89.大浴場
「海浜公園と大浴場を作りましょう。」
「ニケは、何を言っているんだ?
今は、被災した人たちへの住居を作るのが優先じゃないのか?」
とアウドおじさんが言う。
まあ、そうなんだけど……。
住居だけだったら、今も移民の人が沢山やってくるので、住居そのものの空きはあるはずだ。
この世界の人たちは、基本真面目だ。
真面目というか、生活に追われていて、余裕が無い。というより、無かった。
今は、職もあるし、小金持ちの人たちも居る。
マリムの街は、居住空間と、仕事場しかない。
もともと零細領地の領都だったんだから、あまり職業に係わらないものが有るはずもない。
領主館の中には、庭がある。けれども、街の中には、公園もない。
今は、まだ幼ない子供が大半だが、子供人口が爆発しつつある。
沢山の子供達が遊ぶ場所がない。
このまま、子供達が歩き回ったり、駆け回ったりする年齢になったら、街中は、そんな子供で溢れてしまう。
各ブロックに、給水塔のための空間があるけれど、そんなところで子供達が遊ぶようになったら、絶対に給水塔に攀じ登るだろう。
いろいろ問題が有りすぎだ。
とにかく、そんな子供達を収容できる空間が無い。
そして、今回被災した場所を、被災前の状態に再建して住居を建てると、また被災するかもしれない。
「海浜公園と大浴場を作るのは、メリットがあります。
一つは、衛生概念の普及です。
二つ目は、石炭の利用です。
そして、子供を持っている家族の遊び場です。」
日本には、温泉リゾートなるものが有った。温泉じゃなくても大浴場でそんな施設もあった。
そんなものが出来たら、家族連れで賑うんじゃないかな。
公園には、屋台が沢山出ていれば、お風呂に入って、屋台でご飯を食べてなんてことも出来る。
電灯があるから、夜も、子供達が寝る時間まで公園で遊べば良いし。
執務室に居た人達は、なんか納得していないみたいなので説明をする。
まず、今回被災した地域は、また被災地になる可能性があるということを伝えた。
そして、衛生概念について説明をした。
上下水道を整備したことで、赤ん坊の死亡率が劇的に下がった。
乳幼児の生存率を上げているのは、衛生環境の劇的な変化だと説明する。
これは、何度も説明したら、理解してもらえている。
そして、領主館や貴族の家ではあたりまえだけど、領民には入浴の習慣は、まだ無い。
大体は、水で体を拭くだけだ。
最近はシャワーを使う人も居るみたいだけど、流石にお湯は出ない。
冬の寒い時期には、体を拭くことも戸惑うかもしれない。
常に体を清潔に保つことは、特に、乳幼児と接する機会が多い、若い父母には必要な事だ。
それによって、乳幼児が感染症で苦しむ機会が減る。
そして、石炭だ。
燃やすと、煙と有毒ガスが出る瀝青炭から、比較的無害なコークスを作る工場を建設した。ただ、常にある程度は生産していかないと、効率が極めて悪い。
工場を止めると、再開の為に、時間も掛れば無駄な消費も増える。
コストを考えると、電力は、もともと只みたいなものだ。
ただ、工場を運営するには、原料の搬入や工場の運転には人手が掛るので、コスト対応は大切だ。
そのために、ベースとして大浴場の燃料という消費場所があるのは有り難い。
一方で、コークスの利用を無条件で広めると、木炭と競合してしまう。
今は、木炭の生産が、領地のセイフティネットの一翼を担っている。
そういう意味で、コークスの利用分野には制限を掛けたい。
色々説明したのだが、遊び場の意義が一番理解されない。
今の人口の比率を同席している領民台帳の担当者に聞いた。
2歳までの幼児は、領都の人口の1/4と言っていた。
このまま増加してくと、2年後には、1/3が5歳以下の子供が占めることになるという報告が上った。
これには、アウドおじさん達、上役三人も驚いていた。
そう。このままだと、領都は、子供たちで溢れ返ってしまう。
子供達が安全に遊べる空間が必要だ。
