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第一幕・第六話 若村長と転生者

 いよいよ、旧ディアネスト王国との境を越え、俺たちは魔境へと足を踏み入れた。


「うーん? あんま変わらねえんじゃないか?」

「ひと気のない町だなぁ」


 俺たち農民組はきょろきょろしてみるが、そこは検問所を抜けたばかりのハルビスの町だった。

 つい先日までエルフィンターク軍が駐留していたため、ディアネスト王国民もずいぶん前から住んでいない。いまこの町にいるのは、ブランヴェリ公爵家に仕える者だけだそうだ。


「よし、ここから先はお前たちだけで行け」

「「「「「は?」」」」」


 ぽっかーんとなった俺たちをよそに、俺たちをここまで連れてきたフーバー侯爵家の兵士が、さっさと帰ろうとしている。


「ちょ、ちょっと待て!」

「なんで俺たちを置いて帰るんだ!?」

「新しい領地とやらまで連れて行くのが、あんた方の役目じゃないのか!?」


 明らかに職務放棄だろと農夫たちが詰め寄るが、それに対する兵隊長の答えは呆れたものだった。


「フーバー侯爵家の領地であるところのバルザル地方へは、ブランヴェリ公爵領を通過しなければならん。ブランヴェリ公爵領内の安全が確保できないうちに我々のような兵士が突出して問題になれば、責任を問われるのは公爵代行である」

「じゃあ、俺たちだって、安全が確保できてから連れてくればよかったじゃないか!」


 もっともなことだが、フーバー侯爵にしてみれば、王家に対して「領地に向かわせましたよ」というポーズが必要だったに違いない。俺たちは、徴兵されて戦死した領民と何も変わらない。もう死んでいるか、これから死ぬかの違いだけだ。


「貴様たちは、領地への道が開け次第、速やかに入植を果たせ。侯爵家への報告はそれからでよい」

「それからでよい、じゃねーんだよ! 勝手なことばっかり言いやがって!」

「いい加減にしろ!」


 手に持った鋤や鍬、鎌が兵士たちに向けられる。言い訳の為に捨て駒にされようとしているのを黙っていられないのはわかるが、相手は曲がりなりにも訓練を受けた兵士だ。


「よせ……!」

「何事だ!? 公爵代行閣下の御前である、双方退くがよい!」


 裏返った俺の声よりも、はるかに堂々とした太い声に振り向いてみると、きちんと鎧を身に着けた騎士と共に、扇で口元を隠したサルヴィア嬢がいた。


「賑やかですわね。でも、申し訳ないのですけれど、到着の宴には、まだちょっと早いですわ」


 一触即発の空気をあえて読まず、首を傾げたサルヴィア嬢が俺を見る。俺に説明しろってか。


「あー……その、フーバー侯爵は、この先は農夫だけで領地に向かえ、というご意向のようです」


 兵隊長に睨まれつつ正直に答えると、意外なことにサルヴィア嬢はぱあぁっと良い笑顔になった。それはもう、輝くような心からの良い笑顔だった。


「まあぁ! それはそれは、侯爵閣下にお礼を言わなくてはいけませんわ! 少々お待ちになって? いま侯爵にお手紙をしたためますわ!」


 サルヴィア嬢が侍女さんと一緒に指揮所らしき所に引っ込んでいる間、フーバー家の兵士たちが逃げないように取り囲んだブランヴェリ家の騎士たちの動きは、あきらかに練度というものを感じさせた。

 書状はすぐに出来たのか、いそいそと戻ってきたサルヴィア嬢は相変わらず可愛らしい良い笑顔で、侍女さんが筒状になった手紙を兵隊長に手渡した。


「フーバー侯爵家の領民の方々は、我がブランヴェリ家が責任をもって領地にお届けしますわ。まあ、それが一年先か十年先かはわかりませんけど。その間、領民の方々には、我が領土で働いていただきます」

「なっ……」

「別に、何もするなと命令されてもよろしいんですのよ。その時は、皆さんの分の生活費を、フーバー侯爵家に請求いたしますから。ええ、魔境での生活は、なにかと費用が掛かりますものねぇ」

「ッ!?」


 口をパクパクと開閉させるだけで何も言えない兵隊長を、サルヴィア嬢はにこにこにこにこと笑顔で見ている。


(うわぁ、この子下っ端兵隊長相手にあくどい。世知辛い。すごく頭いい)


 俺の顔も完全に引きつっていたが、兵士たちに鍬や鎌を向けていた農夫たちは、仕事道具を地面に放り出してサルヴィア嬢に平伏した。命を預け、忠誠を捧げるに足るのはどちらなのか、学のない農夫だってわかる。


「では、よろしくお願いいたしますわ。道中、お気をつけて~」


 サルヴィア嬢が笑っていない目のままでひらひらとハンカチを振ると、騎士たちがざざっと動いて包囲を解く。その先は、いま通ってきたばかりの検問所だ。


「……っ、行くぞ」

「「はっ」」


 フーバー家の兵士、総勢たったの三人だったが、サルヴィア嬢の前でついに馬から降りもせずに、背を向けて去っていった。


「いま、舌打ちしやがりましたわ。見まして? あいつ、わたくしにむかって舌打ちしやがりましたわよ。何様のつもりかしら。クッソムカつきますわぁ」

「落ち着いてくださいませ、お館様。そのようにはしたないお口で、兄上様方にご挨拶されるおつもりですか」


 扇で口元を隠したままのサルヴィア嬢と侍女さんの会話に、俺は失調感を覚えつつも、言わなければならない事を口に出した。


「ありがとうございます。俺たちを助けていただいて……なんとお礼を言えばいいか」

「構いませんわ。これで堂々とリヒターを使いまくれる上に、労働力確保、わたくしの評判がさらに爆上がり、フーバー侯爵の評判はさらに地の底へ。重畳ですわ」


(ホント、いい性格してるよなぁ)


