9.司教様
「えー。今日は、新メニューのフランスパンと豚肉のクリームシチューです。あとは何時ものサラダと鶏の唐揚げです。
フランスパンは、表面が硬いので、手元のギザギザ付きのナイフで切って食べてくださいね。硬めなので、シチューに浸けて食べるのも良いです。」
ニケさんが、食事の説明をしてくださいました。
パンは、細長いですね。クリームシチューと言っていたものは、大きな野菜と角切りの肉が濃い白い液の中に入っています。
確かに、手元にあるパンを触ると、硬い感触です。
でも、どちらも良い香りがします。
「大地の神ガイア様に大地の糧を頂いたこと、豊穣の神メーテル様に血肉の基を授かったことに感謝いたします。」
皆で、唱和して食事になりました。
やはり司教様が居ると、食事も厳かなものになります。
私のところにあるコップには、ベリーのお酒が注がれました。
フランスパンは、切ってみると、大きな穴が沢山空いていました。
中の白いところは柔らかく、外側の皮の部分は硬いバンです。
ホワイトシチューは、スープと違ってとろりとした感じです。
どちらも、食べた事のない食感ですが、美味しいです。
ホワイトシチューにフランスパンの皮のところを浸けて食べるのは確かに理に適っていますね。
ベリーのお酒と合っています。
お隣の司教様の様子を失礼にならない程度に見ると、一口ごとに、微笑みながら味わって食されています。
「ニケさん。今日の食事も美味しいです。有難う御座います。」
「いえ。気に入っていただければ良かったです。」
「これも神の国の食事なのですね?」
「ええ。まあ。そんなところです。」
「きっと素晴しいところなのでしょう。本当にお二人を遣わしていただいた事に感謝しかありません。」
それから暫く、司教様は、神の素晴しさと滔々と唱えていました。
ニケさんの渋面と、終始柔やかに微笑まれている司教様の対比が少し可笑しく思えました。
神様のお話が終ったところで、司教様は私の方を向きます。
「ジーナさんでしたよね?」
「はい。ジーナ・モーリと申します。」
「モーリ。ああ、モーリ男爵の末娘さんですね。という事は、王宮から来られた方でしたか。」
「父の事をご存知なのですか?」
「ええ。私が修道士として勤めていた頃、王国の西の神殿を巡る修行をしていたことがありまして、20年ほど前に、モーリにある神殿にも一月ほど滞在しました。
その頃は、ジーナさんは生れたばかりじゃないでしょうか?モーリ男爵に生まれたばかりの女の子を見せてもらった記憶があります。
モーリ領は、自然の恵が豊かな領地ですね。」
「20年前というのでしたら、そうですね。私が生まれた頃です。
ただ……モーリ領は、自然が豊かと言うか、辺鄙な田舎と言うか……。」
「いえいえ、自然が豊かであるという事は良い事です。アイルさんに、神の国の事を聞いた時に、神の国では、地に生える草にも神が宿るのだそうです。
その話を聞いたときに、素晴しいと思いました。
自然が豊かであれば、それだけ沢山の神々が居る地であるという事なのですよ。」
司教様は、不思議な事を言われます。そんな事を考えたことはありません。農地にある雑草は邪魔者でしか無いんですけれど。
放置すると、すぐに繁茂して、大変な事になります。
「ところで、先ほど何か不思議な魔法を使っていた様ですね。王都の文官の方は、魔法は使えないのだと思っていました。」
「ええ。私は魔法は使えなかったので、王宮で文官をしていました。昨日、突然魔法が使えるようになったんです。」
「えっ、そうなんですか?」
それから、私は、昨日、マリムに考案税調査官の管理官として国務館に赴任してきた事や、昨日魔法が突然使える様になった経緯の説明をしました。
「それは……また……神の御使いによる奇跡が起こったという事なのですね。素晴しい。」
奇跡ですか……奇跡かもしれません。私は一生魔法は使えないと思ってましたから、奇跡的な事ですね。
「そうですね……とても有り難いことです。」
「それで、先程は何をされていたのですか?」
それから、複写魔法という魔法をニケさんから教えてもらっていた事や、複写魔法が使えるようになると、過去の記録を保管しておかなければならない考案税調査官の仕事にとても有効だという事を説明しました。
「それは、素晴しい魔法ですね。
ニケさんは流石です。
神殿も過去の歴史を記録して保管しています。何千年にも及ぶ記録を保管するために、常に古くなった書類を書き写しているのです。
残念な事に、私も含めて、神殿で神事に携わっている者には、魔法が使える者は全く居ません。王宮の文官の方たちと同じですね。
しかし、魔法が使えるとそんな事も出来るのですね。
神殿に勤める者に、ジーナさんの様に魔法が使えるようになる者が居たりしないでしょうか?」
「それについては、アイルさんが研究したいと言っていました。相談されたらどうでしょうか?」
「そうなんですか。それは良い事を聞きました。早速相談してみます。ありがとうござます。」
わわわ。司教様に御礼を言われてしまいました。
畏れ多いことです。
それから、食事をしながら、司教様に西方の巡礼の時の話などをして頂きました。
思っていたのと違って、ダムラック司教は気さくな方でした。
食事が終った頃に、お茶とデザートが出てきました。
ゼリーという物でした。
プリプリしている食感の甘酸っぱいお菓子です。
これも食べた事の無いものでした。
食後、ニケさんは、フランさんとセドくんと、昨日と同じように踊っています。
司教様が話し掛けてきました。
「ジーナさんは、この踊りを踊って、魔法が使えるようになったのですか?」
「ええ。そうなんです。最初は、見様見真似で唯踊っていたんですけど、踊りながら魔法を使っているじゃないですか。同じようにしようと思っているうちに、魔法が使えるようになってました。」
