誰か話を聞いてくれ
「サーシャ、いないのか?」
外からの声に少女が動きを止める。
ちらり、と視線を外へ向け、こちらへ戻した。
「……もう、村長さんったら間が悪い……」
途端に喜色を浮かべていた眼の温度が下がる。
この子、ちょっと怖い!
「サーシャ、いるのか?」
「はい、村長さん。少しお待ちになっていただけますか?」
ため息をついて、脇に置かれた布を広げる。
「私と同じもので申し訳ありませんが、こちらをお召しになってください」
「えっ、ああ、うん?」
やっと落ち着いてくれたのも束の間、少女から布を押し付けられる。
渡されたのは黒を基調とした裾の長い貫頭衣。
これを着ろということなのだろうか。
「さぁ、お早く!」
「あ、ああ、まぁ、裸というわけにはいかんからな」
強く迫られ、貫頭衣を受け取ると頭からすっぽりとかぶり、腰のあたりを太い紐で結ぶ。
簡素ではあるが着心地は悪くない。下がスース―するのは致し方なかろう。
「村長さん、どうぞお入りください」
少女は私が着終わるのを確かめてから 居住まいを正してから返事をする。
入ってきたのは初老の男に、少女は先ほどの落胆を微塵も感じさせないほど丁寧に頭を下げた。
「ずいぶん遅いじゃないか。今日は手紙の代筆と、あとは王都から新しく届いたお尋ね者の手配書の内容を皆に知らせる日だ。もう人が集まっているぞ」
「ごめんなさい村長さん」
この男の服も簡素で、少女のものと大差ない。
印象としては、欧州の古い童話にでも出てきそうな格好をしている。
気になるのは村長という呼び名。
今時、村長さん、などと呼ぶだろうか。
「早く来てもらわないと困るよ。手紙の方はもう待っている奴もいるんだ」
「はい、すぐ行きます」
「頼むよ。それで……そちらの方は?」
村長の目が、少女から隣にいる私に移る。
最初は怪訝そうに細く、それから段々と大きくなり、最後は大きく見開いた。
「? 村長さん、どうかしましたか?」
「……」
少女の問いかけにも答えず、村長の目はこちらに釘付けになっている。
それは次第に舐めるようなものへと変わり、異様な熱っぽさを帯びて、私の背筋に怖気を走らせた。
「う、美しい……」
「は?」
「まるで天使のようだ」
「天使? ……天使だと?」
周囲を探しても天使などどこにもいない。
村長と呼ばれた男の目が私を凝視していることに気付き、思わず背筋が伸びる。
「……んっ、うん」
わざとらしく咳払いをして、特に大きくもない目を瞬かせる。
もしかして色目を使っているつもりなのだろうかと考えると、途端に気色が悪くなった。
人から向けられる視線はこんなにも背筋をぞわぞわさせるものなのか!?
「サーシャ、そっちの……いや、そちらの美しい方はどこのどなただ?」
村長を名乗る男性の言葉に、少女はいささか機嫌を悪くしたように口をとがらせ、
「村長さん、こちらは聖母さまです!」
「聖母?」
「はい、夜空の女神にして万物の聖母イルタさまです!」
村長が眉根を寄せる。
しばらく考えた後、理解を示すように手を打つ。
「イルタというと、この教会の?」
「はい!」
「だいぶ前に流行って、今は信者もほとんどいないイルタ教の聖母のことか?」
「その通りです!」
「……いやいや、それはありえんだろ」
「そんなことはありません! この方は聖母さま、イルタさまです!」
夢見る少女は人の話など聞いてない。
両手を組み、私へ向かって手を合わせる。
しかし、私は聖母ではない。
ここは誤解を解いておくべきだろう。うむ、それがいい。
「そのことだがね、私はイルタなどという名前ではない。勿論聖母でもない。名前はアゼムラススムと……」
「違います! 貴女は聖母様です! 私が毎日神殿と絵にお祈りしたから願いがかなったんです!」
サーシャが指さす先、石壁に掛かっていたのはのっぺりとした、いかにも古い肖像画。
確かに青紫の髪に真紅の目、抽象的ではあるが、まぁ、美人といえなくもない。
だが、あれに似ているというのは強引ではないだろうか。
「…………似ているか?」
「ええ、生き写しです!」
即答だ。
村長へ目を向ければ壁の絵と私の顔をしきりに見比べ、何度目かの往復の後でごくり、と喉を鳴らした。
「いや……まさか……」
そんな馬鹿な話があるものか!
「いやいやいやいや、似ても似つかんだろ」
「そっくりです!」
「生き写しとはこのことか!」
「どうなっているんだ、こいつらの美的感覚は……」
絵の技法が確立されていないのか、写実的な描かれ方をしていない顔と似ているといわれてもピンとこない。
どう説明していいか考えあぐねていると、
「村長! 村長! どこにいるんだ?」
建物の外から呼び声が聞こえ、村長は呼ばれるままに出ていく。
「どうしたんだ?」
村長が外へ顔を出し、誰かと話している。
すると、少女が私の手を取りグっと顔を近づけてきた。
「聖母様、もっとちゃんとしていただかないと困ります!」
「私は聖母ではないのだが……」
「いいえ、貴方は聖母様です! 普通の人とは違うんです!」
言われると確かに普通ではない。
体は子供になっているし、性別も違う。
かといって聖母と呼ばれる存在というわけでもない。
永田町の風雲児と呼ばれた私が聖母などとは、到底笑えないではないか。
「なにがあったんだ?」
「村長、大変なんだ、リハヴァとライハがまた喧嘩を始めやがった」
「なに、またか!?」
「そうなんだ、今度は仕事用の斧まで持ち出して……」
「わかった、今行く……」
外の声が聞こえてくる。
あちらはあちらで何やら揉めているようだ。
もう事態が混ざりすぎていてよくわからない。
落ち着いて一つ一つ整理したいのだが、ままならない。
どうしたものかと思案していると、隣にいた少女が私の袖を引いた。
「さぁ聖母様、行きましょう!」
「はぁ?」
「聖母様は夜の女神にして万物の母。この世に災厄が降りかかるとき現れるのです」
「だ、だから、なんだというのかね?」
「伝承では人々の心を治め、安寧に導くとあります。ですから、行きましょう!」
「ど、どこへ行くというのだね?」
「リハヴァさんとライハさんはついひと月前まで仲の良い二人でした。でも、どうしてか最近は喧嘩ばかりしています。最近は刃物まで持ち出すようになりました。このままではよくない結果になります!」
サーシャの目が尋常ではない輝きを放っている。
これはつまり、私にそのもめ事を仲裁しろというのか?
こちらはすでに混乱の極致にあるというのに、見ず知らずの諍いなど知ったことではない。
「さぁ、聖母様の威光をみんなに知らせるのです!」
「私は聖母ではないし、そんな連中の仲裁などしたくもない! 私は国会議事堂へ戻らねばならんのだ!」
「村長さま! 私たちも行きます!」
「ちょっと、引っ張らないでくれないか? あ、ああっ、ああああああああ!?」
軽々と引っ張られて外へと飛び出す。
抗うだけの力が、この体にはなかった。




