45.昼食
マリム大橋で、風景を十二分に堪能した。
少し名残惜しい気分だったのだが、そろそろ昼時間だ。
今は、マリムの市街地を馬車は走っている。
子供達は、先程まで、見ていた風景について、あれこれ話をしていた。
妻は、例の資料を見ている。
カラン、カラン、カラン、カラン
カラン、カラン、カラン、カラン
神殿で鐘が鳴った。
この領地の神殿の鐘の鳴り方は、他の領地とはかなり違う。
時刻が分るように、正時にはその時の数だけ二回鳴る。
半刻の時には、1回鳴る。
時計は、最初に神殿に納められたのだそうだ。
マリムでは、正確な時刻が分るようになったことで、神殿が鐘の鳴らし方を変えた。
他の領地では、夜明け、2時、4時、6時、日の入りに鐘が鳴る。
鳴る鐘の回数は、領地毎で違っているらしいのだが、詳しくは知らない。
ロッサでは、どの時刻でも3回鐘が鳴る。
「子爵の旦那、もうすぐ海浜公園です。少し遅くなりましたが、そこで昼食をお願いします。」
「海浜公園には屋台があるのですよね?」
例の資料から顔を上げて、妻が質問をする。
「ええ。奥様。その通りです。少し遅くはなりましたが、この時間なら、長い列ができている屋台がお勧めです。マリムに住んでいる者は、屋台の味には拘りがあります。
美味い屋台ほど人が並びます。」
「あら、でも、そういう屋台は、待たされるでしょ?」
「いえ。焼きながら、客を捌いていますから、それほど待つことは無いです。それに、手が遅いところは、客が寄付きません。」
なるほど。もし、沢山の屋台が出ていれば、どの店を選ぶのか迷うだろう。
いい選択方法かもしれない。
「ところで、その海浜公園というのは、大きな嵐で被害を受けたところだと聞いたのだが、これだけ人口が増えているのであれば、大きな公園など作らずに、家屋を作った方が良かったんじゃないのか?」
「これはニケ様が領主様にお願いされたと聞いています。
また大きな嵐が来たら、家屋を作っても流されかねない。それならば、子供の人数が増えているのだから、遊ぶ場所が無い子供達の為に、公園を作りましょうと言ったらしいですね。
これは、この領地では、かなり知られている話です。
実は、今、マリムは、子供の数が物凄い勢いで増えていまして、街の中に公園が多いのもそれが理由です。」
子供の為に?
そんな事を考える領主など普通は居ないだろう。
そもそも、アイテール様もニーケー様も子供では無いか……?
私が疑問に思って押し黙っていると、サムロが言葉を続けた。
「それに、それは、私達の為でもあるんですよ。
子供が街中に溢れるようなことになったら、道で遊ぶ子供が現れます。
馬車なんて、真面に運行できなくなりかねません。
それに、各区画には、上水の給水設備、電気の配電設備などがあって、子供が悪戯するとどんな事故になるか分りません。」
なるほど。街の安全の為でもあるのか。
「なるほどな。公園という無駄に見えるものを作るのは、結果的に、街の安全を守る事に繋るのだな。」
「はい。そういう事です。」
そんな話をしている内に、どうやら海浜公園に着いたようだ。
「旦那。着きました。」
目の前には、広い公園が広がっている。
これが、嵐で壊滅した場所だとすると、かなりの人が被害を受けたのだろう。
海浜公園の隣には、大きな建物がある。
あれは?何かな?
「サムロ。この公園の隣にある大きな建物は何なのだ?多くの人が出入りしているようだが。」
「あれですか?あれは、大浴場といいます。
中には、大きな風呂があり、お湯を使って遊べる施設が併設されたものです。
これも、ニケ様が、体を清潔に保つ事で、子供が病気になりにくくなると仰ったそうで、大きな嵐の被害にあった場所に作ったのです。」
しかし……至る所でニーケー様の話になる。
どんな方なのだろう。
明日お会いできるのを楽しみにしておこう。
「すると、あの建物の建っている場所も嵐の被害に会ったのか。すると、ここらへん一帯は、被害の跡地なのだな。随分と広範囲に被害があったのだな。」
「そうです。あの大きな嵐で、ここらへんの家は皆、流されてしまいました。
多分、その頃の住人のd100分の1ぐらいは、被災したと思います。」
「なるほど、それは酷い。それでも死傷者は出なかったのだろう。よく、嵐が来るなどという事が分ったものだな。」
「私の家は、もう少し北の方だったんで、被害は無かったんで、あまりその時の事は分らないんですが、アイル様が、嵐が来るから、避難するようにと指示したらしいです。アトラス領の警務団が、ここらの家の住人に、昔の神殿か今の神殿に避難するように声を掛けて廻ったみたいですね。避難したその夜のうちに家が流されたらしいです。」
アイテール様にも、その時の話を聞いてみたいものだな。
「それで、ここで昼食という事だが、サムロはどうするのだ?」
「私は馬の世話もあります。馬車を不在にするという事も出来ませんから、こちらでお待ちしています。」
「しかし、昼食は必要だろう?」
「それは、大丈夫です。この場所がお客さんの昼食の場所と決まってるんで、係の者が私の昼食の注文を聞きにきてくれます。指定した屋台で串焼きを買ってきてくれるようになっているんですよ。
それより、息子さんが、こちらを見てますけど、大丈夫ですか?」
そう言われて、妻や息子の居る場所を見ると、息子がじっとこちらを見てる。
