ホテル・シャルルヴィルの虐殺
クートンの自動車はダブルベルリーヌという辻馬車の客車をふたつくっつけてエンジンと車輪をつけたような少し大きめのベージュ色の自動車で、型は古いけど間違いなく高級車に属するものだった。城のなかには自動車が走れる道がないので、これを使うのは外に出かけるときだけだ。きけば、この自動車の元持ち主はカス人間だという(鍵のついた本を受け取った後、「いま、人をひかなかったですか?」「こんな辺鄙な山道で?」「一応、降りて確かめてみたほうが」「やれやれ――なんだ、タヌキじゃないか」ズドン!)。
クートンのもうひとつの狩場であるシャルルヴィルは人口二万人の小さな、一応観光都市だ。一応、と言ったのは、ここが観光都市だと思っている人間が世界に五千人しかいないからだ。つまり、全人口に自分たちは観光都市に住んでいると納得させられないのだ。この湖畔の田舎町は。ちなみにシャルルヴィルで観光業に従事しているのは一万五千人である。ここで、あれ?と思う人もいるだろう。二万人から一万五千人を引くと、五千人になる。つまり、シャルルヴィルが観光都市だと思っているのは観光業に従事していない五千人なのだ。観光業一万五千人は自分たちは観光都市にいないと認めている。この悲壮な認識はずばりシャルルヴィルが温泉地ではないからだ。温泉さえ出れば、体によいと宣伝できるし、国の認可が下りて、宮殿みたいなカジノもつくれる。なにより温泉のファンというのは秘湯原理主義であり、奥まった場所にある温泉ほど価値があると思っている。シェルヴェ=モン=ルージュやコーデルなんて静養地ではダメだ。子どもだましだ。モン=サン=ルクロワンヌやモン=ヴールヴィーユくらいじゃないと。でも、まだ不満だ。もっと、こう、秘匿性がないと。なに、シャルルヴィルはもっと田舎なのか? なぜそれをはやく言ってくれない! というわけである。
まあ、これは温泉が出たらの話だ。出なかったら、どうかと言うと、娯楽と言えば湖と手漕ぎボートくらい。森が分厚過ぎて、開けた景色がない。というより、このタフな植物軍団は油断していると市街地に食い込んでくる。ある宿屋一家が人生の可能性を切り開きたいと出ていき、一週間そのままにしておいたら、壁一面蔓草に占拠されてしまった。シャルルヴィルには『干し草燃やし』という奇祭があり、町の広場に干し草を山盛りにして火をつけ、そのまわりを奇声を上げながら踊り狂うのだけど、これは町を包囲する植物に対し、おれたちは火を使えるんだぞ、来るなら来いと潜在武力を見せつけ、自身を盛り上げる、人間バンザイ祭りなのだ。一度、この祭りを見たことがあるが、炎は町で一番高い四階建てのホテルの二倍の高さで燃え上がり、町全体が燃えてしまうのではないかとハラハラさせられた。
初めてこの町に来たとき、クートンは警察署のそばに自動車を止めて、サイダー水を買いに出ていった。すると、警官が僕らのほうにやってきて、自動車の窓ガラスをコツコツ叩いた。
「なんですか?」
「きみらは観光客か?」
「そうです」
「悪いことは言わないから、帰ったほうがいいぞ」
閉鎖的な町の警官の根性曲がりの伝説は世界じゅうに存在する。でも、相手の警官はヒゲに白いものが混じった年配で、ジュペ警視みたいな暴力タイプというよりは地元密着の人情タイプに見えた。
「どうして帰ったほうがいいんですか?」
「そりゃ、この町はつまらん田舎町だからだ。見るとこもないし、遊ぶところもない。湖の魚は頭が良過ぎて網や釣り針にかからないし、鹿やウサギを追うには森は深すぎる。夏は確かに涼しいが、蒸す。浴場の湯は地熱じゃなくて、薪で温めてるんだ」
