22.現像
ヤシネさんは、店の奥に案内してくれた。
店の奥のテーブルの上に、一抱えはある黒い四角い金属の塊を見せてくれた。
「バールさん。これがカメラという物なんですよ。」
その四角い塊を良く見ると、横の一つの面に突起があった。
その突起には、レンズが嵌め込まれていた。
他の面には、つまみやボタンなどが幾つか配置されている。
レンズの反対の面にはガラスが嵌っているようだ。
「今日は、天気も良いですし、街の写真を撮ってみましょうか。
申し訳ないのですけど、荷物を運ぶのを手伝ってもらえますか?」
ヤシネさんは、そのカメラというものを持ち上げて抱えると、外に出ていった。
オレは、板の様なものが何枚も入っている鞄と三脚と言われた木の棒の様なものを持って、ヤシネさんの後に付いていった。
荷物を持って、マリム駅の近くまでやってきた。あいかわらず賑やかな場所だ。
マリム駅から少し離れた場所でヤシネさんが立ち止まった。
「ここから、マリム駅を撮影しましょうか。その三脚をここに立ててもらえませんか?」
オレは、三脚と言われた木の棒のようなものを見た。片側が広がるようになっている。広げると三本足の椅子の様な形になった。
「これで良いんですかね?」
「ええ。そうです。」
ヤシネさんは、三脚の上部にカメラを取り付けた。
レンズの反対側には、布を引っかける突起があった。
ヤシネさんは、その突起に薄い黒い毛布をとりつけた。
「じゃあ、ちょっとだけ待ってくださいね。」
そう言うと、ヤシネさんは、箱に取り付けた毛布を被る様に頭を入れて、レンズのあたりにあるつまみを回していた。
「じゃあ、バールさん、こちらに来て、この毛布を被ってください。」
毛布を被ると、目の前には、白いガラスの様なものが張ってあって、目の前の風景が上下逆になって映っていた。
「風景が、逆さになって見えますね。」
「右にあるつまみを動かしてみてください。」
それまで、綺麗に写っていた風景がつまみを回すとともにボヤけていく。
逆に回して、もとの位置に戻すと綺麗に映った。
「そのつまみを使って、像が綺麗に映るところを探すんです。
そうしたら、レンズの前に蓋を着けて、一旦像が映らないように光を遮蔽します。
そして、写真乾板というこの板を取り付けて、前面にあるこの板を外して、レンズの前の蓋を外して、このボタンを押します。」
カシャという軽い音が響いた。
「また、レンズの前に蓋を着けて、前面に板を差し込んで、写真乾板を取り外します。」
それから、ヤシネさんは、何種類かの写真乾板を取り付けて同じ作業を繰り返した。
「この板を現像すると、先程、カメラに映っていた風景が記録されて残っているんですよ。」
「えっ。先刻、店で見せてもらった絵のようなものが、これだけで出来上がるんですか?」
「ええ。ニケさんが写真乾板というものを作ってくれました。私のところでは、用途やカメラに合わせて、その写真乾板というものの組成を調整しているんです。
とりあえず、試験のための撮影は終りました。
これから現像するんですけど。面白いですよ。ごらんになりますか?」
とても興味があったので、その現像という作業を見せてもらう事にした。
カメラなどの荷物を持って、ヤシネさんは、事務所の奥に向う後を付いていった。
そこは、事務所の奥にある実験室の壁に扉がある部屋だった。
「光が当たると台無しになってしまうので、外からの光が入らない場所を作ったんですよ。ここは、暗室と言っています。」
ヤシネさんは、扉を開けて、扉脇にあるスイッチを付けた。
部屋の中は真っ赤な照明で照らされている。
「写真乾板に赤い光は影響が無いので、作業は、この赤い光の中で行なうんです。」
天井を見ると、照明の周りに赤いガラスの覆いがある。これは、レオナルド工房の赤いガラスなのかもしれないと思った。
ヤシネさんは、暗室のテーブルの上にあるステンレス製のバットの中に何かの溶液を注いだ。
「これは現像液と言います。」
別なバットの中には、また別な溶液を注いだ。
「こっちは、定着液。
さて、ショータイムです。
こちらの現像液の中に、先刻撮影した写真乾板を浸すんです。」
先程撮影に使用していた板状のものを鞄から取り出した。
板だと思っていたものは、金属製の容器だったようだ。容器の蓋を外すと中から透明なガラスの板が出てきた。
ガラスの板は、特に何も変わったところは無い。どう見ても透明な板だ。
ヤシネさんは、そのガラスの板をバットの中の液体に浸すと同時に、脇にあった砂時計を引っくり返した。
木のヘラで、溶液を攪拌している。
「このガラスの板を、よーく、見ていてくださいね。」
少し経つと、ガラスの表面に濃淡が見えてきた。最初はモヤのような感じだった濃淡が、次第に何かの模様の様に見えはじめて、ある時からマリム駅だと分るようになった。
驚いた。
僅かな時間しかこの板は使っていなかった。
あの短かい時間で、全てを写し取ってしまったのか……。
魔法としか思えない。
「ヤシネさんは、魔法が使えるんですか?」
「はははは、何を言いだすと思えば、私は、魔法なんてものは使えませんよ。
ニケさんが作るものは、全て魔法みたいに見えるけれども、魔力が無い人でも使えるものですよ。
これも魔法なんかじゃないです。」
不思議としか言いようがない。透明なガラスの板に、先程カメラで見ていた像が浮かび上がっている。
ただ、どうも変だ。
先刻、街で見た像とは、形は同じだけれども、何か違っている。
「これが現像という操作なんですよ。カメラに映っていたも像の明いところが黒くなって、黒いところが透明になっているんです。ニケさんは、ネガと言っていましたね。」
そう言われて、何が違っているのかが分った。確かに暗いところが明るくなっていて、明かったところが暗くなっている。
砂時計の砂が落ちきったところで、ヤシネさんはガラスの板を引き上げた。布で水を拭き取って、先程定着液と言っていたバットの中に浸けた。
バットの液体を別な木のヘラで攪拌している。
「この作業は定着と言うのですけれど、この処理をすると、光に弱かった写真乾板が光で変化する事は無くなるんです。
明るいところに出しても、大丈夫になります。」
しばらく攪拌した後で、ガラス板は水で洗浄して、布に水を吸わせて乾燥させた。
「どうでした?
