25.絵師
写真の話、彩色の方法などを話していたら、侍女さんが夕食の時間だと告げてきた。
食事を摂る部屋に移動するために、会議室を出た。
先程説明してくれていた道具類は、明日の朝、コモド商店に運んでくれるらしい。
ボルジアさんとジーナさんが、移動しながら、今日の食事は何かをニケさんに聞いている。
オレは、ヤシネさんに、良く食事をしに来るのかを聞いた。ヤシネさんは、月に1,2度訪問する事があり、夕食を一緒に食べることがあるのだと言っていた。
「でも、侯爵様と子爵様も宰相様もご一緒なのですよね?」
「まあ、あまり気にする事は無いよ。
私も最初は身構えたけれど、全くそういった人達ではないな。
気さくで、領地の事や新しい事を考えている良い領主様一家だよ。」
「……そうなんですか……しかし……」
「本当に大丈夫だから。
それに、ここで出される食事が、領都に広まっていっている。
串焼きやフワフワパン、パスタなんかは有名だな。そんな食事が沢山ある。
マリムの食事環境が、他領と大きく違うのは、ここで振る舞われる新しい食べ物のお陰だ。
最近だとクリームシチューとかビーフシチューが有名だな。
串焼きやフワフワパン、パスタはマリムの名物になっているし、シチューは段々メニューにする飲食店が増えてきただろ?」
今、マリムでは、海浜公園や、その周辺に串焼きの屋台出ている。あれは領主館が発祥だったのか。
フワフワパンが出たときは衝撃的だった。今ではパンと言えばみな発酵させたパンの事になっている。
シチューは、まだまだ高くて、手を出していないけれど、それもこれも領主館から広まった食べ物なのか。
すると、オレが子供の頃に食べた事が無いものって、ひょっとすると領主館から広まったのか?
随分と不思議で美味い料理が食べられるようになったと思っていたけれど……そういう事なのか。
食事をする部屋に着いた。
部屋の中には、領主様一家、子爵様一家、宰相様一家が居た。
さっき、写真を見せてもらったから、良く分る。
ボルジアさんがオレを紹介してくれた。
侯爵様ご一家と挨拶を交す。
アウド・アトラス侯爵様をお近くで見た事はなかった。髪の色はアイル様と同じで黒。目は暗い青色をしている。背が高く、しっかりとした体付きだ。容姿はアイル様と良く似ている。アイル様は父親似なのだろう。
奥方のフローラ様は、背が高く、細身でグラマラスな美人だ。髪の色は赤。ウェーブが掛っている。アイルさんの髪質はフローラ様似なのだな。目の色は茶色だった。アイル様の目の色と同じだ。
フランお嬢様は、フローラ様にそっくりだ。多分この娘さんも美人になるだろうな。髪の色は、ニケさんと似たブルネットで、目の色は青緑だ。
子爵様ご一家は、吃驚するほどの美男美女だった。
ニケさんの美貌は、親譲りだったのだ。
ソド・グラナラ子爵様は、服を着ていても体格の良さが分る。僅かに見えている脹脛は、筋肉で盛り上がっている。腕の太さも尋常じゃない。背も高くて、流石先の戦争で武勲を上げた方だと判る。
髪の色は、濃い灰色。黒銀色だ。目の色は緑。目鼻立ちが整っていて、そのまま絵のモデルにしたいようだ。
奥方のユリア様は、宗教画から抜け出てきたような容姿をしている。背も高くて、姿がとても美しい。髪の色はニケさんと同じブルネット。目の色は緑。溜息が出そうなほどの美人だ。
息子様のセド様も容姿が端麗だ。髪の色は銀髪。目の色は青緑だ。
子爵様ご一家の目の色は、みな緑色なのだな。
宰相様ご一家と挨拶を交した。
侯爵様と子爵様を見た後では、申し訳ないのだが、普通に見えてしまう。
グルム・セメル宰相閣下は、背は普通だが太めだ。少し薄くなりかかった焦げ茶色の髪をしていた。目は青灰色をしている。
奥様のナタリア夫人は、人好きしそうな容姿で、優しそうな佇まいだった。髪の色は、ユリア夫人より薄い色の赤毛。目の色は綺麗な青い色だ。少しソバカスの跡がある。
娘さんのセリアさんは、まだ成人前のようだ。ナタリア夫人と良く似た容姿だ。ソバカスもある。髪の色は、ナタリア夫人より黒めで、茶色という感じだ。目の色は、父親と同じ青灰色だ。
