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第十二幕・第七話 若村長と北の森

 季節は盛夏を迎え、瘴気が掃われた空は、強い日差しに輝き、青く澄み渡っている。北の森はそんな日差しを遮って、心地よい涼しさに満ちていた。


 俺が初めてこの場所に来てから、ちょうど一年が経とうとしている。あの頃の鬱々とした空気からは、ずいぶん変わったな。


「みんな、ただいま!」

「おお! リヒター!」

「無事だったか!! ノア坊も元気そうじゃねえか!」

「うん!」


 『大地の遺跡』から難民キャンプがあった場所に行くと、フーバー侯爵領から一緒だった農夫たちが迎えてくれた。みんな元気そうでよかった。


 フィラルド様が言っていたように、難民キャンプは畳まれ、もうこの場所は水運の到着点、陸運との接続点としての機能しか残っていない。荷物の集積場所や、船の整備場所、馬車の発着場所などは広く整備されているが、人が住む場所や商店は減少していた。


「たいして不自由はしてねえよ。作ったもんは売れるし、セントリオンの行商さんも来てくれるし」

「農具が壊れても、リューズィーの村で直してもらえるしよ」


 リューズィーの村にはジェリドの部下が住んでくれているので、そこの鍛冶師に依頼しているそうだ。時々、セントリオン王国からも、物資を持った人が来るらしい。


 どういうところで暮らしたいかという問いにも、特に希望はなかった。しいて言えば、魔獣に襲われる心配がない、豊かな土地。それはたぶん、大抵の農夫の希望だ。


「まあ、俺たちゃ、サルヴィア様に救われた命だ。あの方の命令なら、どこにでも住むさ」

「いまはキャロルちゃんがいるが、領都にリューズィーの神殿を建てて移るって言うなら、俺たちも無理にここに残る理由はねぇしな」


 カイゼルのダンジョンも、近いうちに冒険者を受け入れることになっている。冒険者たちの拠点としてはリューズィーの村を充てることになるし、そうなると、やはりここは中継点以外の機能は必要ないだろう。食料の生産機能があるに越したことはないが、ここでやるよりも、森の外のミルバーグ村でやってもらった方が効率的だ。


「わかった。安全な、いい土地をまわしてもらうよ」

「ははっ、期待しているぜ」


 元気な農夫たちと別れると、俺は遺跡の傍に置いた最初の石碑で祈りを捧げたあと、リューズィーの村に向かった。


「まあ、リヒター様! おかえりなさいませ!」


 村の管理をしてくれているジェリドの部下たちに挨拶をしていると、女の子の明るい声が聞こえた。


「ただいま、キャロル。元気だった?」

「はい! リヒター様たちも、ご無事でなによりでございます。シャンディラ平定、おめでとうございます」

「ありがとう。スタンピードの原因になったダンジョンも攻略したから、ずっと安全になるよ」

「それは、ますます喜ばしいですね」


 キャロルは丁寧に膝を折って挨拶するが、動きやすさを重視した為か、貴族令嬢とは思えない、村娘のように簡素な服装をしている。

 この村で暮らし始めてから、キャロルもずいぶん元気になった。背も少し伸びて、やつれていた頬も健康的にふっくらしてきた。短く切ってしまっていた髪も、手入れをしながら少しずつ伸びているようだ。


「お嬢様の可愛さが、どんどん戻ってきているな」

「わたくしにはもう必要ないと言っているのですけれど、カロリーヌがどうしても譲りませんの」


 キャロルは不満げだが、彼女の後ろに控える三十歳くらいの女性は澄まし顔だ。カロリーヌさんは、やはりフライゼル侯爵家に仕えていた人で、キャロルの身の回りの世話をしてくれているらしい。


