69.王国立メーテス
もともと王国立メーテスには、アイルの物理研究所と私の化学研究所、魔法研究所を設置するだけの心算だったんだ。
王国立メーテスの構想を、王都の宰相閣下に無線機を使って相談している内に、アトラス領の農業試験所の話になった。
同じ様な組織を王国で立ち上げたいと言われた。
アトラス領で、砂糖を生産し始めたのが、衝撃だったらしい。
今や、砂糖は、ガラスに次ぐアトラス領のドル箱だ。
宰相閣下は、他の領地でも、利益の上がる作物生産や、度々悩まされる不作への対処ができるようにしたいと言う。
農産物の収穫予測は、これまで、毎日の天気から予想していたことを聞いた。
それは普通の事だろうと思っていたら、天気と言っても、晴か曇か雨かぐらいのザックリとした記録でしかないらしい。
気温を測る方法が有る訳じゃないので、体感で暑いとか寒いとかを記録していただけだ。
何か、前世の小学校の夏休みの宿題みたいだなと思ってしまった。
気温が記録される分、前世の小学校の方がマシかもしれない。
雨量も測定なんかしていない。日照時間なんてものは論外だった。
そんな具合なので、大抵、収穫時期に不作が判明してから、慌てていたんだそうだ。
一時が万事こんな感じだったので、農作物の収穫に影響を与えそうな項目を伝えたら、驚かれた。
そんな訳で、宰相閣下の鶴の一声で、農産物研究室を作ることが決まってしまった。
他にも色々と、宰相閣下と話をしている内に、貨幣の鋳造量にも問題があることが分った。
通貨の鋳造量は、小麦の価格の変動だけで決めていた。
これまでの世の中では、それでも良かったんだ。それほど遠くない昔には、小麦の袋を使って物々交換をしていたらしい。
しかし、小麦の生産は毎年大きく変化する。
農産物の収穫量予測が上手く行っていないため、慌てて過剰な調整になってしまいがちだった。酷いインフレになったり、酷いデフレになったりしていたことも有るらしい。
宰相閣下に、今後、様々な物品が世の中に出回ったときにどうなるのかを聞かれた。
さらに、調整が難しくなると思うと伝えた。
なにしろ、物価指数なんてものは当然無い。商品の生産量の統計データも無い。貨幣の流通量も分らない。物流の把握も出来てない。
ないない尽しだった。
それで、経済研究室が設立される事になった。
さらに、新しい交通手段の船と鉄道。
両方とも、運行開始を先行させたので、色々な事が後回しになっている。
アイルは、機関車の最高速度は、150km/hぐらいだと言っているのだが、実際の運行での適切な速度は決まっていない。
大体、70km/hに相当する速度で走っていて、駅の手前のマーカーを見て減速することになっているだけだ。
鉄道は真っ直ぐなところが多いけど、地形によって、上ったり下ったりしている。
適切な速度をどうするのか、もっと速度を上げても良いのか、風が強い時にはどうするかなど、実地での確認は、これからなのだ。
一応、アイルが信号を設置しているので、万が一前の列車が止まってしまっている時に、追突しないような予防はしているのだが、こういった仕組も研究して欲しい。
特急列車なんていうものも設定したいのだが、これも、適切な設定方法は定まっていない。
今は、全ての列車は、全ての駅で停車している。
新しく設立した保険なんて制度もある。
保険料率をどうやって決めるかというのには、統計学を使うのだけれど、誰もそんなものは知らない。
今は、荷の価格の1/24程度を保険金として徴収しているだけだ。
ただ、私もアイルも忙しくなってきて、何処かでそういった事を検討してもらいたかった。
宰相閣下と相談して、交通研究室を設立する事になった。
物理学と化学とはあまり関係の無い研究室が出来ることになったため、国務館研究所を新たに設けて、農作物研究室、交通研究室、経済研究室をその下に配置した。
折角王宮文官の管理官が手伝ってくれる事になったので、今後、優秀な王宮文官を助手として雇用してもらおうと思っている。
近い将来、優秀な農学者や経済学者が生まれる事に期待をしている。
それで、魔法研究室なのだが、これは何をするのか決まっていない。
まだ、アイルが思考実験中だ。本格的に研究室が稼動したら、実験を始めるつもりらしい。
ただ、魔導師会がかなり乗り気で、1級魔法使いのエドガー・バルトロッチさんを紹介してくれた。
このバルトロッチという名前をどこかで聞いた事があると思っていたら、鉄道の駅になる予定の名前だった。
エドガーさんは、現、バルトロッチ男爵の甥だそうだ。
エドガーさんの父親はあまり魔力が無く、弟のバルトロッチ男爵が家を継いだ。
