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第七幕・第三話 若村長とフラワーロード

 とにかく、旧国境検問所が破られているのは確かなので、俺はフィラルド様の要請を受けて、ブランヴェリ家の騎士たちと一緒に、ハルビスの町まで行ってみることにした。


 街道はあの世紀末アンデッドがいる可能性があるので、最初に難民キャンプに来た小道を、逆にたどっていくことにした。一応、女神像を置いて浄化していくが、領外の勢力を見つけたら、すぐに撤去するつもりだ。


「おんましゃーん! たかーい!」

「よかったな、ノア」


 馬に乗れない俺は、資材を載せた荷馬車に乗せてもらったが、ノアは若い騎士の前に乗せてもらって、大興奮だ。


「すみません」

「いえいえ。疲れたら、リヒター様の所に行こうか」

「うん!」


 目をキラキラさせたノアと主人を乗せて、賢そうな目をした馬は大人しく歩いていく。


「うーん、俺も乗馬を習うべきか?」

「練習するとしても、きちんとした馬場でやってください」


 荷馬車の手綱を握ったガウリーに言われて、当たり前だとうなずく。初心者が凸凹した森の中で馬に乗れるか、俺が怖いわ。


 この小道は、南北路と違って国境近くを通っているせいか、来た時と同様に魔獣にもほとんど遭遇しなかった。木々の向こうに影は見えたが、こちらに向かってくることもない。


「リューズィーの村の周辺がおかしいって、よくわかるな」

「魔素が多いと、魔獣も引き寄せられるのでしょうか」

「どうなんだろうな」


 偉い学者先生なら知っていそうだが、俺たちにはわからない。なにしろ、うちには金鶏っていうオタカラ引き寄せ神獣もいるから、そういう学説があったとしても、参考にならないんじゃないかな。

 今回の遠征に、コッケ達は留守番だ。キャロルとジェリドの部下たちだけになってしまう村を、魔獣から護ってもらわないといけない。


 森の出口まで来ると、偵察が放たれて、とりあえず街道付近に怪しいものは見当たらないと戻ってきた。

 だけど、ハルビスの町に向かって街道を進み始めて、すぐに異様なほど瘴気がたまっていることに気が付いた。


「危ないな」


 俺はノアを荷馬車に戻させて、即応できるよう、あたりを警戒した。そして、その瘴気の原因は、吐き気のする臭いと共にわかった。


「うっわ……」


 血を吸い込んで黒くなった街道の上いっぱいに、おびただしいほどの臓腑が、うぞうぞびちびちと這いずっていた。ミミズのようにのたくる腸、飛び跳ねては胃酸を噴き上げる胃、あっちでは重そうな肝臓が膵臓を振り回し、こっちで転がっているのは腎臓か。それが、見える範囲、はるか数百メートルは先まで、互いに重なり合うように続いている。


「クリーピングエントローズ、ってやつかな」


 血生臭さに吐瀉物と発酵した排泄物の汚臭が混じった、最悪の空気だ。無理やり唾液を飲み込むが、鼻をつまんでいても、ゲロが出そうだ。


「…………」


 唇を引き結んで、ぐっと奥歯を噛みしめながら、この光景を見詰めているガウリーに、俺はかける言葉がない。この内臓の持ち主たちのなかには、ガウリーの顔見知りも含まれているかもしれないんだ。

 少なくとも数百人分の臓腑が蠢く光景は、さすがにブランヴェリ印の騎士たちでも気持ち悪いのか、顔色を悪くして隊列を離れる者が少なくない。馬から落ちる前に、離れて休んでもらった方がいい。


 這いずる臓腑はアンデッドではあるんだけれど、俺が使える神聖魔法では勝手がよくない。ひとつずつ潰していくには数が多すぎるし、範囲攻撃である『メメントモリ』では一体に対する攻撃力が高すぎて費用対効果が低いうえに、この大規模さでは焼け石に水。何が起きるかわからない状況で、ただでさえ高燃費な『メメントモリ』を連発するなんて無謀だ。


