96.アルミニウム
いやぁ。吃驚だったよ。
お父さんに言われてはいたけど、私とアイルを攫おうとする人達が現れるとは思ってもみなかったね。
騎士さん達が、不意の襲撃に対応してくれたから、私とアイルで反撃できた。
結局襲って来た人達は、総勢30人で、全員掴まった。
首領の人に、グルムおじさんが直々に尋問をしたと言っていた。
父さんが絡むと、とんでもない事になりそうだったとも言っていた。
まあ……それは……分るような気がする。
その首領の人は、諦めて、全て話してくれたそうだ。
本当の理由は、分らなかったけれど、アトラス領に隣接する領地を持つ男爵と伯爵が、計画したって聞いた。
領主なのに、そんな事を計画して、一体どうしたかったんだろう。
訪問の前に、少しだけ、ゴタゴタが有ったけど、リリスさんの工房では、防寒装備は問題無く出来ていた。
ミシンも36台貸与したので、あとは、リリスさんに頼んでおけば大丈夫。
ゴムブーツ用のゴム素材も必要な量は出来たので、あとはアイルにおまかせだ。
そう言えば、石炭運搬船が大量の瀝青炭を積んで戻ってきた。
この後、また、入植する人たちや必要な食料、機材を運んで行くらしい。
うーん。全て順調だ。
そう言えば、そろそろアウドおじさんも戻って来るんじゃないのかな。
そうしたら、いよいよ大浴場の開業だ。
楽しみだな。
なんか色々あり過ぎて、後回しになっていたけど、ようやく、銅、銀、金以外の金属精錬に取り組むことにした。
キキさんが、
「今度は、何を作るんですか?」
と聞いてきたので、応える。
「金属アルミニウムを作ります。」
ん。なんか、助手さん達の反応が薄いな。
金属アルミニウムに対して、免疫が出来てしまったのかな。
私やアイルの側に居ると、魔法でしょっちゅう取り出しているから馴染でありきたりの金属だと思っているのかもしれない。
そんな事はないぞ。金属アルミニウムを人類が手に入れたのは、長い科学史の中で、かなり後の方だ。
そして、アルミニウムの凄さを知らないな。
仕様が無いので、反応実験をするか。
少し危い反応なので、研究室の外に、耐熱レンガを組んでもらう。
クロムを含んだ鉱石を粉にしてもらった。
金属アルミニウム粉を砂から取り出してそれと混ぜる。
耐熱レンガの中にその混合した粉を入れる。
鉄の蓋を作ってその上に被せた。
蓋の隙間から、火を投入。
その途端、物凄い勢いで、火の粉が上がる。
鉄の蓋で完全に蓋をしたのだけれど、火の勢いで蓋が浮び上がる。
発熱反応だから、反応が完了するまで、この熱は治らない。
テルミット反応と呼ばれるものだ。
助手さん達とカイロスさんは、目を剥いて驚いている。
今日は、カイロスさんはこちらに来ている。いつもはアイルの方に居ることが多いのだが、今、アイルは絶賛工作中だ。
それも、同じものを繰り返し作っている。
たぶん、アイルのところが退屈でこっちに来ているんだろう。
「あっ。あまりこの反応しているところを凝視めないで下さいね。ヘリオを直接見るのと同じで、目を痛めますから。」
そう伝えると、皆、反応しているところから、顔を逸らす。
「ニケさん。これは、一体なんなんですか?
