112.今日のお勧め
「管理官。どうしましょうか?私は紙のお話をお聞きしたいです。」
「そうだな。紙か。鉄とガラスと紙は、外せないか。
それでは、お言葉に甘えて、昼食後にも、案内をお願いしても良いでしょうか。
随分と時間を私達のために割いていただいて、誠に申し訳ないです。」
「いいえ。衣装をご購入いただいたお客様ですし。お気になさらないでください。
ところで、お昼を食べる場所は、お決めになられてますか?」
これはお勧めを教えてもらえるのかも知れないですね。
商業ギルドの時に教えていただいた屋台は美味しかったです。
「いえ、街を歩いて、ジーナと相談しながら決めようと思ってましたので、特に決めてはいないですね。」
「そうなんですね。では、ご一緒いたしませんか?お勧めの場所をご紹介させてください。」
えっ。お勧めだけど……ご一緒ですか?この場合は……ご一緒というのは良いのでしょうか?
管理官の顔を見ると、少し困った顔をしています。
でも、ここまで親切に色々教えてくださったんですから、断るのも……。
意を決したのか、管理官が口を開きました。
「それなら、是非、お願いいたします。但し、先にお話しした様に、食事代を出していただく事はできません。
私達の懐に優しいお店でお願いします。」
「あらあら、誤解なさっている様ですけれど、ボーナ商店は、今では大店ですけれど、私はお金持ちなんかじゃぁないです。安くて美味しい店が好きなんですよ。
それでは、お勧めの店にご案内しますね。」
いやいやいや。お金持ちの基準が違っていると思うのですが……。
「そのお店は、少し、分かり難い場所にあるんですけど、味は保証しますよ。」
リリスさんの後を、管理官と二人で付いていきます。
南に大通りを歩いて、5つめのブロックの先の広い道を西に曲りました。そして、一つ目の細い通りに入って少し歩いたところにその店はありました。
「海の恵」と店の名前が出ています。
そのお店は、海産物を料理して出してくれる店のようです。
微かに磯の香りがします。
店の入口の右側に、黒い塗料が塗られて、お昼のメニューがチョークで書いてありました。
ここに来るまでに、何件もの店の壁にお勧めメニューやお勧め品が書いてありましたね。
・今日のお勧め 海鮮のチーズ焼き パン付きd80ガント(=1,111円)
・いつものお勧め 塩焼魚と野菜スープ パン付きd76ガント(=1,042円)
・海藻サラダ 各種 10ガント(=139円)から
・……
あれっ。高くはないです。普通です。
「ここは料理が美味しいんですけど、パンも絶品なんですよ。」
ニコニコしているリリスさんに店に招かれて、中に入ります。
お昼ちょっと前なのに、席がかなり埋まっています。
「あっ。あそこが空いてますね。もう少し遅いと、席に座れなくて、外で待つことになるんですよ。よかったです。」
お店のテーブルには、メニューが置いてあります。
紙に書かれたメニューには、お勧め以外の料理も記載されていました。
料理の名前の横には、料理を描いた絵があって、どんな料理なのか想像できます。
親切ですね。
周りで食事を摂っている人達の食べているものを見ると、「今日のお勧め」と「いつものお勧め」が多いようです。
皆さん、カトラリーを使って上手に食べています。
どちらにするか、悩んで、結局「今日のお勧め」の海鮮のチーズ焼きを注文しました。一番の理由は、どんな味のどんな料理か興味があったからです。
管理官は、「いつものお勧め」、リリスさんは「今日のお勧め」でした。
料理が出来てくるまで、ボーナ商店について教えてもらいました。
「では、お祖母さんの時からの店なんですね。」
「ええ。店の名前のボーナというのは曾祖母の名前からきてるんです。
曾祖母は、お針子をしていたんです。
曾祖父は、木工職人だったんですけど、腕はそれほどでもなくって、残念ながら工房を持つまでにはならなかったんですよね。
お針子をしていた曾祖母を見て、祖母は領内で布が作れないかと思ったんだそうです。
その頃は、糸、布は他領からのものだけでしたから。
祖母は、近隣の農家の方と、麻を育てて、糸を作り始めたんです。
大分苦労したと聞いています。
なんとか中古の織機を手に入れて、今のボーナ商店で布を織り始めたんですよ。」
私は、糸から布がどうやって織られるのか、知識としてしか知りません。
リリスさんのお祖母さんは、知識としても知らなかったのだそうで、道具の仕組を見ながら、試行錯誤したのだそうです。
料理がやってきました。
海老や蟹、貝や魚の身が熱くなった鉄板の上でチーズといっしょに沸々と音を立てています。
とても良い香りがします。
これだけ熱い料理は、カトラリーが無いと食べることはできませんね。
「このパンが美味しいんですよ。ちなみにパンはお代りできますからね。
とにかく、一口食べてみてください。」
リリスさんに勧められて、パンを一口の大きさに千切って口のなかに入れます。
バターの香りと味がするパンでした。
「本当です。美味しいですね。」
「そうでしょ。ここの料理長が、酵母のパンを気に入って、いろいろ工夫しているんですよ。パンとこのチーズを合せて食べても美味しいですよ。」
管理官は、既に、ナイフとフォークで、大きな魚との格闘を開始していました。
食事をしながら、リリスさんの話が続きます。
「母の代で、大分、商売が大きくなりました。とは言っても、辺境の小さな街ですから、程度は知れてますけれど。
それでも、他領から入ってくる布と同じぐらい量の布を作れるようになったんです。