(サルヴィアがいれば、一瞬で全部燃やしてもらうんだけどなぁ)


 普通の火でちまちま焼いていたら、視覚的にも嗅覚的にも、モツ焼きが食べられなくなりそうだ。


「なあ、ノア。あの内臓を、一気に全部燃やすことって、できるか?」

「うーん……」


 ノアは悪臭を堪えるべく、可愛らしく鼻をつまんだままで、首を傾げる。あ、この顔は、「できるけどコントロールが難しい」って言いたいんだな。


「できるけど、いっぱい燃えちゃう?」

「うん」


 これは騎士のまとめ役と要相談だ。


「トマス卿」

「なんでしょうか」


 普段は難民キャンプでフィラルド様の護衛をしているトマスさんだが、今回の遠征の総指揮をとっている。


「ノアの魔法で一掃できそうなんですが、ちょっと燃え過ぎる可能性があります。どうしますか?」

「かまいません。助かりますので、やっていただきましょう」


 街道の両脇は草地で、片方は森に、片方は生い茂ったキビ畑に続いている。這いずる臓腑が溢れた場所を迂回するにしても、悪臭で鼻が利かなくなっているのに、足元に潜まれたら見つけにくい。しかも、これはかなり遠くまで続いている。馬での行軍は難しいだろう。

 街道の両脇も燃えやすいが、燃え広がってしまったら、リューズィーから貰った水流魔法でなんとかしよう。


「ノア、やってくれ」

「わかった!」


 騎士たちには、ノアの魔法に巻き込まれないよう、這いずる臓腑たちから距離を置くよう後退してもらい、俺とガウリーが、ノアの後ろに付いて前に出た。


 ノアが両手を上げて、俺には聞き取れない言葉を発した。


「■■■■■……!」


 ゴウッ、という音が、俺の耳に聞こえたかどうかわからない。目の前には、巨大な黒い炎の壁がそそり立ち、それがわずか十秒も満たないうちに、すぅっと消えた。


「……え、あぁ……」


 後に残ったのは……いや、()()()()()()()()

 這いずる臓腑はもちろん、街道も、その両脇の草地やキビ畑、森の端すらも。ただ剥き出しになった大地が、熱く焼けた砂なのか灰なのかを晒して、白っぽくなっているだけだ。……お空が広く見えるねえ。


「焼野原って言うか、なんていうか……砂漠化?」


 燃え過ぎ注意どころではなかったが……まあ、いいだろう。立ち上る熱気の向こう、遠くに町っぽいのが見えるので、蜃気楼でなければ、ハルビスの町だ。


「これでいーい?」

「ああ、十分だ。燃え広がって火事になってないし、上手だったぞ、ノア」

「えへへっ」


 褒められて照れくさかったのか、赤くなった頬を両手で挟むノアが可愛らしい。


「リヒター様……」

「さすがはノアだ。普通の人間に、ここまで大規模な魔法は無理だろ?」


 やや非難がましい目を向けてくるガウリーに、俺は落ち着けと手を振った。


「見ろよ、あの地獄の光景が、まっさらに、なにもなくなった」


 不快感を掻き立てられる、這いずる臓腑も、悪臭も、綺麗になくなった。残っているものと言えば、人間の感傷だけだ。


「破壊と、刷新」


 俺は長杖で先を指し、あらゆるものを押し流す鉄砲水をイメージした。砂漠で大雨が降ると、乾いて硬くなった大地が水を吸い込めないせいで、鉄砲水が起こるそうだ。


「マナ励起。魔力増強」


 普段は無意識に使っている特技スキルを、特に力を込めて発動させる。ノアの魔法に負かされては、効果が出ないだろう。俺は腹に力を込めて、叫んだ。


「水神リューズィーを讃えよ! 『大洪水』!」


 どぉぉん、と噴き上げられた波のような大量の水が、ノアが焼いた大地を覆い、バチバチと音をたてながら水蒸気を上げていく。どこかで、ワハハハと機嫌よく大笑する男の声が聞こえた気がする。


「……うーん、出力はいい感じなんだけど、これは出した後が肝要なのか」


 焼けた砂や灰を巻き込んだ泥流は、すごい速さでどんどん広がって、見える範囲の白い砂漠を茶色に塗り変えていった。あれ? 全然、勢いが落ちないぞ?