末の息子さんのカイロスさんは、薄い茶色の髪をしていた。金色に近いかもしれない。目の色は、ナタリア夫人と同じ、澄んだ青色をしている。
挨拶をしたときに、普段は、アイル様やニケ様と行動を共にしていると言っていた。今日は、父親に文官仕事を教わっていたらしい。
一通り、領主様達との挨拶が終ったところで、ふと側を見ると、ダムラック司教様が居た。
これには、本当に驚いた。
これまで、神殿の行事などで、遠くからご尊顔を拝見したことはあるのだが、この方は、大陸で24人しか居ない神殿で最上級の偉い方だ。
司教様はオレに近づいてきて、
「神殿で、司教を務めていますヘントン・ダムラックです。お見知り置きください。」
いやいや、オレなんかにその挨拶は、無いだろう。
やっとの思いで、「バール・コモドと申します。ご尊顔を拝見できて光栄です。」と挨拶した。
「そんなに、硬くならなくても良いですよ。そして、そんなに尊いものでは全然ありませんし。」
「そうよ。単なる食いしん坊の司教さまよ。」
ニケ様が、とんでも無い事を言いだした。
「ははは、そうですな。食いしん坊なのは否定しません。それに、今日は新しいメニューらしいじゃないですか。楽しみにしていたんですよ。」
「やっぱり。知っていたのね。うーん神殿は侮れないわ。」
「まあまあ、そんなに邪険にしないで下さいよ。それで、今日のメニューは何なんですか。気になって気になって仕方が無いんですから。」
「まあ、直ぐに出てくるから楽しみにしていて。」
「えっ。そんな。少しで良いので、どんな物なのか教えてもらえませんか?」
どう見ても、最高位の神殿の司教様と、特級魔導師として王国一の魔法使いと評された人の会話ではない……。
ヤシネさんが、気さくな人達と言っていたのは、こういう事だったのかもしれない。
そんな様子を見ている内に、侍女さん達が食事を運んできた。なにやら芳ばしい香りがする。
皆、席に着いた。オレの右隣は、司祭様だった。左隣にはヤシネさんが座っている。
料理が皆の前に配膳された。ニケ様が料理の説明を始めた。
「今日は、『とんかつ』よ。豚のロースとヒレにパン粉の衣を付けて揚げたものです。
酸味のあるタレがあるので、それに付けて食べてみてください。
あと、サラダには、『マヨネーズ』を乗せてあります。これも美味しいと思います。」
「おおっ」という声が皆から出ている。
オレの前には、見たことのない料理が並んでいる。
多分、茶色い衣が付いているのが、その『とんかつ』というものなのだろう。
かなり大きい。それが二つ。片方がロース肉でもう一方がヒレ肉なのか?
『とんかつ』には、付け合せとして、千切りされている葉野菜が添えられていた。
他に、パンとスープ、そして、サラダだ。サラダには、白いものが掛っている。
これが、『マヨネーズ』というものなのだろうか。
司祭様が、神に祈りを捧げ、皆が復唱して食事が始まった。
『とんかつ』というものは、とても美味しかった。
最初何も付けずに一口食べてみたのだが、衣の芳ばしさと、肉の甘さが相俟って噛めば噛むほど旨みが口の中に広がる。
隣りで食べている司教様を見ると、目を瞑って、一噛み一噛みを味わっていた。
タレに付けてみたが、酸味のあるタレがまた、蛋白な肉の味と合っている。
少し多いかと思っていたのだが、これなら食べ切れそうだ。
サラダに掛っていた白いもの『マヨネーズ』と言っていたものも美味しい。
少し酸味と甘味があって、野菜の苦みが薄くなる。
『マヨネーズ』だけをフォークに取って舐めてみたが、オレはこの味と食感が気に入ってしまった。
子爵様を見ると、既に完食していて、お代りを要求していた。
あの体を維持するのであれば、沢山食べるのだろう。
嬉しそうに頬張っていた。
皆、食事に魅了されているのか、あまり会話が無い。ただ料理の味を楽しんでいた。
食事が終って、紅茶が出された。
また、ニケ様が、声を上げた。
「今日は、新しいデザートの『プリン』を作ってもらいました。今日は新鮮な卵が手に入ったので、『マヨネーズ』と『プリン』を作ってもらったんです。
『プリン』は卵と牛乳と砂糖で作ったお菓子です。
茶色いソースは『カラメル』と言って、砂糖を煮詰めて作ったものです。」
