紆余曲折がひどい
「はぁ、はぁ、はぁ」
体中が痛い。
走りながらもう少し体が回復するのを待つべきだったと後悔する。
しかし、すでに遅い。
「聖母さま、もっと早く! でないと追いつかれてしまいます!」
「も、もっとかね?」
息が上がりながらもサーシャの手を引かれ、膝丈まで草の伸びた丘陵地帯を走っていた。
長耳族と出会ってから二日、体はそれほど回復していなかったが、早く元の世界に戻りたくて遠出を強行したのが仇となってしまった。
疲れを押して出張ってきてなぜ走っているのか。
それは振り返れば一目瞭然だ。
「そっちだ! 逃がすなよ!」
「ああ、ここで見つかったら姐さんに顔向けできねぇ」
追いかけてくるのは継ぎ接ぎだらけの薄汚れた衣服に申し訳程度の鎧を付けた男たち。
数は今のところ三人。
レヘティ村から数時間歩き、もうすぐで長耳族のウォルナットに指定された遺跡まで着く、そんなときに遭遇してしまった。
「こんなところに盗賊がいるなんて!」
「も、もう少しのところで……」
足音が迫る。
一時はかなり距離があったのに、体力の差か顔が見えるくらいまでに迫っていた。
「待てぇ!」
「逃がすかよ!」
後ろからの声に追い立てられる。
あんなのに捕まったら……元が男であるだけに想像に難くない。いや、分かるからこそおぞましい。自分が組み敷かれ、衣服を破られる光景が浮かび、背筋が寒くなった。
「ふぉぉぉぉ!」
「聖母さま、その意気です!」
二人で脱兎の如く駆ける。
しかし、大人相手ではかなり不利だ。
「そっちだ! 挟み込め!」
「お前は右だ、絶対に逃がすなよ!」
見晴らしの良い丘陵地帯で無策に、直線的に走って逃げられそうもない。
前方には森が見えるがそれまでに追いつかれてしまうだろう。捕まったら、また日本が遠くなってしまう。それだけは避けたい!
「聖母さま、どうしましょう!?」
「ふ、二手に分かれよう! 私は真っ直ぐ走るから君は逸れなさい!」
「で、でも!」
「このまま走るよりはマシだ! 止まってはいかんぞ!」
女子供を置いて先に逃げたとあっては後々の選挙活動に影響する。
それに、私は子供の頃に韋駄天ススム君と呼ばれていたくらいだ。
そう易々と捕まりは……
「よぉし、捕まえた!」
「よかった、これで姐さんに怒られずにすむな」
「な、なんだと!?」
襟を掴まれ、吊り上げられる。
これは不味い!
「いや、まて、話し合おう! 話せば理解しえあるし平和に共存ができるかもしれない! 私ならば輝かしい未来を君に提供できる自信がある。改革を行い、平和を作り上げようじゃないか! 望みを言いたまえ、なんだって叶えて……助けてくれ!」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
盗賊から滴り落ちる汗が顔にかかり、口から見えた黄ばんだ歯に背筋が凍った。
「ひぃっ!? ゴ、ゴゴゴメンナサイ」
血の気が引く。
人生が瞼の裏で走馬灯のように駆け抜けていく。
「離れなさい! 不届きもの!」
サーシャが戻ってくる。
彼女の後ろに後光が見えた。
「あなたたち、聖母さまに危害を加えると私が許しません! ええーい!」
戻ってきたサーシャが石を投げる。が、その石はあらぬ方向へと飛んでいき、ガサっと音を立てて草むらに消えて、後光はいつの間にかなくなっていた。
この役立たず!
「ちっ、脅かしやがって! お前も一緒に来い!」
「うわーん、こんなことをすると聖母さまに怒られるんですから!」
腕を取られ、ピーピー泣き始める。
泣きたいのは私だ!
