体力が欲しい今日この頃
「次です! 次は……こちらへ来てください!」
「ん? ど、どうしたのだね?」
「こちらです!」
「ちょ、ちょっと待ちたまえ」
樵二人の諍いを収め、私を助け、民衆を扇動した少女へと向き直ったのが、腕を引っ張られてしまう。
人垣を抜けて砂利道を歩き、
「小鳥さん、犬さん、聖母さまですよ! 私、毎日、毎日お祈りしたんです!」
梢にとまる鳥やその辺をうろつく野良犬にまで話しかける始末。
この子は、もしかしたらちょっとアレなのではないだろうか。可哀想的な気配が顔を出している。
こういった子を無理に諭すと、あまりよくないのではないか。
好きにさせ、穏便に事を運んでから抜け出そう。
そう思いながら連れてこられたのは一軒の民家。
サーシャが扉を叩く。
「はいはい……おや、サーシャちゃんじゃないか」
現れたのは体こそ少し太いものの、どこにでもいるありふれた中年女性。
「こんにちは! 聖母さまをお連れしました。これで大丈夫です!」
「どういうことだい? 聖母様って?」
「聖母さまが降臨なされたのです! 聖母さま、この方は少し前から旦那さんの様子がおかしいと危惧しています。夫婦だというのに会話も少なく、そっけないことを心配しています」
「突然なんだというのかね? 夫? 素っ気ないとは……」
「えっと……」
中年女性と視線を合わせ、向こうは少し困ったような顔で笑う。
きっと、敬虔な修道女であるサーシャに悩みを相談、いや愚痴を漏らしたのだろう。
それを真剣に悩んでいたと思った彼女が、先の件を解決した私に助力を求めた、というところか。
「でも、突然言われても、聖母様だって……」
「大丈夫です! 聖母さまなら解決してくださいます!」
気遣いからやんわりと断ってくれる中年女性に、サーシャが説得している。
まぁ、突然他人を連れてきて聖母だと主張すれば誰だって似たような反応になる。
普通なら精神病でも疑ってしまいそうな少女、サーシャの目は理知的だ。
それに、この女性が悩んでいるのは事実だろう。
目の隈は寝不足の証、少し乱れた後ろ髪は自分の姿を整える余裕がないことを示しているとすれば、かなり深刻と考えていい。
もののついで、だ。拒否するよりは解決したほうが事態は進展するだろうと二人の間に割って入る。
「乗り掛かった舟だ。何かできることがあるかもしれん。話を聞こう」
「聖母さま!」
「でも……」
「心配するな、秘密は口外せん。それに話したほうが楽になることもあるだろう」
「そうおっしゃるのなら……」
中年女性の相談は真面目一辺倒だった帰りが遅くなった夫の心配。
朝早く家を出て、夜遅くなってからの帰宅。夫婦の会話は極端に減り、疲れから子供の相手もしない。
普通なら不貞を疑う場面だろう。
一通りの話を聞いてから顎を撫でる。
「やっぱり、夫の浮気でしょうか?」
「早まってはいけない。思い込みは自らの目を曇らせる。そうだな、いくつか確認したのだが……夫の職業というのは?」
「樵です」
「ふむ、では指先を整えているかね?」
「指先?」
私の質問に夫人はどうしてそんな質問をするのかと懐疑的な目で見つつも少し考え、
「……毎日見ていますが……あまり変わったところはなかったと思います」
「服装はどうだろう、汚れや臭いを気にした様子はあったかな?」
「いいえ、私が用意したものを着ていきます」
「ふっ、奥方は夫をよく見ているようだな」
「そ、それは……」
女性が顔を赤くする。
まぁ、そうでなくては心配も疑いもしないか。
「心配しなくていい、あなたの夫は大丈夫だ。浮気ではなかろう」
「ほ、本当ですか!?」
「男というのは細かなところを気にする生き物だ。好いた女に会おうというのに普段通りで行くはずがない。真面目というのならもっと露骨な変化があろう」
「そ、そうでしょうか……」
女性はまだ不安そうだ。
まぁ、一度疑っては他人の口からいっても受け入れ難いのも無理はない。
自身が納得できる何かが必要だ。
「近日中に記念日はあるかね? あなたの誕生日、結婚記念日、子供の誕生日、何でもいい」
「誕生日……記念……!」
「あるのかね?」
「もうすぐ月無しの夜なんです。五年前、そこで結婚を申し込まれました。でも、これまでは記念日も祝ってくれたことなんて……」
