レモンの味などしない
「ひぃ、ひぃ……」
「聖母さま、頑張ってください!」
サーシャに手を引っ張られながら、木々の間を歩く。
日差しは橙に染まり、もうすぐ日暮れになりそうだった。
「聖母さま、もう少しです! 北の森へ着きますよ」
「どこで……それを……判断しているのかね?」
「向こうにひときわ高い山が見えます。あそこの山頂は見る場所で形が変わるんです。昔、神父様に教わりました!」
「そ、そうかね」
疲労と空腹、引っ張られながら歩き続けているからか時間と距離の感覚がわからない。が、サーシャは分かっているらしく私の様子を見ながらも的確に先導してくれる。
歩くこと……どれくらいだろうか、足の痛みが限界を迎えた。
「サ、サーシャ君」
「どうかなさいましたか?」
「も、もう私にはむりだ」
草の上に倒れる。
足も痛いし腰も痛い。もう歩けない。
吐きそうだし、疲れて死にそうだ。
「こんなところで寝たらダメです! 狼が来てしまいますよ!」
「む、むり。あるいたら、しんでしまう……」
「もう、仕方ないですね」
サーシャがおぶってくれる。
人におぶってもらうのは何十年ぶりだ。
「ずいぶんと貧弱な聖母様だね」
あきれ顔のマトカに悪態をつく余裕もない。
しかし、歩くというのは本当にしんどい。
「さぁ、もう少しです! 頑張りましょう!」
一人元気なサーシャが歩みを進める。
そうやって歩くことさらに数時間、空がだいぶ暗くなってから歩みが緩くなった。
「ここまでこられたのなら歩みを緩めてもよさそうですね」
サーシャの背中越しに景色を見るが、ここが北の森かどうかも私には分からない。
それよりも腹は減ったし、柔らかいベッドで寝たい。
「聖母さま、まだお休みにならないでください! 長耳族の方々へはどのようにお話をされるのですか? 彼らは隠れ住んでいるのですよ?」
サーシャがそんなことを聞いてくる。
正直、そんなところまで気にしている様子はなかったので素直に感心してしまった。
「なかなかの着眼点だ」
同行したマトカは私たちの少し後ろを、辺りの警戒をしながらついてきている。
サーシャの声は彼女を意識したのか、低いものになっている。まんざら空気が読めないわけでもないようだ。
「最初は、レヘティ村にとも思ったのだが、聞くに彼女たちは盗賊、つまりお尋ね者だ。村へ連れていったら役人に突き出されてしまうだろう」
「そう……かもしれません」
同意してくれる。
なかなかに冷静だと思いながら言葉を続ける。
「かといって逃避行には付き合いたくない。彼女たちとて、このまま逃げたところで安息は得られないことは分かっている。逃げている、という心的圧迫は相当なものだ。隠れていても痕跡を消しきることは不可能、いずれは見つかる。ここは長耳族の協力を仰ぐのは自然な流れといえよう」
「聖母さま、私、やっぱり心配なんです。長耳族の方々は盗賊……外部の人間を極端に恐れていました。この人たちに理由があるとしても、すんなりと受け入れてくれるでしょうか?」
「人を視る目があるな。政治家の才能がある」
「せいじかは分かりませんが、ありがとうございます!」
「君の心配は分かった。私なりに考えたのだが、ここは同化政策を使おうと思う」
「どうか……せいさく……?」
「異なるものを同じにしてしまうことだよ」
「長耳族と盗賊さん、二つを一緒にしてしまうのですか?」
「有体に言えばそうだが、言うほど単純ではない。ただ一緒にいても習慣の異なる二つの集まりが集団に出来上がるだけだ。それでは対立を生み、諍いの温床となる。そうならないためには二つの試練が待っている。一つは持つもの、持たざるもの。もう一つはどちらが主体となるか、だ」
サーシャに説明をしていく。
持つもの、持たざるもの、と表現したが平成の世では貧富や経済的な格差を指す。
昨今ではどうしても経済力があるほうが主体となるからだ。
例外としては極端な数の差、経済力に差があっても数で負ければ富は奪われ、優位は逆転する。
主体は数の問題、どちらかが多いか少ないかで主導権が決まってしまう。片方が使役する、される、という状況は好ましくない。
「なるほど、難しい問題です」
「そうだろう。ではサーシャ君ならどうするかね?」
「……えっと、うーん……」
頭を悩ませる。これを簡単に答えられたら為政者になれる。
十分に焦らし、反応を待ってから指を振る。
「重要なのは彼らが何に困っているか、だ。長耳族は何で困っているのかね?」
「自分たちの安全が脅かされていることと、衰退です」
「安全面については一緒に住めば警戒する必要は低くなる。目も増えて警戒能力は高まるだろう。もう一つの衰退、これは簡単な方法がある」
「簡単なんですか?」
「長耳族の戸数はかなり少なかった。つまり人口減少による衰退である可能性が高い。ならば増やせばいいではないか」
「マトカさんたちが合流すれば増えますけど……」
「案外鈍いな、君は。男と女が近場で生活をすれば、結果は見えよう」
「男性と女性が……それってつまり!」
サーシャの顔が赤くなる。
まぁ、年若ければそういう反応にもなるか。
「聞いてみんと分からんが、ウォルナット君とマトカ君など似合いだと思わんかね?」
「で、でもでもでも! うまくいくでしょうか?」
「お膳立てはするさ。だが、やってみる価値はあるだろうね」
「聖母さまって、やっぱり……」
恥ずかしがる少女に微笑ましく思っていると、木々の切れ目から広い丘陵地帯が見えた。
「聖母さま! お分かりになりますか?」
「ああ、ここは!」
今朝も通り、盗賊や狼と遭遇した場所だ。
ここまでくれば大丈夫だと思った途端に膝が崩れる。
「安心するのはまだ早いです! ちゃんと合流できてからでないと!」
「分かっている。笛を吹いてくれ」
「はい!」
サーシャが長耳族から渡された笛を吹き始める。
「着いたのかい?」
マトカの声に首を振りながらも、
「着いたも同じだ。今、サーシャ君が彼らを呼んでいる」
「呼ぶ? 何も聞こえないよ?」
「まぁ、見ていたまえ」
草むらに座り込み、しばらく体を休めていると周囲からガサガサと音がした。
「! 誰だい?」
マトカが真っ先に反応する。
懐から刃物を出し、臨戦態勢をとった。
「マトカさん、大丈夫ですよ! きっと長耳族の方々です!」
サーシャが安心させようと手を引き、
「来ているのはウォルナットさんですか? 私です、アレクサンドラです!」
茂みに向かって声をかける。だが、マトカや同行している二人は警戒心を解かない。
まぁ、これも当然と言えば当然か。
「大丈夫ですよ!」
「ちょっと、引っ張るんじゃない……っ!?」
サーシャの妙に強い力で引っ張られ、バランスを崩したマトカが傾き、ガチっ、という固いものが当たった音がした。
「?」
慌てて身を引くマトカ。
唇に手を当て、驚いたように何もない空間を凝視している。
「あっ!」
次の瞬間、目の前には歯茎から血を流し、呆然とするウォルナットの姿があった。