 しばらく眺めていたが、泥流は焼けた大地を走り、木などが生えた土に触れると跳ね返され、勢いを失って消えていった。一応、俺が意識した範囲で、ちゃんと吸収されるんだな。


「レベル1でこの威力かぁ。水流魔法って、ちょっと……いや、だいぶ制御が難しいんだな」

「うんうん。むじゅかちいね!」


 ノアも俺の隣で、訳知り顔でうなずく。


 範囲が広いからと特に遠慮はしなかったが、なかなかの水量が出せた。まあ、地面を濡らして冷やせれば、なんでもいいんだ。

 俺は気持ちを切り替えるために、手元でくるりと長杖をまわした。


「陽と、豊穣」


 洪水は、肥沃な土を運んでもくる。


「女神アスヴァトルドを讃えよ!」


 俺は泥の中へ、足を踏み出した。


 いまさら呪文はいらない。『カタルシス』は、すでに俺のオリジナルとして定着してしまっている。あとは、広範囲の瘴気を浄化するために、発動に適した環境を整えればいい。


「ン~ンン~♪」


 俺の鼻歌は上手くないが、知っている曲なので、主旋律くらいなら追うことができる。

 これは、『フラワーロードを君と』のメインテーマソングだ。なんで俺が知っているかというと、サルヴィアが歌っているのを聞いて、それが聞き覚えのある曲だと思いだしたのがきっかけだ。サルヴィアによると、初代『フラ君』の発売と共に大ヒットした曲だそうで、同世代なら大抵知っているという。歌ったアーティストも、この曲でブレイクしたらしい。


「♪ 茨の道を拓くならば 君と一緒に踏み出すよ 花は咲かなくても光が導く 道なき道を征けるならば 足跡つけて道標 見上げた星空を歌い続けるよ ♪」


 ソウルフルなサビを歌いあげ、俺はガウリーやその後ろの騎士たちに振り向いた。


「なあ、あの光景を思い出せるか? あの光景を残しておきたかったか?」


 俺の足元では、緑の絨毯に咲いたばかりの小さな花を、ノアが一生懸命摘んで花束を作っている。


「いいえ。語り継ぐべきは、敗因です。気の毒な彼らを、晒し者にしておくことではありません」

「そうか。じゃあ、問題ないな」


 冬空の下でも花が咲いた草原の中で、交通の邪魔にならなさそうな場所を均して、俺は慰霊碑を置いた。

 ガウリーに続いて、騎士たちが次々に祈りを捧げ、最後にノアが、摘んだ花束を慰霊碑に置いてあげていた。『大地の遺跡』にある慰霊碑に、時々花が供えられていたのを真似たのだろう。


「それじゃ、先を急ぎましょうか」


 俺は荷馬車に戻り、道なき花畑になった街道が、ゆっくりと視界を流れていくのを眺めた。


「リヒター様、ありがとうございます」

「ん? 礼を言うのは早いぞ、ガウリー。この先、まだああいうのがあるだろうし」


 とはいえ……。


(種を蒔いてないのに、花畑にまでなるとは思わなかった。女神の威光はすごいな)


 自分がシームルグになったかと思うほどの奇跡だ。……いやまて、俺は身代わりになった覚えはないから、この表現は避けよう。縁起が悪い。


(それにしても、生えたのが、食べられる実が生る植物じゃなくてよかった。土の栄養が、アレだからなぁ)


 とんだフラワーロードだな、と思わず俺は唇が歪んだのを感じたが、手綱を握っているガウリーには見えなかったようだ。


「おはな、きれいね!」

「そうだな。ノアは、お花好きか?」

「うん! しゅき!」


 ま、グロい内臓より花畑の方が、幼児の情操教育にはいいだろう。


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