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第九幕・第三話 若村長の大きな不安

 俺たちは崩壊した交易都市ジャイプルを越え、一路王都シャンディラを目指している。


「はい、進みましょう」


 八百メートルごとに置き続けている石碑の浄化玉くんに魔力を込め、俺は先頭集団と一緒に歩みを進めた。俺のカタルシスは一発で何キロも先まで瘴気を浄化できるようになったが、保険としての浄化玉くんを置かないわけにはいかない。なにより、俺が怖い。


(もしも俺が倒れたら、この遠征隊全員が死ぬことになりかねない)


 ジャイプルで突撃したくせにと言われそうだが、あれはレノレノが味方になったことで勝算があったからやったし、世紀末アンデッドことアシという大物を釣ってしまったが、結果的にもあの方がよかったと思う。じっくり攻略していって、大勢の味方がジャイプルに広く入り込んだ状態でダンプウーズが暴れたら、絶対に助からなかった。


(逃げ道だけは、ちゃんと確保しないと)


 俺が浄化できない状態になったとしても、浄化玉くんが並んだ退路があれば、まだ逃げられる。最悪の場合、サルヴィアだけでも生きて帰せば、立て直すことができる。


「そんなに一人で気負われては、我々の甲斐性がありませんな。聖騎士殿が可哀そうですぞ」

「え?」


 不意に囁かれて、驚いて辺りを見回したが、そこには整然と並んだブランヴェリ公爵家の兵士たちが歩いているばかり。


(いまの声、ハワードさん?)


 きょろきょろ見回していると、列の先頭からちらりとこちらを振り向く影があった。


「あ……」


 でも、すぐに他の人の影に紛れて、見えなくなってしまった。


(き、緊張が顔に出ていたのか……恥ずかしいっ)


 顔を覆った手が、熱を伝えてくる。


 ハワードさんは、今回のシャンディラ遠征隊の騎士隊長だ。フィラルド様やサルヴィアの護衛をしているトマスさんよりも年上で、元々は先代ブランヴェリ公爵の護衛を務めた人らしい。

 ハルビスへの遠征の責任者がトマスさんだったのは、目的地が国境で、辺境伯や神殿騎士と話す可能性があったからだ。トマスさんは男爵家出身だけど、ハワードさんは平民出身らしい。先代公爵の実力主義が、こういうところでもよくうかがえるけど、平民に対応されるまわりの貴族は面白くない。だから、あの時はトマスさんが出て、今回はより経験豊富なハワードさんが出てきたわけだ。


(ハワードさんって、ちゃんと姿が見えている時は騎士だけど、普段が完全に忍者なんだよな)


 鎧を着ているのに音がしないし、全然気配を感じさせないから、いきなり声をかけられると毎回ビックリするんだ。


「リヒター様?」


 挙動不審になった俺を心配して覗きこんできた大柄な影に、俺は笑って手を振った。


「なんでもない。……もしも撤退戦になった時は、俺が殿になるだろ。頼りにしてるよ、ガウリー」

「はっ……」


 ガウリーが自分で望んだこととはいえ、俺の巻き添えにしたくはない。


(これからも、慎重にやっていかないとな)


 俺たちシャンディラ遠征隊は、主体はサルヴィアのブランヴェリ公爵家の騎士や後方支援の人だけど、全体人数の半分近くが冒険者だ。特に、アイアーラたち『赤き陣風』をはじめとするS級冒険者たちは、一騎当千の猛者揃いであり、下手な軍隊よりも場慣れしている。

 いまのところ、ほとんど魔獣と遭遇していないので暇そうに見えるが、行軍の足は速く、どこかそわそわしているように感じる。


「そりゃそうでしょ。普通、こんな魔境のど真ん中で落ち着いていられないよぉ」


 何度目かの野営で、『鋼色の月』の魔法使いヒロゥズと久しぶりに話したら、そんな風に笑われた。俺に基本的な魔法の扱い方を教えてくれた師であり、俺と大して変わらない年齢でもベテランの冒険者だ。