燃えるようなものは有りませんでしたよね。」
とカイロスさんが聞いてきた。
そう言えば、鉄粉の時に説明したんだけど、カイロスさんが納得してなかった事を思い出した。
今回は、アルミニウムの粉と、鉱石の粉だから、金属と石で、燃えるようには思えなかったかな。
「以前、カイロスさんに、金属の粉は燃えると危いと伝えたことがありましたよね。」
そう言われて、カイロスさんは、考え込んでいる。
「あっ。鉄の時に、金属の粉は危い。燃えることがあるって、ニケさんが言っていた事ですか?」
「そのとおりです。今回は、アルミニウムの粉末が燃えているんです。
この反応で発生する温度はとても高くて、2000℃を越えて、3000℃に達することもあります。」
今回は、量が多くなかったので、反応はそれほど時間が掛らず終了した。それを一気に魔法で冷やす。
やっぱり、耐熱レンガも保たないね。鎔けてるよ。
助手さんたちに、内容物を取り出してもらった。
下部に金属が固まっている。上部は、鎔けたアルミナだな。
それを研究室まで運んでもらう。
「さて、今回の実験は、何が起こったのか説明してみてください。」
助手さん達に問い掛ける。
助手さん達は、皆で議論して、起こったことを纏めていく。
なかなか優秀になってきたな。
ジオニギさんが代表して、想定される事を説明した。
「えっと、アルミニウムの粉が燃えて、酸化アルミニウムに変化しています。
アルミニウムが燃えるのには、酸素が必要です。鉱石の中で、金属と結びついていた酸素が使われたんだと思います。
酸素を失なった重い金属が鎔けて底に溜っているんじゃないでしょうか。」
「正解です。筋道立てて上手く説明できましたね。
この現象は、テルミット反応と言います。
アルミニウムが酸化する時に、周辺の酸化物を還元しているんです。」
そう言うと、ジオニギさんや他の助手さんが嬉しそうにしている。
カイロスさんは、しきりに頷いている。
その後、化学式を黒板に記述する。
この反応は、イオン化傾向度が大きい金属が、小さい金属を還元することができる。さらに、極めて高い温度が発生することで、反応が生じやすい。
アルミニウムはイオン化傾向が高い金属なので、一般の遷移金属を還元させることができる。
そういった事を説明する。
ギウゼさんが、「そうすると、鉱石から金属を取り出せるんですか?」
と聞いてきた。
「そう。その通りです。だから金属アルミニウムを作るんです。」
今度は、助手さん達の反応が良い。
ボーキサイトは、ボロスさんに頼んで入手済みだ。
アルミニウムを得るための手順は、2段階だ。
まず、ボーキサイトから高純度のアルミナを得る。
次に、高純度アルミナを鎔融させて電気分解する。
第一段階は、バイヤー法と呼ばれる方法。高濃度の水酸化ナトリウムを使う以外は、それほど問題は無い。
ボーキサイトを高濃度の水酸化ナトリウムに溶かして、濾過した後、水を加えて溶け出したアルミニウムを水酸化アルミニウムにする。
それを焼成すれば酸化アルミニウムになる。
第二段階は、ホール・エルー法として知られている。鎔融アルミナを電気分解する。
その時に、ちょっと特殊な六弗化アルミン酸ナトリウムが必要になる。氷晶石として知られている鉱物だ。
氷晶石をアルミナに加えると、劇的に融点が下がる。
2000℃以上にならないと鎔けないアルミナが、氷晶石を混ぜることで、1000℃で鎔ける。
この効果はデカい。
この第二段階の方法が一般的になったのは、西暦1900年の少し前。
これで、ようやく人類は、アルミニウムを大量に使う時代になった。
それまで、アルミニウムを作る方法は有ったけど、ものすごく手間と金が掛った。その頃のアルミニウムは、金の何倍も高かった。
大富豪の一族が没落しそうになったときに、ご先祖様が、後世のためにと残してくれた大金庫を開けてみた。中には、大量のアルミニウムのインゴットがあった。
そんな、ジョークみたいな話があったりする。
本当の話なのかどうかは知らないけれど、生産方法が変わって、ものすごく価値が変わった金属なんだよね。
それで、氷晶石なんだけど、氷晶石を使った反応が一般的になった頃に、第二次世界大戦があった。
