初めての任務
僕とアレットは二人で暮らした。時おり腕をなまらせないよう、投げナイフの訓練なり接近戦の訓練なりをしていた。組織はロワリエに秘密の訓練所を持っていた。それは第十九区のボスケ通り三八番地にある〈モンブラン・バレエ教室〉の地下に広がる五百年前の異端宗教の集会所だった。山羊の頭をした天使の像が壁龕に据え置かれただだっぴろい広間で鋳鉄製の吊り灯には鯨油ランプが引っかかっていた。僕らは街に放し飼いにされている他の暗殺者たちとここで暗殺の腕を磨くのだった。ここが人に見つかる心配はなかった。というのも、第十九区は貧民街であり、バレエなど習わせる家庭はなかったし、本気で自分の娘をバレリーナにするのなら、直接劇場に行き、売り飛ばすようなやり方で取引するという手があった。わざわざ金を払ってバレエを習わせるのは阿呆のすることだと思い、誰も〈モンブラン・バレエ教室〉にバレエを習わせにやることはないわけだ。
ロワリエで暮らして、まず最初に分かったことは組織の金銭感覚のおかしさだった。組織は当座の生活資金だといって僕らに一万レアンの現金を置いていった。二人で普通に暮らしても一ヶ月二百レアンを超えないにもかかわらずだ。一万レアンあれば、ガダンヌのような描き散らし型の画家四百人が正規の路上販売許可証を手に入れることができる。
組織は小物しか殺していないくせに妙に金回りが良かった。顧客がオツムのイカれた上流階級だから払いもいいのだろう。ただ、組織が金をもらうのはそれが昔からのルールになっているからであって、その金庫に収まった莫大な金を蕩尽してやろうと思うものは一人もいなかった。組織の最高幹部たちはただ金を貯めるにまかせた。彼らは金を取ることは取るが、金のために組織を運営しているのではなく、暗殺のために運営していた。暗殺のために暗殺を繰り返すというロワリエだったら精神病院行き間違いなしの馬鹿げた考えが組織の頭にたっぷりいっぱい詰まっていた。あんまり詰めすぎるもんだから、ギシギシ音が鳴るほどだ。彼らは洗練された暗殺が遂行されるたびに自分たちの存在意義に酔いしれるのであった。
僕らに金と任務を持ち込むのは連絡役のアンリだった。名字は知らない。アンリは特徴のない男だった。顔や体つき、声や話し言葉、筆跡、服装、何もかもが人並みだった。そのかわり、毎月現金で一万レアンを顔色一つ変えずに持ち歩く度胸のある男で、暗殺指令についても同様だった。その指令を持ち歩いているところで、もし警官に捕まれば、法学部を卒業して三分と経っていない新米検事だって、アンリをギロチン送りにできる。だが、アンリはそんなことはちっとも気にせず、淡々と指令を言い渡していく。こっちも同じくらい淡々と任務を受ける。
暗記した後で燃やせと言われた紙ばさみのなかには警察が逮捕時に撮る顔写真が一枚、それと身長や体重、住所、罪状、そして現在の住所が書かれてある。僕らは言われたとおり、それらを暗記し、写真以外はみな焼いた。連絡役のアンリはそれを確認すると、満足げにうなずいて、帰っていった。
ロワリエに暮らすようになって初めての標的は堕胎医だった。ナゼール・リュノー、四十七歳。二年前に撮られた写真ではしっかり整髪油で撫でつけたつややかな髪をした丸顔の洒落男できちんと跳ねた口髭さえつややかだった。髪は茶、目の色は青。身長は一七三センチ、体重は七〇キロ。経歴としては娼婦絡みの揉め事で医学部を中退後、植民地戦争で従軍中に医者の真似事をしたもぐりの医者で、現在はバレ河の向こうの第十七区ルンド通り八二番地で違法な堕胎医として暮らしていた。堕胎の罪で二度逮捕されているが、リュノー医師はどうやら罰金を払えるだけの余裕があったらしく、どちらも一週間獄につながれただけで釈放されている。つまり、繁盛しているということだった。
早速、僕らは下見に出かけた。まだロワリエという街を知りきっていない。だから、僕らはいつどんな任務にも対応できるよう街のことを知っておく必要があったのだ。
第二十一区から正反対の第十七区まで行く途上、第十三区、第七区、そして中央の第一区と通っていくのだけど、中央に近づくにつれて街がだんだん清潔になり、道行く人々の平均月収と着ている服の等級が上がっていった。そしてロワリエでも有数の緑豊かな公園や王政時代に贅を凝らし今は国民宮殿と名を変えた王たちの住処、宝石街と呼ばれる高級住宅地が集まる中心部では優雅さがこれ以上ないほど高められていた。一一一番地の中庭のように鶏が走るなどということはない。第一区から第三区までの中心街では生き物はハムかパテ、ソーセージ、あるいはリンゴをくわえた丸焼きの状態でのみ存在している。警官もここでは一番上等な制服を着ている。まるで陸軍元帥のようにきらびやかで肩に金モールを乗せた紺の上衣の前は磨き上げた銀のボタンで閉じられ、そして元帥杖そっくりの装飾警棒を戯れにくるくる振り回している。チンピラの頭を警棒で叩き割ることで給料をもらっている第二十一区の警官たちとは大違いだ。