「まあ、見渡す限り荒涼としていて、心休まる風景じゃないけど……。そういう、落ち着く魔法も、何か考えるか」

「いや、この人なんかおかしいね? 初めて会った時から、ただの農民にしては、魔法に関してタフだと思っていたけど」


 俺を指差しながら言うヒロゥズに、ガウリーが無言で首肯する。おい。


「以前も申し上げたように、自分で考えた魔法を顕現させられる人は稀なのです」

「たとえ一系統でも、再現性のある新しい魔法を作り出せたら、上級魔法使い(ハイ・ウィザード)扱いだからねぇ」

「じゃあ、公爵代行閣下も、上級魔法使いクラスなのか」


 サルヴィアは、火魔法から火炎魔法と炎武魔法という上位魔法を派生させている。以前、リッチ相手に放った『ジャベリン』や『ハンマーフォール』などの、炎を武器の形に半物質化させたのが、炎武魔法だ。炎武魔法はこれまでに「できるかもしれないね」という程度の理想形はあったものの、実現させた者がおらず、実質サルヴィアのオリジナルと言っていいらしい。


「そうだけど、あの方の場合は薬師としての腕前も高いからねぇ。一部では魔女の称号が相応しいって言われているよぉ」


 そういえば、サルヴィアの天賦ギフトは【魔女の叡智】だったな。能力アビリティにも【魔女の大釜】ってあった気がする。


「公爵代行閣下も、規格外と言ってよろしいでしょう」

「大抵の人は、誰かに教えてもらいながら、自分の得意な系統の魔法を、魔術書からいくつかできれば上等なのよ?」

「うーん、俺に教えてくれる神官はいなかったしなぁ」

「「そういう問題ではありません(じゃないよ?)」」


 ハモるな。


「たぶんねぇ、リヒターって地力がすごいのよ。才能があるのもそうだけど、それを活かす土台がね」

「そうなのか?」

「魔法使いって、大部分が研究者か軍人か冒険者になるんだけど、実用レベルで魔法を使えるようになるまで……そう、生まれ育った環境がね、生温いことが多いの。年取ってくるにつれて、キビシイ環境に行く傾向が多いかなぁ。魔法で身を護れるようになるからね」


 ヒロゥズが見てきた範囲ではあるが、幼少から魔法の才能を発揮してきた人は、それが許され、才能を伸ばせる環境にいることが多いらしい。ヒロゥズ自身も、某国から流れてきた下級貴族出身らしいが、左目を縦断する傷痕が、その辺りを深く聞かない方がいいと俺に思わせた。

 才能がありながら学べる環境にない子は、自分の魔法で身を滅ぼしてしまうことが少なくないらしい。自分の力の制御ができないか、まわりの大人に利用されるか、という違いはあるものの、大人になるまで生きのびられないことが多いそうだ。資格年齢を満たして冒険者になったとしても、死と隣り合わせの環境であることに変わりはない。


「リヒターの場合は、自分が魔法を使えるって知らなかったことと、ずっと農民として働いてきたおかげで、魔法使いのわりに体力があること、この辺が、いまになって有利になっているんだよぉ」

「そういうものか」

「たぶんだけどねぇ。あとは、自我というか理性の強さだよね。魔法は道具、あるいは手段だとわかっている。だからこそ、色々な発想ができるんじゃないかな。神官としてはどうかわからないけど、魔法使いとしてはそれでいいと思うよぉ。ね、聖騎士さんも、そう思わないかなぁ?」

「ヒロゥズ殿のおっしゃるとおりだと思います。……剣に、力におぼれた者は、何人も見てまいりました。謙虚さがなければ、強くはなれません」


 ふむ……たしかに二人の言う通りかもな。


 自分が謙虚だとは思わないが、この力(魔法)が俺のすべてだなんて考えはない。俺はあくまで、一農民であることを望んでいるし、神聖魔法やその他大仰な天賦や能力は、俺の人生の添え物でしかない。まったく、はやく平穏に暮らしたいものだ。