この否定具合から推測するにこの警官は観光課の警官らしい。
「僕らはもっと田舎に住んでいるので大丈夫です」
「ま、そういうなら止めんけど」
そう言った後、警官は声を潜めて、
「大きな声じゃ言えないが、このシャルルヴィルはな。殺人事件の件数が大都市並なんだ。それもいつも射殺事件。犯人は見つからない。そして、ここが大切なんだが、殺されるのは必ず町の外からやってきたやつらなんだ」
警官は謎のピストル殺人鬼の手にかかって僕らが撃ち殺されることをなんとしても避けたいと思っているようだった。
「大丈夫ですよ」
だって、犯人知ってるし。
「気をつけるんだぞ。ところで、さっきからずっと笑ってるが、そんなにこの町が気にいったのかね?」
合成オレンジ味のサイダー水(オレンジはシャルルヴィルでは絶対に収穫できない果物のひとつだ)を藁しべのストローで飲みながら、クートンは市内の環状道路をぐるぐるまわって、運転を楽しんだ。そのあいだにシャルルヴィルのカス人間事情を教えてくれた。シャルルヴィルのような倦怠感あふれる田舎は、カス人間たちの生業をこっそりやらかすのにちょうどいい町なのだそうな。もちろん取引は赤いカラバラ革の表紙に真鍮の留め金がついている鍵付きの本のやりとりである。結局、この謎はいまだ謎のままだ。誰かこの鍵付きの本の意味、中身、真相を知っている人がいたら、シェルヴェ=モン=ルージュのカンロベル通り五一七番地の僕の家まで手紙で知らせてほしい。お礼は一万リアン。悪い取引じゃないでしょ?
いくつかあるホテルのうち、カス人間御用達はホテル・シャルルヴィルだった。このホテルはシャルルヴィルにある十七軒のホテルのうち十七軒目に建てられた築三十年のホテルだ。毎日どこかで壁紙がべろりとめくれて、ホテルのボーイは居眠りしていて、コックは味見と称して客に出す料理に指を突っ込み、ダイニング・ルームはやけに天井が低い。シャルルヴィルの名を冠したのは、十七軒のホテルのオーナーが集まって、いくらなんでも町の名前を冠したホテルがひとつもないのはあんまりだろうということで、さんざん貧乏くじの押し付け合いをした末、この十七軒目のホテルが生贄に選ばれた。その貧乏くじの風味がカス人間を呼び寄せるらしい。
殺すべきカス人間は十人。その写真が十枚。そのうち二枚は、犯罪傾向は頭蓋骨の形に影響されるという学者が撮った逮捕時の写真、残り八枚は地元の写真屋で撮ったへたくそな庭園の絵を背景にした写真で、妻と子ども、妻と赤ん坊、一族全員、徴兵されたときの写真で、殺すべきカス人間に赤いインクで丸がしてあった。そこから先は算数の問題だ。僕らの使う自動拳銃は弾倉に七発、あらかじめ薬室に入れた弾が一発で計八発。これを両手持ちにすれば十六発。そこにアレットもいるから、僕らが使える弾は三十二発。さらに予備の弾倉をそれぞれ二個持っているからこれが十四発。かける二で二十八発。三十二発足す二十八発で計七十発。あ、いや六十発だ。どうも計算は苦手だ。カス人間ひとりに六発撃ち込めるけど、弾倉を交換するのは隙になるから、最初の三十二発で決める。ちなみにクートンは参加しない。ひとり三発、余り二発だ。
「ところで」と、環状道路を十週目しているときにクートンが言った。「わたしたちの仕事は清潔であることが肝心です。無関係の人は巻き込まないように」
「じゃあ、顔は隠します」
「マスクは座席の下にあります」