バレ河にかかるレヴォルエ橋を渡り、第十七区を目指して、第二区、第五区、第十区の順に北上すると、その順番に街の階級はそこに住む人々とともに下がっていた。羊が道いっぱいに群れて、人間の通行の邪魔をしたり、建物と建物の間隔が狭くなって、街路が池の底みたいに暗くなった。男たちがチョッキもつけず、道端でサイコロ賭博に興じ、女たちはパンの値段が上がったと金切り声を上げて、子どもを折檻し、子どもたちは理由なき暴力にさらされたことで強くなる。つまり、この世には暴力を振るう側と振るわれる側の人間しかいないということを理解し、自分は暴力を振るう側になると決心し、銀行強盗や殺人鬼の卵を作っていく。でも、しょうがない。パンの値段が上がれば、家計は立ち行かず、母親の憎悪は小麦商やパン屋へ向く代わりに子どもたちへと矛先を向ける。無駄にばくばくパンを食いやがって、というわけだ。
第十七区は、そこも第二十一区と変わらない場末街だった。打ち捨てられ廃墟となったマリエンブール宮殿を中心に貧民街が広がっていた。あちこちに石敷きの中庭に引っ込んだ横道があり、あちこちに行き止まりがあった。行き止まりにはたいてい肉屋があり、腹を裂かれた豚が一頭逆さまに吊り下がっていた。キャンバス地の前掛けをした女店主が店頭で鍋を火にかけソーセージを炒めていて、そこに加えられたニンニクの臭いは隣の街区にいても臭うくらい強烈なものだった。リュノー医師を殺した後に逃げるための道をきちんと把握しなければいけないと思い、地図を売っていそうな書店を探したが、第十七区にはそんなものは存在せず、またやっと見つけた露店古書商にたずねると、第十七区のめちゃくちゃに走った街路を網羅した地図は存在しないと言われた。結局、僕らは自分の足で歩いて、逃げ道やルンド通り八二番地の立地を確かめないといけなかった。考えてみれば、僕らは自分でお膳立てさせるために放し飼いにされているのだから、当然の苦労というわけだ。
ルンド通り八二番地はかつてロワリエを囲んでいた城壁跡地だった。そこは稜堡になっていて、地下にあるかつての砲兵隊の礼拝堂が現在、リュノー医師の違法堕胎医院になっていることがわかった。地上の稜堡それ自体は売春婦のねぐらになっていた。
僕らは任務に本腰を入れるため、そばの下宿屋に部屋を借り、標的の観察を始めた。稜堡の地下入口を見下ろせる窓からリュノー医師の一日を監視を始めたが、リュノー医師の商売は大繁盛だった。客は娼婦だけでなく、まだ十六歳くらいのブルジョワの子女や、お忍びでやってくる貴族らしき女性もいた。看護婦を雇うだけの儲けはあるらしい。
三日間の監視の結果、分かったことはまずリュノー医師の家は医院であり、また看護婦は愛人であることが判明した。看護婦とは同棲していたので、リュノー医師が一人になる時間はない。看護婦も始末しなければいけなくなった。僕らは少しの躊躇もなく、看護婦の殺害を決めた。任務遂行の障害は全て取り除くというのが、僕らの考え方だ。
リュノー医師の堕胎医院はもっぱら夜中に営業している。子どもを堕ろしにくる女性が大手をふって真っ昼間に来るわけはない。リュノー医師は午前三時ごろまで医院を開け、午前三時半には医院を閉める。夜明けが午前四時半だったから、一時間半のあいだに決行となった。
決行の日、午前三時半、一晩中客の相手をした売春婦たちは稜堡のなかで眠りにつき、リュノー医師も遅まきながらその仲間入りをしようとしていた。僕らは手袋をはめて、夜の街へと足を踏み出した。看護婦が表のドアを閉じようとしているところへすぐ脇の路地に隠れていた僕が投げナイフを放った。ナイフは真っ直ぐ飛んでいって、看護婦の喉に突き刺さった。刃に塗られた即効性のある毒がまわったらしく、看護婦はそのまま仰向けに、医院のなかへと倒れ、ドアが閉まろうとした。僕とアレットが音を立てず、通りを走り、素早く医院のなかへ滑り込んだ。元は礼拝堂だったこともあり、聖人像が入った壁龕と祭壇、それに灯を置くための壁のへこみ、ただ長椅子の類はどかされていて、ただ待合のための腰掛が乱雑に置かれている。ランプが二つ、椅子の上に置いてあって、それががらんとした医院の貴重な明かりだった。
僕がナイフを抜いて、その血を看護婦の服で拭うあいだにアレットが司祭室のそばにピタリと背中をつけた。すでに短剣がその手に握られていた。司祭室はリュノー医師の診察室となっていて、医師がまだその部屋のなかで何かをごそごそ漁っている音がした。
