91.寒冷地対策
いやぁ。領都マリムは、5日ぶりだよ。
やっぱりこっちの方が、気温が高いね。
石炭運搬船は、揺れが少なくて快適だったな。
天気も良かったし。
埠頭に接岸するために、ここでも、また、小型の船が運搬船を押してる。
完全にタグボートだな。
お父さんには、マリムに着いたら、大量にコークスを作って欲しいと言われている。
生産体制は、どうなってるんだ?
助手さん達に任せているので、私は、詳細を知らない。
埠頭に降り立ったときに、助手さん達に迎えられた。
昨日、無線で連絡しておいたから、迎えに来てくれたんだ。
大量の瀝青炭を運んできたのは良いが、どうしたら良いのか分らない。
迎えに来てくれた助手さん達にの中に、ボルジアさんが居たので、コークス工場の運営方針がどうなったのかを聞く。
こちらのコンビナートは、コラドエ工房が運営することに決まり、もう、既に工場の立ち上げ作業を開始しているそうだ。
ボルジアさんの後ろに、長身で細身のシブオジさんがいた。
「はじめまして、ニケ様。私、ヤシネ・コラドエと申します。コラドエ工房の工房長を勤めております。」
挨拶をされてしまった。
「あっ。どうも。はじめまして。ニーケー・グラナラです。いろいろお世話になっています。」
それから、解熱剤のこと、コンビナートの精錬工場のことなどを簡単に報告を受けた。なかなかデキる人っぽいな。
それで、ボルジアさんが勧めてくれたんだな。
「父のソド・グラナラから、至急、コークスのフル生産をするように言われています。よろしくお願いします。
それで、今回運搬してきた瀝青炭は、どこに荷下しすれば良いでしょう?」
既に、原料ヤードや製品ヤードなど必要な区割りはできていた。私は工場を作って試験生産するところまでは見ていた。けれど、実際の工場の運営については知らなかった。ただ、見るかぎりでは、従業員も効率的に働いているみたいだ。
原料ヤードの面積を聞いたところ、十分な広さがあったので、アイルに頼んで、運搬船から、全ての瀝青炭を魔法で一気に移動してもらった。
コラドエさんとボルジアさんは、目を見開いて驚いていた。この二人だけ、アイルの魔法に免疫が無かったね。
私達は、領主館に戻る。コラドエさんとは、工場で別れた。これからフル生産に向けて、指揮してもらわないとならないからね。
乗ってきた石炭運搬船は、これからミネアに入植する人と、必要な食料品や機材を積んでミネアに戻る。
既に、グルムおじさんが、ミネア入植者を募集していた。領都にある主だった工房は第二工房をミネアに作るらしい。商店も同様だ。
そして、ミネアで、瀝青炭を積み込んでマリムに戻る。
領主館に戻ったところで、お約束のトンデモ素材を作りまくった。大分慣れてきたよ。頭痛がするのは仕方が無い。二日で終らせた。
いやー。頑張った。自分を褒めてやりたい。
草臥れ果てている姿が目に入ったのか、厨房の侍女さんが、クッキーとか、ケーキとかを沢山作ってくれた。
あー。甘いものが体と頭に沁みる……。
どうやら、行く前に、アイルは、ボロスさんに、希土類などの必要なエレメントの鉱石の確保を頼んでいた。
謀られた……。
トンデモ素材の生産が終ったところで、グルムおじさんとお父さんに呼ばれた。
アウドおじさんの執務室だった。
アウドおじさんが、ミネアまでの街道を作っている間、グルムおじさんが領主代行を務める。
「それで、二人には、大事な依頼をしたい。」とお父さんが何時に無く真面目な顔で言ってきた。
話を聞いてみると、北方の国境には、冬の間も騎士さんや文官さんが駐留する。
その人たちが凍傷にならないようにする装備を作って欲しいということだった。
そうか。冬の間も、ノルドル王国が越境してこないか監視し続けるんだ。
大変だなぁ。
冬に、攻め込まれた場合には、その装備で戦闘しなきゃならない。
剣を振ることができて、防寒できる装備が必要だと言われた。
なるほど。なるほど。
しかし、お父さん凍傷なんていう日本語をどこで覚えたんだ?
あっ。アイルが教えたのか。
しかし……。
私に情報が無いのはなんでだろう。
まあ、いいや。後で、追求しよう。
ようするに、寒冷地で激しく動き回れる格好が必要ってことだ。
ん。スキーウェアで良いんじゃない。これ。
『ねぇ。アイル。これって、スキーウェアで良いよね?』
『えっ。スキーウェア?ああ、スキーをするときに着る服か。
良いかも、って言うより、それが最適だな。
オレは、毛皮のコートとか考えてたんだけど、剣を振るには、そっちの方が良いな。』
『で……何で……最近……私に……情報が来ないの?
