官僚主義の敗北者
ところで、ロワリエ支部長によれば、僕らはご褒美としてここにいる。だけど、誰も僕らに注意するものはいなかったし、僕らのほうも自力でこの城に居場所を見つけなければいけなかった。暗殺者が自分の居場所を見つけるのは簡単だ。任務を遂行すればいい。ところが、僕らは賜暇休暇中の暗殺者だ。となると、任務を遂行するわけにはいかない。組織の命令は僕らにご褒美を堪能せよと命じているのだ。言っておくけど、これは別に僕らが怠惰の言い訳に組織の命令系統を使ったということではない。僕らは本気でそう考えていたのだ。つまり、任務に集中するのと同じくらい、この休暇にも集中しなければならないと。命令されることになれきった人間は命令されることにあれやこれや文句を言うが、いざその命令がなくなると、そいつはまるでみなしごになったみたいに心細くなって大声で泣く。試しにそこらの小役人から命令を奪ってみるといい。与えられた自由の使い方が分からず、困惑しきった顔で上役のもとに行き、どうか命令してくださいとお願いするに違いない。しかし、生憎ながら僕らのまわりには僕らに命令する権限のある大人がいなかった。いるのは二級執事だの小間使いだのコックだので暗殺とは全く関係のない連中だ。暗殺部門からお声がかからないと、僕らとしてはおいおいこの手の連中と付き合うことになる。
まず、寝泊りする場所を確保する必要があった。その日はもう遅いからということで厨房の隣の仮眠室を使わせてもらえた。翌日にはどこか別の場所に寝床を見つけてくれということだった。僕らは軽く考えていた。寝床くらい簡単に手に入る。こっちは何もビリヤード・ホールやウォークイン・クローゼット付の部屋をくれと言っているわけではない。軍隊用の折り畳みベッドが二つ、食事用のテーブルが一つに椅子が二つあれば満足なのだ。
そんな僕らのいたいけな楽観は城にはびこる情け容赦ない官僚主義によって打ち砕かれる。この非情な暗殺組織は二人の子どもにウサギ小屋程度の寝床を与えるにも正しい様式の書類を記入し、しかるべき窓口へ提出し、一定の精査期間を経て、官房長の判をもらって、またやってこいとのたもうたのだ。僕らはそんな事務官房がこの城に存在していることすら知らなかった。だが、実際、城の半分は事務所や書類倉庫になっていた。驚いたけど手遅れだった。この人でなしの官僚組織に対して、僕らはロワリエ支部長から城に戻るように言われていると訴えた。すると、五十がらみの、しゃべるとき必ず人参色の口髭の先を噛む小役人は僕らが休暇をもらって城に戻っていることは知っているし、その申請もきちんとされているが、僕らのために部屋を確保するようにという命令・申請・書類は存在しない。だから、たとえネズミの便所くらいの大きさのスペースでも僕らの宿泊に充てることができない、と言った。
つまり、ヘマをしたのだ。あのロワリエ支部長は。暗殺者としての技術、支部組織の指揮などにおいて高い技術を持ち、貴公子のごとき相貌の持ち主であるあのロワリエ支部長は、僕らのために部屋を用意しておけという書類を出し損ねたのだ。それどころか彼奴は僕らのご褒美期間を一ヶ月にしたつもりがまる一年と記入していた。僕とアレットを事実上村八分の島流しも同然の目に合わせたわけだ。大した支部長だよ、まったく!
僕とアレットは小役人からもらった書類に必要事項を記入することにしたが、生年月日でつまづいた。僕らは捨て子みたいなものだから、生年月日なんて分からないのだ。そう言ったら、小役人はとんでもない顔をして、大声で「生年月日がないだって!」と叫んだ。それまで僕らに無関心だった他の役人たちが僕らのほうに注意を向けた。小役人は人参色の口髭を噛みながら、この子らは生年月日がないんだとさと、こっちが頼みもしないのに触れ回った。まるで生年月日のない人間はこっぴどくどやされなければいけないみたいな口ぶりで。
暗殺者はこっそりひっそり動くのが第一だから、こんなふうに大っぴらにされると、何とも嫌な感じを受ける。いや、暗殺者じゃなくても嫌な感じだろう。普段からワインの樽なんかを運んで暮らしている大男をこんな目に合わせたら、拳の一発は覚悟しないといけない。
しかし、世の中は不条理だ。難しい任務を立て続けにこなしたご褒美として与えられたのが、こんなのでは労働意欲が削がれる。もう、二度とお前らのために暗殺なんてしてやるもんかって気持ちになってもおかしくないはずだ。でも、もしあの瞬間に、ロワリエ支部長が現れ、リュジス、アレット、新しい任務だと言われたら、僕らは「はい、マスター」と言って、任務を遂行してしまうのだ。
ともあれ、事務官房がお昼の時間になると、役所とそれ以外を区切るカウンターの向こうから小役人たちが昼食を取るべく、最寄りの厨房や食堂へと出かけて行った。昼休みになったら、役人は指一本だって他人のために動かそうとはしない。こうして、僕ら官僚機構の負け犬はすごすごと事務官房を引き下がり、おとぎ話に出てくるかわいそうなみなしごみたいに肩を寄せ合って、今夜をしのぐ屋根をどうしようと知恵を絞った。でも、捨てる神あれば拾う神あり、あざ笑う役人がいれば親身になってくれる役人もいる。ただ、それが同一人物だということはあり得るだろうか?