そのうち、音が止み、足音が聞こえ、そして、司祭室のドアノブがまわった。やや高い声がした。
「オノリーヌ! もう、表のドアの錠を下ろしたのか? 終わったんならこっちを手伝って――ぇあ」
リュノー医師が礼拝室に入るや否や、アレットが影のように背後へ忍びより短剣を相手の脳髄に突き刺した。リュノー医師は二度、大きく痙攣した後、その場に崩れ落ちた。
それからは簡単な作業。街角で配られていた堕胎反対運動のパンフレットをばら撒いた。そして、入口から顔を出し、人のいないことを確認すると、素早く医院を後にし、下宿へ戻った。
結局、リュノー医師と看護婦の死体が見つかったのは、それから十五時間後、夜中の七時のことだった。そのころには僕とアレットは下宿を引き払って、ランルザック通り一一一番地に戻っていた。
その後の経過は新聞で逐一うかがうことができた。選挙もなく、議会はその年度の予算を通していた。社交界にもこれといったスキャンダルや噂話がなく、ちょうどネタ切れの時期だったため、〈リアンソア日報〉のような大新聞でさえ、この殺人事件に飛びついた。〈リアンソア日報〉の伝えるところによると、まず警察は殺人現場にばら撒かれたパンフレットは捜査を撹乱するために残されたものだと判断した(カンのいい警官たちだ)。その理由として、医師と看護婦がどちらも一撃の下、即死していたからだった。過激な堕胎反対運動家の仕業ならば、メッタ刺しにされているというのが警察の見解だった。警察は慎重に調査を進めた結果、やはり堕胎医で第十七区在住のアレクサンドル・ワロキエ博士を逮捕した。僕らに逮捕の手が伸びていないということは、どうやら警察は自分たちで言うほど慎重な捜査をしなかったらしい。ただ、場末の売春婦街で堕胎医を殺したホンボシが、幼少のころから暗殺者として特殊な訓練を受けてきた十四歳の少年と少女だと見抜くには大変な想像力が必要とされる。そして、警官という人種はあまり想像力が強いほうではない。想像力は詩人や作家の持ち物であり、そして警官というのはみな詩人や作家を馬鹿にしていた。ただ警官たちの創造力は非常に強い。彼らは何も無いまっさらな紙の上に一大犯罪計画を暴き立てるようにして創りあげる。彼らは自白を、巧みな尋問ではなく人を殴るとき指にはめる金具で創出し、供述調書の被疑者の署名はインクではなく、歯のかけらが混じった血をもってなされるのだ。
さて、容疑者とされたワロキエ博士なのだが、彼には動機があった。リュノー医師は彼の商売敵だった。もう三十年以上、第十七区の堕胎を請け負ってきていたところに、五年前リュノー医師がやってきて、ワロキエ博士の半分の値段で堕胎を請け負い出した。ダンピングの意図は明らかだった。客のかなりの数がリュノー医師のほうへ流れ、ワロキエ博士にとっては面白くない。リュノー医師が殺害される二日前、ワロキエ博士は通っている酒場でリュノー医師を殺すと公言していたそうだ。
「殺すっつったって」酒場の店主が言った。「あんたもいい年じゃないか。できやしねえさ」ワロキエ博士はもう六十に手が届く年齢だった。
「殺し屋を雇ってやる!」ワロキエ博士は顔を真っ赤にして返した。「わしにだって、そのくらいのコネはある! わしはこの街で三十年医院をやってきたんだ!」
これが決め手となった。逮捕されたワロキエ博士は二日間容疑を否認したが、しこたま殴られて取調べ三日目になって全ての容疑を認めた。彼は下手人としてギヨーム・レスタンの名を上げた。その界隈に住む札付きの悪党であり、賭博師であり、ポン引きであり、麻薬密売人であった。まだ殺しにまでは手を汚していなかったが、このたび、称号に殺し屋がくわえられることになった。ギヨーム・レスタンも逮捕されて二日間は容疑を否認したが、やはりしこたま殴られて取調べ三日目になって全ての容疑を認めた。裁判所は二人に死刑判決を下した。執行日は未定だった。死刑囚用の牢屋にぶち込み、お上が思い出したころにギロチンで首を刎ねるのだ。
組織は僕らの仕事ぶりに満足した。とくに僕らの仕事が新聞で取り上げられたのが、気に入ったらしい。痕跡を消して、官憲を誤った方向に誘導したのも見事だと連絡係のアンリを介して誉められた。歴史の影で暗躍するという役目を失った組織はどんな小物でもいいから洗練されたやり方で殺すことにこだわるようになっていた。そして、僕らの任務遂行ぶりは最高幹部たちもお気に入りのようだった。僕は、まあ、そのときは底抜けの馬鹿だったから、誉められて素直に喜んだ。無味乾燥な暗殺者風のやり方で喜んでみせたのだ。組織はほくほくだった。