19.ボロス・エクゴ
宰相閣下から、領主館に呼び出しを受けた。
最も腕の良い木工職人を連れて来いという命令だった。
オレは、ボロス・エクゴ。
自分で言うのも何だが、領都マリムで幅広く商いをしていて、領主館にも品物を卸す大商店の店主だ。
まあ、辺境の田舎街で偉そうにしても虚しいだけだが。
最も腕の良い木工職人ということで、ルキトを誘ってみた。ルキトは木工の腕だけは良い。マリムでは一番だろう。ルキトは領主館の呼び出しを拒絶した。
職人というのは、職人仲間以外との人付き合いに苦手意識がある。ましてや、領主様のところとあれば、逃げ出したいのも解らなくもない。
あれこれ煽て上げてみた。
それでも四の五の言うので、腕を抱えて引き摺って、連れていった。
ルキトは手先が器用だが、腕っ節はてんでダメだ。行きたくないと喚いていたが、領主館の入口でようやく観念したみたいだ。
宰相閣下の約束の時刻には間に合ったみたいだ。ルキトが駄々を捏ねなきゃもう少し楽だったのに。
宰相閣下と面会すると、アイル様とニケ様に会ってもらうと言われた。話は二人から聞きなさいと。
誰だ。それは。
その方はどなたかと問い掛けると、領主アウド様の息子と騎士団長ソド様の娘だと言われた。
たしか、「新たな神々の戦い」の日に生れたと聞いたことがある。
するってぇと、まだ2歳になって間もない幼児じゃねぇか。そんな幼児から何を聞くってんだい。
大体マトモに話ができんのかよ。
面会の部屋に案内された。中に入ると、何人かの侍女の真ん中に二人の幼児と子供が座っていた。
今日は、本当に子供の相手かよ。
挨拶してみると、意外とまともだった。幼児じゃない方の子供の名前を聞くと、カイロス・セメルと言っていた。
宰相閣下の末息子じゃねぇか。こっちも5歳ぐらいだったはずだ。お子様集団以外は侍女しか居ねぇ。
「今日は、わざわざお忙しいところ来ていただいてありがとうございます。
作っていただきたいものがあるのです。
ところで、製作にあたって、細工の方法などは、商人のボロス・エクゴ殿を通して話した方が良いのですか?
直接職人ルキト殿と打合せても良いのでしょうか?」
と、男の幼児、もとい、アイル様がおっしゃった。そばに付いている侍女が話したんじゃないかと思ってまわりを見回してしまった。
「え〜と、驚かれるのも解らなくはないですが、話を進められないので、教えてほしいのです。
商売のことは、ボロス殿に相談しますので安心してください。
少し細かな加工が必要なので、職人のルキト殿と相談したいのです。
よろしいですか?」
間違いねぇ。この幼児が喋った。思わず姿勢を正してしまった。
「え、ええ。それで構いません。」
とりあえずそれだけ応えた。
「よかった。じゃあ、ウィリッテさん。例のあれをこちらにお願いします。」
おいおい、女の幼児も話せるのか。
侍女の一人が、部屋の奥のほうから、銀色をしている不思議な形のものを二つ持ってきた。それを、オレとルキトの目の前に置いた。
やたらに沢山の大きめのビーズが枠のなかに並んでいる。どうやら、このビーズは動かせるみたいだ。
「これは、ソロバンと言います。
ちょっと特殊な素材でできていますが、これと同じものを木で作って欲しいんです。
それにあたって、加工できるかどうかを相談したいのです。
あっ、手に取って見てもらって良いですよ。」
ルキトの目が輝いている。手に取って、ビーズの様なものを動かしている。
「それで、こっちの方は、木工で作るための参考してもらうために、枠が外れて、部品がバラバラになるんです。」
侍女が、トレイを奥から持ってきて、トレイの上で枠を外した。ものすごく精巧に出来ていて、持った程度ではバラバラにならないようだ。バラバラになった部品をルキトが真剣な目付きで見ている。
ところで、これは何なのだろう。
聞いてみたら、計算をするための道具だと言っている。
思いもしない答で面喰らう。
そういえば、昨日だったか、公文書の数の記載についての布告があった。何のことかまだ理解できていなかった。それと関係があるのだろうか。
「あっ。商人さんなら、数字も計算するための道具も、興味があるでしょう。カイロスさん、使い方を教えてあげて。」
「えっ、ボクがですか?」
「だって、一昨日、ちゃんと使えてたじゃない。人に教えるのも勉強になって良いよ。ボク達は、加工の方法について職人さんと話があるからお願い。」
それからカイロス少年、もとい、カイロス殿に数字と筆算の方法とソロバンの使い方を教えてもらう。
その間、二人の幼児とルキトが話をしている。もっぱら、幼児がいろいろな質問をして、ルキトがそれに答えている。
