WW.分析
「じゃあ、今日は、分析の話をしましょうか。」
この話は、助手さん達でも知らない事があるんだそうです。
コンビナートの精錬設備では、一部のエレメントの分析を魔法ではなく実施しています。しかし、普通に鉱石の中に何が入っているのかという様な分析はした事が無いと言います。
助手さん達も、内容を記録するために、紙の準備をしていました。
ふと、助手さん達の手元を見ると、紙に木の棒の様なもので書き込んでいます。
気になって、聞いてみました。
「みなさん、ペンで字を書いているんじゃないんですね。それは何なのですか?」
「これですか?これは鉛筆という物です。このゴムを使うと、字を消すことができるんですよ。」
と助手さんの一人が教えてくれました。
字を消すことができるのですか、それは便利です。
そんな物もあるんですね。
「これは、メモをするのに使うんです。証文などには、字が消えてしまうので、向かないんですけど、考えを書き出したり、絵を書くときには重宝するんです。」
正に、この場には、とても便利なものじゃないですか。
多分、私の顔が物欲しそうに見えたんでしょう。ニケさんが、棚から10本の鉛筆と2個のゴムの塊を取り出して私と管理官に差し出してきました。
「よければ、どうぞ。そろそろ、エクゴ商店で売り出されますらしいですよ。
その内、王都でも手に入るようになるんじゃないかな。
それまで、これを使ってみてください。
先端を鋼の刃で削って使うんです。
あと、これは消しゴムと言うものです。
グラナラ領で今、ゴムの栽培を始めていますから、こちらも入手可能になると思います。」
「ありがとうございます。早速使わせてもらいます。」
助手さんから刃の付いた道具を借りて、先を削ってみました。
真ん中に黒い部分があって、それを紙に擦ると字が書けます。
消しゴムで、字の部分を擦ると、書いた字が消えます。
これは便利です。
ニケさんが、分析の方法についての説明を始めます。
対象の鉱石などに、どのような金属が含まれているのかを調べるには、鉱石を水に溶かす事が第一歩だそうです。
でも、鉱石は水に溶けたりしないですよね。
大抵の鉱石は硝酸や硫酸に溶けるか分解するのだそうです。
ただ、これも色々で、その鉱石に合った方法を見付けないとならないそうです。
とりあえず、鉱石を粉々にして、硝酸や硫酸、場合によっては塩酸などを使って溶かすのだそうです。
硝酸と硫酸を混ぜた酸は、『オウスイ』と言って、金も溶かしてしまうそうです。
「それじゃ、そのオウスイで、全ての鉱石を溶かせるんじゃないですか?」
思わず聞いてしまいました。
「ところが、そうもいかないんです。王水は酸化する力が大きくて、酸化に耐性が有る、アルミニウムやチタン、クロム、珪素などを含んでいると上手くいきません。
どんな状態にあるのかは、鉱石それぞれなので、上手く行く場合もあれば、上手く行かない場合もあります。」
「すると、上手く溶かす方法を探すところから始めるんですね?」
「その通りです。硝酸も、濃い硝酸で上手く行く場合もあるし、薄い硝酸の方が良い場合もあります。熱を加えて、温度を変えることが必要だったりもします。珪素が多い場合には、弗酸を使わないとならない事もあります。
弗酸は、コンビナートの金属アルミニウムを生産するのに使う氷晶石の合成で発生するので手に入れることができますが、とても反応性の高いモノです。
ガラス容器も腐食するので、取り扱いに細心の注意が必要ですね。」
なるほど。一筋縄では行かないから、ニケさんは、普通は魔法を使うのですね。
上手く鉱石を水に溶かす事ができたら、薬品を加えて、沈殿が出来るかどうかで、水の中に溶けている金属を分類できます。
大体の手順は決まっていて、手順に従って、沈殿したものを除いて行くことで、様々な金属の有無が確認できるそうです。
手順を説明するのに、実際の実験装置で確認しながら行なっていく事になりました。
助手さんたちは、変わったメガネを掛けて、見た事のない衣装を身につけています。
様々な金属を溶かした希硝酸溶液を準備しました。
幾つも薬品を使うのですが、アトラス領内で生産されているとは限りません。
分析作業は、精錬した金属の確認で実際に実施しているのですが、使う量は少ないので、都度、合成するのだそうです。
(1)銀族の沈殿
まず、金属イオンが希硝酸に溶けている溶液に、塩化アンモニウムを加えます。銀と性質の似ている金属(銀族)が塩化物になって沈殿します。
具体的には、沈殿している物質は、塩化銀、塩化水銀、塩化鉛といったものです。
(2)1の濾液から、銅族と錫族を沈殿させる。
1で沈殿したものを濾過して除いた液体の酸性状態を調整して、硫化水素を導入します。硫化水素は毒性の高いものなので、直接吸い込んだりしない様にガラス器具を組んで実験しました。
ここで、沈殿するのは、銅と性質の似ている金属(銅族)や錫と性質の似ている金属(錫族)が沈殿します。
具体的には、沈殿している銅族は、硫化ビスマス、硫化銅、硫化カドミウムです。この時、塩化物として完全に沈殿していなかった鉛も硫化鉛として沈殿します。
錫族金属は、硫化錫、硫化アンチモン、硫化砒素です。そして塩化物として完全に沈殿していなかった水銀が硫化水銀として沈殿します。
これらの沈殿物に、硫化ナトリウム・二硫化ナトリウム水溶液を加えると、錫族金属硫化物はチオ酸塩を作って溶解します。これで、銅系の金属と錫系の金属を分ける事ができます。
(3)2の濾液からアルミニウム族と鉄族を沈殿させる。
