114.ガラスペン
「ガラスペンです。これもニケさんから教えてもらったものです。
ここに細い溝がありますでしょう。ここにインクが付いて、字を書くことができるんです。」
「ガラスのペンですか。見た事がありません。
でも綺麗ですね。」
手で持つ軸の部分は、色とりどりのガラスが模様を作っています。
「ええ。他の素材で作られたペンと違って、字を書いている間に先が潰れたりしないですし、手入れも簡単です。優れ物ですよ。
ただ、落すと割れますからそれだけは気をつけないとなりません。」
通常ペンとして使用される素材は、木や動物の骨、鳥の羽などです。
比較的動物の骨は保ちますが高級品です。木や鳥の羽は字を書いているうちにペン先が潰れていきます。
潰れると、先を削って使います。そうしないと、インクが垂れたり、字が太くなってしまったりします。
「試しに字を書いてみますか?」
ガラスペンは、管理官も興味を持ったみたいです。
二人で、紙を前にして、ガラスペンの先をインク壺に入れて、紙に字を書いてみます。
滑らかに字が書けます。すぐにインクが切れるということもなく、字を書き続けられます。
何度か、インク壺に浸けて、文字を書いてみました。
とても楽に字が書けます。
「これは、良いものですな。」管理官は感心したみたいです。
「ええ。字を書くのが楽です。」
「手入れも簡単なんですよ。」
そう言って、リリスさんは、私達からガラスペンを受け取って、水の入った容器に浸けます。
容器の中で、水をペンで攪拌した後で、取り出したペンを布で拭きました。
「これで、手入れは終りです。インクの色を替えても、ガラスにインクが残ってないので、色が混ざることもありません。」
これは、とても便利な道具です。色も綺麗です。ガラスというのが高級感があります。
肝心のお値段は……d600ガント(=1万円)でした。破損防止のために、厚めの革の保管袋が付くのだそうです。
「これは、王都でも売っているのですか?」
「ええ。ただ品揃えとしては、色ガラスを使っていない無色のガラスペンだけです。色付きは、好みもあって、在庫の管理が難しいですからね。
あと、お値段がかなり高くなってしまいますね。
運送費用が掛りますし、破損する事もあるので、王都では、3倍ぐらいのお値段になってます。」
欲しいです。
それに、実家の父母や、兄と妹のお土産に最適かもしれません。
でも……手持ちが……もうあまりありません。
衣装代金で、手持ちのお金の半分以上を使ってしまいました。
悩んでいたら、管理官から声を掛けられました。
「おや。手持ちが無くなったか?」
「ええ。衣装代金で、かなり使いましたから。」
「貸してやっても良いぞ。」
「ありがとうございます。でも、実家の家族のお土産にしたいと思ってるので、かなりの金額になります。」
「そうか。オレも家族への土産と思っていたから、金を貸すと足りなくなるかな。」
「あら、それなら、手形でも良いですよ。支払いは王都でできるようにしておきますから。」
そうでした、手形という方法がありますね。少し利息が上乗せされるので、私はこれまで使ったことは無いのですが……そうしてもらえれば助かります。
「ふふふ。さ来月までに支払っていただけるのでしたら、利息分はサービスしますよ。そのぐらいのサービスも問題にはならないでしょ?」
「いいんですか?でも……管理官。どうなんでしょう?」
「まあ、その程度なら値切り交渉したようなものだから、問題は無いだろう。」
私達二人は、リリスさんにお礼を言って、ガラスペンを選びました。沢山あって、目移りします。
なんとか、家族の分4本と私の分2本を選び終えました。
一緒に、帳面も選びました。
リリスさんが使っていると言っていた大きさの帳面です。
3冊購入しました。
「では、これは取り置きしておきますね。手形は、商業ギルドで確認が必要ですから、衣装の受取りの時にお持ちください。
あと、こちらにあるのは、紙で作った包装品です。」
そちらを見ると、紙で出来た造形物が沢山並んでいます。
「折り紙ってご存じですか?これもニケ様から始まったんですけれど、紙を折って作ったものなんです。今では、折り紙用の紙もありますし、趣味で様々な形を折って楽しんでいる方も居ます。」
