4.領主館にて
扉を開けたら、女性が立っていました。私と同じぐらいの歳のようです。
「ジーナ・モーリ様ですか?」
その女性が、問い掛けてきました。
「はい。私が、ジーナ・モーリですが、あなたは?」
「リーサと申します。モーリ様担当の侍女でございます。」
えっ?侍女?担当?
なんだか理解できません。
とりあえず、家の中に入ってもらって、話を聞く事にしました。
「えーと。私担当の侍女さんと仰いました?」
「はい。侯爵様の命で、ジーナ様のお世話をするように言われております。」
なんという事でしょう。
明日の朝食だけでなく、夕食も心配しなくても良いみたいです。
それから、何をしてもらえるのかを聞いていきました。
食事の用意だけでなく、家の掃除、衣類の洗濯など家事全般をしてくれるみたいです。
独身の女性の場合には、家に住み込みで働いてもらえます。
侍女さんのお給金は、全てアトラス領から出るので不要と言われました。
リーサさんは、私が家に入ったという連絡を受けて、やってきたそうです。
「ひょっとして、冷蔵庫の食品の準備もリーサさんがしてくれたのですか?」
「はい。今日赴任されると聞いておりました。きっと、明日の朝食が必要だろうと思いまして、準備しておりました。」
色々な謎が解けました。
家の奥にある、小さな部屋は、侍女さんの部屋だったのですね。
侍女さんは契約書を持っていましたので、お願いする項目を確認して、契約することにしました。
当然、住み込みをお願いします。
男性の場合にはどうなるのか聞いてみました。その場合は、間違いがあると不味いので、通いになるのだそうです。
私が女性で良かったと思うのは、ちょっと変なのでしょうか?
リーサさんは、早速仕事にとりかかってくれました。
まず、風呂の準備をしてくれます。
私は、給湯器の仕組みに興味があったので、リーサさんの作業を見せてもらいました。
お湯はコークスを燃やして沸かすそうです。
家の裏に、コークス置き場がありました。
給湯器の実物は、これまで見たことがありません。
存在は知っていました。考案税申請書でですが……。
リーサさんの説明では、もともとアイルさんが原型を作って、それをマリムの鍛冶師さん達が作っているそうです。
外部にお湯を溜める容器があって、コークスを燃やしているところに銅のパイプで水を循環させて容器の水を高温のお湯にしていく仕組です。
このお湯を水で薄めて風呂に使ったり、調理や洗い物に使ったりできます。
洗面所の蛇口が二つあったのは、片方はお湯を出す蛇口だと教えてもらいました。
今では、マリムで給湯器を設置している家も多いそうです。
冬の寒い時期には、お湯が出るのはとても便利です。
一通り仕組みや作業を見たあとで、私は旅の荷物の整理をします。
衣装や、筆記用具などを、ベッドが有った部屋に仕舞っていきました。
片付け作業が終る前に、リーサさんから、風呂が沸いたと教えてもらいました。
夕刻には、領主館を訪問しますので、片付けは途中ですが、身支度を始めなければなりません。
まず、風呂に入りました。
浴槽がある家は実家以来です。
私の実家は、辺鄙な場所にありますが、一応男爵なので、魔法が使える両親が居ました。お湯は、父か母が準備してくれました。
私は残念な事に魔法は使えません。
まあ、その所為で、王都で文官をしていたのですけれどもね。
王都では、薪を燃やして、お湯を沸かして体を拭いていました。
髪を洗うのはかなり苦労しました。
ここでは、家の中の浴室で体を洗うことができます。
その上、お湯を沸かすのに、魔法が要らないのです。
なんて便利なのでしょう。
体を洗って、髪も洗って、蛇口から出てくるお湯で流します。
湯船に入ると、旅の疲れが取れていくような気分です。
風呂でのんびりしていたら、リーサさんから、そろそろ身支度をする時間だと声を掛けられました。
風呂を出て、髪を拭いていたら、リーサさんがドライヤーという道具の使い方を教えてくれました。
この道具の事自体は考案税の申請書を読んで知っています。
やはり、現物を見るのは初めてです。
髪を布で拭いて水気を取るより、遥かに早く髪が乾きました。
身支度を整えて、家を出ます。
家を出る時に、リーサさんから、明日の朝の食事と出仕する時刻を聞かれました。
朝食の希望を聞かれましたけれど……これと言って希望はありません。
お任せいただいても良いと言ってもらえましたので、そのお任せでお願いします。
家を出て、徒歩で、領主館に向かいます。
官舎の並びを過ぎて、右手に国務館が見えます。そして、その先に領主館の入口がありました。
官舎から歩いても直ぐの場所です。
領主館の入口を守っている騎士さんに来訪目的を告げました。
今度は、侍女さんに案内されて、領主館の領主様の屋敷へ向いました。
