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リュジスの昨日  作者: 実茂 譲
首都ロワリエ
21/48

儀式

 アンジェロの特訓は続いた。ただ取り押さえられた男の喉を右耳から左耳まで切り裂くだけのはずが、それなりにナイフを使えるだけの腕前になった。もちろん、それが身についているかどうかは実戦を見ないと分からないけど、アンジェロと、それにアンジェロの父親が望むことをできるだけのものは身についた。

 十一月の夜は冷え冷えとしていた。僕らはアンリの運転する車でコルジア人街へと連れて行かれた。以前と違うのは夜の盛り場にたむろするコルジア人たちが余所者を見るような目を向けなかったことだ。実はこの日、コルジア島のギャングの首領が息子を正式なメンバーに迎えるという噂が立っていた。僕らの自動車が通りかかると、帽子を脱いで胸の前で抱えたりする男たちもいた。

 自動車は毛皮外套工場の建物へと入っていった。散弾銃を持った男が二人、門の前で僕らの顔にランプを掲げ、通っていいと言った。

 毛皮外套工場の搬入口の横に人の出入りのための扉があって、そこにも散弾銃を持ったギャングが見張りに立っていた。扉を開けて、狭い廊下を数歩進み、階段を上った。貼り紙がしてあったが、どれもコルジア語で書かれていて内容は分からなかったけど、風刺画からアナーキストの追放を奨励しているようだった。

 二階のがらんとした倉庫にはビーバーやキツネなどの加工前の毛皮が積み重ねられていて、電灯の光で漂白されたように蒼ざめて見えた。真ん中の広いスペースに長いテーブルが置いてあり、ルイジ・ボレロ、僕らの組織のロワリエ支部長、〈調達屋〉、そして、アンジェロの父親のドン・ヴィンチェンゾ・チェザリーノが座っていた。彼はおそらくコルジア人のなかでも例外なのだろう。なぜならきちんとした二列ボタンの背広を着て、清潔なカラーとネクタイを結び、真珠のピンを刺していた。テーブルに置かれたのもブルーグレイのしゃれたフェルト帽だった。アンジェロの父親はギャングの首領というよりは大学教授のように見えた。体格はいいけれど、懲役面ではなく、また鬚もきちんと左右に控えめに跳ねさせていて、物分りのよい家父長的な笑みを絶やさなかった。

 アンジェロが父親にコルジア語で挨拶し、父親のほうが軽くうなずいて返した。ボレロが例のニヤニヤした笑いを浮かべたまま、コルジア語で後ろのほうへ何かを言いつけた。すると、ひどく殴られた男が二人の大男に引きずられて毛皮の山の向こうから現れた。シャツに血が飛び散っていて、ズボンが裂けて青く鬱血した脛が見えていた。目は腫れて片方が塞がり、切れた唇から唾液まじりのべったりとした血が糸を引いて落ちていく。その哀れっぽい男がボレロの用意した生贄らしかった。大男二人が肩をつかんで、アンジェロが喉を切り裂きやすいちょうどいい位置になるよう、裏切り者を膝をついたまま上半身を真っ直ぐ立たせた。〈調達屋〉が椅子を引いて立ち上がり、懐から短剣を取り出した。僕らが使っているものと同じで細身の真っ直ぐな短剣だ。アンジェロはそれを受け取ると、裏切り者の前に立った。相手は小さく首をふった。やめろ、という意味だと思う。アンジェロは自分の精いっぱいの冷酷さが優しさに負ける前にそいつを始末した。僕らが教えたとおり、左耳のすぐ下に刃を突き刺し、左手を右手に添えて、一気に横に引き、そして最後にねじってトドメを刺す。ほんの数秒の出来事だった。生贄が床に倒れるころには、アンジェロは全身に返り血を浴びていた。そのまま死体には目もくれずに父親の前に歩いていくと、短剣を差し出した。父親のほうはポケットチーフを取り出して、その短剣を包むと大切そうに内ポケットに入れた。そして、立ち上がり――おそらく初めて、アンジェロを息子と認めて、抱擁した。

 アンジェロは本懐を遂げたわけだ。人を殺して初めて父親から息子と認められた。今の僕にとっては、そのために犠牲にしたものが大きすぎると思うが、当時の僕はそんなことも分からなかった。人を殺すという行為がそれほど僕のなかで当たり前になってしまっていたからだ。この認識は戦争を経験するまで直らなかった。

 これからコルジア人のギャングの入会式が始まるらしく、部外者の僕ら――支部長も合わせてだ――は毛皮工場を後にした。

「二人ともよくやった」

 支部長がランルザック通り一一一番地へ帰る僕らにそう言葉をかけた。そんなことは今までになかったことだ。それで僕らは変な任務に気を張っていたのは僕らだけではなかったことに気がついた。

 たった一ヶ月のあいだではあったが、アンジェロとは一緒に暮らしたなかだ。別れると、ジュペ警視が死んだときのような喪失感を感じた。十二月の半ばになると、僕らはもう地下世界にも行かなくなった。ミシェルがチャンスをつかんだからだ。

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