「そうなんですか……アイルさん。魔法が使える様になる素質みたいなものは有るんですか?」
「それが解れば、良いのですけど……。血筋なのか、年齢なのか、他の要因が有るのか……。今のところジーナさんだけですから。もっと試すことが出来れば良いのですけれど……。」
「ならば、神殿の者で確認しませんか?神殿には、貴族の子弟も居りますし……」
二人は、議論で盛り上がっています。
私は、ここに来たもう一つの目的のために、グルム宰相様に相談をしたいと思います。
グルム様は、侯爵様と歓談中でした。
「そうか、キリル川あたりまでの開拓団の目処は立ったのか。アトラス鉄道ミネア線までの範囲の開拓を、先ずは進めていかなければ。
それにしても鉄道の効果は絶大だな。」
「ええ。北部のノルドル王国の領地だった場所も、測量と鉱物探索が進んでおりますので、あと2月もすれば、領地の地図も完成するでしょう。」
「また、ニケに鉱物の分類をしてもらわなければならないが、有望な銅山も有るそうじゃないか。」
「そうです。国務館の貨幣管理部門の管理官も喜んでいましたな。そろそろ二人に頼んで、精錬の規模を倍増してもらう必要がありそうです。」
「そろそろ電力設備が必要そうだと聞いているが、候補地を探さないとだな。
おや、ジーナさん。何か用があるのかい?」
「あっ。侯爵様、お話中に申し訳ありません。」
「いや、何、それほど急ぎの話をしている訳ではないから大丈夫だ。
昨日は、赴任して早々に、アイルの実験に付き合わされて、大変だったな。」
「いえ。とんでもありません。そのお陰で、魔法が使えるようになりましたので、感謝しかありません。」
「良いですなぁ。私も魔法が使える様になりたかったですな。」
「おいおい、ジーナさんの歳でも、魔法が使えるようになるなんて事はまず無いのだから、グルムの歳では、流石に天地がひっくり返っても無理だろ?」
「いいえ、分りませんよ。万が一という事もあります。」
「やれやれ。希望を抱くのは只だからな。
それで、ジーナさんは、何か用事でもあるのかね。」
「よろしいのでしょうか?」
「ああ。勿論だ。」
「実は、アイルさんと、ニケさんの考案税の申請書を書いている人をご紹介いただけないかと思っているのですが……。」
「それは、グルムの管轄だな。今は、どうしているのだ?昔は助手さん達が書いていたようだが、それでは仕事が進まないと言って、確か何人か専属を作ったんじゃなかったか?」
「今は、10名ほどが、専属で考案税の申請書を記載しています。ただ、この者達だけでは、理解が及ばない事が多いようで、助手達の手を煩わせているようです。
申請書も未だに不備があるようで、何度も王宮とやりとりしております。
ところで、ジーナ管理官は、その者達と会って、どうされる心算ですかな?」
「実は、今日、ボーナ商店や、エクゴ商店、コラドエ工房、レオナルド工房を訪問したのです。」
それから、私は、各商店や工房で専属で考案税の申請書を作成する人達を引き受けて、有償で考案税の申請書の代行作成をすることにした事を伝えました。
「ほう。面白い事を考えますな。すると、雇って専属で申請書を作らせるより、安く申請書が作成できて、ジーナ管理官の指導も入るという事ですか。」
「なあ、グルム。オレは、そうしたが良いと思うのだが、どうなんだ。」
「ええ。私もそう思います。
ただ、移籍となると、色々差し障りが出るかもしれませんな。
ところで、その移籍したアトラス領の文官の肩書はどうなるのでしょうか?」
「それは、王宮職員という肩書になります。」
「なるほど、それなら、移籍したいという者も多いかもしれませんな。」
今、アトラス領からの考案税の申請書が、王国の申請書全体大半を占めていること。申請書類に不備が多く、本来の調査による審査が困難になっている事を伝えます。
そして、昨年の博覧会の時に、字が書けない人が考案した、臭いを消す洗濯の申請書の代筆をした事も伝えます。
「グルム、確かにアトラス領の申請は多いだろうとは思っていたのだが、そんな事になっていたのか?」
「昨日、その話を聞いたところでしたな。
なにしろ、アイル様とニケ様が活動を始めるまで、アトラス領では、考案税の申請をした事が殆どありませんでしたから。
ソロバンの時に、大分王宮とやりとりをしまして。何とか申請を通してもらった時に頂いた申請書を雛形にして、申請書を作成していたのですよ。
そんな訳で、申請書の書き方に詳しい者も実は居ないのです。」
「それ、ひょっとすると私が書いたものかもしれません。最初のソロバンの申請書が、あまりにも酷……必要な要件を満たしていなかったので、私が代行して書いて、アトラス領にお渡ししました。」
「なんと。その頃から、ジーナさんにはお世話になっていたのですか。」
「オイ、グルム。これは、是が非でも、移籍してもらうように説得しろよ。
それとは別に、ジーナさんには、頼みたい事があるのだが。」
「はい。何でしょうか?」
「先の、字が書けない為に、申請書が作れない領民が居たというではないか。そういった者への手助けもお願いできないだろうか?」
「はい。それは実施したいと思っていたんです。」
「そうだったのか。有難う。是非、我が領民への手助けもお願いする。」
「ところで、移籍の件は、いつ頃を予定しているのでしょうかな?」
グルム宰相様は、完全のその気になってくれたみたいですね。
上手く行きそうです。やれやれです。
実は、私には、副案があります。
それには、準備が必要になります。
「色々準備がありまして……一度王宮に戻る必要もあります。1ヶ月ほど後という事でお願いいたします。」