55.鉄道旅行
ジョアンナさんが案内をするのに付いて、寝台車の中に入る。
車両の中に入ると、窓際に通路が車両の奥に延びている。その通路の窓に向き合う壁には、かなりの間隔を空けて6つの扉がある。
扉を開けてみると、そこは部屋になっていた。
部屋の奥の窓際に、対になっているソファー様な椅子が向かい合わせに置いてあり、ソファーの間にはテーブルがあった。
扉を入ってすぐの場所の左側には、部屋があり、中を見ると、洗面台とトイレ、浴室がある。
ジョアンナさんの説明では、浴室は、上から温水が勢い良く落ちてきて、その水で体を洗うことができる。
その小部屋の中にあった棚には、拭き布が沢山置いてあった。
浴室には、厚いガラスの扉があり、浴びた温水が浴室の外に飛び散らないようになっていた。
右側の壁は、クローゼットだった。
クローゼットの中の棚には、敷布、毛布、枕などが置いてある。
窓際に置いてある2つのソファーは、各々、大人4人が並んで楽に座れるほどの幅がある。
「この部分を倒していただきますと、このソファーは背もたれが倒れて、ベッドに変わります。
一旦座面を上に上げていただけば、またソファーに戻ります。
ソファーの上にある壁をこのように引いていたけば、こちらもベッドになります。
元に戻すには、こちらを押していたけると、元に戻ります。
この部屋で、4人分のベッドがあります。」
なかなか面白い仕組だ。
先刻見たときに同じ扉が6つあった。
4人定員の部屋が6つで、この車両の定員がd20(=24)人という訳なのだな。
部屋の説明を聞いている最中に、少し振動が伝わってきて、窓の外を見ると動き出したことが分った。
「定刻間近になったようですね。これから、この寝台車と食堂車は、アトラス川行きの列車に連結いたします。連結作業が終了したら、出発となります。」
それから、窓の開けかた、部屋の灯りの点け方、消し方、浴室の使い方などを一通り説明を受けた。
「この寝台車と食堂車は、キリル川駅で、一度切り離されて、ミネア行きの列車に連結され、終点のミネア駅まで移動いたします。
ミネア駅には、明日の5時半(午後3時)に到着する予定です。
食事は、今日の4時(正午)から5時(午後2時)に昼食、7時(午後6時)から8時(午後8時)に夕食、明日の1時半(午前7時)から2時半(午前9時)に朝食、4時(正午)から5時(午後2時)に昼食を御用意してお待ちしております。
時間になりましたら、食堂車の方へお越しください。
時刻は、こちらにある時計でご確認願います。」
ジョアンナさんは、部屋の中、クローゼットの脇の壁に取り付けてある時計を示して説明してくれた。
「その他の時間でも、水やジュース、お茶、お酒、菓子類を提供できます。
食堂車の営業時間は、1時(午前6時)から9時(午後10時)となっております。
ここまでの説明で、何かご質問が御座いますでしょうか?」
誰からも質問は出なかった。
「それでは、私は、食堂車の方へ移動いたします。
なにかありましたら、食堂車にお越しいただくか、こちらにあるボタンを押していただければ、ご要望を伺いに参ります。
それでは、アトラス鉄道の旅をご堪能くださいませ。」
ジョアンナさんは、部屋を出ていった。
ガチャガチャガチャガチャという音がして、この車両は停止した。
窓から外を見ると、駅のホームから、この列車に乗る人が見えた。
この寝台車と食堂車は、列車の一番後ろに繋がったようだ。
私の家族が、食堂車に近い2部屋を使うことになった。
残りの4部屋を、文官と騎士達で分かれて使用する。
家族と、ソファーに座って、窓の外を見ていたら、ジリジリジリジリジリという音が響いた。
ピーという甲高い音が聞こえた。
列車の前方から、ガシャン、ガチャン、ガチャンという音が近付いてきた。
間近でガシャンという音がしたと思ったら、窓の外の駅の風景が後ろに移動しはじめた。
「わっ。動いた!」
下の娘が嬉しそうに歓声を上げた。
列車は、速度を上げていく。
直ぐに、駅は後ろの方に離れて見えなくなった。
窓からは、マリムの街が見えている。
経験した事のない速度で、街の建物が後方に流れていくのが見える。
時々左右に揺れたが、座っていると、気になるほどではない。
海船は大きく揺れるので、それとは比較にはならない小さな揺れだ。
