29.神殿壁画
アイル様が魔法でダムを建設している絵、ニケ様がやはり魔法で素材を生み出している絵、アウド様、ソド様達のノルドル王国攻略の絵、ソド様とノルドル王国近衛騎士団長が斬り結ぶ絵などなど。
どの絵も、好評だった。
この絵は、全て領主館に売れた。
セアンさんが、植栽作業をしている絵を描いて、セアンさんに渡した。
金は取らなかった。
セアンさんは、家宝にするとまで言ってくれた。
それらの絵を見た司教様が、マリム神殿の壁画を依頼してきた。
「バール殿に、神殿の壁画を頼みたいと思っていたのです。ただ、どのような絵が良いかと悩んでいたのですが、ソドの戦絵を見て、確信しました。
神々の戦いを描いていただけないかと思いまして。」
「神々の戦いですか?」
神々の戦いを主題にした神殿の宗教画は多い。
どういった切り口で、どう描くのか。
「そうです。そして、それが完成したら、新たな神々の戦いも欲しいですね。」
新たな神々の戦い?それは……。
何を描くのだろうか?
「とりあえず、神々の戦いですが。お願いできませんか?」
「それは……有り難い事ですが。私にその資格が有るんでしょうか?
マリム神殿ほどの大神殿であれば、もっと高名な絵描きに頼む事もできるのではないですか?」
「そこまで謙遜されなくても良いと思いますが……。
これまで、バール殿の描かれた絵を見せていただきましたが、絵の腕前も、描き方も、色使いも、著名な絵描きの方と比べても遜色は無いですよ。
むしろ、描いている対象に慈愛を感じます。
セアンさんの絵も見せていただきましたが、あれは傑作でしたね。」
随分と買ってくれているけれども。本当にオレが描いても良いものなのか……。
マリム神殿と言えば、マリム大聖堂の別名がある大神殿だ。
マリムに観光に来る他領の人々が必ず立ち寄る場所だ。
そして、その規模と威容は、王国随一と言われている。
比肩することができるのは、大陸でもアトランタ王国にあるガイア大神殿ぐらいだと言われている。
そんな場所の壁画だぞ。
畏れ多いことこの上ない。
今でさえ、侯爵家と子爵家の専属絵師という大層な肩書がある事自体が、とんでも無い事だと言うのに。
とは言っても嬉しくない訳ではない。ただ自分にそこまでの力量があるという自信が無いだけなのだ。
失敗しそうで、怖いのだ。
「どうですか?お願いできませんか?
描いてもらいたい事について、こちらも幾つか提案がありますから、一緒にどういった絵にするか相談しながらやりませんか?」
そこまで気を使ってもらえるのか……。
絵描きとしては、これ以上名誉な事は無いのだ。
「分りました。そこまで、お気遣いいただいているのに、お受けしないのは失礼です。
お受けしましょう。」
うーん。何か、嵌められた感もあるのだが……。
まあ、やってみようか。
幸い、絵を描きたくて写真館に勤めている者が沢山居る。
最近は、写真に興味があって写真館に雇われている者も居るが、基本絵が上手い者を雇っている。
描く内容が決り次第、少しずつ描いていくことにしよう。
それから、司教様と絵の内容の相談をしていった。
司教様からは、ガイア神様の軍勢と、ヘリオ神、セレン神による星々の神の軍勢との戦いが良いと言われた。
幾つかの提案があって、最終的には、女神であるガイア様の夫である海の神ポンティス様と戦士の神クリューサルが、ヘリオ、セレンと剣を交じえ、アイテールとニーケーの2神が、明けの星メクシート、宵の星メクシートの2神を打ち取ったところを描くことになった。
ここで、司教様の希望で、ガイア神は、フローラ様、ポンティス神は、アウド様、クリューサル神をソド様、その妻のカリレ神をユリア様、そしてアイテール神を成人の姿のアイル様、ニーケー神を成人の姿のニケ様に、それぞれ似せて描いて欲しいと言われた。
実在の人物を神として描いても良いのかと思ったのだが、司教様の強い希望だった。
似せる人が居るのは、描くのも楽になる。
オレとしては助かるんだが、実在する人の姿を写し取っても大丈夫なものだろうか。
絵の構図やそれぞれの習作を作製して、本格的に神殿の中央脇の大きな壁に漆喰を塗り、描いていくことになった。
下絵を鉛筆を使って、壁に描いていく。
通常は、木炭を使用するのだが、下絵を隠蔽するために大量の絵の具が必要になる。
その点、鉛筆は、色が薄くて、線が細いので、あまり下絵を気にしなくても良くて助かる。
下絵の段階で、ダムラック司教に確認をした。絵の構図は満足してもらえた様だ。
確認も終わり、絵の具で絵を描いていく。
壁画の場合は、絵の具を乾かしながら描いていくことになる。
順調に作業が進んでいっても時間が掛かる。
絵心のある従業員は、皆壁画を描く作業に参加したがった。
マリム大聖堂の壁画だからな。
参加する事自体に価値がある。
従業員の組み分けをして、写真館の仕事と壁画作製の仕事を交互にしてもらう事にした。
仕事の張合いが出来たことがあってか、皆、積極的に仕事に取り組んでくれた。
そんな風に、写真館の仕事をしながら、壁画を描いていった。
絵の製作をしている間にも写真館は、大きくなっていった。
領内で試作していたカメラの質が良くなってきて、肖像画の撮影であれば、問題が無くなった。
