115.街歩き
商業ギルドでの手形の確認は、直ぐに終わりました。
「管理官。これからどうします?お昼も食べましたし、ボーナ商店でお土産を買ったので、お土産探しもしなくて良くなりました。」
「そうだな。じゃあ、街をブラブラ見て歩くか?」
「あっ。それなら巡回している馬車に乗りませんか?そうすれば、マリムの街をぐるっと見て廻れますよ。
どこか気になったところで降りてみても良いでしょうし。」
「なるほど。それも良いかも知れないな。」
「あっ。ちょうど馬車が来ましたね。うーんできれば北に向っている馬車の方が良かったんですけど……でも同じところを廻ってるんですよね。」
やってきた乗合馬車を止めて、乗り込みました。「東左廻り」と書いてありました。
馬車に乗って、しばらくは、前回海浜公園へ行く時に通った道です。さっきのリリスさんの話どおりに、食料品の大店がありますね。
確かに鉄道で荷卸しされた食料品を、ここまで運んで、自分のところの倉に入れるのは大変かもしれません。
食べ物屋さんが多いのは、海に近いからなんでしょうか。
あっ。以前の街の中心はこのあたりだったんでした。
食べ物屋さんは、同じ場所にあった方が良いんですかね?
乗合馬車が海浜公園の前に停まると、お客さんたちが皆降りていきます。
そのまま乗っているのは、私と管理官だけです。
新しいお客さんが乗り込んできました。
大通りを少し戻ったところで、右に曲ります。
少し細くなった通りを馬車は進みます。
時々お客さんが降りて、時々お客さんが乗り込んできます。
ここらへんは、工房が多いみたいですね。
あちらこちらから、薄く煙が立ち上っています。
鉄を打っているのでしょうか。キンコン、カンコンと音が響いています。
「沢山の工房がありますね。」
「そりゃ、マリムの特産品は、鉄とガラスだ。いくら作っても足りないって話だからな。」
「大通りは、商店が集まっていて、路地に入ると工房なんですね。」
「そんな感じだな。」
工房が集まってますが、何区画かに一つ、区画全体が公園になっています。
公園からは、子供達の声が聞こえてきます。
本当に、子供達が多いんですね。
公園も多いのですが、道の脇には街路樹が植わっています。
大通りにも街路樹がありましたから、本当に緑の多い街です。
しばらく、東に向って移動して、今度は左折して、北に向い始めました。
交差点の東、何区画か先には、海が見えます。
北に向きの通りには、工房に混って、商店もあります。
この通りにある商店は、何を売っているんでしょう?
少し気になります。
「管理官。ここらへんで馬車を降りて歩いてみませんか?」
「ん?それは良いけれど、別に変わったものは見当らないぞ。」
「あそこやむこうに店があるじゃないですか。あそこで何を売っているのか少し気になるんです。」
「確かに店があるな、工房だらけの場所で、何を売っているんだ?工房で使うものじゃないか?」
「さぁ、何を売っているんでしょう?気になりませんか?」
「まぁ、そうだな。しかし、普通の街歩きって、こういうんじゃないと思うんだが……。」
「じゃあ、決まり。降りましょうよ。」
御者さんに声を掛けて、私達は馬車を降りました。御者さんに聞くと、馬車は2刻(=24分)に1台ぐらい通っているそうです。
ブラブラ歩いていると、馬車に出会えそうです。出会ったら、また乗れば良いですね。
馬車を降りた場所の近くにあった商店を覗いてみます。
工具が置いてあるみたいですね。
私には、何に使うのか分らない様々な道具があります。
「おい、ジーナ。中に入るのか?」
「えっ。当然です。外から見ても何を売っているのか分らないじゃないですか。」
私は、店の中に入ってみます。
「ごめんください。」
カウンターの奥に、年配のオジさんが居ます。
「おっ。いらっしゃい……。ん?」
なんか、上から下までジロジロ見られてます。
後ろから管理官が入ってきました。
「おぉ。何が欲しいんだ?」
明らかに管理官に声を掛けています。
そうですね。私は、職人さんには見えないですね。
管理官は、顔が厳ついし、体格もそれほど悪くは無いですから、職人だと思われたのでしょう。私は……付いてきた人?