木の種類から、加工に使う道具、加工道具の材質。木工の方法、工房で働く職人の人数やその熟練度などなど。
オレは、カイロス殿に、数字、エバエバの表、筆算の方法を学んだ。
これは、凄いぞ。計算の間違いがどれだけ防げるか。
これまで、計算の間違いでどれだけ不利益を被ったか。
商売していたら、計算の間違いなど有ってはいけない。
ただ、どんなに注意していても、数や計算を間違うことがある。
特に雑貨なんていう細かい商売をしている場合、計算を間違ったりすると、利益を失いかねない。
一通り、数字の計算に慣れたところで、ソロバンの説明になった。
これは、計算棒が、最初から何桁も準備されているんじゃないか。しかも、桁ごとの玉の配置が数字と対応している。
計算をするための道具という説明だったが、その通りだ。しかも早い。
どえらい金の匂いがする。これは何としてでも作らなければ。
つい、夢中になってしまっていた。
カイロス殿に礼を言って、ルキトの方を見る。
ルキトの顔が物凄く難しい顔になっている。
「おい、ルキト。どうした難しい顔をして。この道具はどえらく凄え道具だ。何としても作らなきゃならねぇ。」
すると、ルキトが、有ろう事か、とても木工で作るのは無理だと言いだす。
理由を聞くと、玉の加工が難しくて、これだけの数を作るには、とんでもない時間がかかる。
桁の棒の加工をする方法が無い。これだけ細い丸棒を同じ太さで作ることはできない。できたとしても、玉を通してガタツキ無く動かすなんて無理だ。
なんてことを抜かしやがる。
「おい、お前、これがどれだけ凄い道具か判ってねえだろう。これが作れれば、全ての商売人が欲がる。どんだけ売れると思ってんだよ。」
「そっちこそ何を言ってやがる。これがどれだけ難しい加工なのか全く判ってねえ。例え出来るとしたって、どんだけ人工が掛ると思ってんだ。そんなもの作ったって、高くてどこにも売れやしねぇ。」
オレ達は、場を弁えずに、喧嘩になりかかった。そこにアイル様が声を掛けてきた。
「ルキトさんの言うことも、エクゴさんの言い分も解ります。
今の加工技術では、作るのが難しいことは、ルキトさんに色々聞いて良く判りました。
こちらで、加工するための道具を準備しますから、後日またお越しいただけませんか。
加工するための道具は、お貸しします。
次回来る時には、ルキトさんの工房の職人さんを連れてきてください。
そして、教えていただいた、硬い木もこのソロバンを何台か作れる量を用意して持ってきてください。」
そう言われて、その日は帰された。
帰りながら、二人で話をする。
「なあ、ルキト。スゲえ幼児が居たもんだな。ウチの商店の丁稚なんか、比較にならねぇ。領主様のご子息ともなると、あんなもんなのかねぇ。」
「いいや、オレの末の妹が一昨年の暮れに子供を生んだからあの年頃の子供を知っている。
あの年頃の子供は、アーとかウーとかマァマとか言うだけで、まともに話なんかしやしねぇよ。」
「そりゃ、オメエの甥っこだか姪っこだかが遅れてんじゃねぇのかい。」
「オレの妹は、もう3人目だ。これが普通だって言っていたぞ。」
「じゃあ、あの幼児達は普通じゃねぇってことかい。」
「そうだと思う。オレも吃驚したんだ。あの二人、木工についてやけに詳しいんだよ。
道具のことも、道具が何でできているのかも。
そして、やっぱりテツが無いとだめだみたいなことを言うんだが。
テツって何だか知っているか?」
「いいや。聞いたことはねぇな。何だいそのテツってやつは。」
「さあ。必要だと言っていたんだから、何か大切なものなんじゃねぇかな。」
「それより、あのソロバンってやつを使ってみたが、あれは凄ぇ道具だ。計算をするための道具と言われたときには、何が何だか解らなかった。でも、あれは、確かに計算をするための道具だ。あれを使ったら、計算棒なんて使っていられない。」
「そうか。オレは、ソロバンを使ってはみなかったが、あのソロバンの加工はとんでもないものだということだけは解る。
どの玉も一寸の違いものなく、全く同じ形をしていた。
桁の丸棒もそうだ。どれもこれも全く同じ太さなんだ。
あの道具の素材も解らねぇ。金属のようだったが、重くもないし。不思議な素材だった。」
「そういえば、ソロバンって誰がどうやって作ったんだ。ルキト。オメェ聞いてないのか。」
「加工の巧みさに気を取られて、そういや聞くのを忘れていたよ。確かにあそこに何台もあったんだから、誰かが作ったんだよな。誰がどうやって作ったんだろう。不思議だ。」
とにかく、不思議なことだらけだった。
加工するための道具だったか?
それを貸してもらったら、ルキトには是が非でもソロバンを作ってもらわなきゃならねぇ。