カメラの質の向上には、オレの写真館も手を貸した。
カメラで試写して、それを現像して、意見を伝えていた。
以前ヤシネさんが行なっていたのをウチが引き受け、積極的に性能向上を手伝った。
領内で作製したカメラを購入したので、カメラの台数もd40(=48)台を越えた。
神殿壁画の作業で、人手が減ったのにもかかわらず、予約せずに、少し待ってもらえれば写真が撮れるようになっていった。
少し前から、ガラスの姿見が売られるようになった。
ガラス板の裏に金属をメッキという手法で付着しているらしい。
これもコラドエ工房の工場で作っている。
この姿見は、肖像写真を撮るのに役に立った。
肖像写真を撮る前に、自分がどのような姿で写真に写るのか気になるようだ。
姿見で、衣装の具合、髪型などを整えられるのが好評だった。
領都の客だけでなく、観光客が写真を撮りに来るようになった。
観光客用に、更衣室を作った。
写真を撮りにくる観光客の中には、憧れのマリムのボーナ商店本店で衣装を購入して、その姿を撮りたいと望む人が少なからず居た。
ウチの写真館は、ボーナ商店の筋向いにある。
ボーナ商店で購入した衣装を手に、写真館を訪れるのだ。
ある時、ボーナ商店の人に、ウチの写真館に撮影しに来る人に、ボーナ商店の客が多いことを話した。
すぐに、店主のリリスさんがウチの写真館にやってきた。
何か協力して商売にならないかの相談だった。
そんな事もあって、ボーナ商店と協業する商売が幾つか立ち上がった。
一つは、ボーナ商店の貸し衣裳とその衣装での肖像写真の撮影だ。
これは、写真を撮りに来た客に評判になった。なにしろ、実際に購入するよりも遥かに安い金額で、ボーナ商店の最新の衣装を着た肖像写真が撮影できるのだ。
これは、ボーナ商店にとって、新しい衣装の宣伝になったらしい。
筒袖の衣装が、鉄道や定期船、ボーナ商店の制服として使われ始めて、話題になっていた。
ところが、実際には、なかなか販売に結び付かないことに悩んでいた。
貸し衣裳ならば、気軽に着用できる。
しかもそれが写真になってあちこちで話題になる。
これは、かなりの売り上げに繋がったらしい。
もう一つは、観光馬車に随行した写真撮影だ。
ボーナ商店は、少し前から、独自に観光馬車の運行をしている。
観光馬車は、マリムの観光名所を巡り、終点がにボーナ商店の前だ。
観光客は、マリムの観光名所を訪れるだけではなく、マリムで流行している商品を購入したがる。
観光馬車に乗っている客をそのままボーナ商店に誘導する。
観光馬車に乗った客には商品の割引をしているらしい。
上手い商売を考えたものだ。
ボーナ商店の依頼で、その馬車の随行員としてオレの店の撮影技術者を乗せた。
観光馬車は、マリム大聖堂、マリム大橋、マリム駅、海浜公園などを廻る。
観光馬車に乗っている客の求めに応じて、立ち寄った名所を背景にその客の写真を撮る。
最後に乗客は、ボーナ商店で降りて買い物をする。
その間に、写真を現像して、観光客に販売した。
これらの商売は、好評だった。
沢山の観光客が、自分達が写った観光地の写真を購入していった。
観光客だけでなく、態々、写真を撮るために、王都やマリムの周辺の領地貴族や商店主も来るようになった。
店が繁盛している間に、少しずつ壁画は進んで行く。
「神々の戦い」を描いた神殿壁画は2ヶ月程で完成した。
オレとしても、会心の作品になったと思う。
お広めをした時には、侯爵様一家と子爵様一家の方々は、自分達が絵の対象になっている事に驚きながらも、喜んでいた。
引き続いて、「新たな神々の戦い」の絵は、「神々の戦い」を描いた場所の反対側の壁に描くことになった。
この絵は、司教様の要望により、雷が空を埋め尽している中、光輝く大地に、男の赤子を抱いたフローラ様に似せた母親と女の赤子を抱いたユリア様に似せた母親を描いた。
不思議な絵になった。
これが、一体何を現わしているのか以前に、こんな神話は無いはずだ。
何度も、ダムラック司教に、確認をしたのだが、「事実です」の一言が返ってくるだけだった。
後に、この絵に描かれている母の姿は、2対の聖母と呼ばれるようになり、赤子は神の子と呼ばれるようになった。
この2つの壁画は、王国内で有名になった。
侯爵様一家と子爵様一家のお姿が神殿壁画に描かれている事も話題になり、新たなマリムの観光名所になった。
ある時、ガラス板の写真乾板は、基板がガラスではなく、紙でも上手く行くんじゃないかと思い付いた。
ヤシネさんと相談して、紙を写真乾板にする技術をコラドエ工房と開発した。
ニケ様が『印画紙』と言っていたことから、その製品の名前は『印画紙』となった。
アイル様が、ネガの写真乾板の像を、紙の印画紙に、拡大や縮小した像を映すことができる道具を作ってくれた。
ガラス板が大量に生産される様になったことで、商店の外壁にガラス板で囲われた製品展示場所を設置することが流行った。
そこで、大きな紙の印画紙に写し取った写真を掲示するのも流行った。
写真が紙になったことで、飲食店は、その店で提供する料理の写真を店内や各テーブルに置くことが増えていった。
オレの写真館の写真は、世の中の役に立ち始めた。




