良薬はこの世の地獄味
「これは盲点だな」
思わず感嘆の声が出る。
太く、大きな木の梢に家があったからだ。
「すごいです!」
私を背に負ぶったまま、サーシャも上を見上げて驚いていた。
世の中には未発見が数多く転がっている。
それらは努めて観察し、調査をしなければ正体は見えてこない。
広く知られる例をいくつか挙げるのならば、今は動物園にもいるゴリラが分かりやすい。
今でこそ知らない人はいない大型の霊長類だが、一九世紀の終わりまで存在が疑われていた。
体長二メートルの彼らは深い森に入り込まなければ見つけることはできなかった。
近年ではダイオウイカが挙がるだろうか。
伝説の中だけで生きていたはずの巨大イカは現実にも存在した。
それも日本の小笠原沖という近い場所での発見は衝撃的ですらあった。
何が言いたいかというと、近くにいても切っ掛けや理由がなければ存在していることもわからない、ということ。
人は衣食住が揃って、初めて健康で文化的な生活ができる。
文化的、というのはとても重要だ。毎日労働に明け暮れるだけの生活は些細なことにも気付きにくい。
サーシャが暮らすレヘティ村から徒歩で約一日の距離に長耳族の集落はあったが、生活に余裕のない状態では双方知らなったのも無理からぬことだろう。
「ここが私たちの集落です」
目の前にあるのは西洋の童話にでも出てきそうな光景、一言で表すならツリーハウスというやつだろう。樹上に、太い幹や枝葉を利用して作られた家々が見える。
「木の上に建てられた家というのは想像しなかった」
「すっごい……。これじゃあ近くにいても分からないです。森を歩いていて上なんて見ないですから」
「同感だ」
ため息をつくサーシャに同意する。
地面から樹上の家までは見上げるほどもある。
ただ均一な高さに住居が密集しているのなら分かりやすいのだろうが一帯はたくさんの種類の樹木が植わっている。
低い木々の葉がうまい具合にカムフラージュの役割を果たしていた。
「なるほど考えたな。人が森の中で住むとなれば不可欠になるものが、樹上に居を構えたことで不要になるわけか」
「不可欠なもの、ですか?」
「うむ、人が暮らすには精神衛生上どうしても必要なものだ。村を思い出してみるとわかるぞ」
「せいしんえいせい?」
「難しいことを言ってすまなかった、簡単に言えば心の安らぎだな」
「…………うーんと、えっと……柵ですか?」
サーシャは首を傾げたが、すぐに頷く。
この子はなかなか呑み込みが早い。秘書では勿体ないかもしれない。
「その通りだ。自然の中に住居を構える場合、安全のために必ず柵が必要になる。しかし、それが目印にもなる。森の中に突然柵があったら、人がいることを示してしまうだろう」
見解を述べればウォルナットが拍手をする。
他愛もない推論だが称賛は悪くない。
「以前は地面に家を建てて暮らしていたそうです。ですが、聖母様のご指摘通り、柵を作ってはそこに誰かがいると証言しているのと同じになってしまう。苦心の結果だったのでしょう」
「そうまでして見つかりたくなかった。いや、災厄から逃れたかったということだろう」
「その通りです。ここは新しい集落、大災厄から逃れるために住む場所を木の上に移したと聞いています。詳しいお話は代表からします。どうぞ」
話しながら太い幹まで先導される。ウォルナットは垂れ下がる、よく見れば編まれた蔓を先に登る。
「危ないですからお一人ずつ登ってください」
「聖母さま、どうぞ」
「う、うむ」
サーシャの背中から降り、ウォルナットに習って、縄梯子の要領で絡まりあう蔦を登る。
太い枝までたどり着き、上にいた長耳族に引っ張り上げてもらう。すると、幾人もの長耳族が家から顔を出し、私たちを注視していた。
「本当に聖母様だ」「神像とそっくりだな」「なんて神々しい……」
