110.作業服
「子供服は、とても上手くいったんです。
それで、今、この店では、大人用にも色々な大きさの衣装を事前に作って提供ができないか検討しているんですよ。
ただ、同じ方法で、大人用に作って、上手く行くのかはちょっと分らないんですよね。」
それから、リリスさんは、大人用の衣装の場合の問題点を教えてくれます。
大人の場合は、好みが様々で、布の色も含めると、かなりの種類になること。
体の大きさや太さが、標準から離れた人の場合をどうするか等々。
色々話をしてくれますが、そんな話を部外者にしても良いものなのか気になります。
「でも、秘密は守っていただけるんですよね?」
「えーと。それは、ひょっとして、考案税の申請をする心算だという事なんでしょうか?」
「ええ。この商売の仕方は、とても上手く行っていますからね。」
「管理官。商売の方法って、考案税の対象になるんですか?」
「うーん。考えたこともないな。そんな考案税申請は、少なくともオレは見たことが無いぞ。そんなものが提出されたら、皆で悩むことになりそうだな。」
通常、考案税の対象は生活を向上するモノ。従来とは異なる画期的な生産方法などです。
服を安く提供しているので、生活を向上させることはできてますね。
でも、新しいモノではないですし、画期的な生産方法かというと、ミシンは既に対象となってますから既に考案されていると言えば言えます。
古着を紙にしてしまうところまで含めると……どうなんでしょう……。
「でも、他の方に只で真似はされたくはないんですよ。」
「分りますが、これは、かなり慎重に検討しないと、今、ここでは何とも言えません。」
とりあえず、管理官は保留にしたみたいです。
私も、判断が付きません。
「あらあら。まあ、良いですわ。じゃあ、お隣の店舗を案内しますね。」
次に、正面右手の店舗に案内されました。
「ここは、従来通り、採寸して服を提供している店なんです。ただ、ちょっと変わった製品は、この店で販売しているんですよ。」
中に入ると、王都にもある、服飾品店と同じ様子です。
お客さんは、見本品を見て、体に合わせてもらうのと、様々な変更の注文をします。
前の店ほどではないですが、お客さんは、それなりに居て、店の人が対応しています。
奥の方に、先程見た、鞄も置いてあります。様々な色の鞄があります。試作展示品と書いてありました。
お客さんたちで賑っている場所から離れたところに、真っ白な、見たことのない衣装が展示してあります。
「これは、先日の戦争の時に騎士さんたちの装備として作ったものなんですよ。」
何と表現すれば良いんでしょう。この衣装は、体の形そのままの衣装です。
腕の形、脚の形が人の形どおりになっています。
普通、私達が着ている衣装は、この衣装と比べると、布を纏っている感じですから、本当に不思議な形の衣装です。
「騎士さん達は、この衣装のお陰でとても戦いやすかったんだそうです。
体を動かすときに、邪魔な布が無いので、動き易かったと聞いてます。
この衣装は、寒冷地用ですけど、今は、この形で、マリム周辺で着れるものを作っているところなんです。
その内、騎士さんの装備は、全て、この形になるかもしれません。」
でも……。この衣装はどうやって着るんでしょう?腕の形のところに腕を通して、脚の形のところに脚を入れるんですよね。
なんか、頭や腰のどこかが引掛ってしまいそうです。
「でも、この衣装は、着るのが大変なんじゃないですか?」
「それは、ジッパーのお陰で、簡単に着れるんですよ。」
布に隠されている部分に例のジッパーが付いていました。ジッパーを動かすと、上半身の部分が左右に大きく開きました。
下半身の部分は、正面の上部にジッパーが付いています。これも脚を入れるのが楽になりますね。
「ひょっとして、ジッパーって、この為に考案されたんですか?」
「ええ。その通りです。これのお陰で、普通の衣装を着るよりずっと早く着たり脱いだりできますね。
あと、男性の騎士さん達には、この部分のジッパーが大変好評なんですよ。」
リリスさんは、下半身の部分にあるジッパーを指します。
ん。男性の騎士さんに好評?意味が分りません。
「ああ。なるほどな。」
管理官は、理由が分ったみたいです。男性じゃないと分らないのでしょうか。
「管理官、何か分ったんですか?」
「いや、女性の前では、あまり説明したくないんだが……。男は立って、用を足したりするじゃないか。それには便利なんだよ。」
えっ。用を足すって……あっ。
思わず、顔から火が吹き出そうになります。
なるほど……便利なんですね。
「あとは、これですね。」
リリスさんは、筒型で底が折れ曲がっている容器のようなものを見せてくれました。
「これは?何なんですか?」
「これは、靴と言うんだそうですけど、履物ですね。
この前の戦争の時に、酷く寒い場所に出征してたじゃないですか。
体が露出していると、体が凍って、腐ってしまうんだそうです。
それで、私達の履物では、ダメだからって、アイル様が作ったものがこれなんですよ。」
体が凍って腐るって、どれだけ寒い場所なのでしょうか?
