3N.出港
それから間も無く、船は離岸した。
これだけの大きさの船は、小回りが効かないようだ。
小さな船に押されながら、少しずつ岸から離れていく。
少し、埠頭から離れたところで、船の後部で音がし始めた。
船も少し振動している。
次第に船は速度を上げながら、ガラリア湾の出口に方向に進んでいく。
それほどの時間が掛らず、ロッサの港が左舷の先方に見えた。
やはり、この船は速いな。
妻と子供達も、陸地が遠く離れていくのを見ていた。
甲板に出ていた人達も次第に数が減ってきた。
「そろそろ、中に入らないか?」
「そうですね。少し寒くなってきました。」
私と妻は、子供達に声を掛けて船の中に入った。
やはり、船内は暖かい。
甲板への出入口も、ガラスで出来た扉だ。
ガラスの周りを金属で保護してある。
室内に居ても、外が良く見えるのは、なかなか良いものだな。
それから、食堂の場所、催しものをする場所、酒場、遊戯室などを見て廻った。
どの場所も、とても、船の中だとは思えなかった。
食堂は、領主が使う様な木のテーブルがある。ただ、テーブルは床に固定してあった。波が高い時には、船が揺れるてテーブルが倒れたりすることが有るのだろうか?
船は、まだ、ガラリア湾の中に居るので、気にしなければ気付かない程度にしか揺れていない。
帆船だと、潮と風に流されてしまうので、外洋に出ることは無い。
この船は、大陸から随分と離れたところを航行する様だ。
先刻見た、この船を模ったものが有ったところに説明の図が掲げられていた。
ひょっとすると、外洋に出るとかなり揺れるのかもしれない。
これまで、そんな所に行った事が無いので、分らないのだが。
催し物をする場所にはステージがあって、声の良い女性の歌手が歌っていた。
その前には、低い丸テーブルが幾つもあり、テーブル脇のソファーに腰掛けている観客も居た。
飲食をしながら、ステージで演じられる演芸を見る。これは、王都にある演芸場そのものだ。
酒場は、領地にもある酒場そのままだった。既に酒が入っているのか、大声で話をしている客も居た。
遊技場には、子供が楽しめる輪投げ、射的など、様々な道具を使った遊ぶ場所になっていた。輪投げは見たままだが、射的というのは聞いたことのない言葉だ。
道具を使って、少し離れた壁の的にコルクの欠片を当てる。
係の人に聞くと、空気というものを押し縮めて、その反動でコルクが飛んでいく仕組みだと言っていた。
……空気?
空気というのは何かを聞いたら息のようなものだと言っている。
なるほど、息を思い切り筒に吹き込んでいる様なものか……
それは風魔法ではないかと聞くと、魔法は一切使っていないのだと言う。
そう言えば、この船で、魔法に依存してるものは見ていない。
先刻、浴室でドライヤーという妙な名前の道具の使い方を見せてもらった。
壁に二つ空いた穴に、そのドライヤーという道具の端に付いている……そうそうプラグと言っていたな。それを差し込んで、ボタンを押すと熱風が出てくる。
それを使えば、水に濡れた髪が速く乾くと言っていた。
ウチの家族は全員魔法が使える。髪を乾かすのであれば、水魔法と風魔法を併用する。
それを伝えたら。
「左様ですか。流石です。ただ、魔法が使えない方はとても多いので、このような道具をご用意致しております。」
と言われた。
この船では、魔法を必要とぜずに、魔法の様なことが出来る。
ただ、魔法が無ければ、こんな船を作ることは……いや、私が作ろうと思っても、これは作れないな。魔力が保たないだろう。
ふむ。魔法か……。
この船を動かしているのも魔法ではない様だ。
そもそも、魔法でこれほど大きな船を動かすことなど無理だろう。
魔法のような、魔法でないものが……有るのか……。
子供達は、遊戯室の中にある遊び道具に夢中だ。少しばかりの金を渡して、遊びたいが儘にしておいた。
上の娘は、結婚を控えている大人の筈なのだがな……。
時計を見ると、日の入りの時刻が近いのに気付いた。
妻を誘って、また甲板に出た。船はまだガラリア湾内に居るみたいだ。
外は先刻よりも寒くなっていたが、妻と二人で日が沈むのを見た。綺麗な夕焼けだった。
