天使と悪魔
さて、ロワリエ支部長が僕らにアンジェロを紹介した。僕らはこのアンジェロに暗殺術、というか、取り押さえられた男の喉を真一文字に掻き切る方法を教えることになっていた。
「本当に話すのですか?」支部長がボレロにたずねた。
「ああ」ボレロはにやにや笑ってうなずいた。
「普段はそのようなことはしませんし、そちらもそうはなさらない。知る者が少ないほど――」
「秘密は守りやすい」ボレロがこたえた。「だが、今回は特別だ。この二人は自分たちがどうして、このアンジェロに殺しの技を教えないといけないのか、きちんと知らなければいけないんだよ。これは脳みそ空っぽの下っ端に任せる仕事じゃない。おれたちコルジア人の名誉と将来がかかった重要な仕事だ。だから――」ボレロは僕を、そしてアレットを指差した。「――お前ら、二人とも、おれの話をよくきけ。一度しか言わねえからな」
この奇妙な任務はルイジ・ボレロ率いるコルジア・ギャング団の野心的挑戦から生じたのだった。天使のような少年アンジェロは本場コルジア島のギャングの頭領ドン・ヴィンチェンゾ・チェザリーノの一人息子だった。ルイジ・ボレロはギャング戦争の末に疲労したバタンテール=パルミエ両派のギャングを一掃すべく、コルジア島のギャングたちと結束することに決めたのだ。そして、その同盟の一環としてコルジア島のドン・ヴィンチェンゾが息子のアンジェロをロワリエに送りつけ、立派な一人前のギャングにするというわけだ。そして、一ヶ月後にドン・ヴィンチェンゾ御大がやってきて、息子がこっちでやっていけるかどうかを見に来る。そして、そこでアンジェロが景気よく喉を掻っ切れるようにしてほしいというのが、僕らに課された任務だった。喉を掻っ切る相手はもう用意してある。警察にタレコミをやったやつが団員に一人いたので、そいつを殺るそうだ。もちろん、殺られる本人は自分のタレコミがばれたことも知らないし、自分がロワリエとコルジア島の同盟をより強固なものにするための生贄の羊に選ばれたことも知らないでいる。
「よろしくお願いします」高い教育を受けたらしい、きれいなリアンソア語でアンジェロが言った。ちっともコルジア訛りがなかった。この睫の長い目を伏せがちにしている内気な少年は何もかもコルジア人っぽくない。シャツには糊の利いたカラーがついているし、言葉の発音は一般的なリアンソア人よりもきちんとしている。アンジェロはコルジア人に多い浅黒い肌も癖のある黒い髪の毛とも無縁だ。そして、このころのアンジェロにはまだ狡猾さがなかった。か細く華奢な息子に失望している父親に認めてもらうために、人を殺すことを必死で自分に納得させようとしている優しい少年だった(ロワリエ市民が手に汗握って見守ったギャング戦争は開始から一年後、二百人近い犠牲者を出した末、シャルル・パルミエの勝利で終った。弟アルマンを殺されて以来、ニコラ・バタンテールはパルミエに押され、宮殿のような娼館も高級娼婦も失い、そして手下たちも殺されるか逮捕されるかパルミエに寝返るかして、自分の身一つ守れない状況に落ちた。バタンテールは警察に自首し、全ての供述と引き換えにパルミエから身を守り、どこか余所の土地で一から出直すことにした。だが自首してから二ヵ月後、刑務所でパルミエに雇われた囚人三人がニコラが収監された牢屋にガソリンをぶち込んで焼き殺した。さほど弱体化せずにパルミエが勝利し生き残ったことで、ずる賢いルイジ・ボレロはパルミエと同盟を結んで機会を待つことにした。でも、結局ずる賢さは別のずる賢さによって破滅する。十年後、パルミエは本物の戦争のどさくさに紛れて一人ずつライバルを消してロワリエの暗黒街を掌握していった。すると、残るはコルジア人街だけとなった。間もなく、砂糖の戦時配給切符横流しに関する縄張り協定を結びたいというパルミエの誘いを受け、ルイジ・ボレロとドン・ヴィンチェンゾは安全なコルジア人街を出てしまう。会談の場所に選ばれたホテルへ自動車で向かう途中、三〇口径の連発ライフルで武装した十人のギャングの一斉射撃に遭い、ルイジ・ボレロとドン・ヴィンチェンゾは三人の幹部とともに蜂の巣にされた。傀儡のコルジア人ギャングを立てて、コルジア人街をも支配したパルミエだが、彼はアンジェロを殺し損ねるというミスを犯した。そのころのアンジェロは天使と悪魔が同居する狡猾で冷酷な美青年に成長していたが、パルミエの目には父親の威光で何とか生きていたただの優男にしか見えなかったらしい。その後機関銃と自動車爆弾と樽いっぱいの濃硫酸で行われたアンジェロの報復はそれまでのギャングの世界では考えられないほど凄惨を極め、またそれによって獲得した犯罪帝国は前例のない巨大な権力になった。けれど、これも後に話そう)。
 