リリスさんは、飾ってあった、紙の造形を見せてくれました。
なにか不思議な形をしています。
「伝わる話では、鳥を模したものだそうです。」
確かに翼のようなものがあります。中央は、膨らんでいます。
紙で、こんなものが作れるんですね。
「それで、紙を折って形が作れるのだったら、箱や袋も作れることに気付いたんです。今は、厚めの紙で作った箱や袋を売っています。
贈答品を包んだり、お店の商品を入れるのに使うんですよ。
夕刻にお渡しする衣装は、多分、この大きさの袋に入れてお渡しします。」
手提げのための太い紐が付いている、大きめの紙で出来ている袋を見せてくれました。
袋には大きく、「ボーナ商店」と描かれています。
「箱や袋に、商店の名前を描いておくと、宣伝にもなりますしね。」
「紙は、字を書いて記録するためのものだと思っていたんですけれど、こんな使いかたもあるんですね。」
「そうなんですよ。工夫しだいで、色々な使い道があると思っているんです。
えぇと、これで、紙の説明は終わりですね。」
ボーナ商店に来て、衣装を安く買えて、お土産も買えました。
本当に良かったです。
ふと、奥の方に、貴族と分る人が集まっているところが見えます。
「リリスさん、あそこでは何を売っているんですか?」
「あそこですか……。」
急にリリスさんの声が小くなります。
「契約用の紙を扱っているのです。」
それに合わせて、小声で聞いてみます。
「それって、何か秘密があったりするんですか?」
「秘密と言う訳ではないのですが……。ここでは、話をするのは、ちょっと憚られます。」
そうなんですね。でも、何でなのでしょう。
あっ。そう言えば、リリスさんは、何か聞きたい事があると言ってましてね。
「そう言えば、リリスさんは、何かお聞きになりたい事があるって仰ってませんでした?」
「あっ。すっかり忘れてました。ダメですねぇ。ここは人が居ますから、奥の部屋でお聞きしても良いですか?」
リリスさんは、秘密めいた窓口で、店員の人に声を掛けて、紙を1枚手にすると、私たちを招いて、応接の部屋に入りました。
応接室は、ボーナ商店で彩飾された布が壁を飾っています。
何とも鮮かな感じの部屋になっています。
大きなガラスの作品や、絵付けされた大皿なども置いてありました。
席に着いて、リリスさんは、窓口で手にした紙を差し出してきます。
「これが、先程の契約の紙です。」
手渡されましたが、「見本品」と大きく書かれてある以外は、厚めの紙というだけで、特に変わった感じはありません。
管理官も紙を引っくり返したりして見ながら首を傾げています。
「これには、ちょっと秘密がありましてね。紙を光に翳して見てください。」
管理官が、紙を光の方に向けたので、私も覗き込んでみます。
あれっ。所々、薄くなっているのか、光が透けている場所があります。
透けている場所を、改めて見ても、紙は薄くなってはいませんね。
「これは、透かしという手法で作った紙なんです。この紙は、商業ギルドで契約をする時に使用する紙です。
極僅かな者にしか製法は知られていないんです。
この紙の複製をした者は、領主様に厳罰に処せられることになっているんです。」
「すると、商業ギルド立ち会いの元で、取り交した契約は、改竄が出来ないんですか?」
と管理官が聞きます。
「ええ。そうなんです。この紙の透しは、商業ギルドの紋章になってます。他にも工房ギルドには、工房ギルド用の紙があります。
私の所で生産した、この紙は、ギルドに納めるんですけれど、厳密に枚数が管理されています。」
「えーと。それは、私達に話しても問題は無いんですか?」
「透かしが入っているのは、秘密ではありませんからね。ただ、数量が管理されているというのは、あまり知られてないかもしれませんが……。」
「あの窓口に、何如にも貴族然とした人達が居ましたけれど、あれは何をしていたんですか?」
「今、博覧会をしていて、やってきた領主の方達でしょう。自領での大事な文書にこの透かし入りの紙を使いたくて、相談にいらしたんだと思います。」
「そんな時にリリスさんが、私達の相手をしていても良いんですか?」
「これを新たに実施しようとすると、結構な初期費用が掛ります。というより、アイル様の手を借りないと対応できないんです。