熱を帯びたような目にむず痒さと高揚感を味わいながら、一軒の家に案内された。
待っていたのはウォルナットと同世代か、少し上くらい。
代表というから白髪の老人を想像していたのだが、外れてしまった。
「おお、まさにイルタ様そのもの……!」
代表が私の手を取る。
どうしてだろうか鳥肌が立つ、が口にはしない。
「私は代表をしておりますヤヤンでございます。お会いできて嬉しいです」
「私も嬉しいよ」
さて、懐柔したものだろうか。
◇
所作、というのは多くのことを物語る。
迷いのない動作、目配せ、こちらへの配慮は明らかな教養と文化を感じさせてくれる。
揃う道具も多少煤けてはいるが、使い込まれていること、大切にされていることが伝わってきた。 サーシャやライハ、リハヴァが暮らす村は人の営みこそあったが、生活そのものが質素で、ある種の文化的統一性や明確なものを感じることはできなかった。
有り体に言えば、異文化らしさが薄かった。
だが、ここには“らしさ”ある。
座っている家具や、室内に並ぶ調度品に彫り込まれた曲線を多用した意匠は独特だ。
少し低いテーブルの上には広く浅い上部が開いた箱が置かれ、木灰が敷き詰められて、下に熱を伝えないようになっている。石を並べただけの簡素な五徳の上には金属の器が置かれ、その中で薪が燃えていた。
「女神さまのお口に合えばよいのですが……どうぞ」
長耳族の代表ヤヤンは実に優雅な手つきで金属の器から木のカップを差し出してくれる。
受け取ると立ち上るのは金木犀にも似た甘い香りがした。
「ほぅ」
「いい香りです。いただきます」
香りに誘われ口を付けるが、
「うっ!?」
「むぐっ!?」
飲んだ途端に口の中に広がるのは強烈な苦みとえぐみに襲われる。
香りは甘いのに、予想を裏切る味に頭がついて行かない。
「……ぬううぅ」
吐きだそうとする本能をどうにか押さえつける。
私は政治家だ。
支援者からの差し入れはどんなものであれ無下にはできない。そうでなければ選挙に勝つことなどできない、と父や祖父から強く言われて育ったからだ。
この程度の苦みなど、選挙で負けた時に比べたらなんということはない。
「ふぅ……うっ……」
液体が喉を通った後でも余韻で口の中が不味い。
ふと隣を見ると眦に涙を溜めたサーシャがいた。
「聖母さま、に、苦いです!」
「よく……吐き出さなかったな」
「ご、ご好意はむだにじないって教わりまじた」
心掛けは素晴らしい。
何かの試練なのかとも思ったが、対面に座った代表やウォルナットを見るが二人とも平然と飲んでいる。
「いかがですかな? 山裾で採れるカラムスの花と根を煎じたもので、腑によく、体を温めてくれます」
「な、なるほど体に良いのだな」
「ええ、とても」
笑顔だ。
どうやら妙な意図はないらしい。
心証をよくするには共感して見せる必要がある。
言い方からカラムスなる植物を重要視しているようだったので、ご機嫌取りのためにともう一口飲む。喉をかきむしりたくなる不味さだったが我慢した。
「聖母さますごい!」
な、慣れれば、この程度は造作もない。
センブリ茶も健康に良いといわれてずいぶん飲んだ。あれを上回る不味さだとは予想外だったが、これも回数を重ねるごとに慣れるはずだ、きっと。
「ふぅ」
「お疲れですか?」
不味さの吐き出しのため息に代表が気遣う。
まさか不味いとは言えずに誤魔化そうと考えを巡らせる。
「ああ、いやぁ、ちょっとな。ここに来るまでずいぶん走ったのだ」
「そうでしたか。小さいお体が過剰に動くことは良くないのです。少しお待ちください」
代表は立ち上がり、後ろの戸棚から小箱を持ってくる。
テーブルの上で開けると、仕切りと様々な色の粉、独特のにおいが鼻を付く。
「聖母様のお体は小さいですからな。効き目はそれほど強くないものにいたしましょう」
