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リュジスの昨日  作者: 実茂 譲
首都ロワリエ
17/48

日の目を見ない人びと

 結局、僕ら三人は梯子を降りて、円筒型の小さなランプに火を入れて、がらんとした暗闇の口へと進んでいった。そのあいだも、遠くから銅鑼の音がきこえていて、甲高い笛の音も加わってきた。ランプを手にしたアレットが先頭で、アンジェロ、殿は僕が務めた。石材をかっぱらうときに組まれたらしい木の足場がランプの灯にぼんやりと浮き出てきた。そこは縦穴があって、足場はその縦穴に沿って螺旋状に降りていくようだった。深さにして十メートルかそこらの巨大な排水口みたいな縦穴の底に着くと、音に声が混じり始めた。早口で発音をいつも途中でやめてしまうような嵯国人の言葉だ。獣脂蝋燭の焼ける臭いともうもうと地面から立つ埃の臭いもした。板で仕切った部屋のようなものが通路の脇にあり、その板の隙間から強い光が漏れていた。覗いて見ると、そこは嵯国劇場の裏側のようだった。二人の嵯国人が蝋燭の火に照らされた薄紙の下にしゃがみこみ、棒で下から動かせる影絵人形を操っていた。影絵は武人や姫、子ども、犬、壷、馬車、春の森、夏の舟、秋の稲、冬の雪、それに大きな蛇のような竜まであり、二本の指で三本の棒を挟み、指を巧みに動かして、影絵芝居の台本と楽士の鳴らす音に合わせていた。

 そこから十数歩進むと右側の壁に嵯国人の劇場の入口が見えた。緑に塗った柱にランタンが下がり、赤い扉に何か嵯国の言葉が書きつけられていた。たぶんかけている作品の名前と役者の名前だろう。他には嵯国人の料理屋を見かけた。店じまいらしく、緑の四枚の板が入口にはまっていた。だけど、物音が聞こえ、閉じた扉の隙間から阿片を焚く甘ったるくきつい臭いがした。

 奥へ進むにつれて、壁から陶製のカンテラが下がり、人とすれ違うようになった。そんな人々はみな僕らを余所者とみて、関わり合いはごめんだとばかりに目をさけていた。あるいは誰を見ても、目をさけていたのかもしれない。そうした連中はだいたい老人でみな痩せて頬骨が突き出していた。ストーブパイプのようなシルクハットとチェックのズボンはだいぶ時代遅れで地下に引きこもって二十年くらいが経っていたのかもしれない。とある通路には長さ十メートル、幅を一メートル半ほど掘り広げたスペースがあり、そこには火屋の汚れたランプが置かれたテーブルがあった。どの席も老人たちで埋まっていた。聞こえてくるのは不平や妬み、具体的な中傷の話で、老人たちがブリキのカップからワインを飲むか、痰壷に痰を吐くかするとき以外の時間、おしゃべりはずっと続いていた。

「それでわしは行ったのさ。外に。アンペールが死んだんだから、誰もわしの証文に用はないと思ってな」

「それで?」

「危うく執行吏に捕まるところだった。アンペールが持っていた証文はやっこさんが死んだことで国に渡っちまったんだそうだ。アンペールの野郎、税金を払っていなかったから、その遺産が差し押さえになったらしい。どういうことか分かるか?」

「まあな」

「相手がアンペールならよかった。アンペールから百レアン借りたとき、あいつは既に老いぼれでわしらはまだ若かった。金を返す必要はなかった。わしらよりも間違いなくはやく死ぬんだからな。だが、債権者が国になったときは? 国は死んだりしねえ。おまけにドケチだ。やつらはわしの証文にある額面百レアンと利子一万二千レアンを何があっても取り立てるつもりでいる。もう、わしは二度とお天道様は拝めんわい」

「国がお前さんの債務のことをしつこく覚えていたりするもんかね」

「するさ。もし国がおれたちに一万レアンをくれるのなら、その仕事はちんたらとしていて、こっちから何度も催促しないと、やつらは忘れちまう。だが、国が一万レアンをもらえるのなら、やつらは容赦しねえ。支払期日の一年前から毎日のように家の前にやってきてこういうんだ。『ムッシュー・リラマン。八月二十三日にお支払いいただく一万レアンのことで参りました。万が一、お手続きをお忘れになっては大変ですからね』。くそったれのホモ野郎! ゲジゲジどもめ! 親切めいた顔でそういうんだ。ちぇっ、関税も住居税もクソ食らえだ」

「でも、あんたは一万くらい簡単に払えるほどに貯めてはいるんだろう? 払っちまえばいいじゃないか。面倒事が一つ減る」

「なんで、役人どもが男娼を買うための金をわしが払ってやらなきゃいけないんだ。誰が、ぺっ、あのクズどもの給料になる金を払わなくちゃいけない。あんな極道ども飢え死にすればいいんだ。やつらのデブであばただらけの女房も、万年疥癬病みのガキどもも、それに浮気相手のホモ野郎もまとめて、飢えて死ねばいいんだよ」

「飢え死にだって一ヶ月以上はかかるぜ」

「だからなんだ? お前さんは餓死の専門家か? 別に死に方は何でもいいんだ。機関車に轢かれてもいいし、オカマ同士の痴話喧嘩で刺されてもいい。とにかく、わしは金なぞ一クーだって払わん。絶対に払わん!」

 その老人は顔色が紫になるまで怒り、ふるえて、どなり散らし、テーブルを叩いた。アンジェロはただ老人が借金の踏み倒しについてがなり立てるのを見て、精神的にすっかり参ってしまったようだった。細い神経をしていたのだ、僕らの練習生は。僕らみたいな暗殺者になるということは、自分でものを考えられないパアになるということだけど、アンジェロはパアになるには手遅れだった。繊細すぎた。頭がパアの人間は物心つくころからパアにし続けて、純度の高い蒸留水みたいなパアにしなければいけない。でも、僕らは暗殺者、しかも与えられた任務は確実に遂行する暗殺者だ。一ヶ月でアンジェロを顔色一つ変えずに人の喉を真一文字に掻き切れるようにしないといけない。課題は山積みだ。

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