川船で揺れるのとあまり変わらない。
揺れ方が違うので正確に比較できないのだが、鉄道の方が小さな揺れかも知れない。
音は、それなりにする。ゴーとかガタンガタンという音が常に聞こえてくる。
窓の外の風景は、街から、農地に変わっていた。
彼方に、高い山が見える。
あれがアトラス山脈なのだろう。
2刻もしないで、最初のコンビナート駅に着いた。
客室の窓からは、コンビナートは見えない。
部屋を出て、廊下の窓の外を見ると、一昨日訪問したコンビナートが見えた。
中央にある高い煙突は、ボイラーと言っていた設備だな。
駅から見ると、紙を作っている工場は、はるか彼方に見える。
直ぐに、列車はコンビナート駅を離れた。
子供達は、窓から見える景色の虜になっている。
森が見えたと思うと、通り過ぎて、見えなくなる。
農地に牛が沢山見えたり、小さな川を渡ったり。
いろいろなものを発見しては、燥いでいた。
ソファーの上の壁には、鉄道の路線図があった。
次は、モニム川駅か。
その駅に辿り着くまえに、昼食の時刻になった。
家族で揃って食堂車に移動した。
食堂車には、8人掛けのテーブルが、左右の窓際に並んでいた。
テーブルは、窓際に6つ、全部で12あった。
奥には、ソファーと丸テーブルが2つある。
部屋の内装は塗装された木になっていて、装飾に金が使われている。
高級な食事処といった雰囲気だ。
奥の方は、厨房になっているのか、窓沿いの廊下を挟んで、壁に囲われている大きめの区画があった。
その大きな区画のこちら側には、出入口と給仕カウンターがあって、鉄道員が出入りしている。
妻や子供達とテーブルに着く。
テーブルは、船の食堂同様、床に固定してあった。
部屋の説明をしてくれた、ジョアンナさんが給仕をしてくれる。
ガラスのコップに水を持ってきてくれた。
各々の椅子の前には、メニューが置いてあった。
昼のメニューは、パンで肉や野菜を挟んだもの、スープスパゲッティ、ハンバーガーのグリルから選べるようになっている。
私と息子のムザルは、ハンバーガーグリル。妻と長女のステリアはスープスパゲッティ、下の娘のステシイは、パンで肉や野菜を挟んだものを注文した。
窓の外は、農地が広がっている。動いている景色を見ながらの食事というのも良いものだと思った。
妻も子供達も気に入ったようだ。外を見て、景色の話をしながらの食事になった。
ジョアンナさんに、この食堂車は他の客も来るのかを聞くと、他の車両と連結している寝台車と他の車両との間の通路は鍵を掛けてあると言う。
この食堂車が一番後ろの車両なので、他の乗客は使えないと教えてくれた。
一緒に来た騎士に聞くと、既にそれは知っていたようだ。そのお陰で、護衛は随分楽になっているらしい。
食堂車の後ろにはデッキがあって、走行中にデッキに出ることも出来る。
そこには、小さいテーブルとベンチが据え付けられていて、飲食が出来るそうだ。
食事が終る頃に、モニム川を渡り、モニム川駅に着いた。
駅の側には、小さな街ができているようだ。
ジョアンナさんは、川からの荷の積み卸しをする場所が出来て、鉄道と川船の間で荷の積み卸しをするようになったと教えてくれた。
食後にお茶をもらって、クッキーを食べた。その後、折角なので、一番後ろのデッキに出てみる事にした。
デッキに出てみると、列車の進行方向からの風がまわり込んで、かなり強い風を感じた。
そして、凄い速さで、線路が後方へ流れていくのを目の当たりにする。
早駆けしている馬の何倍も速いようだ。
テーブルが有ったが、この場所で軽食を食べるのは、恐しくて無理だと思った。
客室の窓から外を見ていた時には、鉄道というのは速いのだとは思ったが、この場所で外を見ることで、とてつもなく速く動いているのを実感できた。
デッキから寝台車の部屋に戻り、外の風景を見ながら、家族で話をして過した。
5時半(午後3時)ごろに、部屋にあるボタンを押して、紅茶を飲みたいと伝えると、ジョアンナさんが、食堂車からワゴンにお茶とクッキーを乗せて持ってきてくれた。
会話は、昨日見た無線機と同じ要領だった。ボタンを押すと、壁から、ジョアンナさんの声が聞こえてきた。
こちらが話をすると、応答してくれる。こちらの声が向こうに伝わっているのだ。これも無線機なのだろうか?