ですから、初期準備費用として、大金貨12枚(d10,000ガリオン=3,456万円)の金額を提示しています。
これまで、いくつもの領地から打診があった様ですが、成約したのは皆無ですね。」
「でも、窓口がありましたよね。」
「あれは、博覧会の期間だけの窓口なんです。
各ギルドで専用の契約用の紙を使っている事は秘密でもなんでも無いですから、自領で使う紙に採用したいという迷惑な……いえ、奇特な……えぇと、まあ、そんな事を考える領主の方がいらっしゃるんじゃないかと思って設置したんです。
相手が貴族の方になるのがほぼ決まってますから、貴族出身の社員をあそこに立たせて、くれぐれも失礼にならないように対応してもらっているだけなんです。
私だって、お相手はご遠慮したいですもの。」
また、何と言えば良いのか分らない話ですね。
あっ、それで先刻は小声になったんですか……。
なんか、私、リリスさんの事が好きになってきてます……。
「はぁ。なるほどです。あっ先刻もジーナが聞いていましたが、何かお聞きになりたい事がお有りなんですよね?」
「あっ。そうです。そうです。
紙の販売なんですが、王都でもかなりの量の紙を販売しているんです。
王都でも紙を使う商店が増えたために、順調に売り上げが伸びています。
ただ、王宮ではそれほど売れていなかったんです。」
「王宮ですか?」
「ええ。王宮です。多分、文官の方達や、騎士団の方達が使う紙は、王宮として纏めて発注しているのだと思っているんですが、それで合っていますか?」
「そうですね。王宮の中に、文官の部門や、騎士団がありますから、そういった部署で使用する紙は、王宮として購入しているでしょう。」
「それでですね。今年の春ぐらいから王宮からの紙の注文が急に増えたんです。ただ、王宮は、様々な部門があって、どの部門が、どういった理由で紙の使用を増やしたのかが分らないんです。
今、紙は、増産を続けていますけれど、潤沢に有る訳ではなくて、今後、王宮の注文がどのようになるのかを知りたいと思っていたんです。」
「今年の春というと、半年ほど前ですね。何か有っただろうか。」
「うーん。何かありました?
紙を使うんだったら文官なんでしょうけれど、何か仕事が変わったという話は聞かないですよね。
ウチは、随分前から、紙に変更していますけれど、特別量が増えるような事はしてないですしね。」
「そうだな。文官ってやつは、過去の仕事の仕方を中々変えな……
あっ。騎士団だろ。たしか、春まで、アトラス領の騎士と一緒に行動していた。」
「そうかもしれませんね。知人の騎士に聞いた事ありますよ。
指示書が王国騎士団は木簡で、アトラス領騎士団が紙で、王国騎士団の指示書は嵩張って、随分と情けない思いをしたって。
それで、指示書や内部文書を紙に変えたんでしょうか?」
「春に増えたのなら、丁度戦争が終わった頃だから、間違いなく騎士団が紙を使い始めたんだろう。」
「まあ、そうですか。騎士団だったんですね。紙を注文してくださっていたのは。」
「私には、アトラス領の騎士がどの程度の規模か知らないですが、やっている事はそれほど変らないでしょう。
アトラス領の騎士団がどのぐらい紙を使っているか分れば、必要になる紙の量が分るのではないですか?」
「ありがとうございます。これで、少しは今後の紙の発注量を予測できるかもしれないです。
でも、考案税調査部門は、既に紙を使っているお得意様だったんですね。」
「ウチは、過去の記録を保管しなければならないので、木簡の置き場所に困っていたんです。今、過去に遡って、木簡の記録を紙に変えているところです。
そのお陰で、保管場所が減って、過去の記録を見るのも大分楽になったんです。
他の文官仕事は年単位で仕事が完了するので、それほど紙の必要性を感じてないかもしれないですね。」
「そうだったんですね。
情報ありがとございました。
長々とお引き止めしてしまって、その上、いろいろお買い上げくださりありがとうございました。」
「いいえ。とんてもないです。色々なお話を聞かせていただいて、こちらこそありがとうございました。」
リリスさんに、丁寧な説明をしてもらった事にお礼を言って、私達二人は店を出て、再び商業ギルドに向いました。