なんか、色々知るのが事後なんだけど。
アイルは、知ってたんだよね?』
『いや……。それは、ソドおじさんから止められていて……。』
『お父さんが、何故、止めるのよ。』
『どうやら、ノルドル王国とは、戦争になるみたいなんだ。
戦争の事は、娘のニケには伝えたくないって言われてたんだよな。
オレも、ニケは危ないから、伝えない方が良いって思ったんだけど。
ゴメン。』
『何が危ないのよ。意味が解らないわ。』
『いや。戦争になるとなったら、いろいろ危いものを作るんじゃないかと思って……。』
『はぁ?私が何を作るってのよ。』
『いや、戦争になったら、あれこれ危険物を作るんじゃないかと思って。
この世界には、火薬なんかは無いじゃない。あと毒ガスとか、焼夷弾とか……』
『そんなもの作らないわよ。作っても将来の幸せな世界が見えないわ。』
『でも、アトラス領軍が壊滅しそうな事になったら、どうなるか分らないじゃないか。』
『そ。それは……。それは、その時に考えるわよ。でも将来が不幸になりそうなもの作ったりしないわ。
第一、その事と、私が知らない……』
グルムおじさんの咳払いの音が聞こえた。
「あの。アイル様、ニケ様、そろそろ宜しいでしょうか……。」
話が過熱して、グルムおじさんとお父さんの事を忘れていた……。
それから、私とアイルは、最適なものがあることを伝えた。
その衣装を作るために、リリスさんを呼んでもらうようにグルムおじさんにお願いした。
そして、お父さんには、戦争の事を私に隠し続けるなら、一切、協力しないと言ってやった。
お父さんは、ずぶ濡れになった子犬みたいな顔になったが、知らん。
私を何だと思ってるんだ。
それから、直ぐにリリスさんがやってきた。宰相様の呼び出しだものね。大急ぎで来るよな。
リリスさんへの説明は、グルムさんとお父さんがしてくれた。
話を聞いたリリスさんは、新しい衣装のことだと知って、目を輝かせていた。
ただ、数量と納期が尋常じゃなかった。約4000着、10月までだって。
今が8月だからね。大丈夫なんだろうか?
「ウチの総力を上げて作らせてもらいます。」
と意気込んでいたけど……。何を作るのかが問題だよね。
この世界の衣装とは、隔絶している。
「詳細は、この二人と相談してくれ。」とお父さん。丸投げだよ。
とにかく時間が無い。
話は、リリスさんの店で行うことになった。
布地とかを選定しないとならないのに、一々領主館に持ってきてもらうのは非効率だ。
グルムおじさんと、衣装担当の文官さんとリリスさんと一緒に、馬車に乗って、リリスさんの店に向う。
『寒冷地のウェアを作るんだったら、ファスナーが要るわよね。』
『えっ。ファスナー?ああ、ジッパーの事か。そうだなジッパーが有ると寒気が入り込まないから良いな。』
『ん。ジッパー?正式な名前はファスナーでしょ。ジッパーって閉めるときの音からそう呼ばれるようになったって聞いたことがあるわ。』
『えっ。そうなのか?オレは、ずっとジッパーって呼んでたけど。』
『まあ、どうせ、この世界の言葉じゃないからどうでも良いけど。それで、アイルは、ファスナーだかジッパーだかを作れる?』
『何時も使ってはいたけど……。あまり構造を知らないな……。直ぐに作るのはムリだな。いろいろ確認しないとダメだな。』
『あと、ミシンね。』
『えっ。ミシンって、縫い物をするのに使うやつか?
それは、全然構造を知らないぞ。』
『アイルは使ったことも無いんでしょ。
大体の構造は私が知っているわ。でも、これも色々検討が必要かも。
でも、ミシンがあれば、かなりスピードアップできると思うわ。』
『でも、この世界の人が使い熟せるんだろうか……。』
『それは分らないけど、やるだけやってみてダメだったら諦めるしか無いわね。
で、これでも、私が戦争の事を知らない方が良いと思うの?』
『いや、それは……。さっき謝ったじゃないか。』
『全然足らないわよ。』
『本当にゴメン。悪かった。』
ふふふ。仕返しをしてやった。
リリスさんの店に着いたので、早速布地選びだ。
できれば、毛を編んだ布が欲しいところだ。
寒冷地では、綿より毛の方が良い。
吸水性や速乾性が綿などのセルロース主体の繊維に比べて優れているのだ。
山登りをするときには、綿の衣服は毛に比べて、体温を奪いやすい。
残念な事に、温暖な地のマリムでは毛の織物は少なかった。
ガラリア王国の北の方では、毛の織物が大量にあるというので、至急取り寄せてもらうことにした。
間に合わせるとリリスさんが確約してくれる。
ただね。やっぱりミシンが必要になりそうだよ。
その後は、防寒のための衣装について、説明をしていく。
イメージはスキーウェアだ。
三重構造にして、その間に毛を詰めていくことや、動きを阻害しないように、筒袖の上着に、オーバーオールのパンツ。そして、手袋と靴下。
靴は、ゴムで作るのが良さそうなので、リリスさんの範疇から外れる。
それにしても、縫う場所が多いよな……。
あとは、着易いように、ファスナーが必要だな。
布素材が決まったので、リリスさんのところの服飾工房に移動した。
店舗と違って、工房は、路地を入ったところにあった。
そんな場所をリリスさんは、何箇所も持っているらしい。
その中で、最も腕の良い職人さんが居るとリリスさんが請け合った場所だった。
あまり馴染の無い衣装なので、職人さんに、何度も確認しながら説明をした。
付いてきてくれた騎士さんの中で、体格が良い人を選んで、試作してもらうことにした。
騎士さんの体の寸法を測ってもらった。
縫い上げるのに時間が掛るので、来週、この工房で出来具合を確認することにした。
ファスナーを縫い付ける場所は、とりあえずそのままにしてもらっておく。
さて、帰ったら、速攻でミシンとファスナーを開発しないと。