オレの前には、丸い山形をした淡横色のものが置かれた。頂上の部分には茶色のものが掛っている。
小さな匙が付いていたので、それで掬って一口食べてみる。
口の中に甘味が広がる。
不思議な食感だ。口の中で、崩れて溶けていく。
ちょっと前に、砂糖の工場生産が始まったと聞いた。
オレ達みたいな平民でも、価格は高いが砂糖を手に入れることが出来るようになった。
領都は、今、お菓子ブームだ。クッキーやケーキといったものが口に入るようになった。
でも、この菓子は見たことも食べた事もない。
「相変らず、ニケさんは、不思議な食べものを作られますなぁ。」
プリンを口に入れて、ニコニコ微笑みながら、ヤシネさんが呟いた。
「えぇと、今日の料理やお菓子は、ニケさんが作ったんですか?」
「作るのは苦手だと言ってましたから、作ったのは厨房の侍女さん達でしょうが、作り方を教えているのは、ニケさんだと聞いていますよ。」
まだ、子供なのに、凄い才能を持っているのだ。改めて感心してしまった。
お茶を楽しんでいる時に、フローラ様がオレを見て、
「今日のお客様はどういった方なの?」
と聞いてきた。
ジーナさんが、それに応えた。
「写真を使って素敵なものを考案された方ですよ。」
そう言って、オレが彩色した写真を侯爵様達に見せた。
「ほう。見事だな。マリム駅の情景か。」
「そうね。綺麗だわ。」
「貴方。絵を描くの?そうでしょ。」
ユリア様とニケ様は母娘なのだと思った。ニケ様と全く同じ事を言う。
ニケ様達に説明したのと同じように、5年ほど王都で絵画工房で修行していたことを伝えた。
「そうなの?貴方、王都で絵の修行をしていたの?
じゃあ、アトラス家とグラナラ家の専属の絵師をしてみない?」
えっ。ちょっと待てよ。オレはそんな事が出来るような絵描きではない。
フローラ様に固辞すると
「いえね、ウチが侯爵になってから、時々来るのよね。王都で名を馳せた絵師だとか言う人が。
でもねぇ。ウチは肖像画を飾るような家じゃなかったし、売り込まれてもねぇ。
それに、こんな辺境に来るのには理由があるんじゃないかって。
疑っちゃうのよね。」
「ああ、そうだな。皆、偉そうにしてたな。
どこそこの子爵でお抱えになっていたとか、どこそこの伯爵の肖像画を描いたとか。
そんな事を言われてもな。その絵を見せてもらった訳でもないのに。」
「そうよね。ウチはちょと前までは、貧乏子爵だったから、絵を描いてもらって、それを屋敷に飾るなんて事考えたこともないのよ。」
「ウチもそうね。グラナラ家なんて、ソドが近衛騎士団の副官をしていたぐらいで、これと言って何がある訳じゃないし。」
いやいや。ノルドル王国を滅ぼしたのって、アトラス家とグラナラ家じゃないのか?
そして、ノルドル王国の近衛騎士団長と一騎打ちをして倒したのは、ソド様だって、流石にオレでも知っているぞ。
それに、マリムは辺境かもしれないけれど、ガラリア王国一の大都市だろう。
「でも、バールさんって、昔からの領都の人でしょ?
あまり聞いたことないのよね。マリムに昔からいた人で絵が描ける人って。」
「そうだな。皆、貧しかったからな。」
「そうそう。もともとマリムに居た人が絵師になってくれた方が良いと思わない?」
「そうだな。どうだ?専属の絵師に成らないか?」
そこに司教様が割り込んできた。
「じゃあ、神殿にも宗教画を描いてもらおうかな。」
えっ。マリム大聖堂に?それは流石にムリだろ。王国で名を馳せている絵師に頼めよ。
とにかく、まずは、オレの絵を見てもらってからという事にした。
オレの実力以上の期待をされたら堪ったものじゃない。
ニケ様がフラン様とセド様が、歌って踊って魔法を使っているのを見せてもらった。
ダムラック司教様が連れてきた神殿の人も一緒に踊っていた。
何をしているのだろう?
少し雑談をした後で、領主館を出て家に戻った。
なんだか、今日は疲れた。
家に帰って、両親や兄達に、今日の経緯を説明した。
大聖堂に絵を描いてみないかと司教様に言われたり、侯爵様に専属の絵師にならないかと言われたと話したところ大騒ぎになった。
いや、まだ、何もかも、決まった訳じゃないんだけど。