この頃からですね、綿とか亜麻を扱うようになったのは。
今もそうなんですが、アトラス領の服飾関係の店は、ウチ以外は他領からの布地問屋なんです。
ですから、アトラス領産の糸と布を作っているボーナ商店は、領主様たちに、色々と便宜を図ってもらっていました。
染色を始めたのも、母の頃です。
中々鮮やかな色に染めることができなくて、苦労していました。」
「どうして、アトラス領では、自分の領地で布を作る商店が増えなかったんですか?」
「それは、価格の所為ですね。
その頃は、綿や麻、亜麻を生産する農家が少なくて、どうしても割高になってしまうんです。
他領からの運送代金があっても、なかなか競争できるほどの価格にはできなかったんですよ。
それは、私が引き継いだころも変わりませんでしたね。
少しずつ、作れる布の量を増やしていくぐらいで、新しい事にはなかなか手が出せませんでした。
私は、母ほどの商才は無かったんです。
それでも、少しずつ店は大きくはなっていきました。
でも、それは、母が築いてくれたものが大きかったんです。」
「でも、今では、ガラリア王国最大の服飾商店ですよね。」
「それは言いすぎですよ。
そうだとしても、それは、ニケ様のお陰としか言いようがありません。
ある時、ニケ様から声が掛ったんです。
既に、ニケ様達は、ソロバンや鉄やガラスを作っていて、領内は大変なことになってました。
私は新しい衣装を作る話があるのだろうと思って、色々な布を持って、領主館に伺ったんです。
その時、少しだけ不思議には思ったんですよ。
研究所という場所で会うことや、ニケ様のお母様のユリア様が居なくて、侍女さん達と騎士さん達だけでしたから。
ここらへんが、私の商才の無さなんですよね。意図に全く気付けなかったんです。
既に、その頃、ボロスが、ソロバンや鉄やガラスで財を成していましたから、何か商売に繋がるものがあるじゃないかと思うべきでした。」
「ボロスさんの事は良く知ってらしたのですか?」
「近所の幼馴染ですよ。私はボロスと同い年なんです。」
「えっ。ボロスさんと同い年ですか。てっきりリリスさんの方がずっと若いと思ってました。」
「ふふふ。お上手ですね。でも同い年ですよ。
そして、ニケ様と始めて御会いしたときに、こんなに幼ない、いえ、幼ないというより……赤ちゃんでしたね。情けないことに、ニケ様がしっかりとした話をするのにただただ驚いていただけなんです。
それで、話をしても、衣装の話には、全然ならないんです。
布が何で出来ているのかとか、その作物はどんな形をしているのかとか、どうやって、糸を作るのかとかを聞かれて、一体何の用事で呼ばれたのか皆目分らなかったんです。」
「ニケさんなら、そんな事を聞きそうな気はしますね。」
「ニケ様が、布を白くする方法があると言うのを聞いたときに、やっと意図が分ったんです。
困ったものです。」
「漂白の話が最初だったんですか?」
「いいえ。漂白の話も紙の話も一緒に聞きました。
研究室に案内されて、目の前で、魔法を見せられました。ニケ様が漂白剤を魔法で作ったんです。
漂白するのに、時間が掛ると言わて、その間に、布を解したもので紙を作るところを見せられたんです。
最初は何が出来たのか全く分りませんでした。
織物でもなくて、ただ薄い繊維が絡まったものです。
ニケ様が、インクで字を紙に書いてみせてくれたんですけど、それでも何だか分らなかったんですよ。本当に情けないですね。
紙が、木簡の代りになると気付いて。ただただ驚いて。
そして、漂白の事はすっかり頭から消えてしまってました。
紙を作る前に、浸していた布を見せられたんですが、完全に忘れてました。布は染色した布も含めて真っ白になってました。」
「布が白くなったのは、魔法の所為だとは思わなかったんですか?」
「ニケ様の説明で、魔法を使わないで、それらの物は作れるんだと聞きました。
生産する時のために、人を貸してほしいと言われたんです。
既に、ニケ様達は、魔法ではなく、ソロバンも鉄もガラスも作る方法を領民に教えていましたから。
魔法を使うのでは無いというのは理解したんです。
ただ、あの日の驚きは、今でも忘れられません。
でも、思い出す度に、恥しくなるんです。
ああ。私には商才が無いんだな。もっと頑張らないとなって。」
「いえ。そんな事は無いと思います。リリスさんに商才が無いんだったら、一体誰だったら商才があるのかと思うほど、新しいものに取り組んでいると思います。」
「そうですか?でも、あの時の経験で、今はとにかく知恵を絞ることに注力してます。
それでも、まだまだだなって感じてるんですよ。
アトラス布を販売し始めて、染色の色が鮮かになって、母が一番喜んでくれていますね。
紙のために、領主様の力添えもあって、亜麻や麻や綿の生産が大幅に増えました。
農家さん達と苦労していた、祖母が喜んでくれています。
そうそう。祖母と言えば……祖母が製紙工場を見たときの驚き様といったら……。
ふふふふ。
本当の意味で腰を抜かしてしまいました。椅子から立ち上がれなくなってしまって。
祖母を荷台に乗せて、コンビナートから家まで連れて帰りましたよ。」
ここまで話を聞いた時には、食事は既に終わってました。
美味しい食事で、私は大満足です。
魚介類とチーズは合うんですね。
でも、熱々でないと美味しさが無くなってしまいそうです。
カトラリーが無いと食べられない料理ですね。
「あら。いけない。また話し込んでしまって。お店に戻りましょうか。」