一瞬で目に見えている情景がガラスの板の上に記録されていましたでしょう?」
「それは、そうなんですが……濃淡が逆ですよね。」
「それは、もう一手間かかるんです。
その作業は、少し待ってもらえますか?
他の写真乾板も処理してしまいますから。」
ヤシネさんは、先刻使った金属の容器から、ガラスの板を順に取り出しては、現像と定着の作業をしていった。
出来上がったガラスの板を見ると、微妙に濃淡の具合が違っているようだ。
ヤシネさんは、定着が終わった写真乾板を持って、明るい場所に行く。
あとを付いて行くと、写真乾板を見比べて、しきりに何かを言っている。
「……アイルさんが作ったカメラよりは、今回のカメラは像が暗かったんですね。
像があまり鮮明じゃないのは、レンズの質ですかね。
絞りを少し強めにしないとダメですか……
ふーむ。感度が高い写真乾板にした方が良さそうですね。
シャッターのスピードは……」
ひとしきり、ブツブツ言っていたヤシネさんが、オレに気付いた。
「あっ、申し訳ない。少しカメラの性能に気になるところがあって。
お待たせしましたね。
これから、写真の濃淡を反転させますね。」
ヤシネさんとオレは、また暗室の中に戻った。
ヤシネさんは、使っていない写真乾板を像が映っているガラス板と合わせてテーブルに置く。
手元のボタンを押すと一瞬目映い白色の光が発生した。
「これで、濃淡を反転した写真乾板が出来たので、これを現像して、定着するんですよ。」
先程の現像と定着の作業をすると、見たままのマリム駅が濃淡の絵になった。
撮影した全ての写真乾板を、ヤシネさんが処理している間、オレは考えていた。
この道具を使うと、絵を描く手間が無い。
王都で絵描きの修行をしていた頃、人気のある絵画は、神殿に伝わるの神話の世界を描いた宗教画、そして肖像画だった。
貴族や大店の店主の肖像画は、金になった。その上、気に入られると、家族を描いたり、何かの行事の時、新しい服を着て、と何度も注文が入る。
大体の絵描きは、そういった貴族や大店の店主をパトロンとして活動していたのだ。
宗教画は神殿や貴族誰からの注文で描く。
大掛かりな絵は、複数の絵描きが分担して作業する。
ある程度の腕があれば、その作業に誘われて絵を描くことができる。
そこで腕を認められると、肖像画を書かせてはもらえるようになる。
オレは何度も宗教画を描く手伝いをしたのだが、書き直しを言われたりして、なかなか認めてもらえなかった。
オレの定期的な収入源は、邸宅を絵にすることだった。
これは、先輩に斡旋してもらった仕事だったのだが、ただただ正確に描く必要がある。
そこには、あまり、芸術性は無い。だから、パトロンも居ない絵描きに頼むのだろう。
出来た絵に歪みがあったりすると、折角描いた絵が売れなかったりした。
この道具で作る写真というものは、絵の代りになるのだろうか?
どうなんだろう?
買い手の意図を取り込むことは出来ないが、背景を絵にしたり、人物の表情や、衣装、光の当てかたで、ある程度は表現できるんじゃないだろうか?
後で手直しが出来たりするのだろうか?
例えば色を加えるとか?
「ヤシネさん。この写真ってやつに、絵の具で色を着けたりできませんかね?」
「さあ、どうだろう。この写真の像を作っている部分は、天草という特殊な海藻から採った寒天というものなんだが……。
ガラスに絵の具で色を着けてもすぐに剥れてしまうからムリだが、ひょっとすると、寒天には色は着けられるかもしれないな。
ふーむ。面白いかもしれない。
今日撮った写真を何枚か渡すから、確かめてみたらどうだ?」
「えっ、貴重なものじゃないですか?」
「まあ、貴重と言えば貴重なのだけど、撮影した写真乾板を使って、何枚も複製が作れるんだよ。
まあ、写真乾板自体が、まだあまり作れていないけれど、今のところは、アイルさんが、ガラス板を作ってくれるから大丈夫だよ。
それより、色付けが上手くいった方が、お二人は喜ばれるんじゃないかな。」
それから、ヤシネさんは、一番写りが良かった写真乾板から、5枚の写真を作ってくれて、オレに渡してくれた。
目を皿のようにして見比べてみたけれど、この5枚に違いが全く無い。
全く同じ像が描かれたガラスの板が5枚ある。
これはこれで、凄いことだ。何枚も同じものをあっと言う間に作ることが出来る。
オレは、貰った5枚のガラス板を大事に抱えて家に帰った。




