ねえ。アイル。」
「ん。何だ?」
『コピーマシン作って。』
『コピーマシンって、トナーを使うやつか?』
『そうそう。それそれ。』
『コピーマシンって、どうなってたっけ……。
交換部品に、感光ドラムがあったな。
あとは、トナーだよな。確か静電気を使って……。
ああ。大体仕組みは分ったような気がするけど、紙送り部分がやっかいかな。
あっ、ゴムが使えるか。でも、ここで作っている紙で大丈夫かな……。』
ふふふふ、アイルがブツブツ言いだしたから、きっと大丈夫だろう。
よしよし。
『なあ、ニケ。感光ドラムとトナーはどうするんだ?』
『へっ?感光ドラムとトナー?』
『ああ。感光ドラムってのは、トナーって言う黒い粉を静電気でくっ付けて紙に転写するやつ。
確か、ドラムの表面には、光伝導性を持った素材がコートされていたんじゃないかな。
光が当たらなかったところだけ静電気が保持されて、トナーが付着して、それが紙に転写される仕組だったと思うんだ。
だから、絶縁性が高い、光伝導性のある素材で感光ドラムの表面を覆わなきゃなきゃならない。
あと、紙に転写されるトナーも普通の黒い粉って訳にはいかないと思うんだ。紙に付着したあと、熱かなにかで紙に浸透するようなものじゃないと紙から剥れ落ちてしまう。それに、ドラムに付着するために絶縁特性の高いものじゃないとならない。
かなり特殊な素材が要るよ。』
えぇぇ?こっちに返ってきたよ。
えーと、静電気を保持するものって言えば、樹脂だろうな。それに、光伝導性のあるものを練り込むのかな……。あるいは、光伝導性のある樹脂か?
うーん。電気を通さなければ良いなら、光伝導性のあるα−Si、セレンやテルルの無機化合物でも良いのか。
でも、ロールの表面にって……。アイルがこの前言っていた薄膜の作製が必要か。
分子設計して、実際にモノを作って確認もできるけど……。
うーん。可能性がありそうなモノが沢山ありすぎるな。
あと、トナーか……。
その時、大学の先輩が、写真機メーカに就職して、翌年、学校にリクルーターとして訪問してきたときの事を思い出した。
先輩が、何をしているかを聞いたら、トナーの開発と言っていた。
その頃全然興味もなくって、話半分で聞いていたけど、粒度や色の他に、絶縁性だとか、微粒子を維持するためとか、紙に付着させるためとかで、様々な成分が必要だって言っていたな。
自惚れ半分かもしれないけど、トナーっていうのは、かなり高度な化学製品だと自慢していた記憶が……。
なんとか為らなくもないけど……。
何を使ったとしても、そんなもの、私以外に作れないじゃない。
私以外に作れないものを増やす気にはなれない……。超伝導材料と窒素固定触媒
だけで、お腹一杯だよ。
『うーん。無理かも……。』
『えっ?ニケでも無理なのか?そんなトンデモないものだったのか?』
『いえ。私に無理なんじゃなくって、領民に無理。』
『領民に?って。ああ、ニケ以外の人に作れないってことか。』
『そう。それに、多分、合成樹脂が必要になりそうだわ。
まだ、プラスチックを大々的に作る気にはなれないんだよね。
そんな便利なものを作ったら、そこらへん中、ゴミだらけになるわ。』
『ふーん。じゃあ、ムリじゃん。』
『えぇえええ。他の方法は無いの?』
『無くっても良いんじゃないのか?
あの手引書も、ジーナさんと二人で、半日ぐらいで作ってたじゃない。
あれ、100頁以上あったんじゃない?
だったら、毎日、1,2刻程度で終る作業だと思うけど。』
『だって、メンドウじゃない。ジーナさんに手伝ってもらうのも悪いし。』
『ジーナさんに悪いと思うんだったら、ニケが一人で……えっ。ニラむなよ。
だけど、他に方法が……。あっ、魔法で版画だったら作れるんじゃない?』
ん?原稿から、複写の魔法で、版画の原版を作って、印刷は他の人に頼む……。
『結局、それって、メンドウを増やしているだけじゃない。
普通のコピーマシン以外の、コピーの方法って無いの?』
『そんなもの有ったかな……。』
大学でプリントを作るのは、プリンターかコピーマシンだったわね。
あと、同じものを何枚も作らなきゃならなかったことって……年賀状か。
年賀状も最近はプリンターだったわ。
でも、子供の頃、違う方法で印刷してたような気がするけど……。
『あっ。昔、年賀状の印刷のときに、なんか、パシャって光らせて、インクを乗っけて印刷するのって使わなかった?
