W5.憧れ
私の名前は、ジーナ・モーリ。
王都ガリアで考案税の調査官をしている文官です。
考案税は、それまで無かった物を考案した人に、生涯に渡って支払われる報奨金です。税金という名称になっていますが、税金とは少し異なっています。
年間、何件もの申請が有るのですが、王国は広いので、西の方で既に考案されているものが、東の方で申請されたりします。
そういった場合に、申請は却下されます。
過去に考案された事のあるものを新たに認める事はできません。
考案税を受けとる絶対条件は、過去に考案されていない物であること、新しい物が真に人々の生活に役立つものであることです。
私の仕事は、そういった観点で、申請の認定、却下を裁定する仕事です。
過去に考案されていない物である事を判断するのは、とても大変な事です。似たような記録が無いか、古文書の木簡を調査していきます。
d100年以上前の考案となると、読むだけで一苦労です。
今は、紙があるので、紙に黒のインクで記載するようになりました。
過去の考案税関連木簡も順次、紙に置き換える作業を新任の担当者達が行なっています。
そして、人々の生活に役立つものである事を判断するのも、難しい作業です。
もう、既に、長い生活を送ってきた私達にとって、誰にでも役立つ考案など殆どありません。
その地域の人達の生活習慣に依存する事が多くて、その人達の生活習慣を理解する事も必須です。
そんな事から、考案税の調査官は、様々な知識を必要とする仕事です。
誰にでも出来るというものではないです。
自慢では無いですが、考案税の担当官になるのは、優秀な文官だけです。
古い考案品の知識と、様々な生活様式を知っていなければ務まらないのです。
文官を採用する際に、試験が行なわれます。
その試験の結果が良好だった受験者には、どの部門に就くのかの希望調査があります。
優秀な人達は、自分の要望を通すことができるのです。
最も人気があるのは、行政管理官と財務管理官です。
私は、成績が最優秀だったのですが、考案調査官を希望しました。
随分と惜しまれましたが、私は新しいモノが大好きです。
変わっていると言われるのですが……変わってますか?そんな事は無いですよね。
この仕事に就いて、そろそろ5年になります。
新任の頃から、王国の東部地域を担当していました。
本当は、人や物の多い、王国中部の担当になりたかったのだけど……。
経験の少ない新人は、東部地域の担当から順に、重要な場所に異動していくので、仕方が無いです。
3年ほど前から、王国東部の考案税の申請に変化が有りました。
それまで、王国東部の考案税の申請は、年間60件もあれば多い方です。
それが突然月に60件以上の申請がありました。
どんどん増えていって、昨年は、6,000件を上まわっていたと思います。
それらは、全て、王国の東端の領地、アトラス領から齎されたものです。
考案者は、全て、アイテール・アトラスとニーケー・グラナラと記載されていました。
私が担当していたアトラス領が、王国での最重要拠点になってしまいました……。
今では、沢山の考案税の調査官が対応しています。
最初の申請は、今でも覚えています。ソロバンという計算をする道具でした。
最初はこれは一体何だろう思ったのですが、今では当たり前に商店で使われてます。
私も大枚を叩いて購入しました。
数字の表記方法と合わせて、この世界を大幅に変えてしまう考案でした。
数字の表記法は、考案税の対象にはならないのですけど、ひょっとすると、これが一番世の中を変えた考案かもしれません。
その後、時計、木炭窯、鉄、ガラス、紙……。
ガラスの考案申請が有った時には、流石に驚きました。
ガラスは、製法を失伝している物です。
本当に、再現出来たのか、部署内では懐疑の声が上がりました。
ところが、それからしばらくして、王都に、ガラスの容器が沢山運び込まれました。
とても高価なものでしたが、ガラスですよ、ガラス!
飛ぶように売れていると聞きました。
そして、紙の考案税申請書は、始めて紙に書かれていました。
最初に紙を見た時の驚きは忘れられません。
そして、申請書には、亜麻、綿、麻という植物から作ると記載があります。
薄くて軽く、木簡と比べて便利さは一目瞭然です。
この部署では、「アイニーケ」と呼称されている大量の考案税の申請書類が私達の所に届きます。
最近では、セツジョウシャとクウキジュウという考案申請がありましたね。
内容を上司に報告したところ、上司から騎士団に情報が伝わり、軍事的な観点から、機密扱いになってしまいました。
今では、私程度の職位では、閲覧する事すら許されていません。
詳細は知らないのですが、北方のノルドル王国を征服時の重要な物だったんと噂されています。
今回、ノルドル王国の調停違反の越境から始まった戦争は、あっという間にガラリア王国が大勝利。
ノルドル王国は滅びてしまいました。
それもアトラス領の働きだと聞いています。
噂では、その功績で、アトラス家は、子爵から侯爵に陞爵したらしいです。
屹度、あの考案物に依るのでしょう。
しかも、これらの考案は、全てその二人が考案者なのです。
一体どんな天才なのでしょう。
一度お会いして、色々な事を聞いてみたいです。
以前から、私の部署では、アトラス領で申請のあった物を見るために視察をしたいと願い出ていました。
一番の理由はデンキです。
全く理解出来ないです。
優秀な人たちが集まっている私の部署であっても、誰も理解できていません。
ムセンキというのもありました。遠く離れた人と話が出来るって……新しい魔法でしょうか?
これらの考案税申請は、過去に無かったもので、人の役に立っているのですから、問題は無いんですけど……。
戦争になってしまって、多忙な領地に訪問する訳には行きません。
戦後に何度も視察の申請を行なったのですが、中々了承されません。
そんな時にも、申請書が次々と送られてきます。
テツドウ?テッキョウ?
なんですか……それは?