濾液をアンモニアでアルカリ性にして、硫化アンモニウムを加えると、アルミニウムと性質の似ている金属(アルミニウム族)と鉄と性質の似ている金属(鉄族)が沈殿します。
沈殿しているアルミニウム族は、水酸化アルミニウム、水酸化クロム、硫化亜鉛といったものです。
沈殿している鉄族は、硫化マンガン、硫化鉄、硫化ニッケル、硫化コバルトなどです。
これらの沈殿物を一旦塩酸に溶かした後に、水酸化ナトリウムと過酸化ナトリウムを加えると、アルミニウムは、アルミン酸ナトリウムに、亜鉛は亜鉛酸ナトリウムに、クロムは、クロム酸ナトリウムとして水に溶け出します。
この時、マンガン、鉄、ニッケル、コバルト、亜鉛の一部は水酸化物となって沈殿します。
(4)3の濾液からアルカリ土族とアルカリ族の分離
3で濾過した液体の中には、アルカリ土類金属(アルカリ土族)とアルカリ金属(アルカリ族)が含まれています。
炭酸ガスを導入すると、アルカリ土族の金属、具体的には、炭酸バリウム、炭酸ストロンチウム、炭酸カルシウム、炭酸マグネシウムが沈殿します。
濾液には、ナトリウムやカリウム金属イオンが溶けています。
1から4で沈殿した物は、再度様々な方法で溶解させて、再度別な薬物で、沈殿物と濾過した液体に分けていって、最終的に全ての金属を分ける事が出来るのだそうです。
どこで、どのぐらい沈殿するかは、イオン性の化合物の陽イオンと陰イオンの濃度から求められる溶解度積の値に従います。
これは、これまでの説明で教えてもらった事です。
水にどのぐらい溶けるかは決まっていて、その値より鎔解度積の値が大きくなることはなく、沈殿するのだそうです。
一部しか沈殿しないものは、溶解度がある程度あって、溶解度積の値がそれほど大きくなっていない場合だそうです。
実際に沈殿したり溶解したりするところを見ると、ただ聞いただけの知識が役に立っているのが分ります。
途中で、いつものように、昼食をご馳走になりました。
お昼の食事を管理官は大変美味しいと言ってました。休憩の時には、紅茶とお菓子も頂きました。
ダナ管理官は、紅茶は初めてだったそうで、こちらも大層気に入っていました。
流石に一日では、全ての金属を取り出す操作は終りませんでした。
翌日にも続きを見せてくれるそうです。
その日の夕刻前にお暇をしました。
帰りの道すがら、ダナ管理官と話をします。
「どうでした?アイルさんとニケさんは?」
「凄いとしか言いようが無いな。あの歳で、あの知識と魔法は、信じられない。」
「なにしろ、「新たな神々の戦いの日に生まれた神々の知識を持つ子供」と言われてますからね。」
「その話は、王都の商人から聞いたことがあるな。アトラス領を発展させた二人が居てまだ5歳だと言うので、冗談だと思っていたよ。」
「そうですよね。実際に会ってみないと、冗談にしか思えませんよ。」
翌日訪問すると、前日に分離した濾液と沈殿物で分離されている、銀族、銅族、錫族、アルミニウム族、鉄族、アルカリ土族、アルカリ族をさらに個別のエレメントに分離していきます。
一連の手順が終ると、全ての金属は別々になりました。
とても手間と時間が掛る作業です。
ニケさんの様に、分離魔法が使えるならば、そちらの方が遥かに簡単ですね。
でも、分離魔法が使える人など、ほとんど聞いた事がありません。
最近、王宮の職員で、分離魔法が使える様になった人が一人居ると聞いた事があります。その魔法を最後に使えた人は、記録が残っていないぐらいに昔の事らしいです。
それほど稀有な魔法です。
その人は、数少ない1級魔法使いに昇格したらしいです。
でも、魔法が使えなくても、今回のニケさんの教えてくれた方法を使えば、一応、金属を分離する事だけは出来るのです。
そもそも、それだけの種類の金属が有るという事自体、知られていない事なのですけれどね。
ニケさんの知識には、本当に驚かされてしまいます。
アイルさんは、アイルさんで、発電装置や無線装置など、誰も知らない物を作り出しています。
アトラス領が発展しているのも、この二人の知識と魔法の力に依るものなのでしょう。
本当に、驚く事だらけです。
その後も、2日ほど、アイルさんとニケさんの元を訪ねました。
アイルさんからは、ニケさんが作った超伝導という物の性質を教えてもらいました。
実際に作るところを見せていただいたのですが、ニケさんですらとても大変な作業だと言っていました。
ニケさんが作った、窒素を固定化するための触媒で実際に空気と水からアンモニアを作る実験も見せてもらいました。
これも、ニケさんでなければ作れないものです。
コンビナートの重要な反応で使っているそうです。
時間が許す限り、ニケさん達に色々、教えてもらいたいとは思うのですが、お忙しい二人に付き合っていただくのも申し訳ない事です。
私も来週には、王都に戻らなければなりません。
来年に予定されている爵位授与式には、お二人のご家族と一緒に王都に来られると聞きました。再会の約束をしました。
後ろ髪を引かれる思いで、お別れしようとしたら、その翌日にお二人の案内で、コンビナートと海沿いのコンビナートを案内してもらえる事になりました。
考案税担当者の仲間を誘っても良いかと聞いたところ快諾してもらえました。
「でも、博覧会の間は、立ち回りを禁止されていると聞きましたけど……大丈夫なんでしょうか?」
「ええ。助手さんが案内している風を装います。私や王都の方々は、その案内に付いて廻っている様にしか見えませんよ。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。明日からは、コンビナート巡りをしようと思っていたので、とても嬉しいです。」




