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始まりの始まり


「全ては皆さんのためなんです!」


 祈るように両手を組み、顔を空へと向ける。

 眼は閉じ、眉は苦悶を浮かべるように寄せて、憂いを前面に押し出す。

 集まる視線の多さに自分でも驚く。

 姿かたちがこれほど重要だと思いもしなかった。


「心配で心配で、居ても立ってもいられず、このように用意しました。さぁ、お手に取ってご覧ください。長耳族たちが作ったものです!」


 涙が流せたらもっとよかったのだろうが、生憎とこの体を使いこなせていない。なにせ、この肉体は七〇年余りを共に過ごしたものではないからだ。

 “これ”は子供の体で、性別も違う。

 政治家としての畔村進は一八〇センチ、体重は九〇キロ。実に堂々としたものであったのに、今は悲しいほどに面影もない。

 これでは政治家としての威厳も風格もあったものではない。

 だが、知識や経験はそのままある。


「薬?」

「本物なの?」


 集まった人間たちが口々に問うてくる。

 疑うのも無理はない。

 なにせ病院というものが存在せず、病気やケガは安静にして治す場所にいる。

私の知る限り、薬といってもせいぜい民間薬、効果も怪しいものが多い。そんな中で、長耳族が作った薬は折り紙付きといえる。


「長耳族? あの伝承の?」 

「おとぎ話じゃないの?」


 彼らの疑問はもっともだ。

 長耳族はもはや伝説的な存在、人間との交流は数百年間なかった。しかし、閉じた門戸を何とかするのは政治家の専売特許、この程度は造作もないことだ。


「お手に取ってください!」


 どぶ板選挙以来の声を張り上げれば、人が集まる。集まれば、視線も増える。じろじろと不躾な、好奇心の的だとしても嫌いではない。

 高揚感と同時に、これが元の世界に戻るために必要だというのだから不思議なものだ。

 平成の世で張り上げた声を、ここでも使う。

 ようやく夢に手が届くところまで来たのだ。こんな見ず知らずの場所で、子供の姿のまま終わるわけにはいかない。

 そのためにも、もう一押しが必要だ。


「今日は飲むお腹の薬と、傷に効く塗り薬をご用意しました。効果はぜひ使って確かめてください」


 訴えにじりじりと人垣が迫り、


「は、腹の薬をくれ!」


 一人が手を伸ばす。

 千丈の堤もアリの一穴さえ穿てれば、そこからは容易いものだ。


「わ、私には傷薬を頂戴!」

「俺もだ!」

「わたしにもよ!」


 堰を切ったようにたくさんの手が伸びる。

 これでいい。ここから金と名声を手に入れ、元の世界に戻る手段を見つけなければならない。

 待っていろ! 必ず男に戻り元の世界に帰って、総理大臣の椅子をものにしてやるからな!