大広間を越えて、隣の広間に入りました。
そこには、既に、アトラス侯爵家、グラナラ子爵家、セメル家の方々が居ました。
「えっ、ジーナさん?どうしたんですか?」
私の来訪を見たニケさんが、声を掛けてきました。
私は、国務館に管理官として出向になった事を伝えます。
「へぇ。ジーナさん出世したんじゃないですか。お目出度ございます。」
ニケさんに、お祝いの言葉をもらってちょっと照れてしまいます。
アイルさんの妹のフランさんと、ニケさんの弟のセドさんを紹介してもらいました。
あとは、先々月の晩餐会でお会いした人たちです。
ニケさんに、今何をしているのかを聞いたら、鉄道を王都まで敷設するための準備をしているのだそうです。
鉄道の敷設には、大量の鉄と超伝導材料が必要で、そのための素材を作り溜めているそうです。
それからほどなくして、夕食の時間になりました。
メインディッシュは、魚をパンを粉にしたものを塗して脂で揚げたものと牛肉の厚切りを焼いたものでした。
魚は骨が完全に除かれていたので食べ易かったです。
食事の間、私の仕事の事を聞かれました。
セメル宰相がアトラス領の考案税申請の処理にかなり不備が有ったようだと言った為です。
別に、誤魔化す必要もないので、最近有った事例で、問題になった事を幾つか話しました。
特に酷かったのは、再申請を繰り返している内に、同じ申請が別な人から出て来てしまった事です。
後で出された申請には不備が無かったので、申請書を受理してしまいました。
王国法では、先に受理された申請の方が優先されますが、この場合は、申請書が不備なだけで、不備な申請書を書いた人の方が先に申請していました。
確か、未だに結論は出ていなかったはずです。
既に私達の手を離れて、法廷での争いになってしまっています。
この話には、侯爵様も興味を持ったみたいです。侯爵様は、領地で発生する様々案件を法的に処理します。
大抵はこれほど面倒な事案は無いと言いますが、今回の件が、今後どうなるのか気になるみたいです。
確かに、どうなるんでしょう。
私達も関与している事なので、争っている人達には申し訳ない思いがあります。
そんな話から、領民の読み書きの話になりました。
今の、マリムでは、5歳から10歳までの子供の5/6は読み書きが出来るのだそうです。
それに触発されたのか、大人になってから読み書きを学ぶ人が増えています。
宰相様は、大人向けのテラコヤが増えてきたと言っていました。
若い成人では、1/3以上の領民で読み書きが出来るようになったそうです。
それは……凄いですね。
食事の後は、ニケさんと、フランさんと、セドさんが、魔法を使いながら踊っていました。
これは、食後の日課で、かれこれ1年以上続けているそうです。
「アイルさん。フランさんと、セドさんはお幾つなんですか?」
上手に魔法を使う幼い二人を見て、聞いてみました。
「今年、4歳になったところですね。」
「それにしては、魔法を上手に使いますね。」
感心してしまいます。
「でも、1歳の時に、既に使えてたからなぁ。」
やはり血統なのでしょうか、羨しいかぎりです。
「ジーナさんは、魔法は?」
「私は全然ダメでした。」
「そうなんですね。でもひょっとすると、ニケ達と一緒に踊ると魔法が使えたりするかもしれないですよ。」
そんな風に言うと、アイルさんは、爵位授与式のために、船で王都まで移動した時の話を教えてくれました。
なんか……この歳になって、子供といっしょに踊るのは……。
私が躊躇していると、今度は、王国立メーテスの話をしてくださいました。
そこでは、何故魔法が使えるのかも研究対象にする予定なのだそうです。
歌と踊りが効果がありそうなのは、子供で確認できているけれど、大人でどうなのかは未確認なのだそうです。
「ジーナさんの家で、魔法を使えるのは誰なのですか?」
「私の両親と兄は使えます。私だけ使えなかったんです。」
「なら、実験を手伝うと思って、やってみてもらえませんか?」
そうアイルさんに言われたら、やってみるしか無いですね……。
まあ、魔法が使えない今の状態から、少しでも使えるようになったら、それはそれでお得だと思えば良いんですよね。
そんな訳で、私も、ニケさん、フランさん、セドさんと一緒に魔法振り付けの踊りを踊ってみます。
最初は、魔法は使えることもなく、ただ踊っていたのですけれど、見様見真似で、ここで、水を出して、ここで、火を出してなどと思いながら踊っていたら、突然、目の前に小さな水玉が現われました。
私が吃驚したら、すぐ消えてしまいましたけれど……。
また、同じように踊っていたら、今度も水玉が現われました。
そして、火の玉も。
「わっ。私、魔法が使えているの?」
吃驚です。踊るのを止めて、水玉が出た時の感覚を思い描いたら、目の前に小さな水玉が浮んでいます。
