116.マリム駅
馬車は、北に向って走っています。
時々、右折して、左折してを繰り返すようになりました。
マリムの街は、南より北の方が、東西に広くなっています。
その所為でしょうか。
「管理官。ここらは、住宅地みたいですね。」
「そうだな。食品を売っている商店はあるが、工房は無いみたいだな。」
「あちこちに、テラコヤと書いてありますね。」
「テラコヤってのは、随分とあるんだな。」
1軒のテラコヤから子供達の声が聞こえてきます。
「……。ヘプタ、ジノはデイルジノ(d7×d2=d12)。ヘプタ、トリはデイルノナ(d7×d3=d19)。ヘプタ、テトラはジノデイルテトラ(d7×d4=d24)。……」
エバエバ (dN×dN)の表を暗記しているのでしょう。何時の頃からか、エバエバの表は節を付けて覚えるのが流行っています。
私も、ソロバンを手に入れた頃、掛け算のエバエバの表を覚えようと頑張った時期があります。
このテラコヤの生徒は、幼い声で、エバエバの表を読んでいます。本当にアトラス領の子供達は優秀なのですね。
しばらく馬車は北に走って、鉄道が走っている場所まで辿り着きました。
鉄道は高架になっていて、馬車がそのまま鉄道を通り過ぎることもできます。
この馬車は、鉄道の手前で左折しました。
馬車は西に向って走っています。この馬車は、マリム駅へ行くのでしょう。
背後から、大きな音が近付いてきました。貨物を積んだ列車が馬車を追い越していきます。ガタタタタン、ガタタタタン……。列車が沢山の貨車を曳いて通り過ぎました。
「管理官。貨車の数。すごいですね。」
「そうだな、随分と沢山の貨車が曳かれているな。」
「馬、驚く様子が無いですね。」
「アトラス領の馬は、鉄道に慣れてるんだろう。」
「こんなに大きな音なのに、この馬、偉いですね。
ところで、もうすぐ駅に着きそうですけど、その後はどうしますか?」
「そうだな。なんか中途半端な時間だな。」
日が傾き始めましたが、まだ夕刻という程ではないですね。ボーナ商店に行くのには早いでしょう。
「今度は西方面の馬車に乗ります?」
「いや。流石にそれは……今度は、街中をブラブラしよう。疲れたら、どこかで、何かを飲むってのもあるぞ?」
「そうですね……これから西廻りに乗ると、夕刻というよりは、夜に近くなってしまいますね。残念ですが、管理官の案にしましょう。」
「おいおい、これが普通の街歩きだぞ。」
ほどなく、私達はマリム駅に着きました。
乗合馬車に乗っていた人達は、私達も含めて全員降りました。街の中心地が目的地だったみたいです。
空になった乗合馬車に、新しいお客さんが乗り込んでいます。
「とりあえず、マリム駅の中を見ないか?
ひょっとすると、お前は、駅の中を碌に見てないんじゃないか?」
「駅の中……ですか?駅の中って何か有りました?」
「やっぱり、見てないんだな。
今回ジーナと行動を共にして分ったんだが、お前、仕事に熱心すぎる。もう少し肩の力を抜けよ。」
何故か、呆れた様な顔で、私を見てきます。
そのまま駅の建物の中に入りました。
駅の建物の中に入って、周りを見渡します。
あれっ?駅の中って、こんなでしたっけ?
普段は、駅に着いて切符を改める場所を通ると直ぐにそのまま外に出ていました。
外から駅に着くとそのまま一目散に客車に乗ってます。
管理官が言うように、駅の中をちゃんと見た事が無かったみたいです。
切符を改める場所から、少し離れたところには、お土産屋さんや飲食店が並んでいます。
こんなにお店があったんですね……知りませんでした。
管理官と、駅の中にある店を見て歩きます。
お土産屋さんには、沢山の人が居ます。
とても良い身形をしている人が多いので、近隣の領主やそのご家族なのかもしれません。
土産物屋には、不思議なものが色々あります。
マリム大橋の青銅製の模型。マリム大聖堂の青銅製の模型。
どちらも手の平に乗るぐらいの大きさです。
これを……部屋にでも飾るんでしょうか?