引っぱり出してみると、顔全体を隠すシンプルな白い仮面だった。革製のバンドで固定するもので、マスクの大きさはちょうどだったけど、バンドのほうは一番きつい穴を使ってもまだ大きかったので、新しい穴を開けて、余りの革を切り取った。僕らが着ているのは親戚の結婚式に着ていく黒いよそ行きでひらひらしたネクタイをつけ、手袋は白かった。児童就労されるソムリエみたいだ。ホテルに入るまではマスクなしでいることにする。こうして暗殺の段取りを考えると、生き生きとは言わないけど、頭を使っている気になる。
「その微笑みを使えないのは残念ですけど、最後のひとりくらいには見せてやってもいい気がします」
「いえ。隠密性を高められるので取り外しはしません」
「組織の教育の賜物ですね。まあ、いいでしょう。本を持ってくるのを忘れないでください」
「他に何かありますか?」
「終わったら、部屋にこれを置いていってください。迷惑料です」
そう言って、クートンは一万リアンの札束をひとつ、ポンと渡した。
ホテル・シャルルヴィルは田舎道の十字路にあり、裏手は崖になっていて、下には葡萄の畑が段々になっていた。裏口ではウェイターがさぼって煙草を吸っていた。顔を見られると始末しないといけなくなるので、マスクをつけて、銃は抜いた状態でそのまま歩いてゆく。ウェイターは僕らを見るなり、煙草を最後のひと喫みしてポイ捨てし、自分の首の後ろあたりを指で差して、
「このあたりを殴ってくれ。気絶できなくてもいい。そんなこと警察にはわかりゃしない。あざさえ残ればいいんだ」
と、言ったが、僕らは人を殴って気絶させるプロだったので、きっちり気絶させた。裏口から煉瓦剥き出しの廊下を数歩進むと、厨房につく。そこでは大柄のコック長がレンジのそばで鳩のソテーの面倒を見ながら、ずんぐりした小柄なコックに、
「とっとと鱒のムニエルを焼きやがれ! このくそったれが! おれが言ってやらねえと魚一匹焼けねえとはどういうこった!」と怒鳴っていた。
「んなことできるわけねえだろ!」コックもやり返す。「何をムニエルにしろってんだ? 鱒なんてどこにもねえだろうが!」
「ねえわけあるか! ちゃんと朝、そこにあったんだ! 探しやがれ!」
「ねえもんはねえってば!」
「じゃあ、釣ってこい!」
「アホ抜かせ!」
「なんだと、てめえ! 見習いの分際でコック長さまに逆らうとはいい度胸だ。てめえは世界で唯一のコック長を尊敬できねえ、マヌケ・コックだ。帽子とれ。男と男、一対一で決着つけようじゃねえか!」
そんなことを言って腕まくりをしていた勇ましいふたりのコックも僕らを見ると顔を蒼くして、コック長のほうが「くそっ、もうそんなシーズンか!」と毒ついた。カス人間の始末にシーズンがあるとは知らなかった。
すると、ここでアレットがおふざけをした。マスクを取ろうとしたのだ。すると、ふたりのコックは、
「うわっ、やめろ! おれは何も見てねえぞ!」
「頼むよ、ガキを三人かかえてて、女房が四人目を腹に詰めてて、面倒みなきゃいけねえババアもいるんだからな!」
と、素っ頓狂な声をあげて、その場にうずくまってしまった。
厨房を出て、なぜあんなことをしたのかたずねても、アレットは肩をすくめるだけだった。そのうち後にした厨房のほうから「ちくしょう! 鳩が焦げちまった!」と毒つくのがきこえてきた。
ホテル・シャルルヴィルに限った話ではないけど、このあたりのホテルはカス人間殺人事件を最低三件は経験している。だから、白いマスクの黒装束が消音器付きの銃を手にやってきたら、反対の方向を向いて目をつむり、親指で耳に栓をして、何も見てないきいてないの姿勢を取る。事件の迷宮化に対し、とても協力的だ。
フロントはおらず、三階の七号室の鍵がカウンターに置いてあった。ここまでくれば、暗殺も紳士のスポーツになる。
