銃砲店と拳銃使い
シュレーデルは明日八時に役所に来るよう言って、帰っていった。僕らはこれから一年暮らすことになる部屋を観察してみた。緑の地に黄色い茎のようなものが描かれた壁紙がすえた糊のにおいをさせていて、油断しているとペリペリと軽快な音を立てながら剥がれてくる。蓋つきの書き物机があるが、蓋を開ける鍵がない。こじ開けることは可能だけど、果たしてそんなことをしてもいいものか。下手に物を壊して、また宿無しの身分に戻されるのは面白いものではないだろう。ストーブはずんぐりした鋳鉄製で石炭バケツは空っぽ。ベッドはちっとも縮まない鋼鉄のバネでできていて、そのくせ軽く寝返りを打つと、キーキーギーギー音が鳴る。この部屋で明日の八時まで時間をつぶすのは至難の技だ。時間はありあまっている。都会ではこういうふうに時間が余っていると、その分の稼ぎが減ってしまうとみな半狂乱になってしまうが、ここではお金はそれほど大切にされない。じゃあ、なにが大切にされるかと言えば、それは城だ。城で働くほとんどの人は下働きをしている。だが、彼らにも野心はある。都会ものよりもずっと立派で、どうしようもなく見栄っ張りな野心――それは出世だ。出世することでより重要な仕事を任され、ベールに包まれた城の一部が新しい役職とともに彼もしくは彼女の前にあらわれる。一級執事が執事長の存在をひた隠しにするのはそういうわけだ。どれだけ、城にまつわる秘密にあずかれるかはひとえにそいつが出世したかどうか、厩舎長と馬丁、一級執事と二級執事、銀食器の鍵を預かる小間使いとただの部屋付き小間使い、ここには厳然たる差があり、城の秘密の共有量が断然違う。この城を動かす目に見えぬ力を感じ取るには出世するしかない。
カンのいい人ならもう気づいたと思うけど、城の最大の秘密、それは僕らだ。つまり、この城は人里離れた山奥で秘かに子どもたちに暗殺者として育て、暗殺を行っている。これ以上、大きな秘密はあるだろうか? つまり、僕とアレットの存在を知ることこそが、この城という世界の病的な立身出世レースのゴールなのだ。そして、そのゴールが城で一番下品でヤサぐれていて、そのくせ上昇志向だけは人並み以上に持っていて、頭がおかしくなる寸前までいっている、この〈紳士淑女館〉にある。どうみてもレースに勝てる見込みのない馬たちの寝床に賞金百万レアンの優勝トロフィーが転がっていたのだ。もちろん、そんなことは誰も知らない。僕も知らない。ただ、この騒々しさはランルザック通りの一一一番地に似ているなと、ちらりと思っただけだ。
と、こんなことを考えて、結構時間が経った気がしていたが、腕時計を見てみると、たったの八分しか過ぎていなかった。時間をつぶすのは予想以上の強敵だ。だけど、そんな強敵と対峙すると、必ずアレットがあらわれる。なにをするのか? 観察だ。きっとアレットは休暇が決まって、ロワリエを離れるとき、相当がっかりしたに違いない。彼女はまだあの都会を観察しきれていないのに、組織は僕らに恩でも売るみたいに休暇をもたらした。ところが、くさくさした気分で城に帰ってみると、城のほうも予想以上に面白そうで観察のし甲斐があった。神秘の暗殺組織の本拠地である『城』も都会と同じだった。どうしようもないほど物質主義にどっぷり浸かっていて、自分たちだけが分かる筋道で考えることを必死になって守ろうとし、井戸のなかに放り込まれたみたいに視野が狭かった。それはつまり網ですくいとってガラスの水槽なんかに放り込めば、かなり長い時間楽しめるということだ。アレットはこの城に泳ぐ俗物魚たちを片っ端からすくい取り、命名し、分類するつもりだった。もちろん、アレットはそういうふうには言わない。このときだって、敵襲に備えて、地勢に通じておく必要があると言った。僕はそれがもっともだと思ったけど、いま考えると噴飯ものだ。あんな山奥の、偏屈が集まった城を誰が攻めるのか? 官僚と庭師と小間使いの国を。一度も選挙に行ったことのない人びとが住む国を。
例の雛壇状になっている街では料理屋の他にもいろいろな店があった。まず〈紳士淑女館〉の下で気合の入らない商いをしている煙草雑貨店。勘定台に人はいない。東方の不思議な国のスパイスのように香る噛み煙草の空気だけが店を守っている。靴屋では舌平目型の古い革が積み重なって、人間を押しつぶす機会を狙っている。法律家の家には机に重なる告訴状の数々が侮辱し辱める相手を探して、静かな怒りを蓄え、法律家のひげがふわりと静電気を含んでいた。公衆浴場の扉には『薪を割りにいってきます』の札がぶら下がり、鋳物屋の店先には誰も必要としない巨大な錨がふんぞり返って、鍋や水道管を圧倒していた。要するに、この城においても、ポケットの小銭のことを考え、これをどうやって増やすかを悩む人びとがいるということだろうか。