なんだか意味が分りません。
クッキーも色々ありました。
アイル様クッキーとか、ニケ様クッキーなんてものがあります。
試供品があったので、一口食べてみましたが、どれも普通のクッキーですね。
どこらへんが、アイルさんだったり、ニケさんだったりするのでしょう?
染色された布切れとか、ガラスの玉とか、ガラスの小物、ガラスのコップも置いてあります。
金額を見ると、どれも高いですね。
ガラス製品は、エクゴ商店で見たものと比べると、質が悪くて、金額も高いです。
買っていく人を見ると、商品は紙の箱に入れられて、紙の手提げ袋で受け取っています。
こういう場所で、紙の箱とか袋とかを使うんですね。
紙の容器は、王都では見られないモノです。
購入した人は、紙の袋を掲げて嬉しそうです。
満足しているのなら、良いんでしょうけど……。
でも、はっきり言って、ゴミみたいなものです。
一通り、お土産屋さんを見て廻って、駅の中にある飲食店で席に座りました。
私は果実酒、管理官は大麦の発泡酒を頼みました。
「管理官、皆、何故、嬉しそうに、ここにあるお土産を買ってるんでしょう?
割高で、どう見ても役立たなかったり、美味しくもないモノですよね。」
「……あのな、皆、この場所に来たという思い出が欲しいんだよ。
……仮に、ジーナの両親が、始めてマリムに来たとして、エクゴ商店や、ボーナ商店みたいな大店で買い物をするか?」
どうでしょう?ウチは、はっきり言って、貧乏な男爵家です。
何か買う物が決まってなくて、こんな大都市に来たら……。
せいいっぱい着飾って、観光をして帰るだけでしょう。
臆してしまって、エクゴ商店や、ボーナ商店を覗いて見ようとは思わないですね。
もし、お土産があれば、領地に帰って、話題に出来ます。
その程度の目的なら、ここのクッキーを買って、大聖堂の模型や、質の悪いガラス製品を買って帰るかもしれないです。
紙の箱や、紙の袋ですら、大切なものになるかもしれません。
「なるほど。何となく理解できたような気がします。」
「あのアイルさんや、ニケさんや、大店の店主達とすぐ打ち解けて話を始めてしまう、お前みたいなのは、かなり特殊なんだよ。」
「えっ。そんな事は無いんじゃないですか?みなさん、とても気さくに話をしてくれましたよね?」
「あのな……。普通は、気後れして、会話なんてできないんだよ。」
そんなものなのでしょうか?皆さんとても親切でした。
あれ、でも、そう言えば、管理官はあまり話をしませんでしたね。
管理官は、気後れしてたんでしょうか?
「ひょっとして、管理官は、気後れしていたんですか?」
「あたり前だろ、あんな有名な人達の前だぞ。気後れしまくってたよ。」
「あっ。そうだったんですね。気付きませんでした。申し訳ありません。」
「いや、謝られるような事じゃない。それに、ジーナのお陰で、普通、話なんてできない人達から話を聞けたからな。御礼を言わなきゃならない。」
それから、私達二人は、お酒を飲みながら、これまでの事を話題に話をしました。
管理官は、アイルさんとニケさんが一番の驚きだったみたいです。私もそうですね。
二人に案内してもらって、コンビナートや海沿いのコンビナートに行ったのも印象的だったそうです。
お二人の話は、やはり付いて行けなかったそうで、残念そうでした。
これまで、出会った人達の話をしていたら、かなり日が傾いてきました。
そろろそ、ボーナ商店へ行っても良さそうな頃合いです。
席を立って、ボーナ商店に向うことにしました。
また、飲食代は、管理官が支払ってくれました。
ボーナ商店に入って、手形を見せます。
奥から、リリスさんがやってきました。
「お帰りなさいませ。衣装の誂えは終ってますよ。如何でした、マリムの街は?」
乗合馬車で、街を廻ってみたことや、途中で出会った洗濯屋さんの話、考案税の申請書を代筆してあげた事などを話ました。
「あらあら、ウチの従業員だったんですか?