あれだったら、誰でも複写が出来るわよ。』
『ん?パシャ?何だよそれ……。
ああ。そんなの昔使ってたな。
あれってどうなってたんだろう。謄写版みたいなものだったような気がするけど。
確か、使い捨てのマグネシウムランプを光らせてたな。
あれは何の為に……。
原稿が、シートにくっ付いたりしてたな……あっ熱で何かを融かして孔が空いたのかな……。』
ふふふふ。またアイルのブツブツが始まった。これで、仕組みだけは判明するわね。
今度は、流石にこの世界と隔絶した技術にはならないかも。
見た目が玩具のような感じだったしね。
しばらくして、アイルのブツブツが終った。どうやら仕組みが分ったみたいだ。
それから、多分こうだったんじゃないかって事を聞いた。
基本的に、あれは謄写版だったんじゃないかと。
ガリ版を鉄筆で削るんじゃなくって、原稿の黒い部分が光で熱を持って、融けやすいフィルムに孔を空けていたんじゃないかって事だった。
『すると、インクを通さない膜とインクを通す細かな網状の布みたいなものが重なっていて、膜が熱で融けて孔になれば良い訳ね。』
『まあ、そういう事になるのかな。
ただ、前世では、その熱で融けていた膜はプラスチックフィルムだったと思うけど。』
『うーん。プラスチックフィルムかぁ。
普通に考えると、その選択になるわね……。
あと、光が当って、原稿の黒い部分の熱で融けなきゃならないのよね。
どのぐらいの温度になったのかな。
でも、原理が解かったなら、他の方法が採れるかもしれないわよね。』
私は、リリスさんに頼んで、丈夫な薄い布を教えてもらった。麻の細糸で作った薄衣を何種類か入手した。
本当は細い絹で作った布が良いんだけど、絹なんてもの無いしね。
布で新しいものを作るという事で、リリスさんが、人手を貸してくれた。
手に入るだけのワニスを入手してもらった。ワニスは熱可塑性だから、良い材料があるかもしれない。あとは、鑞や生ゴムも用意した。
薄衣を1デシ(=10cm)角に大量に切ってもらって、それぞれワニスに浸してサンプルを作ってもらう。
光源は、アイルが、以前、ノアール川でスポットライトにしたものを利用する。
文字を書いた紙の上にサンプルを乗せて、ガラスで押えて光を当てる。
時間や電流量を変えてもらった。
見た目では、分り辛いので、顕微鏡で観察してみる。
融けているものがいくつか見付かった。孔が出来ないのは、ワニスの量が多いせいだろう。
含浸する量を調整して、再度チャレンジする。
孔が開くワニスが見付かったけど、曲げると割れてしまった。
室温で、柔らかなワニスを混ぜたり、臘を混ぜたり、生ゴムを混ぜたりして、成分調整をしていく。
いやぁ。魔法が無ければ、どんだけ時間が掛ったか。
含浸については、魔法で含浸する組成の薄いワニスシートを作って、布に乗せて加熱すれば終りって方法で、バンバン作っていった。
なんとか、使えそうなシートが出来た。
あとは、シートの製造装置と印刷機。
これはアイルに頼んだ。
シート作成の経緯を見ていたアイルは、呆れていた。
「そんなに、苦労するぐらいだったら、複写の魔法で資料作った方が良いんじゃない?」
「いいのよ。最初大変でも後々楽になるんだから。」
それから程なく、コピーマシンは完成した。
加熱したロールから、布にコート剤を塗布する仕組で、それを何段も行なうことで、適度にコート剤が布に染み込んでいて、膜にもなっている。
アイル謹製の光源で瞬間的に光を照射すると、黒インクで書いた原稿の黒インク部分が綺麗に融けていた。
そのシートを使って、油性の乾燥インクで、印刷してみた。
まあ、細かなところが潰れてしまうけれど、問題は無さそうだった。
やっぱり、細かなところが再現できないのは、版に使用した布が少し厚いからかもしれない。
リリスさんに出来上がりを見せたら、狂喜していた。
「あら、あら、あら。布で何を作るのかと思っていたら、こんなものが出来たんですね。
これって、私のところで扱って良いんですか?」
布の厚みを変えたり、布の織り方を変えたり、含浸するワニス混合物の量の調整などの検討をお願いしたら、引き受けてくれた。
アイルには、リリスさんのところにもコピーマシンを作ってもらった。
グルムおじさんは、カイロスさんから聞いたのか、領主館に欲しいと言ってきた。
国務館のジーナさんのところにも機械を入れた。
ジーナさんは喜んでいたけど、少し寂しそうだった。