目の前には海。遥かかなたの大地。そこに沈みゆくヘリオ。見たことがない風景が眼前に広がっていた。
妻も、目を潤ませて、その風景を見ていた。
日が沈むと空の色は紺色に変わっていく。星が見え始める。
視界を遮るものが無い、満天の星空だ。
船室から漏れてくる灯り以外は、漆黒の闇だ。
その中を水音を響かせて、船は進んでいく。
「そろそろ、夕食の時間のようだ。戻ろうか。」
「はい。旅行に出て、良かったです。」
おいおい。まだ旅行は始まったばかりじゃないか。
妻と結婚した最初の頃、領内を宿泊旅行した事はあった。
領内の旅行は、領地を理解してもらうためだった。
それを除けば、二人で旅をするのは、王都を訪問しているだけだ。
領内の旅行も、王都への移動も仕事みたいなもの。仕事とは無縁の旅行に誘ったことは無かったなと思った。
「そうか……良かったな。」
時には、妻を誘って、マリムやその周辺の領地に旅行しても良いかもしれない。
船内に戻ると、どこもかしこも明るい。外は漆黒の闇の中、海上を移動している。夜になると、その異常な明るさが際立っている。
王宮の晩餐会は、燦びやかな明るさがあるのだが、それでも、この船内の明るさと比べると薄暗いのだと分る。
燈明の灯りは、全体に橙色になるのだが、ここの灯りは昼と同じ色合いだ。
もし、油や蝋燭の灯りで、これだけ明るくしようとすると、どれだけの燈明を準備しなければならないか……。
なんとも、不思議なことだ……。
遊戯室で遊んでいた子供達に声を掛けて、食堂へ移動した。
食堂では、既に食事を摂っている人達が居た。
乗船している貴族が他に居るのかを聞いたところ、我々だけらしい。
かなり高額になる1等船室も満席で、かなり大きな商店の店主達が利用していると教えてもらった。
貴族が居れば、挨拶しなければならないが、それは必要無いようだ。
食堂は、乗船した部屋の等級で別々になっている。
警護の騎士は、2等船室の食堂で食べることになる。騎士の一人を残してもらって、二人には食事をしてくるように伝えた。
給仕をしている船員に、席に案内された。
船のために、食材の種類が限られているので、食事内容が選択できないことを恐縮しながら伝えてきた。
恐縮されるような事なのか?
普通に船で移動するときの食事は、極々簡単なものが普通の事なのだが。
席に着いて、食前酒が出てきた。下の娘は、まだ12歳なのでベリーのジュースにしてもらった。
その後直ぐに、スープが出てきた。彩色された陶器のボールに入っているそれは、透明な黄金色をしていた。
スプーンで掬って口に含んで、あまりの香りの良さと濃厚な味わいに驚いた。
妻も、気に入ったのか、一口一口味わうように飲んでいる。
娘と息子が吃驚顔をしている。なかなか面白い。
スープが終るころに、沢山のパンが入った籠と、それぞれに野菜と小魚の酢漬けが乗った皿が給仕された。
パンを一口食べて、これは、フワフワパンとして、高級な食事処で出されるものだと思った。
給仕をしてくれている男性船員に聞いたところ、このパンはニーケー様が考案したものだと教えてくれた。
マリムのパンは、今では殆どこのパンが主流で、マリムのパン屋は、このパンへの様々なアレンジを競っている。
王都で、貴族や一部の金持ち商人しか食べられない高級品を、アトラス領では領民全てが食べているのか……。
我が領地では、このパンが作れる職人は居なかったはずだ……。
子供達は、よっぽど気に入ったのか、パンを頬張っている。
あまり、パンばかり食べていると、他の料理が食べられなくなると嗜めた。
野菜には、酢のような香りがするものが掛っていた。
酸味と甘みがあり、生野菜の苦味が薄まっている。
このようなものを野菜に掛けて食べたことは無い。
王宮晩餐会の料理でも、見たことが無かった。
やはり給仕の男性に聞くと、少し引き攣り笑いをしながら、これもニーケー様が考案したものだと言う。
そして、これから出る食事の殆ど全てが、ニーケー様が領主館で出した料理が領都に広まったものだと聞いた……。
野菜の皿の次に出て来た皿には、褐色の拳より一回り小さな丸い塊が4つ乗っていた。
「鶏の唐揚げでございます。」