いえ、何をする物かとか、どういった形をしている物かとかは判るのです。申請書に記載されてますから。
ただ、想像が出来ないというか、信じ難いというか……とにかく理解を越えているのです。
ようやく、アトラス領への視察の申請に許可が下りました。
これまでに、何度申請を繰り返したことでしょうか。
宰相閣下もお骨折りくださったと聞いています。
そして、その訪問の時期に合わせて、博覧会というものを催すそうです。
近隣の領主を呼んで、アトラス領の考案物の説明をする会議です。
楽しみで、楽しみで……。
何と、自走式の船で、アトラス領まで、移動することになりました。
これも、考案税申請で読んだことが有ります。
実物を見るのは初めてです。
そもそも、こんな大きな船を見たことがありません。
そして、金属で出来ています。
どうして水に浮くのでしょう。
船に乗り込んで、私に充てがわれた部屋に入ります。
一人一部屋で、船の部屋として想像していたのより、かなり広いです。
私の一人住まいの部屋と遜色がありません。
大き目のベッドと、チェスト、書き物机、椅子、ソファーが置いてあります。
そんなものが置いてあっても狭さを感じない部屋です。
書き物机には、紙の束が置いてありました。
まだまだ貴重品の紙ですが、アトラス領では普通に使われているのでしょう。
全員乗り込んだのでしょうか。大きな笛の音が聞こえて、船が動き始めました。
どんどん速度が上っているようです。
甲板に上って後方を見ると、見ている内に、王都が遠く離れていきます。
どうやって動いているのかは申請書類で読んでいますから知っていますが、これほど速く進むものだったのですね。
コークスという燃える石を加工したものを燃やして、電気に変えて、電気で動くモーターというもので、羽を回して動いていると記載されていました。
本当に不思議が一杯です。ワクワクしています。
この船は、二昼夜ほどで、グラナラ領のグラナラの港に着く予定です。
ムセンキという道具で連絡があったと聞いています。
やはり、ムセンキは遠く離れた人と話が出来るのですね。
お願いをして、発電機のある場所と、船を操作している場所を見学させて頂きました。
発電機のある部屋は、思っていたより涼しい部屋でした。
コークスを投入する際に扉を開けるとものすごい熱気が出てくるのですが、部屋自体はとても涼しいです。
作業している人に説明をしてもらいます。
海水を取り込んで、炉のまわりに、冷却用の海水が循環していて、部屋の温度が上らないような仕組みになっているのだそうです。
それも、申請書で読んだ記憶があります。
ほとんど音もしていません。何かくぐもったような音が連続していますが、それだけです。
巨大な発電機が回っています。
本当にそれだけに見えるのですが、どれもこれも、不思議で見たことの無いもので溢れています。
発電機の場所では、燃えているコークスが足りなくなったら、レバーを操作してコークスを炉に入れるのが仕事だそうです。
発電の大きさと、充電の大きさは、自動で調整されます。
仕組みも申請書に書かれてありましたが、誰にも理解は出来ていません。
そもそも、この部屋は全て鉄という新しい金属で出来ています。硬くて折れにくい金属です。
最近の騎士たちは、皆、鉄の武具を持ちたがりますが、高価で、上位の騎士でしか手に入れることができないものです。
船という巨大なものを鉄で作るなんて……信じられません。
操舵する部屋も見ました。
こちらはとても簡素です。
大きな舵輪というものが中央にあって、ガラスで囲まれた部屋でした。
今の発電の大きさと、充電の大きさが人目で判るような表示があります。
光ってます。
光っている面積が大きくなったり小さくなったりしています。これで、発電の大きさと充電の大きさが判るのです。
そして、その横には数字が光っています。
不思議ですが、これらも申請書にありました。
どうして光るのか、どうやって、光る面積が変るのかは記載がありましたが、これも、誰も理解できないものです。
数字が変化するのは本当に不思議です。いつまでも見惚れてしまいそうになります。
舵輪がどのぐらい回転したかで、船の下にある舵が動くのだそうですが、それも電気信号というもので調整しているというのは知っています。
理解できてはいないのですが……。
見学を終えたあたりで、夕食の時間になりました。
食堂に行ってみると、d100(=144)人は収容できそうな広い食堂です。
テーブルの上には、人数分のカトラリーと彩色された皿がありました。
どちらもアトラス領の特産品です。
初めて、カトラリーというものを使っての食事です。
私は、カトラリーというものを使ったことはありません。
食事をするための道具として、これも申請書で読んだことだけはあります。
高位の文官で、この視察団の団長をしているフレディ・グレゴリオ様は、使ったことがあると言っていました。
流石に、私の給金では、そんな贅沢なものは購入できません。
グレゴリオ様がナイフやフォーク、スプーンを使うのを見様見真似で使って食事をしました。
暖かい料理がこんなに美味しいとは思ってもみませんでした。
スープに沈んでいる長い食材も美味しく、パンもフワフワでした。
湯気を立てているハンバーガーというものも、とても美味しかったです。
作り方は知っているのです。
申請書で読みましたから。
でも食べたのは初めてです。
こんな料理が普通に出てくるというのが驚きです。
流石、アトラス領の船ですね。
船でなくとも、旅行では、干した肉や固いパンというのが普通の食事ですから。
食後に出た、紅茶という飲み物と、クッキーというお菓子はとても気に入りました。
日中外の景色を見たり、同僚と話をしたりして過したりしているうちに、2日目の朝になりました。グラナラ港に船が着きます。
これから、グラナラ駅に移動して、憧れのマリムの街を訪問します。
楽しみで、楽しみでワクワクが止まりません。
ここから、しばらくは、ジーナの目で見たマリムの様子を描きます。
一話だけ、ニケの視点の話もありますが……。
なかなか、アイルやニケの視点では、マリムの様子を描くことができなかったので……。