日本は苦労したんだと思う。資源が無い国だから。
まあ、それで中国や南太平洋に進出したんだろうけど。
戦時中は、アルミニウムが大量に欲しかった。なにしろ軽い金属だ。当時はアルミニウム合金が空を飛んでいたようなものだ。……ん。今でもそうか……。軽い戦闘機は性能が良い。
ところが、日本は氷晶石を、輸入できなくなっていた。
地球でも取れる場所は、北欧のどこかだけだった。
その当時の化学者達は、氷晶石の有無が、国の死活問題になったため、氷晶石を合成する方法を開発した。
人工氷晶石を蛍石から作る方法は、色々あるけど、ほとんどの合成方法は、弗化水素が出るんだよね。
弗化水素は、ものすごく危険だ。なにしろ殆どの物と反応する。ガラスも腐食する。当然人間には猛毒だ。
反応しない、主なものは、白金や炭素。
この世界だったら、ダイヤモンドで反応容器を作ればコストフリーなんだけど、万が一漏れたりしたら大災害だ。
氷晶石は、珍しい鉱物だけあって、この領地にも無かった。蛍石は沢山あるんだけどね。
そんな訳で、弗化水素を発生させないで、蛍石から氷晶石を合成する。
これは、戦争中に考案されたものだけど、中々良い方法だ。
・蛍石とシリカを希硫酸中で反応させて、六弗化珪酸と石膏に変化させる。
・石膏を取り除いた六弗化珪酸が溶けている水溶液に硫酸ナトリウムを加えて、六弗化珪酸ナトリウムを作る。
・六弗化ナトリウムに炭酸ナトリウムを加えて加熱することで、弗化ナトリウムと炭酸水素ナトリウムを得る。
・弗化ナトリウムに、アルミン酸ナトリウムを加えることで、氷晶石が得られる。
この反応中、弗化水素は発生しない。普通の反応容器を使える。水溶液反応で、50℃程度の温度で反応が進む。
ビーカーテストをして、高純度アルミナと氷晶石を作ってみる。
必要な反応条件を確認していく。
特に、高純度アルミナを作る際に使用する、高濃度の水酸化ナトリウムは非常に危険なので、その危険性や安全に操作する手順も確認する。
最後に、製造した、アルミナと氷晶石を使って、電気分解を実施してみる。
電極は、炭素棒を使用する。
この時、一酸化炭素や炭酸ガス、そして弗化水素が発生する。弗化水素は危険なので、発生したガスを炭酸ナトリウム水溶液に導入して弗化ナトリウムにする。
これは、新たな氷晶石の原料になる。
次は、製造する場所だ。
アルミニウムは、電気の缶詰と呼ばれる程、生産には電力を大量に消費する。
アイルが、パワーグリッドを構築したので、場所はどこでやっても良い。近くで発電装置が稼動しているコンビナートに工場を作ることにした。
アイルは、様々なモノを作っていてかなり忙しそうだった。ストーブや、騎士さんの靴や装備に使うジッパー。砦に使う空調装置まで作っていた。
ダイヤモンドLEDを多量に作るためと言って、私のところから、様々なエレメントや、量子ドット用の材料を持っていった。
砦やその周辺の照明に使うらしい。
代りに、時間を無理矢理作らせて、コンビナートにアルミニウムの精錬工場を作ってもらった。
いっしょに、他の鉱物の精錬をするための作業をする工場も作った。
これで、ようやくクロムが精錬できるようになった。
クロムは、クロム鉄鋼を還元して、クロムを多く含有する鉄を作った。
フェロクロムと言う。
これを鎔融している鉄に溶かすことで、ステンレス鋼が作れる。
これで、領地で、ステンレス鋼が作れるようになったよ。
ガゼルさん始め、鍛冶師の人たちに、焼入れの方法などを教えた。
ガゼルさんは、剣を作りたがったけれど、その他に、キッチン用品、カトラリーなどを作ってもらおう。
カトラリーが一般的になったら、熱々の料理を皆が食べるようになるかな。
アルミの精錬のために、コンビナートの発電量は倍に増やした。
人工も増えているので、マリムダムの発電量も大幅に増やすことになった。
マリムダムへは、アウドおじさんが不在なので、お父さんが付いてきた。
純粋に魔法の補助が必要なので、私も行くことになった。
前回、私がマリムダムに行ったときは、ウィリッテさんも一緒だったな。
今、ウィリッテさんは、どうしているんだろう。少し感傷的になってしまった。