      ◇


 出世は男の本懐だ。

 権力とは現代の免罪符にして自由への切符、大勢の人間がひれ伏し首を垂れる姿は身震いする。

 しかし、命とは儚い。

 一〇〇年もすれば忘れ去られる。だが、政治家だけは歴史と一体となることができる。

 人の歴史が続く限り、称賛され、人々の記憶に残り続けるだろう。素晴らしいことだ。


「私がこのたび総裁となりました畔村でございます。これからは国民の皆様のために誠心誠意尽くす所存です」


 無数のフラッシュが焚かれ、カメラのレンズを通して多くの人間が私を見ている。

 私の一挙手一投足が注目されることになる。


「畔村先生は過去に贈収賄にかかわる報道がなされたことがありますが、ご自身が掲げる公正公平な政治とは矛盾するのではありませんか?」

「ゼネコン各社からの高額な献金が取り沙汰されていますが……」

「リニア新幹線停車予定地の土地買収について口利きをされたとの疑惑もありますが、どのようにお考えでしょうか?」


 押し寄せた新聞社、テレビ各社、週刊誌までが無粋な質問を投げかけてくる。

 まったく、私の明るい治世計画に水を差しおって。実に怪しからん。

 こういう問いには答えないのがよかろう。


「不幸な誤解でしょう、私は清廉潔白です。ああ、お話ししたいことはたくさんありますが、本日は予定が詰まっておりますので、このあたりで……」

「まだ質問に答えていただいてません!」

「畦村総裁、お話を!」


 政治家になって早三〇年、これまで様々あった。

 今となっては到底口にはできないことも多々あったが、いい思い出だ。

 これからが私の時代、私の世界、私という存在が新風を巻き起こす。そうして歴史の中に燦然と輝く足跡を残すのだ。


「うっ!?」


 突然、刺されたような痛みが心臓から脳天までを駆け上る。

 胸がつかえ、息ができない。


「うむぅぅぅ!?」


 口は動くのに、息ができない。

 体に力が入らず、膝が折れ、床に倒れる。


「畦村総裁!?」

「これはスクープだ!」

「写真を撮れ! 逃すなよ!」


 無数のフラッシュに手を伸ばす。

 足音が近付くのに、誰も助けを呼ぼうとはしない。


「わ、わ……しの…………」


 全身の力が抜け、伸ばした手を誰かに引かれる。

 耳から入ってくる声や、足音が遠くなり――――。

 気が付けば巨石に囲まれていた。


「こ、ここは……どこだ?」


 気付けば、私は見たこともない場所にいた。





 見知らぬ景色が目の前に広がっている。

 周りを囲む巨石、それに森。


「こ、ここは……どこだ?」


 どうして自分が空を見ているのか、状況がよく呑み込めない。


「はて……」


 顎に手を当て、記憶を呼び起こす。

 私は、議事堂にいたはずだ。

 マスコミから囲み取材を受けて、中身のない質問ばかりだったので早々に切り上げた。

 そのあとは――――。


「! そうだ心臓が痛くて、息もできなかった……」


 慌てて左胸に手を当てる。

 しばらくしても痛みはない。

 続いて深呼吸をする。こちらも問題ない。


「ふぅ、よかった」


 一安心だ。

 来年で七〇歳、健康にはかなり気を使っていても病というのは恐ろしく、積み上げてきた努力が一瞬で崩れ去ってしまう。健康にこそ気を遣わねばならない。


「………………よかった?」


 何かがおかしい。

 妙に体が軽い。ついでに言えばちょっと寒い。


「ふ、ふあっくしゅん!」


 くしゃみで鼻が出た。

 拭おうとスーツのポケットに入れておいたエルメスのハンカチを探すのだが、探る手に感触がない。ハンカチの、ではない。まさぐろうとした衣服の感触すらない。

 はて、と、自分の体を見る。


「……どういうことだ?」


 あるのは瑞々しい幼い肢体。なにも身にまとっていない、生まれたままのそれ。

 自分の手だと思って動かすのは皺もない、まるで白魚のような手だ。


「握って……開く。握って……開く……」


 言葉通りに動く。

 が、手は記憶にあるものと違うことに頭がくらくらした。


「ど、どうなっているんだ?」


 自分の体だと認識できるもの触る。それが自分のものだと思えたのは感触があったからだ。が、思考が付いて行かない。


「……まってくれ」


 誰に向けた言葉か、自分でもわからない。

 頭が疑問を処理しきれず、こめかみが痛くなる。


「どうなってしまったんだ!?」


 体中を触る。

 露わになった肌には毛がなく、出っ張っていた腹もない。

 これではまるで女の子だ。


「女の子?」


 自分の言葉に首を横に振る。

 まさか、そんな馬鹿なことはない。

 性別が変わる? 体が小さくなる?

 夢物語だ。


「ま、まさか……」


 恐る恐る下半身を見る。

 無毛の肌に突起物はない。試しに揺らしてみても分からない。混乱に拍車がかかるのがわかる。

 このままではいかん、落ち着け、深呼吸だ。

 吸って、吐いて。

 吸って、吐いて。


「か、隠れているだけかもしれんしな!」


 下腹部へと意識を集中する。が、起き上がってくる様子もない。

 仕方なく触ってみる。

 触ってみる――――。

 触って――――――――。


「!」


 ない。

 なにも、ない。


「嘘だ……!」


 これは、何かの間違いだ。

 深呼吸をして、もう一度落ち着いて確かめれば大丈夫に違いない。

 吸って吐いて。

 吸って吐いて。

 吸って吐いて。

 吸って吐いて。

 吸って吐いて。

 吸って吐いて。

 もうそろそろいいだろう。

 再び手で下腹部を触る。

 しかし――――。


「……な、ない? 本当にないのか?」


 呆然とする。

 慌てて誰かに尋ねようとして、しかし、見渡せばここが国会議事堂ではないことにも気づいた。

 周りの、巨石と呼ぶにふさわしいそれは、以前見学した英国のストーンヘンジに似ている。

 違うのは、ストーンヘンジが丘の上にあったのに、ここは森の中。

 真上だけぽっかり開いて青い空が見える。問題なのは、この場所に全く見覚えがないこと。


「……うっ!?」


 頭痛がして、こめかみを押さえる。

 脳裏に過るのは記者や、テレビ局の人間の顔、顔、顔。


「そうだ、私は、あの時……倒れた」


 突然の、心臓からの脳天にかけて走った鋭利な痛みを鮮明に覚えている。

 覚えて――――。


「どういうことだ?」


 もはや考えが追い付かない。

 混乱の極致に膝をつく。

 これは夢ではないのか?

 ぐるぐると頭の中を疑問符が回っている。

 そうこうしていると、後ろの藪らかがさがさと音がして、慌てて振り返った。


「えっ!?」


 声に振り向けば驚いた顔した少女がいた。

 三つ編みの金髪、くすんだ頬、薄汚れた服、手にはそこらへんで摘んだような白い花を持って、絵本の中から抜け出してきたような垢抜けない田舎娘だ。

 私は危害を加えられるような存在でなかったことを安堵し、目の前の少女は何度も瞬きをする。


「……」

「……」


 互いに言葉を出せぬまま奇妙な間が続いたが、寒風が吹きすさび体を撫でた。


「ふ、ふあっくしゅん!」


 くしゃみが出る。

 口元を拭い、鼻を擦った。


「生きてる……」

「ん?」

「願いが届きました!」


 目を輝かせてとびかかってくる迫る少女に押し倒され、


「あなたは聖母さま!」

「ふぐ!?」


 後ろ頭を打つ。

 意識が消える瞬間の彼女は、満面の笑みを浮かべていた。


新作始めました。

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