「これを、サルヴィア様から預かってきた。不自由があったら、すぐに言ってくれとさ」

「まあ……ありがとうございます」


 俺はサルヴィアから預かってきた手紙を、キャロルに渡した。


「これから、カイゼルのダンジョンに行くんだ。一緒に来てくれるか?」

「もちろん、お供させていただきますわ」


 俺、ガウリー、ノア、キャロルとカロリーヌさんの五人で、カイゼルのダンジョンに向かう。踏み固められた細い道を、ノアがぴょんぴょんと元気よく歩いていく。


「この森の中も、もう少し浄化していくから、これからは迷い込んだ冒険者と遭遇することがあるかもしれない」

「わかりました。……あ、そういえば」


 キャロルがこの辺りを行き来している冒険者に聞いた話では、いまだに旧国境の町ハルビスとの道が瘴気で塞がったままらしい。


「えっ、まだ? 神官も通り抜けてこないのか」

「そうみたいです。こちらからは、様子はわからないのですけれど。リルエルの町に住み始めた人も、少し不便がっているみたいです」

「そうか……」


 リルエルの町から少し行くと、ブランヴェリ公爵領とフーバー侯爵領との境目がある。その境目くらいまでは浄化してもいいと思うが、放っておいても瘴気は薄くなるし、サルヴィアの判断を仰がないまま勝手にはできないな。


「ハルビスの町と繋がれば、交易も多くなりそうだが……キャロルの身の安全がな」

「……本当に、実家と縁が切れたわたくしを狙っているのでしょうか」


 フーバー侯爵家がキャロルを狙っていることは伝えてある。俺は確信を持って頷いた。


「ああ。俺は以前、フーバー侯爵の領民だった。旨味があるとわかると、しつこくてな。厄介だ」

「……」


 キャロルを怖がらせたくはないが、やつらには絶対に渡せない。


「あの、リヒター様……少し、ご相談が」

「うん?」


 頬を染めたキャロルは、もじもじと下を向いてしまった。


 久しぶりに来たカイゼルのダンジョンは、なんと地面の裂け目から石造りの階段を備えた、ちゃんとした出入り口になっていた。


「おお、立派になったな。カイゼル、いるかー?」


 友達の家に入るくらいの気軽さで降りていくと、以前は感じなかったわずかな抵抗を通り過ぎた。『永冥のダンジョン』に入った時と似ているが、あの時よりもあっさりした感触だった。


(俺の感覚が鋭くなったのか、カイゼルのダンジョンがレベルアップしたからなのか)


 たぶん、両方だろう。

 一階は、以前と変わらない、明るい神殿エクステリアが広がっていた。


「カイゼル様、キャロルでございます。リヒター様たちも一緒ですわ!」

「オオッ! 久シブリデハナイカ!」

「かいじぇるー!」


 ぼよんぼよんと奥からやってきたカイゼル髭スライムに、ノアがわーいと駆け寄っていく。


「かいじぇる、だんじょんいっしょしよう!」

「オウ? 遊ブノカ?」

「ああ、少し違うんだ。ノア、先にお供えをしておいで。ガウリー、頼む」

「はっ」

「わかった!」


 サンダルを鳴らしながら走っていくノアを、ガウリーがゆっくりと追いかけていった。


「実は、原初の迷宮である『永冥のダンジョン』を支配下に置けたんだ。それで、カイゼルさえよければ、ここと『永冥のダンジョン』を繋げようと思うんだ。ダンジョンコアのプリマはちょっと変態だが、『永冥のダンジョン』がため込んでいる知識を、自由に受け取ることができる。どうだ?」