代表は匙で何種類かの粉を皿に取り、混ぜ合わせ、私の前に置いた。
「ささ、どうぞ。体の疲れと毒を抜くものです」
「……ほう、そのようなものがあるのかね」
政治家としての矜持からすれば飲まねばなるまい。
しかし、いきなりでは気後れする。飲むための心を整えているとサーシャが顔を近づける。
「長耳族は薬に長けていると伝承にあります。聖母さま、大丈夫です!」
「……まぁ、飲まんという選択肢はないからね」
なぜか自信満々な少女の後押しに覚悟を決めて、粉を口の中に流し込んだ。
「ん? ん……む……むむっ!?」
漢方にも似た臭いと同時に、苦味、渋み、遅れて山椒のような痺れと辛さまで襲ってくる。
喉の奥がイガイガとかゆくなり、これはたまらないと飲み物に手を伸ばす。が、これがいけなかった。
「ふぐっ!?」
複雑な、負の味わいにえぐみが足され、この世の終わりかと思えるくらいの味になる。
この世の地獄があったらこんな味だろう。
「聖母さま、大丈夫ですか?」
サーシャに背中をさすられ、ようやく飲み下す。
今生きていることに感謝したい気分だ。
「いかがですか? 効き目が弱いようでしたらもう少し差し上げますが……」
「い、いや、十分だ。効いたよ」
自分を鼓舞しながら喉をさする。
これ以上の苦行を避けるためにも本題を切り出すことにした。
「ヤ、ヤヤン殿とおっしゃいましたな。急な訪問となったことをお詫びします」
「私もウォルナットから話を聞いておりました。聖母様の現身と、信仰に厚い少女と出会った、と……」
代表はサーシャへも目配せする。
嬉しそうに応じる少女に、ウォルナットも頷いている。なるほど、信心深いとは悪いことではないらしい。
これは好機ととらえていいだろう。
自らの目的を達するべく身を乗り出す。
「なにからお話ししたものかと思いましたが、招いてくださったということは目的がおありになる、と考えてもよろしいか?」
「……その通りです」
目配せをするウォルナットに代表ヤヤンが頷き、立ち上がると壁近くにあった棚から箱を二つ取り、持ってきた。
片方のふたを開けると鮮やかな色彩の絵が収められている。
青紫の髪に真紅の瞳、片手に旗を、もう片方には剣を持った女性が描かれていた。
「それが……?」
「はい。夜の女神にして万物の聖母イルタ様です」
「!」
サーシャまで息をのむ。
視線が集まる中でおもむろに前髪を引っ張り、絵と見比べる。
まぁ、髪色だけは似ていなくもない。
それ以上は自分でもわからなかった。
「残念ながら、私は自分の顔が見えない。似ているといわれても困るな」
すると、代表はもう片方の箱のふたを開ける。
中身は円形の金属板。
「わっ、鏡!」
サーシャが驚き声をあげた。
鏡といっても私たちがよく知るものではない、白銀色をした円形の金属板、その表面を磨いたものだが、確かめるには十分だろう。
「どうぞ」
「……」
恭しく差し出された鏡を受け取り、自分の顔を見る。
そこにいたのは見知った自分の、政治家畔村進の顔ではない。
知らない、異国の女、いや少女と呼ぶにはあまりに幼い子がいるがいる。
どう見ても一〇歳に届かない、可愛らしい子だ。
こんな子が曾孫にいたら人生楽しかっただろう。
しかし、奇妙なことにその可愛らしい幼女は私が笑えば、同じように顔を変えること。
悪い冗談のようだ。
「似ているかね?」
「現身にございます」
「……それで、その現身を招いたというのは如何な理由かな?」
代表が深呼吸をする。
私からすれば交渉がやりやすくなっていい。
こちらからの申し出であれば渋り、足元を見られる懸念もあった。
こちらからすれば好都合なのだが、代表の眉根に寄った皺が、前途多難の前触れであるような気がしてならなかった。
「じ、実は……」