僕らが事務官房のだだっ広い大広間で小さな体を持て余してると、あの人参色の口髭の小役人が上機嫌に口笛を吹きながら、通用口から姿を現した。
「ここで何をしとる?」
「住む場所をどうしようか考えてるんです」
「なら、ここにいてもどうしようもない」
「そうかもしれないけど」
「まあ、来なさい」
僕らは小役人の後ろについていき、いくつも階段を下りて、門をくぐり、城から伸びる下り斜面へと出た。そこに城壁で囲まれた城下町のようなものがあって、雛壇のような街路に沿って、石造りの料理屋が並んでいた。店の中も外もすきっ腹を抱えた城の下働きや下級役人たちでごった返していた。これは何を意味しているか。物事への関心がなければ、人間は目の前のクジラにだって気づけないということだ。ロワリエに行く前、こんな町が城のなかにあることを僕は露とも知らなかった。頭のなかを短剣とピアノ線でいっぱいにした僕は恐るべき観察力不足に陥っていたのだけど、都会で揉まれて帰ってきてみると、とんでもない宝物を見つけたわけだ。
ソーセージを焼く鍋を表に出した店に入ると、小役人は肩から割り入るという原始的なやり方でカウンターに居場所を獲得し、本日のランチセットを三人分頼んだ。ソーセージと揚げじゃがにブラバスソースをたっぷりかけたものがパンの入った籠と一緒にやってきた。そうそう、僕はたくさん人を殺して偉いねと誉められてここに帰ってきたのだ。今、思い出した。官僚主義に傷ついた僕らの心は――あの当時、僕らに心があったと仮定して――ここでようやく回復の兆しを見つけたわけだ。僕らが揚げじゃがを吹き冷ましているのを見ながら、小役人は話しかけるというよりは誰かに口述筆記をさせているような調子で言葉をつなぎ出した。
「賜暇休暇中の暗殺者に貸す部屋はいろいろ手続きが必要だ。だが、そんなお前さんたちでもすぐに借りられる部屋がある。それだけじゃあない。部屋を借りると同時に、この世界を動かす権力の側につくこともできる。どうすればいいのか、ききたくないか?」
つまり、僕らがこの小役人シュレーデルの助手になれば、部屋が借りられるし、さらに官僚組織の一機能を担うことができるというのだ。官僚制度は外部に対しては非常に閉鎖的で形式ばっているが、官僚同士ではなかなか融通が利く。つまり、僕とアレットも官僚になり、この城を動かす歯車のひとつになることによって、官僚制度の内側に入り、部屋を都合してもらえるし、毎日自分が権力の一機能を担っていると自覚し幸せになれる。シュレーデルはまあまあいい人ではあるが、それでもその後彼の職分や権限を見た限り、彼が担っているのは権力の末端だった。そのことはシュレーデルも分かっていたと思う。だから『権力の一機能』なんてききなれない言葉を使ったのだ。正直なところ、僕にはどうしたものか判断がつかなかった。自分に権力の一機能を担えるかどうか分からなかったからだ。もっと正確に下っ端とか木端仕事と言ってくれれば、僕としても、そのくらいならできるかもしれないと思っただろう。できない約束はしたくないが、こういうとき、アレットは僕に代わって僕の命運を決めてくれる。
「お受けします」
彼女のひと言で僕らは世界を支配する官僚制度の内側になり、小役人シュレーデルの助手になり、そして、これから一年間、屋根の下で暮らす目途がついた。