「この世界は神も仏もないのか!? 私が平成に君臨する神ではなかったのか!?」
「ふえーん、怖いですぅ」
「うるさい! 手間かけさせやがって」
「おい、最初は姐さんに報告だろ?」
「早くこの場を離れよう。誰かに見つかると大変なことになる」
盗賊たちが集まってくる。
絶体絶命、理不尽に二人で泣いていると、
ハルルルル
低く、不気味な鳴き声が聞こえる。
「うぉ!?」
現れたのは狼、それもかなり大きい。
いや、私が小さいから大きく見えるのか、これがこの場所の標準なのかは分からないが、子馬ほどもある狼が茂みから姿を現した。
「……」「……」「……」
盗賊も、私やサーシャ、誰も声を出せず狼の動向を注視するしかできない。
クォン
狼は私たちの顔を見てから低く吠えると、後ろの茂みからさらに数頭の狼が顔をだした。
「不味いぜ。ここら辺の狼は大きいんだ。人間なんてひと噛みだぞ」
「こいつら何頭いるんだ?」
「に、逃げろ!」
耐えきれず盗賊が私を放り投げて走る。
すると、狼たちは空へと吠えて盗賊を追い始い始めた。
動物は逃げるものを本能的に追いかけるという。
奇しくもそうした本能が私たちを救ったことになるのだろう。途中、ちらりとこちらを見たような気がしたが気のせいだろうか。
「た、助かった……」
「聖母さまぁ、怖かったですぅ」
「早く逃げるぞ。戻ってこないとも限らないからな」
二人で駿馬の如く走る。
このまま目立つ丘陵地帯にいることができず、森に入った。
「あ、危なかったですね」
「う……う。そうだね」
胸が苦しい。
走り過ぎて気持ち悪くなってきた。
「聖母さま、大丈夫ですか?」
「だ、だいじょうぶ……じゃない」
「お水飲みますか?」
「た、たのむ」
サーシャに抱え起こされ、木製の水筒を飲ませてもらう。
「ん……んっ、う、うまい」
「聖母さま、深呼吸です。ゆっくり息を吐いて、それから吸ってください」
「それよりも水をもっとくれないか?」
「ダメです! 一気に飲むと吐いちゃいますよ!」
「そ、そうかね。わかったよ深呼吸、深呼吸」
いわれるがままに呼吸を整える。
あー、ようやく楽になってきた。
「聖母さま、困ったことになりました」
「なにかね? もうこれ以上困ることなどないと思うのだがね」
「ここがどこだか分かりません!」
「はへ?」
自分でも驚くくらいの声がでる。
「ですから、逃げるのに夢中で、ここがどこなのか分かりません。北の森……に近い場所だとは思うのですが、道も足跡もありません」
「どどどどうするのかね!?」
「うーん、少し不安ですが笛を使いましょう!」
「笛……というと、長耳族からもらったやつだね。でも、音で盗賊たちもやってきはしないかね?」
「でも、下手に動くともっと迷います。さっきみたいに狼が出てきたら食べられてしまうます!」
「むむむっ、選択の余地はない……か。仕方ない。やってくれたまえ」
「はい!」
サーシャが恐る恐る、長耳族のウォルナットからもらった笛を吹いてみる。
「ならない?」
「壊れているのか? ……いや、違うな」
空気を吹き込んでも音は鳴らない。
壊れているのかと思い、観察してみるがそうではなさそうだ。
犬笛、というものが世の中にはある。
人間には聞こえない音も、犬には聞こえるものがある。
つまり、長耳族からもらった笛が特定の存在にしか聞こえないことも考えられる。人目をはばかって生きるなら可能性は高かろう。
本当に故障している不安もあったが吹き続けてみることにした。
どのくらい吹き続けただろうか、近付いてくるガサガサという足音に気が付いた。
「サーシャ君、こちらへ」
「はい、聖母さま」
この状況で抵抗などできはしないが、二人で逃げる姿勢だけは取っておく。
数分後、茂みから現れたのは長耳族のウォルナットだった。
「はぁ……」
「よ、よかったですぅ」
安堵のあまり力が抜けた。
「お二人とも探しましたよ」
「すまない、盗賊に追われてな」
「怖かった……」
「そうだったのですか。お二人ともご無事でよかった。盗賊が近くにいるならここは危険です。集落へ行きましょう」
「君たちの集落へ、か。しかし……よいのか?」
「代表に話したところお会いしたいとのことでした」
「ほう……ならばよろしく頼もう」
これはこれは濡れ手に粟だ。
私としては是非もない。
「それではこちらへ」
「あー、ちょっと待ってくれ。サーシャ君、実は足腰が立たんのだ」
「もう、仕方ないですね。おんぶして差し上げます」
「助かるよ」
年下の背に乗るのもなかなか悪くない。
それからウォルナットが呪文を唱え、サーシャの手を取った。
感覚にわずかに引っかかるところがあったが、それを深く追求することもできないままウォルナットが開いた光の円の中に足を踏み入れた。