「ところで、猟犬気取りのウェアラットが、ウロチョロするようになったねぇ?」


 声を潜めたヒロゥズに、俺とガウリーの視線が合う。


「やっぱり来たか」

「うん。例のお坊ちゃんたちと同じ、後発組に混じっていたみたいよぉ」


 ヒロゥズが教えてくれたのは、大神殿からの刺客のことだ。


 俺たちブランヴェリ公爵家の兵と、『鋼色の月』や『赤き陣風』といった身元のはっきりした上級冒険者たちが、先発組。俺たちの後から、街道沿いの警備などを請け負ってやってきた冒険者が後発組。先日のヨシュア少年たちも、この後発組だ。


「あの道化師や、行商人連れたナイスバディお姉さんが、公爵代行閣下の補佐官殿に報告しているみたいだし、リヒターたちもしっかり護られてはいるけれど、気をつけな。ああいうのは、どこにでも湧いてくるからさぁ」

「ありがとう」


 いいってことよ、と手振り、ヒロゥズは自分の仲間たちの所に戻っていった。


「……ガウリーが生きていることも、とうとう大神殿にバレたか」

「いまとなっては、そんなに不味いことでもありません。私を知っている者ならば、かえって手を出してはこないでしょう。それでも向かってくるならば、余程腕に自信のある暗殺者か、さもなければ神殿騎士に疎い者です」

「言われてみればそうか。ガウリー、すごく強いもんな」

「……ありがとうございます」


 お? なんだ、照れたか?


「んんっ。私が言いたいのは、目標がばらけることです。リヒター様、ジェリド殿、そして私。大神殿にとって、生きていて欲しくない人間が増えるほど、上層部の意思決定に、時間がかかるでしょう。そのぶん、襲撃者にも隙が増えます」


 なるほど。誰を優先して潰すか、全員を潰すにしろ、下手人の選定からその資金の調達にも、色々問題がある。


「そうか……。でも、それはそれで、なんか嫌だな。あっちもこっちも狙われるなんて」


 落ち着かなくて、なんだか体中がムズムズしてくる。


「しかし、我々が最も護りを厚くしなくてはならないのは、公爵代行閣下です。あの方が倒れてしまったら、我々をまとめる方がおりません」

「ああ、俺もそう思う。俺たちはブランヴェリ公爵家ではなく、サルヴィア様を中心に集まっている。彼が失われたら、俺も、メロディも、ジェリドも、冒険者たちも……たぶん、ブランヴェリ公爵家の中も、バラバラになってしまう」


 それだけは、避けなくてはならない。


「サルヴィアだけでも、無事に帰さなきゃいけないんだ」

「……それが、心配事でしたか」

「え?」


 俺が顔をあげると、少し困ったような表情をしたガウリーがいた。


「いえ、先日、浄化中にハワード殿がいらした時と、同じ顔をされていたので」

「えッ……」


 ヤバい。また顔に出ていたか……。


「俺、そんなに顔に出やすいかな」

「そんなことはありません」


 即答されたから気を使われたのかと思ったが、ガウリーの青い目はじっと俺を見詰めている。


「大きな戦いの前は、誰でも、不安になるものです。将として、責任を感じることも、最悪を想定することも、悪いことではありません。きっと、公爵代行閣下も、リヒター様と同じようなことを考えていらっしゃることでしょう。『リヒターさえ生きて帰せば、再戦することができる』と」

「あ……」


 サルヴィアなら、そんな風に考えるかもしれない。ブランヴェリ公爵家には、まだサルヴィアの上に二人のお兄さんがいる。たしか、次期ルトー公爵もサルヴィアのお兄さんのはずで、合わせれば三人残っていることになる。

 実際のところ、アンデッドに対して最大の攻撃力を持っているのが俺なんだ。浄化だけなら、メロディが作った浄化玉くんがあれば、ある程度の範囲を維持することができるだろう。だけど、シャンディラにいるビッグアンデッドを倒せる可能性は、俺にしかない。


 俺を見詰める青い目の縁が、ふわりと緩んだ。


「貴方も、公爵代行閣下も、一人ぼっちではありません。差し出がましいことではありますが、我々は、貴方がたよりも年上です。物理的なことだけではなく、不安な気持ちを打ち明けることも、頼るということです」

「……ありがとう、ガウリー」


 胸の中が顔と同じくらい熱くなって、手のひらに滲む暗い焦りが、少しだけ、どこかに行ってくれた。


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