このことをジョアンナさんに聞くと、無線機ではなく、銅の細い線で声を伝えているのだそうだ……。
ジョアンナさんも詳しくは無いらしいし、私も詳細を聞いても理解は出来ないだろう。
無線機とは違うけれど、離れた場所に声を伝える道具らしい。
お茶を飲み終えて、ジョアンナさんに片付けてもらった。
それからしばらく経った頃、夕刻が近付いてきて、周りが朱色に染まり始めた。
遠くに見えている山の裾野から次第に山は暗くなっていく。
山の中腹が朱色に染まり、それが次第に山の上の方に移動していく。
最後には、山頂が赤く輝いていたが、それも消えた。
まわりはすっかり暗くなり、漆黒の中を列車は進んでいく。
窓から漏れる灯りが周りを部分的に明るくしている。
木々が、見えては暗闇のなかに消えていく。
夕食の時間になったので、また食堂車に移動した。
夕食のメニューを見て、それぞれに良いと思うものを注文した。
夕食は、サラダなどの前菜、肉料理や魚料理を選べるようになっていた。
あいかわらず、美味しい料理が出てくる。
せっかくだったので、私と妻、上の娘は、酒を少し飲むことにした。
今は、窓の外を見ても、真っ暗で、遠くの場所は全く見えない。
窓の外、星が翳っているところは、アトラス山脈なのだろう。星々の《またた》きの中に黒いシルエットだけが見える。
時々、村落があるのか、少しだけ明るい場所が見えた。
夕食後、部屋に戻り、子供達に浴室で体を洗わせた。
子供達のベッドを作って、寝させた。
私と妻は、隣の部屋に移って、酒を少し飲んで、寝ることにした。
灯りを消した後も、妻は、頻りに、鉄道に乗れて良かったと言う。
子供達が幼なかった頃のように、燥いでいるのも、嬉しかった様だ。
上の娘は、今年、嫁いで家を出る。
本当に良い思い出になるだろう。
一頻り話をして、ベッドに横になり、寝た。
まだ暗い内に、目が覚めた。空はまだ暗いのだが、周りは明るい。
列車は、今は停まっているようだ。
走行している間、常に聞こえていた音がしない。
音が止まったので、目が覚めたのかもしれないと寝惚けながらに思った。
車両が少し動いては止まる。
また、ガシャンガシャンという音がした。
ほどなくして、列車はまた動き始めた。
説明してもらった通り、アトラス線の列車からミネア線の列車に繋ぎ変えたのだろう。
列車が動き始めたあたりで、再び眠ってしまった。
朝、目が覚めた。すっかり周りは明るくなっている。
時刻は1時半(午前7時)だった。
妻は既に起きていた。
洗顔し、身支度をして、子供達が寝ている隣の部屋に行くと、子供達も起きていて、ベッドを仕舞っているところだった。
家族で連れ立って、朝食を食べるために食堂車に行った。
朝食は、ベーコンと目玉焼き、フワフワパンだった。
ほぼ、朝食の定番なのだな。
子供達に昨日の夜は、眠れたかを聞いてみた。
音が気になって最初は眠れなかったようだ。
ベッドに入ってから、三人で暫くの間は話をしていたらしい。
そして、いつの間にか、寝てしまったと言っていた。
列車は、森の中をひたすら進む。
すっかり、山の中だ。
時々横断する川は、幅が細く、鉄道が走っている場所より随分と低いところを流れている。
川を跨いでいる橋が沢山あった。
地面の下を通過して、真っ暗になる場所もあった。
いくら魔法とは言え、こんな場所に線路を作ってしまうとは。
凄まじいとしか言い様が無いなと思う。
昼食の時間になった。
食事が終る頃になって、森の木々の間に海が見えた。
アトラス山脈を完全に越えたという事だろう。
海の先には、うっすらと陸地も見える。あれが、地図にあった半島なのだろう。
定刻に、ミネア駅に着いた。
荷物を纏めて、寝台車から降りる。
これまで、いろいろと世話をしてもらった、ジョアンナさんに礼を言う。
ホームに降り立って、駅を出たところに青年と騎士が待っていた。
「初めまして。ロッサ子爵様。無線機でお話しさせていただきましたが、ミネアの街で代官をしているグロス・セメルです。」




