銃の使い方
官僚としての仕事もこなしつつ(シャルルマンならかわしつつと言うところだろう)、アルベール・クートンのもとにも通う。長官の署名とスタンプが捺された命令書により、僕とアレットはクートンのもとで銃を使うことが義務づけられていた。クートンのことは組織の暗殺部門ではなかったことにされているが、こうして教会の拳銃使い、長官の息子、快楽殺人者として存在している。前々から思っていたことだが、暗殺部門は予想外の出来事に弱すぎる。いや、任務遂行中の緊急事態には実に細かく規定があり、それをもとに対処ができる(対処できなかれば死ぬだけだ)。しかし、それ以外のこと、たとえばこのアルベール・クートンのような異常事態に対しては、ただただ耳を塞いでアーアーと大声をあげるしかない。
そりゃ、人間誰だって目の前の出来事を自分の常識に当てはめたがるものだけど、それにしてもひどい。こうして『そこにいなかった人類』とされたアルベール・クートンはそうした組織とかつての相棒を馬鹿にするように僕らに銃を撃たせることになった。
銃の使い方はたいてい、教会の裏庭で教えられた。赤やオレンジの花が咲き乱れる庭に僕らがやってくると、テーブルには既に様々な銃が置いてあった。小さい銃、大きい銃、中くらいの銃、回転式、自動装填式、そしてニエルM1885ライフル(このニエルM1885ライフルはリアンソア陸軍で使われている標準的なライフルでこの銃のことなら、もう僕は射程距離から分解方法、お尻のほくろの数まで覚えている。正確に言うと、僕の使ったのは山岳歩兵用の銃身が少し短いモデルだ。通常モデルより射程が短いというけど、七十五メートル先に立てた煙草を折るくらい何でもない)。僕らが興味あるのは消音器の性能だ。試しにつけて撃ってもらったけど、小さな銃は猫のくしゃみ、大きな銃はしおらしい中年男性のくしゃみといったところ。こうして見ると、ナイフを投げるよりもずっと殺傷力が高い。これはロワリエ支部長の分が悪い。投げナイフも使えるに越したことはないけど、この消音器付きピストルのほうがずっと確実で隠密性も確保できる。ロワリエに帰ってから、アルベール・クートンから銃の使い方を習ったというだけで、あの端整な顔が憤怒で歪むのを見られただろう。残念なことに、この時期の僕はそういう面白いものを嗅ぎつける能力がなかったのだ。惜しいことに。
ところで、僕らはアルベール・クートンに用事を頼まれることがあった。ざっくばらんに言えば、快楽殺人の片棒かつぎ。
いろんな人から、死んだほうがマシなカス人間の情報が来るので、僕らはその死んだほうがいいカス人間のうち、アルベール・クートンが気にいったやつを迎えに行く。カス人間にはいろんな種類のカス人間がいる。紳士風カス人間。作家風カス人間。えらそうなカス人間。卑屈なカス人間。墓を買ってある計画的カス人間。遺言状すら残さない無計画的カス人間。最後のふたつについては覚悟の問題だ。計画的カス人間は自分たちが殺されるに値するカス人間だと知っているから、自分の死体を放り込むための穴をあらかじめ掘っておく。無計画的カス人間は非常に楽観的なカス人間で、この世の人間全てが自分を好いていると思っている。どれだけの恨みを買っているか知らないから、殺されても誰もそいつのために穴を掘ってやろうとも思わず、どこかのカフェの床から入れるカタコンベに裸で放り込まれて、風化に任せる。風葬というのだろうか。まあ、カス人間のことはこのへんにしておこう。どうせ、カス人間。非業の死が待つ運命は変えられない。ああ、ちなみにカス人間というのはいまの僕が思いついた概念だ。当時の僕には誰かをカス呼ばわりできるほどの感情が存在しなかった。人をカス呼ばわりしない精神というものは清らかかもしれないが、複数の暗殺に手を染めたことを帳消しにできるほどの長所ではない。何事も釣り合いがある。複数の暗殺を帳消しにできるものはただひとつ、ギロチンのみなのだ。