「忙しければ気付かぬこともある。どこぞで誰かに吹き込まれたのやもしれぬ。女房を労え、などとな。今はそれだと思って楽しみにしているがいい。私の予想が外れたらまた話を聞こう」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、本当だとも。人の悩みを聞くのも仕事のうちだよ」
「……ありがとうございます!」
女性は深々と頭を下げる。
肩を叩いてからサーシャに向き直ると、大きな瞳が爛々としていた。
「すごいです!」
「まぁ、この程度なら造作もない」
人間を視ることには長けている。
政治家とは人を視る仕事といえるのだから、当然といえば当然だ。
「では、次に参りましょう!」
「……は? 次? 次とはまだ……ちょっと待ってくれ!」
「こちらです!」
手を引っ張られ、村の中を走らされる。
「す、少し休まんかね? 私は最近運動不足なんだが」
そう訴えても目を輝かせて引っ張りまわされる。
まるで話を聞いていない。
家々を回り、以前にサーシャが相談されたと思しきことを聞く羽目になった。
突然の訪問に人々は戸惑い、ほとんどが先ほどの中年女性と同じ反応だった。が、サーシャが真剣に訴え、相手側も私の姿を見るうちにある程度納得し、話を聞くことになる、というパターン。
「こんな美しい方が……」「サーシャちゃんが言っていた通りね」「ああ、女神さまっ!」「私もイルタ教に入信しようかしら」「聖母様って本当にいるのね!」
相談に乗る、といっても初対面であれば普通は警戒する。
それはそうだ、なにせ見ず知らずなのだから、個人的なことを話すのは躊躇われる。
それがこの容姿だと最初こそ眉を顰めるが、その程度だということ。
神妙な顔をして相槌を打ち、一言二言添えてやるともう目の色が違う。
元の私の風貌では、こんなことはほとんどなかった。口惜しいが容姿がいい、というのは重要らしい。
連れまわされ、歩き回って、気が付けば日が暮れかけていた。
「今日はありがとうございました。私、嬉しくて、つい……」
「いや……まぁ……構わない。ただ、もう少しゆっくり歩いてくれると……ありがたいのだがね」
息も絶え絶えだ。
しかし、政治家として悩みを聞くのはやぶさかではなく、解決にあたって向けられる視線は十分に心を満たしてくれる。
疲れはしたが、相談を終えた後の顔はなかなかに良いものだった。
信頼と期待のこもった眼を見られるのは悪くない。
が、心残りもあった。人間関係や仕事の悩みは解決のしようもあるが、困ったのは健康に関するもの。
腹痛くらいならばまだいい、急に動かなくなった手足、耳鳴りのような頭痛、外傷のない痛みというのは医者でもない私の範疇を超えている。
せいぜい話を聞き、先行き不安を和らげるだけだ。
日本ならばいい医者の一人も紹介できるのだが。
「この村に医者はいないのかね? いくら私でも健康面だけはどうすることもできん」
「ここは北のはずれ、辺境です。お医者様は近くの村にもいません。三日くらい馬車で行った、少し大きな町にはいらっしゃいますが、そこまで行ける人はすくないです」
「辺境、それに三日か……医者もおらず、薬もないとなると、温泉でもあれば湯治をすすめるのだが……」
「でも、みなさんお聖母さまとお話して、楽になったっていってました。私は聞くことしかできませんから……」
少女が寂しげに目を伏せる。
悩みを聞くことはできても解決はできない。
それは私も同じだ。
助言ができたのは年の功、そして職業ゆえ。
彼女が責任を感じることではない。
「私とて気休めだ。根本的な解決にはなるまい。それでも君は満足か?」
足を止め、少女を見上げる。
自分でも少々酷な返しだと思ったのだが、少女は顔に複雑さを内包しながらも笑っていた。
「はい! 聖母さまは、思った通りのお方でした!」
「ふっ、分かってやってるとしたら君もなかなかの傑物だよ」
「聖母さま!」
突然抱き着かれ、息ができないほどの力で締められる。
「ぐえっ!? 苦しい!は、放してくれ!」
「やっぱり……私の願いがかなったんですね!」
「頼む、放して……はなし……」
疲れた体にサバ折を耐える体力など残っていなかった。