「えーと。ここでは何を売っているんですか?」
「えっ。えーと。客じゃぁねぇのか?」
私が声を掛けたので、少し驚いた顔をしています。
「あっ。ごめんなさい。私達王都からアトラス領に視察に来た者なんです。
良ければ、お話を伺いたいんですけど、ダメでしょうか?」
「なんだ、客じゃぁねぇんだな。まあ、いいぜ。今は客も居ないから暇潰しにはなる。で、何を聞きたいんだ?」
それから、この店の事を聞いていきます。
ここは、鍛冶職人が鉄を加工する際に使う道具を売っています。
鉄を加工するための道具は、青銅などではダメです。青銅などは、鉄を加工する温度で鎔けてしまいます。
鉄を加工する為には、鉄が必要だったのです。
鉄を加工し始めた頃は、当然ですが、鉄を加工するための道具は有りません。
その頃から、アトラス領では、鉄加工をするための鉄の道具を貸し出していたのだそうです。
鉄加工用の道具が作られるようになって、この店のような場所が沢山出来てきました。
領地から道具を借りていると、使用料を払わなければなりません。
本格的に仕事に取り組めるようになると、職人さんは、自分の道具を買うようになります。
腕が良ければ、1月も経てば元が取れるんだそうです。
「ただ、道具も日進月歩で、どんどん良くなっていく。こっちはそれに追い付くだけで大変なんだよ。」
そう言うと、直方体の金属の塊を見せてくれます。
持ってみると、随分と重いです。
「これは、旋盤で使うバイトだ。これを使って、鋼やステンレスを削って道具を作るようになった。
鋳物と比べると鋼やステンレスの道具は強度が違う。
このバイトも色々種類があって、含まれているエレメントが違うんだ。削るもので使い分けている。」
道具屋さん、凄いです。エレメントの事も知ってるんですね。
「あれっ。そうすると、古い工具は売れなくなりません?」
「ああ、だから本当に大変なんだよ。古い工具は、鍛冶師工房で鎔かして、他の工具に作り替えてもらう。」
色々聞いていると、道具の変遷が分って面白いです。
でも、これって、僅か4年ほどの事ですよね。
なんか、こう、しょっちゅう新しい道具が出てくると、本当に大変そうです。
話を聞いていたら、本当のお客さんが入ってきました。
話をしてもらったお礼を言って、店を出ました。
それから3軒のお店を素見しました。
ガラス工房専門の店もありました。
ここらへんにある商店は、思っていた通り、工房で使う道具を売っている様ですね。
どの店も、庇の上に、売っているものが分るような金属製の看板があります。
公園の屋台やトイレで見た図とは違って、良く分らないものもありますが、意図が分ると面白いです。
何軒か先に、「カズミルの店」という看板があります。
この店の看板には、図がありません。店の名前だけです。
何のお店でしょう。
店の扉が開いていたので、中を覗いてみます。
でも……ここは、商店なのでしょうか?商品が置いてありません。店の奥に置いてあるんでしょうか?
奥に受付カウンターのようなものがあります。
「ごめんください。」
声を掛けると、奥から細身の青年が現われました。
「はい。いらっしゃい。あれ?洗濯物は?」
「えーと。ここでは何を売っているんですか?」
「ここは、商店じゃないよ。洗濯屋だ。」
「えっ、洗濯ですか?」
「ああ、工房から持ち込まれた服や汗拭き布を洗って返して金をもらう。」
「でも……工房で洗濯ぐらいしますよね?」
「ああ。そうだな。」
「洗濯物を持ち込む工房ってあるんですね?」
「いや、ちょっとそれは違うんだ。ちょっと訳があってな。」
どういう事なのでしょうか?不思議です。
話している間に、店の中で、嗅いだことのある臭いが微かにしているのに気付きました。
あれ、これ塩素の臭いですよね。次亜塩素酸を使っているのかもしれませんね。
「ひょっとしてですけど、漂白剤を使ってます?」
どうやら図星だったみたいです。挙動が明かに奇しくなっています。
でも、汚れが漂白剤で落ちるんでしょうか?
そんな話は聞いたことが無いです。
あっインクの染みとかは落ちますかね?