そんなところで、普通の履物を履いていたら……確かにマズそうです。
履物は、板の裏に革を貼りつけたものを紐で足に固定してますから、素肌が外に出てしまいます。
「それで、この装備を使ってみて、これも寒冷地用じゃないものが欲しいと言われてます。
岩場のように足場が悪いところや、藪の中で、足を怪我する事が時々有るのだそうです。
そういう場所では、布の袋や革の袋を履いたりするんですけど、今回の遠征でこの靴がとても便利だったようです。
それで、革を使って、こういった靴を作ろうとしてます。」
靴の脇に、ジッパーが見えます。
「あっ。ここにもジッパーがあるんですね。」
「そうです。ここを開くと、足が入れ易くなるんです。
それで、今、この騎士さんの装備と同じ様な形の衣装を、ニケ様から依頼されているんですよ。」
「えっ。ニケさんからですか?ニケさんって、魔物と戦ったりしませんよね?何故ですか?」
「薬品は危ないものらしいですね。体に直接触れない様にしたいと言っていました。」
そう言えば、分析の実験をしている時にも、変った衣装を纏ってました。目にも変わったメガネをしていました。
「今も、ニケさんのところでは、変わった衣装を着ていましたけれど、あれじゃダメってことなんですか?」
「それは、ニケ様の発案で、割烹着というものですね。
それは、ニケ様のところ以外に、料理店とか、魚や動物の肉を捌いている人達が使ってます。
ほら、あそこに幾つか見本が置いてあります。
割烹着だと、どうしても、背中のところが開いてしまいますから、全身を守りたいんじゃないでしょうか。
ただ、騎士さんの装備と違うものもあるんです。」
そう言って、一旦奥の部屋に入っていったリリスさんは色々なものを手にして戻ってきました。
「こっちが、未だ試作なんですけど、ニケ様達の衣装です。」
確かに、騎士さんの装備と似ています。上半身の衣装の前面にはジッパーが有って、着易くなっています。
下半身は……同じように便利になってます。
「そして、こっちがちょっと変わった衣装なんですよ。」
見せてくれたのは、大きめのお碗のような厚い布で出来たものと……これは……手ですね。手の形をしている袋みたいなものです。
「こっちは帽子と言うもので、頭を守ったり、頭から薬品を被った時に、即座に脱ぐことができるんです。
そして、こっちは、見ての通り、手を保護するものです。
以前の騎士さん装備の時にも有ったんですけれど、それは防寒のためでした。
今回のニケ様の場合には、さらに加工するんです。
グラナラ領で、ゴムの生産が始まったら、ゴムの樹液を加工したものを塗ることになります。
そうすると、薬品が手に触れることが無いんだそうですよ。
既に試作したものは、ニケ様に渡してあって、ニケ様には魔法で作ったゴムで確認をしてもらっています。」
「へぇ。面白いものですね。」
「それで、上手く出来たら、工場で作業をしている人たちにも着せてくださいと言われてるんですよ。」
「えっ。工場でですか?」
「ええ。工場では、ロールが回っていたり、薬品を使っていたりするので、危険な場所が多いって言うんですよ。
そういう所で作業する人の衣装は、動きやすいものが良いんだそうです。」
「へぇ。そういう事ですか。」
「それで、私の勘なんですけれどね。
この作業のための衣装が、普通に着る服になっていくんじゃないかと思うんです。
機能的に優れていますからね。
意匠を工夫すると、意外と流行するかもしれません。」