微笑みの効用
シュレーデルは僕らのことはすっかり忘れているらしかったが、そっちのほうが僕らには過ごしやすかった。副長官にでも任じられたら、僕らは一日じゅう書類にハンコを押して暮らすことになる。ちなみに僕らをアルベール・クートンに貸し出す命令はまだ生きていたので、僕らはうろうろとシュレーデル行進をしながら――これはシュレーデル団の大切な日課だった――、カス人間の始末にも手を貸していた。クートンに頼まれ、消音器付きのピストルでプシュプシュとカス人間を殺していくうちにとんでもないことが起きた。朝起きて、なんだか顔がこわばっているなと思いつつ、廊下の洗面台で顔を洗い、鏡を見たら、アルベール・クートンそっくりの目が笑っていない微笑みで顔が凍りついていたのだ。これには僕もアレットも驚いた。顔をしかめようとしても、ぴくりともせず、自分が教会の彫像になったみたいだ。この微笑をたたえたまま、食堂に降り、パンにバターを塗っていると、出会った人全員に何かいいことがあったのかときかれた。この日まで〈紳士淑女館〉の住人は僕らの笑顔を見たことがなかったのだ。まあ、そのうち元に戻ると思って放っておくことにしたけど、実はこの顔面硬直的微笑み、これから五年以上続くことになる。戦争が始まり、キュスティーヌ近郊の塹壕で、ジャン・アダンが死んでしまったあのときまで。
これは後の話の一年先取りだけど、この微笑みのせいでロワリエ支部長にアルベール・クートンの暗殺を受けたことがバレて、いろいろ大変だった。ロワリエ支部長はクートンの悪意を見て、ぶうたれたが、結局、僕らがいまだナイフとピアノ線に忠誠を誓っていることが確認できると、頑固な暗殺者のいつものあれ――なかったことにする、で自身の矜持と常識を守ったのだった。
ともあれ、僕とアレットは今後、この微笑みをたたえたまま、人を殺すことになる。無表情で殺されるより、トチ狂った高笑いで殺されるより、ピクリともしない微笑みで殺されるほうが標的の恐怖を掻き立てるらしい。クートンはカス人間を始末するとき、カス人間から本を受け取ると、二階に案内して撃ち殺すのだけど、そのうち僕らに撃たせるようになった。つまり、僕かアレットのどちらかひとりがカス人間を呼びに行き、クートンは本を受け取ると、二階ではなく、赤い深皿状の花が咲く裏庭に連れてくる。そこでは目が笑っていない微笑みを顔に貼りつけた僕らの片方が待っているわけだ。反応はいろいろで入ってきた扉に飛ぶように戻るもの、塀を越えようとするもの、切株の上に置いてある錫製のじょうろに隠れようとするものなど、いろいろいたが、僕の手にある消音器付きの銃を奪おうと飛びかかるものはいなかった。それが微笑と暗殺の相乗効果なのだ。相手は僕らを――大変不本意ではあるが――快楽殺人者と思ったに違いない。彼ら彼女らは僕が殺すのは楽しみのためだと信じたまま死んでいく。相手が死んでしまった以上、こちらが勘違いを是正する機会は永遠に失われてしまったわけだけど、カス人間たちが失ったものに比べれば、まあ微々たるものだ。
ところで、アルベール・クートンは教会の拳銃使いなのだけど、実はとんでもない異端者であった。これはカス人間を殺した後、「微笑みの国に堕とした」という言い回しを使っていたことから判明する。僕らは初め微笑みの国とは天国のことかと思っていたのだけど、それでは堕としたという表現がおかしい。そこで僕らはそれとなくきいてみたのだけど、クートンは司祭でありながら、地獄の存在を信じず、天国と対照的に存在する世界を微笑みの国と呼んでいた。つまり、天国と微笑みの国。人間の魂はこのどちらかに送られる。微笑みの国には何があるのかたずねたのだけど、そこにはただ微笑みだけがあるのだそうだ。でも、これも地獄になり得るのではないか? クートンに殺されたカス人間たちはみなクートンの何をもってしても剥がれない微笑みを向けられ、戦慄しながら死んでいったのだ。死してなお、死を予感させる微笑みに囲まれるのは地獄に相当する。こんなところが異端思想の原因だろう。時代が時代なら火あぶり待ったなしだけど、教会から初等教育の機会を奪って小学校にくれてやった共和制の時代なのだから、まあ火あぶりはないだろう。ただ、快楽殺人者であることは許してくれそうにない。それでも、まあギロチンか年間平均気温三十六度の熱帯の島流しで勘弁してくれる。
ところで、銃を使ってみて分かったことがある。それは人間は頭を撃たれても必ず死ぬとは限らないことだ。例のロッジでカツラの映画俳優が即死しなかったこともそうだし、それ以後、片づけたカス人間のなかにもときどき頭のど真ん中にダムダム弾が命中したのにふらふらと立ち上がったものがいた。なかには立ったまま両腕をぐるんぐるんと体操するみたいにまわしたやつもいた。どうも銃弾が腕の動きを命令する神経を焼き切って、偽の命令をするよう働いたらしい。そこで二発、胸に撃ち込むと、体操は終わり、微笑みの国へと堕ちていった。クートンにきいたら、別に狙う場所は頭に固執しなくてもいいし、確実性を求めるなら、まず胸に二発撃ち、トドメに頭を一発撃てば、まず殺し漏らしがないと言われた。クートンの経験では鹿撃ち用の霰弾で頭をきれいに吹き飛ばしたカス人間がこと切れるまで五十メートル走って逃げたこともあったという。これをもってロワリエ支部長は銃をダメだとけなすかもしれないが、残念、僕は頭の後ろに包丁をたっぷり刺したまま、八百屋で芽キャベツを買い、ベーコンと一緒に炒めて食べて、お昼寝をしようとして枕に何かぶつかり、そこで頭に刺さった包丁の存在に気づいた主婦を知っている。ただ、不思議なことに戦争中、頭を撃たれて平気だったやつはひとりも見かけなかった。