三階の七号室の前にはカス人間がふたり、門番風に立っていた。ふたりは僕らが階段からあらわれるのを見て、いや見ているはずなのに、なんらアクションがなかった。あまりにも無防備で気づいてもいないので、僕はアレットに、彼らを殺してもいいのかとたずねたほどだ。
しかし、銃を使った暗殺をしていて、いつも思うのは空薬莢のことだ。銃を撃つと、薬莢が残る。これが部屋じゅうに転がっていると、なんだか物的証拠をばら撒いているような気になってくる。もちろん、銃に触るときは手袋をしているから指紋は一切残っていない。いちいち拾うのも面倒だ。でも、気になるのだ。それににおい。血は水より濃いかもしれないけど、硝煙よりは薄い。とにかく火薬の燃えカスがあたり一面でにおう。これは外に出ても、においが服に残ると思う。ロワリエ支部長もそこまで馬鹿なことを言っていなかったということだろうか。まあ、それを補って余りある殺傷力と便利さが銃にはあるわけなのだが。
さて、部屋にいるカス人間を全員殺して、カラバラ革の赤い装丁の鍵付きの本も回収すると、ここで算数の問題が出てきた。廊下にふたり、部屋で七人。合計九人を始末したわけだけど、残りひとりがいない。任務は十人のカス人間の始末である。
椅子にもたれかかって脳みそを流している死体や手に持った雑誌を咄嗟に盾にしようとして目を撃ち抜かれた死体を数えなおし、やっぱりひとり足りないことが分かった。クローゼットのなかを見たけど、やっぱりいない。田舎ホテルで十人が集まれる部屋だから、それなりの大きさはあるけど、人間ひとりを手品で消えたみたいに隠せるほどの大きさはない。
あまりぐずぐずもしていられないと思っていたとき、風呂場からざらざらしたオペラのアリアがきこえてきた――ルイージ・ディ・マリオの『ノン・カンターレ・ネッラ・ヴァスカ・ダ・バッニョ』。カス人間のうちのひとりが浴室に蓄音機を持ち込んで、ご機嫌に入浴を楽しんでいるらしい。
「おい、誰か、シェリー酒をもってこい!」
ルイージ・ディ・マリオのテノールのあいだに野太い品のないバスが叫ぶ。バスがバスから叫ぶ。バスがバスに乗ってバスから叫ぶ。うん。分かってる。この辺でやめておくよ。
アサニオ・キロガというラベルが貼られた壜があって、そのそばに細い脚を持つワイングラスが置いてあった。アレットはそれを銀のお盆に乗せて、僕に渡し、しかもマスクを外させた。
相手には一発も撃たせなかったけど、それにしても気づかないとはよっぽどお気楽なのだろう。浴室のドアを開けると、金の猫の脚がついた白い浴槽を泡いっぱいにしたカス人間がふっくらした顔に分厚い唇をぐねぐねうねらせながら、太い腕をふって、指揮者の真似事をしていた。
「ん? なにニヤニヤ見てやがる! 酒を置いて出ていけ!」
そこでシャツがかぶさった椅子にお盆を置くと、銃が見えた。カス人間は自分に向けられた銃口を、そして僕の顔に貼りついた微笑みを見て、状況をあっという間に理解した。カス人間は今日一度も慌てたことのない僕らに対し、「お、おお、おおお、落ち着け。なっ?」となだめるように言ってきた。
「何が欲しいんだ? 何でもやる、だから、命だけは――」
プシュ! 泡に血が飛び散って、あっという間にイチゴジャムのようになり、カス人間のほうは額に穴を開けたまま、ずるずると浴槽の底へ沈んでいき、そのかわりに足が二本、泡のなかからにょきっと突き出した。
廊下のほうで、アレットがクスッと笑うのがきこえた。アレットも快楽殺人者になってきたのかもしれない。
ホテル・シャルルヴィルの従業員はみな犯人は知らない、見ていない、なにもきいていないの一点張りで、この殺人事件も迷宮入りの箱に放り込まれた。