ふむ。腹が空いているのか。
これは、急いで行ってやらなきゃならんな。
「それじゃ、食事がてら公園を巡ってこようと思うが、どのぐらいを目安に戻れば良いのだ?」
「半時(1時間)後ぐらいに戻っていただければと思います。」
「分った。それじゃ、悪いが、家族と少し、ここで過させてもらおう。」
「はい。いってらっしゃいませ。」
妻達が待っていたところに行くと、息子が
「早く、何でも良いから何か食べよう。早く食べよう。」
よっぽど腹が減っているのか五月蝿く言い続ける。先刻の話は聞いてなかったのだろうか。
「沢山人が並んでいる屋台がお勧めといってましたね。」
と妻。
「そう言っていたな。ところで、ムザル。美味いものと、そうでもなくても直ぐ食べられるものと何方が良いんだ?」
息子は黙ってしまった。美味いものの方が良いと思っているようだ。
公園の中を見ると、屋台が沢山ある。確かに人が沢山並んでいる屋台と、そうでもない屋台がある。
近くで、人の並びの多いところに並ぶことにした。
この屋台では、肉を焼いていた。タレが焦げる香りが、食欲をそそる。
屋台には、紺色の垂れ幕が屋根の部分から下っていて、脇には、旗のようなものが立っていた。
垂れ幕は、白く牛の絵が描いてある。旗のようなものにも牛だ。
周りの屋台を見ると、魚が描かれていたり、豚が描かれてたりする。
なるほど、垂れ幕や旗を見ると何を調理しているのかが分るのか。
隣に立っている息子を見ると、期待で目が輝いている。朝食が足りないような事を言っていたから、腹が空いているのだろう。
近くで屋台を見ると、炭を燃やしている上にタレを付けた肉が串に刺さって焼けている。
煙が立ち上がっているが、煙い訳ではなく、何とも良い匂いがしている。
屋台には、大きな車輪が付いている。片側に枠の形の取っ手が付いていて、それを曳いて、移動させることができるようだ。
前に並んでいる人がパンが要るかどうかを聞かれた。
肉を焼いている脇には大量のパンが有った。
前の人がパンを頼むと、肉から串を外して、中央に切れ込みがあるパンに挟んで出していた。
家族にパンはどうするか聞くと皆パンを付けたいと言う。騎士達も同じものが良いらしい。8人分の肉をパンに挟んで出してもらった。
事前に金を渡しておいた騎士が支払いをしている間に、皆で近くにあった長椅子に座った。
座ると直ぐに息子は、パンに挟んだ肉を頬張り始めた。
妻が息子を嗜めているが、どうやら聞く耳を持たないようだ。
食べながら何か言っているのだが、口に食べ物を入れたまま話をするんじゃない。
頬張っていたものが喉を通ったのだろう。「美味しい!美味しいよ。これ!」
と叫んでいる。
私も、一口パンと肉を食べてみる。
このパンは、アトラス領に来てから馴染になっているフワフワパンの様だ。
肉には、甘塩っぱいタレが付いていて、肉の味、パンの味と良く合っている。
焼けた肉の香り、焦げたタレの香りが何とも言えない。
息子が叫んでいたのも分るな。妻達も、騎士も皆美味そうに頬張っている。
「父さん。もう一つ食べても良いかな?」
「それは、構わないが、また並んでいる人が居るから、手に入れるのに時間がかかるぞ。その間に、皆で、別な屋台に行くが、そっちを食べ損ねる事になるかもしれん。それで良いか?」
「……」
随分と悩んで、結局、一緒に移動する事にしたようだ。
「沢山屋台が出ていますね。」
妻が、溜息まじりに、呟いていた。
広い公園の、先の方は霞んでいるのだが、見える限り、公園の歩道脇には屋台がある。
「あの屋台。人が多い。」
下の娘が、指を差す方向をみると、人が多い屋台がある。手が遅い訳ではなく、次々と串焼きを売っているのだが、買う人数より、並ぶ人数の方が多いようだ。
今回は、列が長いこともあって、騎士の提案で、私達は、テーブルがあるベンチで待つことにした。
「これ、鶏肉を焼いているのよね?」
上の娘のステリアが屋台の垂れ幕を見て聞いてきた。
垂れ幕には、雄鶏のような絵が描かれている。特徴は捉えている様だが、随分と不思議な絵だ。
描かれている嘴や鶏冠から、雄鶏以外には見えない。
「多分、鶏肉で間違いは無いと思うな。あの絵が鶏以外には見えないからな。」
「でも、面白いですね。なんか、太った鶏の絵ですね。可愛らしい感じです。」
妻は、あの絵が気に入ったようだ。微笑んでいる。
列に並んでいた騎士が、焼いている串は、8種類あると言ってきた。
何しろ、食べた事の無いものだ。選びようが無い。
店の人と相談して、全種類を4串ずつ焼いてもらい、串を外して皿に乗せてもらうことになった。食べるのに、串を何本ももらってきて、皿の上の焼いた鶏肉を串で刺して口にした。
皆で分け合って食べるのは、中々楽しい経験だった。
その後、屋台を巡って、貝柱とか、海老などの魚介類も食べた。
ムザルは、妹のステシイが食べきれなかった串焼きをもらっていたので、随分と腹具合は良くなったのだろう。最後には、満足していたようだ。
公園は、子供が多い。
公園の草地を、3歳ぐらいから、7,8歳ぐらいまで、沢山の子供が走り回っている。
とても広い公園のいたるところに子供達の姿があった。
ロッサ領には、これほどの人数の子供は居ないだろう。子供のために公園を作るなどは、考えたことも無かった。
これは、アトラス領特有の状況なのだろう。