鶏は分るのだが、唐揚げ?聞いた事のない料理だ。この料理は、香ばしい香りがする。湯気が立っているので、調理したてのものなのだろう。
ナイフを入れて割ってみると、ふわりと湯気が上って、更に良い香りがした。
一口食べてみて、鶏肉の甘い香り、外側の褐色の部分の香ばしさが、口から鼻に抜けていく。鶏肉も柔らかい。
脇に添えられていた、ベリーのソースを付けると、何とも言えない複雑な味わいになる。
ベリーの酒をもらった。妻に聞くと妻も酒が欲しいと言う。
この料理は、酒に良く合うと思った。
酒を貰う時に、この料理もニーケー様なのかを聞いたところ、微笑みながら、「左様でございます。」と返事が返ってきた。
息子を見ると、フォークを刺した鶏の唐揚げを無心で齧っていた。美味いのだろう。勢い良く齧っている。
次の鶏の唐揚げを手掴みしようとして、手を離した。屹度熱かったのだ。しぶしぶフォークを刺してまた齧り始める。
妻に、「行儀が悪い、ナイフで切って食べるものだ。」と嗜められていたが、そんな言葉を聞いている様には見えない。
下の娘のステシイが少し困惑顔で、私に問い掛けてきた。
「お父様、このあと、お料理は何が出てくるのですか?」
給仕してくれる男性に聞いたところ、この後は、牛肉の串焼きが出て、デザートになると言う。
「だったら、私はこれを全部食べない方が良いかも……。」
それを聞いた息子が、下の娘から鶏の唐揚げを奪うようにもらっていた。
気に入ったのかもしれないが、次の料理が食べられるのか?
鶏の唐揚げを食べ終えた頃、最後の料理になった。
皿の上には、金属の細い棒に刺された、大振りの牛肉が3本乗っていた。
肉が焼けた匂いの他に、これも、食欲をそそる香りがする。
肉に、何かのタレを塗って、それを焼いたもののようだ。
「フォークで刺さっている串を外してお食べいただくか、串をそのまま掴んでお食べください。」
運んできた給仕の男性が料理の説明をしてくれた。
随分と変わった料理だ。
息子は、即座に串を持って、肉に齧り付いた。
こいつには、少し、食事の作法を教えた方が良いかもしれない。
王宮晩餐会に集まる貴族は、カトラリーを使った食事が一般的だ。
以前の様に、直接料理に齧り付いて食べるのは、下品だという風潮が生まれてきている。
妻も、息子を嗜めるが、料理が美味しいのだろう。全く聞いている素振りが無い。
間違いなくニーケー様由来なのだと思って再度、給仕の男性に聞くと
「はい。これもニーケー様が作られた料理です。今では、この串焼きを提供する沢山の屋台が、海浜公園に出ています。マリムの名物です。
もし、お時間があれば、海浜公園で様々な屋台の食事をお楽しみになるのが宜しいかと思います。」
と説明された。この料理は、マリムの名物料理なのか。
私や妻、娘は、フォークを使って、串を外して、肉を食べた。
タレが炙られているのか、独特の香りがする。
肉も良い具合に焼かれていて、肉の旨みとタレの旨みを同時に味わえた。なかなか美味いものだった。
しかし……王都でも味わえない料理が、この船の中では味わうことができるのだな。
何とも贅沢な事だ。
下の娘のステシイには、料理の量が少し多かったみたいだ。
息子のムザルは、ステシイの串焼きを1本奪っていた。
私にも、十分満足できる食事だった。
息子のムザルは、満足気な表情をしている。育ち盛りだとしても、随分と食べたものだ。
食後には、デザートとして、小振りの菓子が出てきた。随分と甘いものだった。紅茶と合わせて食べると、紅茶の渋み香り、菓子の甘味がとても合っていた。
菓子は、ケーキというものらしい。
再度給仕の船員に聞くと、この菓子もニーケー様が作られたもので、砂糖という非常に貴重なものが使われていると言う。
砂糖は、ニーケー様が魔法で大量に作られていて、この船には優先的に卸されているのだそうだ。
しかし……ニーケー様とは、一体何者なのだろう。あの歳で、数々の料理を作り出している。
王都の食事処の一流のシェフでも、これだけの料理を生み出したりはしない。
その上、鉄やガラスや金、銀、銅、数えきれない程の素材を生み出している……。
まあ、それが故の、特級魔法使いなのだろうが。
才能と言うか、知識と言うか、あの年齢で……。