同じ様に、火の玉も思い描くと、本当に小さな火の玉が浮びます。
「アイルさん。魔法。使えたみたいです!」
私の声に、ニケさん達は踊るのを止めました。
「ジーナさんは、本当に魔法は使えなかったんですよね?」
「ええ。生れてからこれまで、全く使えなかったんですけれど、今初めて使えました。」
「えっ。大人でも効果があるの?」
子爵夫人のユリア様が私に聞いてきました。
効果と言われれば……踊った所為なのでしょうか。そうですよね。踊っていたら魔法が使えるようになったんですから……。
「多分、そうだと思いますけど……どうなんでしょう?」
「うーん。遺伝的な要因なのか、踊っている事による影響か、踊りに触発された精神が……」
頼みの綱のアイルさんは、ブツブツ言いながら考え込んでしまいました。
「ソド。貴方も踊るのよ。」
それから、グラナラ家全員と、セメル家全員も加わって、皆で踊りました。
何だか楽しいです。
子爵様の踊りが、あまりにも変で、皆でお腹を抱えて笑っていました。
結局、魔法が使えるようになったのは私だけだったんですけどね。
後から加わった人達は残念そうでしたが、魔法ってどうして使えるようになるのかは、結局分らなかったみたいです。
アイルさんは、唯々、嬉しそうでしたが……。
子供達が寝る時間になったという事で、私も御暇する事にしました。
「今日は、ご招待頂きありがとうございました。」
「いやいや、不思議な現象も見ることができたので、こちらこそありがとうだな。」
侯爵様に挨拶をして、私は官舎に戻りました。
領主館の周りは、灯りが灯っていて、夜も道を歩くことができます。
官舎に戻ると、侍女さんのリーサさんが起きたまま待っていてくれました。
再度お風呂にも入れると言ってもらえました。踊って汗を掻いたので、今日、二度目のお風呂に入りました。
王都に居たら、こんな贅沢は絶対に無理です。
お風呂が済んだところで、リーサさんが紅茶を出してくれました。
紅茶もアトラス領特有の飲み物です。
何度か、船の中で飲んだ事があります。
少し苦いんですが、香りがとても良いので好きな飲み物です。
リーサさんが、暖かい牛乳を入れても美味しいと教えてくれました。
試してみたら、香りは豊かなまま、苦味が柔らいで、うっすらと甘さも感じます。
これ、私、好きかもしれない。
「リーサさんの言う通りね。とても美味しいわ。」
リーサさんは、嬉しそうにしています。
「お気に召されたようで、よろしゅう御座いました。」
牛乳入りの紅茶を飲み終えたところで、リーサさんに声を掛けます。
「私は、もう休みますので、リーサさんも休んでくださいね。」
「分りました。それでは、お休みなさいませ。」
部屋からリーサさんが出て行きました。
リーサさんはとても良い人のようです。ただ、口調が固いです。
多分同じぐらいの年齢だと思うのですが……。
もう少し柔らかに話をしてもらいたいのですけれど……。
まあ、直ぐには無理かもしれませんね。
片付けの続きを終らせて、寝る前に、魔法が使えるか、再度試してみました。
僅かですが、水球が出て、火球も出せました。
細やかな事ですが、これは今日、一番嬉しい事かもしれませんね。
これで、何かが出来ることは無いんでしょうけれど……喉が乾いた時とか、火を点けたい時には、ひょっとすると、役立つかもしれません。
……
朝、夜明け頃に、ノックの音で目が覚めました。
「ジーナ様、朝でございます。」
目が覚めた瞬間、私は自分が何処に居るのか分らなくなっていました。
そうでした。今日から、マリムで生活するのです。
朝、国務館に出勤しなければなりません。
「あっ、リーサさん。ありがとう。今起きるわ。」
着替えて、居間に向かうと、朝食の準備が出来ていました。
フワフワパンと、何か良い香りのする料理が湯気を立てていました。
飲み物として、牛乳入りの紅茶が出ていました。
料理は、厚い肉の様なものの上に、卵が乗っています。黄身の形がそのままでした。
黄身の部分にフォークを差すと、中の黄身がとろりと外に出てきます。
リーサさんに、料理について聞くと、ベーコンという豚肉を加工したものの上に卵を乗せたもので、ベーコンエッグとか目玉焼きというのだそうです。
ベーコンとは、ニケさんが考案したもので、肉を煙の中で乾燥させたものなのだそうです。
いい香りがします。
「美味しいですね。これは、アトラス領では良く食べるものなのですか?」
「ええ。とても人気のある加工食品なんです。」
「パンは、今朝、焼いてくださったの?」
「はい。お口に合えば嬉しいのですが。」
「とっても美味しいですね。リーサさんありがとう。」
リーサさんが、はにかんだ様な笑顔を向けてくれます。
本当に至れり尽せりで、感謝しかないです。