「漂白剤を使うと何か良いことがあるんですか?」
「いや、だから、それは訳があって。」
何だか、これ以上は教えてくれなさそうです。
身分を明かして、秘密を守ることを伝えてみます。
「私達は、王都から視察に来た考案税の調査官です。
考案税の調査官は、守秘義務があって、聞いた事は誰にも話しません。
ですから、何をしているのか教えては頂けませんか?」
「うーん。でもなぁ……。」
「本当に口外しないと誓えます。それに、私達はアトラス領の領民でもないです。教えてくださいよ。」
それから暫く、こんなやりとりを繰り返しました。
この青年は気が弱いのか、根負けして話してくれることになりました。
「ただし、他のヤツには絶対に話さないでくれよ。
布って使ってると、だんだん臭くなるだろ。
洗ってから漂白剤に浸けておくと、臭いが取れるんだよ。」
事情を聞くと、この青年は、ボーナ商店で、染色の仕事をしていました。
染料で汚れた衣服は、漂白すると元に戻るので、かつての仕事場では、服を漂白することが度々あったそうです。
この青年は、ある時、漂白すると、布から嫌な臭いが取れることに気付きました。
工房で働いていた兄の臭くなった服を漂白して臭いを消したら喜ばれ、それが噂になっていったのだそうです。
布はそれなりに高価なので、出来れば使い続けたいのですが、臭い布で汗を拭くと体まで臭ってきて、そのうち服も臭くなります。
この臭いは石鹸で洗っても取れません。
臭いを取る洗濯は、結構な稼ぎになりました。
そんな経緯から、今は、臭いが酷くなった衣服や汗拭き布を洗う洗濯屋をしています。
「管理官。これって、考案税の申請案件になりますよね?」
「そうだな。誰も知らないようだったらなるな。ただ、申請書の書き方が少し難しいかもしれないな。」
それから、この青年に、考案税の仕組みを教えてあげました。
「すると、この方法を真似したヤツが出てきたら、そいつらから金が取れるのか?」
「そうです。未だ誰からも申請されてなければですけどね。」
「だけど、申請って、何か書く必要があるだろ。オレ、字が書けないし、読めないんだよ。」
そんな人のために、領主館で、話を聞き取って、申請書を作ってもらえる事にはなっています。
アトラス領では分りませんが、領地によっては、虚偽の考案者に書き換えられたり、申請書を敢えて不備にして、考案を公知にしたりする事が有るようです。
考案税は、長期に渡って権利が保持されます。不正が横行している領地もあると聞きます。
折角なので、考案税の申請書を代筆してあげる事にします。
この程度の案件なら、すぐに書けます。
持ち歩いていた紙に、青年から借りたインクとペンで申請書を書きました。
字が書けないのに、インクとペンを持っている理由を聞いたところ、漂白しても落ちない黒いインクを使って木簡に印を書いて、預かった洗濯物にその木簡を付けて、洗濯物を区別しているそうです。
この青年の名前や、作業方法などを聞いていきます。名前は、店と同じカズミルでした。
考案税の題名は、管理官と相談して「古くなって臭うようになった布の復活方法」にしました。これなら、考案税申請は承認されるでしょう。
と言うより、私達が承認するので、問題は何処にも無いです。
申請書の最後に、代筆者として、管理官と私の役職とサインを書いておきました。
これで、申請書は誤魔化される事も無く受け取ってもらえるでしょう。
「それじゃぁ、この申請書を領主館に持っていって、考案税の申請をしたいと伝えてね。
早い者勝ちだから、なるべく急いでね。」
「ありがとうございます。それじゃ、すぐに領主館に行きます。」
私達が店を出ると、カズミルさんは、店仕舞いして、領主館へ向けて走っていきました。
そこまで、急がなくても大丈夫だとは思うんだけど……。
「ふふふ。これって人助けの仕事になりますかね?あっ、でも考案税申請の件数が少ないと、ダメですね。」
「しかし、お前と付き合っていると不思議な事に出会うな。」
それから、少しの間、馬車が通っていた通りを南向きに歩いていました。
しばらくして、向いから乗合馬車がやってきます。
「あっ。管理官。馬車です。また、あれに乗りましょうよ。」
「ああ。そろそろ、ここも飽きてきたからな。」
やってきた馬車に二人で乗り込みます。ふふふ。新たな旅の再開ですね。