今回被災した、海に近い領域は、かなり広いので、これまで作ることが無かった公園を作る。その上で、街のあちこちにも公園を作ることを勧めた。
そして、幼ない子供達を見守る仕事をする人を増やさないと、至る所で、子供が事故を起しかねないことも伝えた。
多分、これまでの領都の歴史の中で、全く経験したことのない事象が発生する。
この事象自体は、喜ばしいことだ。あと5年か10年すると、若い働き手が、アトラス領の産業を支えてくれるようになる。
ただ、それまでの間、対応を上手にしていかないとならない。
概ね、私の意見は了承された。
ただ、領都の建築を担当している文官の人は頭を抱えていたけど。
公園を作るのなんて考えたことが無いんだろうね。
公園造りには、セアンさんが、顧問として適任だと推薦しておいたよ。
被災した人たちは、移住してくる人たちの為に建築してあった住居に移ってもらった。
大浴場は、巨大な浴場と、お湯で遊べる空間を作った。
思っていたとおり、設計が終ったら、2日で完成した。
日本の南東北にある、常磐なんたらセンターを真似た。
巨大なボイラーで水をコークスでお湯にする設備を作った。
これで、大浴場の開業に伴ない、海沿いのコンビナートは稼動することが決まった。
大浴場に水を供給して排水を処理するために、上下水施設も増設した。
お湯で遊べる空間のために、水着が必要になったので、リリスさんに、生産してもらうようにお願いした。
当面は、水着は貸し出しにした。
海浜公園は、セアンさんが引き受けてくれたので、出来上がりが楽しみだ。
大浴場を開業する前に、解決しておかなきゃならない事がある。それは、瀝青炭の運搬方法だ。
これは、颱風騒ぎが起きる前に、どうするかを話し合っていたんだけど、話し合い途中のままになっている。
鉱床は、アトラス領の北の方にある。
陸送で運搬するのは、時間も人手もバカにならない。
アイルは、巨大なタンカーを作る気、満々だ。
ほんの少し前まで、古代青銅器文明の世界だったんだけど……今さらだよなぁ。
ただ、船を造れば解決という訳にはいかない。
鉱山の開発や、積み出しの港も必要だ。
安全に船を運航するためには海図が必要だ。
まあ、これまでの経験から、港はあっという間に出来ちゃうんだろうけど……。
ただでさえ、いいかげんな陸上地図しかない世界に、海図なんかある訳がない。
特に、この世界では、大陸の南は、早い海流が東から西に向っているために、アイルが作ろうとしているような大型船は無い。
沿岸を帆掛け船が行き来しているだけ。あとは近海の漁船だけだ。
「それで、アイルが考えている船であれば、大量の騎士達を一度に運べるのか?」
とアウドおじさんが、アイルに聞いた。
そうだよね。北の国境で睨み合いしているのが、最重要課題だね。
石炭の運搬だけに使うものじゃない。
「ええ。それは可能です。ただ、アトラス領北部の海岸が凍り付いていなければの話ですが。」
「ふーむ。これまで、北部は碌に作物が育たない場所だったからな。ほったらかしだったのだ。そのために海岸がどうであるかの情報も無いと思うのだが……。グルム、古い記録があったりはしないか?」
「拝領したときに、領地を調べた記録があったと思いますが……冬季に探索はしていないと思います。」
「そうだな。冬には、北部は物凄く寒くなる。古い記録に期待するのは無理が有るな。」
「要所要所に騎士を派遣して、調べさせる他ないでしょう。」とお父さん。
「そう言えば、東の海の海流は北向きに流れているんでしたっけ。」
「そうだ。北向きに流れている。だから、国境へ船で行くのは比較的容易だ。
ただし、帰りは、海流に逆らうことになるので、少し大変だが。」
そうなのか。すると、地球のヨーロッパみたいに、緯度が高くても少しは温暖なのかもしれないな……。
まあ、調査してからだね。
まずは、調査のための人員と移送用に、多数の小型の船を造ることになった。
小型の船をあちこちに派遣して、海図を作りつつ、海岸の気象観測や、小型船に積めるだけだが、石炭の輸送もすることになった。




