深呼吸は大事なこと
「聖母様! 聖母様ぁ!」
これから出かけようというときに、集落の入り口からウォルナットが走ってくる。
もともと、あまり体力的には優れていない長耳族の彼が走るというのはよほどの出来事だ。
「血相を変えて、どうしたのかね? サーシャ君、彼にお水を」
「はい、分かりました聖母さま!」
竹に似た植物で作られた水筒をさし出すと、ウォルナットは喉を鳴らして飲む。
口を拭い、一息ついてからこちらを真っ直ぐに見た。
「聖母様、大変です! 竜騎兵の先遣隊と思しき連中が近くの村まで来ました!」
「なに? ライハやリハヴァの話ではまだニ~三日の距離に……先遣隊だと?」
「先ほどまでレヘティ村近くにある、あの神殿跡におりました。すると、この辺りではついぞ聞かない軍馬の嘶きを耳にしたものですから……」
ウォルナットは長耳族にとって重要な主食であり、同時に薬の材料でもあるカラムスという植物の自生地を探していたらしい。
これまで採取していたカラムスは生えている場所が限られている。従って、新たな自生地の発見は今後を左右する。数日前からカラムスの自生地を探し、ようやく見つけて喜んでいた。そのさなかに竜騎兵の先遣隊と遭遇したらしい。
「お手柄だ」
「聖母様が気にかけ、マトカが危惧していた相手です。姿隠しを使い、できる限りの接近を試みました」
「男気を感じるな。嫌いではないよ。それで?」
「彼らは三人で行動していて、野営地の下見に来ていたようです。馬がいるので広い土地と豊富な水を探していたのでしょう。あとは、かなり愚痴を言っていました」
「愚痴? どんなものかね?」
「はい、目上の人へのものだと思いますが、面倒だ、とか、楽しみがないとしきりにいい合っていました。あとは、麻袋を三つほど置いて戻っていきました」
ウォルナットが取り出して見せたのは、下ろされた麻袋からこぼれていたという小指の先ほどの、小さく平べったい、一見すると種子に見えなくもない。
先遣隊と思しき連中は袋は一か所に集めて土をかぶせて隠すと、周囲を観察しながら戻っていったらしい。
「なんでしょう、これは?」
「種類は分からんが豆だな。それも一度茹でて、乾燥してある。食料かもしれないね」
匂いは、あまりしない。
粒は小指の爪ほどで、平べったく硬い。
「! 聖母さま、これ、見たことがあります!」
「ほう、どこでかね」
「前に村に来た商隊です。荷車を引く馬に食べさせるといっていました。疲れたお馬さんには草ばかりではなく豆や果物を与えるとよいそうです!」
「疲れた馬か……ふぅむ」
サーシャやウォルナットの話を聞きながら顎を撫でる。
愚痴を言っていた、というのは私の予測が現段階では大きく外れていないことを意味している。
すなわち、竜騎兵を新たに指揮している人間へのものだろう。
次に野営地だ。以前は押し込み強盗同然、傍若無人を繰り返していたことを咎められたのか、寝る場所の確保をしている。これも厳しい規則が適用されていることが伺える。
最後がこの種類もわからない豆。
サーシャの言葉とも合致するのが、馬主にならないかという誘いを何度か受けた時の説明にあった。
競走馬は栄養価の高い豆や穀類も必要なので餌代が高いのだという。荷物を引く馬もかなりの重労働なのだから豆を与えることは考えられる。
急いでいることは間違いなさそうだ。
「聖母さま!」「聖母様!」
「どうかしたかね?」
「どうしましょう?」「私に何ができますか?」
「少し落ち着きなさい」
顔を近づけてくる二人を押しのけ、青い空を見た。
私の予想は間違っていない。新たな情報は、彼らが急いていることだけならば、プランに変更はない。
「サーシャ君」
「はい!」
「そんなに興奮しないでくれ。まずは深呼吸だ」
「は、はい! すーはー、すーはー」
目を爛々とさせる少女を落ち着けさせ、続いてウォルナットに向き合う。
「先遣隊への接近、大儀だったね。それに新たなカラムスの自生地を発見したことも大きい。ヤヤンへの報告を忘れないように。これからの集落のためにも引き続き励んでほしい」
「勿論です! それで、これからどうしたらよろしいですか?」
「どうしたものこうしたもない。あとは私が請け負うといったはずだ。君に何かあったらマトカ君が悲しむ。自重するように」
「し、しかし……」
「なに、直前になったら皆へ協力のお願いをすることになる。その時は先頭に立って、頼むよ」
「……聖母様のお言葉、胸に刻みます!」
「うん、よろしくね」
頷くと、ウォルナットはヤヤンのところへ走っていた。
「さて、サーシャ君、落ち着いたかな?」
「すーはーすーはーすーはー、もうちょっとです」
「じゃあそのまま、落ち着きながら聞いてほしい。私たちもやることは変わらない。これから薬を配りに行き、困っている人がいたら招く。少なくとも、竜騎兵が本格的な捜索を開始するまでは今のままだ」
「すーはーすーはー。でも、レヘティ村にきたらすぐにここが分かってしまいます! すーはーすーはー」
「仕向けたことだからね。当然だ。しかし、私の予想が正しければ彼らはまず下調べをすると思うよ」
「すーはーすーはー。下調べ、ですか? すーはーすーはー」
少女の疑問に指を振って見せる。
「厳しい指揮官がいるんだ。部下たちを好きにさせ、さぁ狩ってこい、というのはしないだろう。聞き込みをして、場所を確かめ、準備をしてからくるはずだ」
「すーはーすーはー、そこまでするでしょうか? すーはーすーはー」
「やると思うよ。もし間違えば、竜騎兵の威信は落ちることになる。それは避けたいはずだ。私たちは、竜騎兵が村に入るまで薬の配布を続ける。村人へは彼らが来るからこれなくなるという旨を伝えよう」
「! それでは!」
「深呼吸」
「は、はい! すーはーすーはー」
「村人がどう思うか、竜騎兵の対応はどうか、そして、こちらはどう出るべきか、すべてはそこで決まる」
「すーはーすーはー。決まるのですね。すーはーすーはー」
「ふっふっふ、私の出番はそこからだよ」
「すーはーすーはー。聖母さまの出番……すーはーすーはー」
「楽しみにしてくれ。さぁ、今後の方針を決めたところで薬を配りに行こう。サーシャ君、いつまで深呼吸などしているのかね?」
「すーはーすーはー。ひ、ひどいです! 聖母さまがしろっておっしゃったのに! すーはーすーはー」
まだ深呼吸をするサーシャの手を引いてレヘティ村へと向かう。