クートンとカス人間の話に戻ろう。
驚いたことに城の人間でクートンが快楽殺人者だと気づいた人間は皆無だ(たぶん長官の息子という称号がまぶしいのだ。快楽殺人者の事実が見えなくなるくらい)。だから、カス人間たちはのこのこついてきた。たいてい、カス人間たちはあるものをクートンに届ける用事があり、そのための呼び出しだと思っている。そのあるものはいつだって鍵のかかった本だ。なかを見たことはない。そういうところを突っ込んで知ろうとせずただ淡々と殺すことに暗殺者のプライドがある。もちろん、アレットは中身を知りたがったようだけど、こればかりはついにとうとう分からなかった。偉大なる観察王アレット一世でも分からないことはあったのだ。なら、当然、僕にも分からない。ただ、いま、物事を仮定する力を得た僕が思うにあの本はなかが繰り抜いてあって、宝石か聖遺物か、腸がねじれ切れるほど面白いダジャレを書いた紙が入っていたのだろう。
クートンは僕らがカス人間を連れてくるときに使ってほしい道順を教えてくる。最短距離ではない。その道というのは明るく活発な、人の多い商店街を最初から最後までで、死ぬ前に見せてやるのにいい景色は商店街だというのがクートンの言い分だ。こういうところを思い出すと、ああ、あの人は快楽殺人者だなあ、とあらためて思う。ちなみに数万人単位で自分の部下を死なせたあの邪悪な司令官たちは違う。あれは快楽殺人者ではない。もっとタチの悪いもの――快楽勲章者だ。
ともあれ、クートンが用意した市井の賑わいを見て、きいて、触れて、かいで、精神で味わって(カス人間に精神があればの話だけど)、教会にやってくる。すると、快楽殺人者はもう射殺の微笑みを携えていて、「ようこそ、いらっしゃいました」と実に丁寧にカス人間を迎える。カス人間たちはまさか殺されるとは思っていないけど、長官の息子で教会の拳銃使いの称号にはまた別の薄気味悪さがある。それに図書室みたいな教会はひどく暗い。僕らだってそうだ。言い忘れたけど、このときの僕らは無味乾燥なお子さま暗殺者だ。迎えに来た僕らの暗い眼を見て、ぎょっとするカス人間もいる。こいつら何者だ?って感じで僕らを警戒する。そうすると、逆にクートンに出迎えられるとホッとする。まあ、クートンの出迎えで何か嫌な予感がするのはカス人間ではない普通人間でも同じことだろう。言葉にできない何か、たぶん脳の本能を司る部位がうなじの鳥肌を経由して「のこのこ出ていきやがって。馬鹿め。ちったあ気をつけろ」と言ってくるのだ。
本棚の本が革表紙をきしませそうな沈黙のなかでクートンはおとぎ話の魔法使いみたいにゆったりとくつろいでいた。小さな蝋燭の光しかない部屋でクートンは立ち上がり、握手をし、カス人間は本を渡す。それは文房具屋で見かける日記の類だ。赤いカラバラ革の表紙に真鍮の留め金がついていて、鍵穴がある。鍵はもうクートンが持っていて、鍵穴に差した鍵をカチンと鳴るまで回すと、クートンは本のページか、あるいは繰り抜かれたなかにあるものを見て、あの微笑みのままうなずく。本を閉じて、また鍵をかけた。その様子を落ち着かない様子で見ていたカス人間は「金はどこにあるんだ?」とたずねる。
「二階にあります。金庫のなかに」
こうしてカス人間はクートンと一緒に二階へ行く。しばらくしてズドン!と大きな音がして、脚立のようなものが階段を転がり落ちる音がした。そして、クートンだけが戻ってくるのだけど、その顔を見れば、顔色ひとつ変えずにカス人間を始末したことは間違いない。