ところが、どういう訳か、その子供のエドガーさんは、人並外れて魔力が大きかった。今は、王都の王国立魔法学校で教師をしつつ魔法の研究者をしている。
エドガーさんは、魔法を使う方法を主に研究テーマにしているそうだ。
メーテスでは、魔法という現象が何故発生するのかといった、魔法そのものの研究をする。
エドガーさんに限らず、魔法が使える人にとって、「魔法とは何か」というのは一度は考えた事のある命題なのだそうだ。
この命題は、従来全く手掛りが得られなかったそうだ。
多分、アイルは、物理学の知識でどうにかする心算だと思うんだけど、どうなるんだか。
そんな訳で、この魔法研究室は、エドガー・バルトロッチさんが准教授になった。そして、やはり興味を持っていた、国務館館長のウィリッテさんと魔導師会会長のジョルジ・ジェメーラさんが、客員教授という形に収まった。
魔法に関する事は、通常の物理学でも化学でも無いので、国務館研究所の下に配置することにした。
会議の日、エドガー・バルトロッチさんと、ジョルジ・ジェメーラさんが王都からやってきた。
この日、王国立メーテスについて、最終確認をする。
初年度の入学希望者は、dN5(=125)人だった。
入学希望者は、最低限、王国立文官学校や王国立魔法学校、王国立騎士学校の卒業同等の学力を有していることが入学資格として定めている。
これらの学校を卒業している場合には、卒業を証明する証書が有れば良い。
これらの学校に通わなかった場合は、家庭教師による証書。
領主による推薦状などを必要としていた。
「この中で、資格を満たさない人は居たんですか?」
事務長のバンビーナさんに聞いてみた。
「いえ、全ての希望者に、証明書か推薦書が添付されていました。」
「じゃあ、dN5人を受け入れる事になるのね?」
「そうです。建設段階で、d100(=144)人の定員を想定していましたから、新たに寮の建設や教室の拡張などは不要ですね。」
募集期間が終るまで、結構不安だった。募集が予定の定員をオーバーするんじゃないかとか、全然応募が来ないんじゃないかとか。
19人の不足って、上々じゃない?
「ただ、入学希望者には、かなり偏りがありまして。」
聞くと、申請書を出してきた領地は、アトラス領の周辺と、アトラス領から王都までの経路にあたえる領地や王都周辺の領地、あとは、4侯爵や大きな伯爵の領地からだけらしい。
ひょっとすると、申請書の移送に時間が掛るために届いていないのかも知れないとバンビーナさんは言う。
そうなのだろうか?どちらかと言うとメーテスの事を、何だか得体が知れないモノと思っていたり、理解されていないんじゃないだろうか?
こっちの理由の方が有り得そうだよ。
アトラス領の生産品も、王都周辺とアトラス領から王都までの経路になっている領地には知られているけれど、北の方とか、西の方の領地では、全く知らないんじゃないかな。
ジーナさんの実家の領地では紙なんか誰も知らないと、ジーナさんが断言していたことがあった様な気がする……。
知らなければ、興味が湧かないし、胡散臭いと思われていても仕方が無い。
段々と知られていけば良いんだろうけどね。
受け入れの準備をバンビーナさんにお願いした。
集まった、准教授や客員教授の面々に、履修してもらう年度毎の教科内容や、教師の分担などの確認をした。
基本、就学期間は4年を想定している。
最初の2年間は、前期課程で、前世の大学教養部ぐらいの、数学、物理学、化学の教科を履修をしてもらう。
いくつか、それ以外の教科も準備している。ジーナさんに考案税の仕組みと申請書の書き方を教えてもらうことをお願いしてある。
農産物や経済、交通機関についての講義もする予定だ。
全ての教科は単位制で、4年以内に必要な単位を取り終えることが終了条件になる。
4年間で、前期過程の必要単位が取れない場合は、残念な事だけど、別な道へ進んでもらう。
向き不向きってのがあるから、こればかりは仕方が無い。
必要単位を取得した場合には、2年を待たずに専門課程に進学することもできる。
前期課程を終了したら、引き続き2年間の専門課程に進んでもらう。
ここからは、研究室の出番だ。
研究室で、学生に研究テーマを与え、専門的な教育・訓練を実施する。
この専門課程の終了条件は、専門教科の履修による単位の取得と卒業論文の提出だ。
その分野の口頭試問を行なって、成績が優秀な場合に、専門過程が終了できる。
これも、4年以内に終了するという期限を設けている。
履修要件に関して確認の後、入学式や、オリエンテーションなどの内容の確認を終えて、会議は終了した。




