エッセイって、何だっけ?
エッセイって、何だっけ?
こうやってうだうだ連ねている文字列は、果たしてエッセイにカテゴライズされるのだろうか?
小説なり何なり、こうやって文章を連ねてると常々悩まされるもの。
そう、語義。
例えば“恋愛小説”を書こうとする。すると、まず“恋愛”とはどういう状態なのか。そもそも“小説”とは何なのか。そんなことが気になってしまって、書けなくなることが往々にある。大概はちょっと調べて、納得するようにしている。まぁ無理なんだが。
例えば“恋愛”を軽く調べてみると“男女が恋慕うこと、また、その感情”と出てきた。そうすると、じゃあ恋とは何ぞや。男女とは人間限定のものなのか。などなど、またもや疑問が生まれ、どツボにハマっていく。
もがけばもがくほど沈んでいく、まるで底なし沼である。
そんな調子だから、今書いているものが一体何なのか、いつだって分からなくなる。
最近よく書く様になった“エッセイ”もそうだ。
書いていて、気になってしまった。もう調べるしかない。
とりあえず、辞書を引く。“エッセイ”とは“形式にとらわれず、個人的観点から物事を論じた散文。また、意の赴くままに感想・見聞などを纏めた文章”と出てきた。なるほどこれなら、私が書いている文書もエッセイとして受け入れられるかもしれない。
次は、日記との違いを考えなければいけない。日々のことを連ねるなら、日記になってしまうのでは?
“日記”とは、“毎日の記録や感想などを書いた記録”らしい。おや、もしかしたら日記の方が語義的には近そうにも思えてきた。シンプルな語義故に難しい。
じゃあ日記とエッセイの違いを考えてみる。ゆるーく調べてみると、日記は自分だけが読むことを前提として、エッセイは人に読ませることを前提としている。故に、エッセイは読者を楽しませる工夫が必要だ、と出てきた。
これは困った。まぁ人に読んでもらってもいいかな、程度の感覚で書いてはいるものの、残念ながら小説ほどオチについて深く考えて書いていない。
掲載形式としてエッセイを掲げているのに、内容は日記に近い。これでは詐欺になってしまうのではと、ちょっと怖くなってきた。
これが私の日常なのだから、面倒極まりない。
もっと気楽に書けばいいのにと思われるかもしれない。しかし、自分で説明もできないものを得意げに扱っていると思われると、恥ずかしくなってしまう。パソコンの内部構造やどうやって動いているかを知らずに使い方だけを知っていて、それをパソコンに詳しいと言う、といった風に。
だから、エッセイについても知っていないといけないような気がしてしまうのだ。「エッセイ書いてます」と言った時に「そもそもエッセイって何?」と聞かれて口籠るようなことは、避けたい。
まぁ、全ての物事を明確に定義可能だと考えること自体、傲慢だと考えることも出来る。世の中、曖昧な部分など沢山ある。というか、そんなことばかりだ。
人間1人にできることなどたかが知れてる。それなのに全てをきっちり理解しようなど考えるだけで烏滸がましい、かもしれない。
結局いつもの様に思考は小路袋に入り込み、そして私はエッセイなるものを書いていくのだろう。
それもまた、いいのかもしれない。