「エッ、イイノカ?」

「ああ、構わない。ダンジョンイーターに対抗する魔法も、カイゼルが使えるようになるはずだ。コアからプリマに接続して、転移魔方陣の設置場所を指定するだけでいい」

「ソレハアリガタイ。ワカッタ」


 必要な連絡事項を話し終わったタイミングで、ノアが駆け戻ってきた。


「たー、かいじぇる、おそなえした!」

「オウ、マタ色々吸収デキタナ。……ナンダ、コノ怪魚ノでーたハ?」


 シャンディラの王宮の堀にいた怪魚は、カイゼルにも謎の魚だったらしい。


「たー、あそんできていい?」

「いいぞ。ガウリー、一時間ほど付き合ってやってくれ。ちょっとキャロルと話をするから」

「かしこまりました。ノア殿、参りましょう」

「おー!」


 キュッキュッキュッキュッと元気に走っていくノアを、ガウリーが駆け足で追いかけていった。


「それで、相談って?」


 俺とキャロルが備え付けられたベンチに座ると、カロリーヌさんが少し離れた所に立った。


「……申し訳ありません。先に、この手紙を読んでもよろしいでしょうか?」

「もちろん」


 キャロルはサルヴィアの紋章が入った封蝋を割って、薄い上質紙に書かれた手紙を読んだ。読み終わり、頬を赤くして、ひとつ息をつく。


「……わたくしには、わたくしを家族のように大事にしてくださる方はいても、もう実家がありません。こういう事を、誰に相談すればいいのか、わからないのです」


 そしてキャロルは、サルヴィアから好意を寄せられていると告白した。


(ええええぇぇぇーーーーーっ!?!?!?!?)


 もちろん、俺は心の動揺を表に出さないよう、表情筋に過剰労働をさせた。頬が攣りそうだ。


(サルヴィアって、ろりこ……いや、体の年齢は、たしか三つか四つしか違わないからお似合いか)


 キャロルは来年十五歳で、この国では成人を迎える。実家のしがらみもないし、自由に恋愛結婚できるだろう。


「キャロルは、サルヴィアのこと、好きじゃない?」

「いいえ!」


 とんでもないと言いたげに、キャロルは顔を赤くして、ぶんぶんと首を横に振る。


「家族にも大神殿にも見捨てられ、疲れきって、ボロボロになっていた私に、閣下は寄り添ってくださいました。ずっと看病して、わたくしの怪我を治してくださいました。わたくしは……わたくしは……」


 心は決まっているのに、顔も目も赤くしたキャロルは、それを言い出せないようだ。


「何か問題?」

「わたくしは家名もない平民です。もう貴族ではありません!」


 いくら元男爵令嬢でも、いま平民が公爵夫人になる覚悟ができるかっていうと、ちょっとなぁ。


「いざとなれば、ジェリドの家に養子にしてもらえば? あそこ、侯爵家だし。ジェリドなら話付けてくれるだろうし」

「……実は、そのお話も、ジェリド様からされています。閣下は、わたくしの気持ちを優先してほしいと、言ってくださっているのですが……」


 真っ赤になったままのキャロルが、心底困ったと言いたげに、眉尻が下がっている。

 だよなー。ジェリドが参謀にいて、そこに頭回らないはずないもんな。サルヴィアも現代人っぽい言い方をしているけど、この場合、むしろ強引なくらいが、キャロルが安心するだろうに。


「あー、俺としては、素直にサルヴィア様に応えてあげて欲しいな。たぶん、これを逃したら、サルヴィア様も政略結婚待ったなしになるだろうし。好きな人同士でくっつくべきだと思うよ」


 キャロルが菫色の目を見開いたので、たぶん気が付いていなかったんだろう。広大な領地を平定して力を付けたサルヴィアを狙う、娘の父親は多そうだ。


「なぁ、カイゼルはどう思う? キャロルがサルヴィアと結婚すること」

「ハァ? 別ニ、良イノデハナイカ?」


 新たなお供え物を得て、ダンジョンの調整に忙しそうなカイゼルは、それでもキャロルの方にカイゼル髭を向けた。


「りゅーずぃーノ女神官ガ、有力者、ソレモ、好イタ相手ト結バレルナラ、りゅーずぃーモ祝福スルダロウ。ソレニさるう゛ぃあナラ、きゃろるノ気持チヲ重ンジコソスレ、ヤリタイ事ヲ邪魔シタリシナイダロウ」


 何でもない事のように言うと、カイゼルは再びダンジョンの調整に戻って静かになった。


「だ、そうだ。よかったな」

「……はい」


 耳まで赤くなった顔を両手で覆ったキャロルは、しばらく顔をあげられそうもなかった。


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