残念ですわ。漂白剤にそんなことができるなんて、思い付きもしませんでした。
ふふふ。でも、それ、絶対に商売になりますね。」
「そうですよね。臭いを消すことができる洗濯屋って、とても良い商売ですよね。」
「いえいえ、それもそうなんですけれど、ジーナさんの代筆の方です。
どうです?ウチの専属の代筆なんてしませんか?」
「えっ?」
「だって、ジーナさんは、考案税の調査官なんでしょ?考案税の承認に必要な事が何かを良くご存知じゃないですか。」
「ちょっと待ってください、それは、困ります。
ジーナは、ウチの部門で、一番優秀な調査官です!
勝手に引き抜かないでください!」
「あら、いけない。上司の方の前で、するような話じゃなかったですね。
じゃあ、今度内密に……あっ、でも、もう王都にお帰りになるんでしたね。
うーん。残念ですわ。」
「は、はぁ……。」
突然の話に、戸惑います。どう考えて良いのか判りません……。
「ふふふ。でも、変ったことをされたんですね。
乗合馬車で、街を一周ですか。
これも……商売になりそうですね。」
「えっ、どこらへんが商売になるんです?」
「だって、マリムに観光に来られる方が最近は増えましたから。
大聖堂とか、海浜公園とか、コンビナートとかを巡る乗合馬車があったら、乗りませんか?」
「そうですね。そんな乗合馬車があったら、間違い無く、乗りますね。」
「そうでしょ。その乗合馬車には、ウチの店に寄ってもらって、お客さんに買い物してもらっても良いかもしれないですね。
ボロスのところは序でにして。
あっ。ボロスからお金をもらっても良いかもしれませんね。
乗合馬車の商会と共同事業にするか、ウチで行なうか……。
ふふふ。どうしましょう……。」
そんな話をしていたら、私達が注文した商品をお店の人が持ってきてくれました。
衣装と、ガラスペン、そして帳面です。
ボーナ商店と書かれた、大きな紙の袋に入っていました。
ガラスペンは、一つずつ、綺麗な箱の中に入っています。
手形と引き換えで、商品を受け取りました。
受け渡しの時に、耳元で、リリスさんが囁きました。
「ジーナさんは、とても面白い方ですね。
やっぱり、ウチに来ません?
アトラス領に来てくれるだけでも良いんですけどね。」
その声が聞こえたのか、管理官がこちらを睨んでいます。
「あっ、管理官さんに、睨まれてますね。ふふふ。」
商品の受け渡しが終ったので、お暇することにします。
色々話をしていただいた事の御礼を言って、店を出ます。
店を出るときに、リリスさんに、
「お買い上げありがとうございました。また御会いできるのをお待ちしています。」
と挨拶されました。管理官は、仏頂面をしてます。
「おい、ウチを辞めたりしないでくれよな。」
「今のところ辞める気なんてありませんから、大丈夫ですよ。向うが勝手に誘っているだけですよ。
それに、最後の挨拶だって、普通の挨拶ですよ。」
「いいや、そんな事は無いぞ、あの店主の表情は。
今、ジーナに辞められたりしたら、アトラス領の大量の考案税の調査が大変なことになる。」
「ははは、管理官大袈裟ですよ。」
グラナラに向う鉄道に乗り込みます。
マリム大橋を渡る頃には、進行方向は夕焼け空です。
綺麗です。
夕焼け空の中を飛んでいる気分です。
ふと、代筆の仕事の事を思います。本当に商売になるんでしょうか?
そんな商売は聞いたことがありません。
やってみて、失敗したら、大変ですよね……。




