一国一城の主
ここにきて、事態は面白い方向に転がった。この人事が栄転なのか左遷なのかは置いておいて(正直なところ左遷なら面白いな)、シュレーデルの出世は僕らの生活に大きな影響を及ぼしたわけだ。こうして昔のことを思い起こしている現在まで考えて、これほどの地位についたことは一度もない。つまり、これが僕の人生の一大躍進。ハイライト。スターダム。映画の主演。早速任地に赴くと、なかなか面白いことになっていた。第三三二事務官房はふたつの建物から成っていた。これだけきくと景気のいい話だけど、実際は二階だけ。一階には別の店が入っている。つまり、僕らの事務官房は稟議書をまわすとき、いちいち二階から降りて、小さな谷を挟んだ二軒隣の建物の二階まで行かないといけない。ただ、この事務官房をつくった大工と技師たちは僕らの仕事がやりやすくなるよう、ちょっとした工夫をしてくれた。自動車のエンジンを応用したロープウェイで書類を行き来できるようにしてくれたのだ。これはあくまで書類やコーヒーを入れた魔法瓶を運ぶためのものだったけど、ずぼらな人間が乗るのに時間はかからなかった。というのも、僕とアレットは共同局長であり、これはどちらかのハンコがあればいいというものではなく、両方のハンコが必要だ。そして、僕らは別々の建物にいる。書類はロープウェイで送られ、修正箇所についてクリップで止めたメモと一緒にロープウェイで送り返され、また再送付。また再返送。ロープウェイは動きにムラがあって、速度が低くなったり高くなったり、ほとんど止まったようになったりするから、四十五分ほどの時間がかかる。こんなのは書いた本人がその場にいれば、五分とかからない仕事だ。すると、ロープウェイの籐籠に人間が直接乗るという選択肢が黄金のように輝いて見えてくる。
僕のいる官房分室は八人の役人からなっていた。一階は夜警の詰め所になっていて、引退した老人たちがサイコロを転がしていて、その奥の階段から官房分室に上がれる。僕がやってくると、八人の役人が見た目だけは恭しくお辞儀をして、ハンコを押してほしい書類をあれこれ持ち出してくる。役人たちはみなくたびれた外套に糸がほつれた金モールを肩に乗せ、昨日のカードの勝ち負けについて、あれこれ話している。そのうち、掃除係の老人のホウキを盗んで、鬼ごっこを始めて、部屋じゅうを走り回る。仕事をなめているのは間違いなかったけど、僕は局長というのは黙って座ってハンコを押すものだと思っていたし、この微笑みのせいで部下たちは全てが許されると思っていたようだ。一度などピストルを持ち込み、メッセンジャーボーイの頭に無理やり乗せたリンゴを撃ち抜いたりした。こいつらに比べれば、シャルルマンなんて年間最優秀職員だ。
第三三二事務官房は二級執事やメイド、針子娘の給料支給に関係する役所で、役人たちは女性が給料をもらいに来たときは椅子を勧めたり、コーヒーを淹れたりして、可能ならお尻をつねったりする。男が給料をもらいに来ると、邪険に扱い、払うはずの給料をピンハネしようとしてつかみ合いの喧嘩を始める。普通の局長ならきっと拳にものを言わせて、この場を支配するのだろう。だけど、僕は快楽殺人者の片棒担ぎにして、永遠の微笑みマン。だから、好き勝手にやらせておいた。アレット側の分室は一階にカフェがあり、熱々のブリオッシュが簡単に手に入るらしい。
このお調子者のごくつぶしたちは自分たちの分室の一階にもビストロがあれば、入り浸れたのにと悔しがったが僕に言われても困る。全てはシュレーデルの御心のままなのだ。
このときのクートンの立場はどうなっているのか。これはちょっとした謎だった。彼の権力の源泉は父親が長官であることだった。アレットがシュレーデルの出世を条件にしたときだって、たぶん第五五事務官房の副局長くらいにしてくれというものだったはずだ。それが長官になってしまい、クートンの父親は相談役という名前は立派だが、決して相談されることはない閑職にいるのだ。ところが、それでもクートンの生活、つまりカス人間殺しに支障をきたしている様子はない。むしろ、カス人間関連の密告は増えていて、殺している人数も増えている。それにクートンは電話一本でいつでも僕らを呼びに出すことができた。そのあいだ、第三三二事務官房には代理局長が派遣され、どんな運営がされたのか知らないが、僕が帰ってくると、目に青あざ、たんこぶで身長が五センチも伸びたごくつぶしたちが泣きながら僕の手に接吻して、どうかお願いだから出かけないでくれと懇願してくる。こうなると、役人たちはしばらく大人しいが、三日も経つとまたトランプを燃やしたり、逆立ちで書類を届けに来たりする。そして、そのころになると、またカス人間殺しの召集がやってくる。
シュレーデル崇拝が日に日に発展していくように、クートンのカス人間暗殺業にも拡大があった。クートンはある日、赤い深皿状の花が咲く裏庭で僕らに二丁拳銃というものを教えてきた。クートン曰く、二丁拳銃は拳銃使いが必ず通らねばならない道であり、そろそろ僕らもその道を踏破すべきだということだった。「火力は二倍にならなければいけません」これがクートンの言葉だ。火力。なんて素晴らしい言葉だろう。戦争中、師団長は旅団長に「我が軍は火力で優っている」といい、旅団長は連隊長に「我が軍は火力で敵に三倍優っている」といい、連隊長は大隊長に「我が軍は火力で敵を圧倒している」といい、大隊長は中隊長に「我が軍は愛国心で敵を圧倒している」といい、中隊長は僕らに「悪いニュースだ。近々自殺突撃が行われる」という。師団長はお気楽で、旅団長は病的な嘘つきで、連隊長は数字が苦手で、大隊長は精神主義に逃げ、中隊長は正直者だった。もちろん僕らを一番絶望させるのは正直者である。
それにもうひとつ、クートンのカス人間殺しも少々参ったことになっていた。僕らが来て以来、カス人間の乱獲が進んだというか、急速に数を減らしていた。これからもカス人間を殺すには城の外に求めないといけない。つまり、僕らは城の外に出ることになるのだ。城で一年間休息せよという任務はもうこのころにはシュレーデル独裁によって効力を失っていた。第三三二事務官房の大人子どもたちには不幸なことに僕らは自動車で二日かけて、城に一番近い地方都市へとカス人間を暗殺しに行くことになった。代理局長はかつて軍隊で鬼軍曹をしていた人物で「五日もあれば、あのロクデナシどもは鋼鉄のケツからクソをひり出すようになる」と僕に請け合った。