 おほほほほ、と笑う姿に若干遠い目になったが、俺たちが助かったのは紛れもない事実だ。


「さあさあ、皆様、立ってくださいませ。明日は難民キャンプに向かいますから、今夜のうちにしっかり休んで、英気を養ってくださいまし」


 もはや拝み始めた農夫たちを立たせて騎士に任せると、サルヴィア嬢はにっこりと俺に微笑んだ。


「リヒターは、こちらへ」

「わかりました」


 俺はサルヴィア嬢に続いて、先ほど指揮所だと思った、頑丈そうな二階建ての建物に入った。

「わ……」


 そこでは騎士たちが荷物を抱え、慌ただしく行き来していた。まるで引っ越しのようだ。


「バタバタしていてごめんなさいね。こっちよ」

「はい」


 二階に上がって一室に通されると、簡素な応接セットが置いてあり、そこに座るよう勧められた。


「もしかして、ここを引き払うんですか?」

「ええ。リグラーダ辺境伯には、それはもう期待されておりますのよ」


 侍女さんが用意した紅茶に口をつけて、サルヴィア嬢はまたあの笑顔をする。


「丸投げされたんですね……」

「それだけなら、まだ可愛げがありましてよ。あの抜け目ないオジジ様は、この領地で出た利益を掠め取る気満々なんですもの。まったく、図々しいったらありませんわ。旧国境に当たる検問所も、こちら側から封鎖します」


 つまり、このハルビスの町を放棄して、リグラーダ辺境伯と袂を分かつという事か。エルフィンターク王国側からの、物資や人員を含む流通をブロックすることになるが、サルヴィア嬢にはそのデメリットを上回る施策があるのだろう。


「さて、邪魔者が自分から退散してくれたことですし、瘴気の浄化を試してみましょうか。うっすらとですが、この辺にも漂っていますから、違いは分かるでしょう」

「はい」


 俺は手持ちの荷物の中から、お祈り用の女神像を取り出した。ジェンの言っていた、瘴気はマナが負に偏ったせいという説が本当なら、それを中和ないし反対側に傾くように働きかければいい。


「……カタルシス!」


 ずるっと胸の内から力が抜けていくと同時に、いままで感じたことのない重く固いものが侵入してきて、俺は思わず女神像を握りしめたままテーブルに崩れかけた。息が、できない……!


「げはっ、はっ……、はぁっ、ぁ……ひゅっ」

「リヒター!」


 すぐに席を立って隣に来たサルヴィア嬢が背中をさすってくれるが、手や頭が冷えて、潰れたように胸が苦しい。


「かひゅっ、はっ、は……っ」

「しっかりして! ああ、もう……マナの代わりに瘴気を取り込んじゃったんだわ。まったくもう、貴方は空気清浄機じゃないのよ。これを飲んで。すぐに楽になるわ。大丈夫、落ち着いて」


 空気清浄機とは言いえて妙だ、なんて笑いたかったが、それどころじゃなく苦しい。差し出されたガラス製の小瓶の中身を飲み干す。


「んぐっ、にっがぁッ!!ぅおえっ、うぅ……っ」

「さすがに聖水並みの効果を出すのは難しいのよ。どうしても、味は二の次になってしまうの。ごめんあそばせ」


 テーブルに突っ伏して、脂汗を流しながらゼィゼィ言っている俺をよそに、サルヴィア嬢は侍女さんにてきぱきと指示を出している。誰かを呼ぶついでに、水を持ってきてくれるそうだ。


 一時的に、この応接室に、本当に二人きりになった。


「はぁ……なぁ、サルヴィア様。もしかして、前世の記憶でも持っているのか? それとも、空気清浄機なんて魔道具が存在しているのか?」

「それはこちらのセリフですわ、リヒター。自分の村からほとんど出たことのないような農民が、【鑑定】がアビリティだと理解しているなんて無理があるの。普通は見ることができない、自分自身のステータスが見えない限りね。それに、この世界では、魔力量を指してMPなんて言う概念は、一般的ではないのよ」


 なんてこった。ラベラの教会でバレていたらしい。

 飲ませてもらったのはよく効く薬だったらしく、苦みが通った胸の中が爽やかに軽くなっていくと同時に、俺は可笑しくてクツクツと肩を震わせた。


「まさか、生まれ変わった先の世界で、『ラヴィエンデ・ヒストリア』を語り合う相手がいるとは思わなかった」

「ラヴィ……なんですって?」

「『ラヴィエンデ・ヒストリア』だよ。ストラテジーゲーの……」


 俺が見上げた先で、サルヴィア嬢は目を真ん丸に見開いて固まって、扇で隠すことも忘れた唇がわなないている。


「知らないのか?」

「あ、あの……わたくしも貴方も、『フラワーロードを君と』の登場人物ですわ……よね?」


 なんだそれは。


「え?」

「えぇ……?」


 トレイを持った侍女さんが騎士を連れて戻ってくるまで、俺たちは二人そろって、首を傾げて固まっていた。


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