でも、城の売り物はどれもこれも安い。ずっと閉ざされた環境にあって、商人たちは相場を忘れ、仕入れ値を忘れ、売上から差し引く費用のことを忘れ、決算すら忘れていた。彼らの帳簿にはいくら買って、いくら売って、いま手持ちの現金と商品がどのくらいあるのかしか書いていない。極めて原始的な帳簿がこの城の商売を支配していた。それでもポケットのなかの小銭を数える勇気のない都会の貧乏人からすれば、城の物価は、この無知蒙昧から来るご奉仕価格は、もう二、三日決定的な破局を伸ばしてくれるに違いない。しかし、銃砲店と拳銃使いを見つけたときはさすがの僕らもちょっとしたパニックを味わった。城に銃を売る店があるなんて、いや、そもそも銃が一丁でもあるとは思いもしなかった。それどころか、弾丸を差した革のベルトを巻き、銀色の銃をくるくるまわす目つきの鋭い男たちすら存在している。なんてこった。城には銃を使える人間がいて、しかも、それは猟銃のような山暮らしに使うものではなく、まさにロワリエのギャング戦争で使われたような、人を撃つことを考えて作られた銃だったのだ。にもかかわらず、あの美しいがマヌケな教官たちは僕らをピアノ線と短剣に縛りつけたのだ。教官たちからすれば、いかに僕ら見習い暗殺者を銃から遠ざけ、銃が目に入らないよう気を配り、そして、なにより銃が短剣やピアノ線よりもずっと効率的に人を殺す現場に出くわしたりしないよう、相当頭を使ったに違いない。頭の使いどころが違うという非難はこの際、置いておこう。そんなことで宗旨替えするような連中ではないのだ、暗殺術の教官たちは。
銃砲店には磨かれた真鍮と磨かれた青い鋼と磨かれた木材が組み合わさってできた銃が棚にずらりと並んでいた。城の暗殺者たちに配ってもまだ余るほどだ。値段はそれなりにしたが、僕らなら買えない値段ではない。そのほかに弾丸を入れた箱、銃を差すための革製の入れ物、ボール紙でつくった人型の標的、銃の部品に塗りつけるグリースの小瓶などが売られていた。肝心の銃は立てかける式の棚やガラスのケースのなかにある。銃というのはそれひとつで世界が完結している高いレベルの武器だ。異なる材質からなる部品たちがひとつの目的のために合体する。その目的というのは、このイカレた世のなかを悪党ひとり分の重さだけ軽くすることだ。重大な使命だ。もっともっとその使命を全うすれば、僕らの背中から羽根が生えて、飛んでいけるに違いない。とはいっても、僕はこれを買おうとは思わなかった。今さら宗旨替えなんて気分でもない。もっとも、のちに軍用ライフルを嫌というほど使わされるハメになるのだけど。銃砲店の奥の部屋は博物館になっていた。それは薄暗くて、埃っぽい小さな部屋に据えたにおいのシャツやズボン、下着が飾られていて、そこに入るのに三十クーも払ったのが馬鹿馬鹿しかった。ただ、よく見ると、どの服も下着も帽子も血で汚れていて、どうやら弾丸が入るときに開けたららしい穴があり、そして、体を貫通して再び自由の空へ羽ばたこうとしたときに開けた穴が残っていた。つまり、ここはこれまで決闘で死んだ拳銃使いたちの遺品を飾った博物館――ある種の地下墓地なのだ。そう考えると、銃を禁じた暗殺組織の城で、これだけの拳銃使いが銃弾に倒れたのは何かの冗談のようだった。拳銃使いたちは自分の尻尾に食らいつこうとする犬のように頭がおかしくなっていて、目つきが気に食わない、シャツが気に食わない、チップの放り方が気に食わない、存在そのものが気に食わないという理由で決闘を始める。ある拳銃使いが別の拳銃使いに表に出ろと言ったら、まわりの人びとは流れ弾を食らわずに見物できる場所を大急ぎで探し出すのだが、だいたいその手の場所には気の荒い下働きの連中が殺到するので、そこでも決闘が起きる。もっともこっちの決闘は素手だけだ。せっかくだから拳銃使いについて話してみよう。あの一年でずいぶんいろいろと見てきたから。まず、拳銃使いだけど、本質的な面ではふたつのタイプに分けられる。殺して勝ったものと殺されて負けたもの。これだけだ。コンマ一秒の遅れが命取りになる彼らは人生に対し、ひどくシニカルな態度をとる。今日はこうして生きていても、明日はどうだか分からない。この心境は数年後、世界じゅうの成年男子が塹壕のなかで陥ることになるが、このときは本当に珍しかった。平和なリアンソアでそうした刹那的で殺伐とした人生観を持っているのは一部の兵士とギャングくらいだった。ちなみに僕ら暗殺者は、そこらへんのことには何も考えていなかった。幼くして暗殺者になると、まず将来が消えてなくなる。かわいそうだと思うかもしれないが、将来が消えるというのは体験しないと分からない気楽さがある。まあ、一度試してみるといい。




