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リュジスの昨日  作者: 実茂 譲
首都ロワリエ
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少々特殊な任務

 さて、ギャング戦争が始まってから一ヶ月、何だか僕はギャングに飽きてしまった。外を出ても話されているのはギャングのことばかり。ギャング、ギャング、ギャング。そればっかし。おまけにその年は残暑が長引いて、十月に入っても気温が三十度もあった。そして、ギャングのことが人々の頭のなかに詰まっている。もううんざりだよ。どちらともとっとと相討ちになって死んでしまえ。しかし、運命は僕らに不思議な縁を与える。それを持ち込んだのはあの連絡役のアンリだ。〈モンブラン・バレエ教室〉の地下室で、支部長とアンリが僕らだけを呼びとめ、他の連中をみな帰してしまった。お腹が空いて死にそうなのに、いったい何のようだろう? 僕の頭のなかには闇ボクシング場で食べた熱い牡蠣のことが思い出された。トマ・アントワーヌは死んでしまったが、あの牡蠣ももう味わえないのだろうか?

「きみたち二人を呼んだのは他でもない」支部長が言った。冷たい表情の恐ろしくハンサムな男だけど、こいつも僕らに劣らないド阿呆の畜生だ。「きみたちに少し特殊な任務に従事してもらいたい」

「はい、マスター」このくそマヌケた返事が僕らに許された唯一の意思表明だ。まあ、自分の意見が言えない状況は、ずっと後になり、戦争が始まって山岳猟兵隊の兵営で毎日顔を合わせることになる、あのくそったれた曹長を相手にさせられたときも同じだ。ああ、言論の自由よ。きみはどこへ行ったのやら。

 さて、特殊な任務というのは僕らと同じ十四歳の少年に人の殺し方を教えてやってほしいということだった。変な話だ。暗殺術の訓練には訓練用の教官がいるんだから、そいつにおまかせして、僕らはここでギャングの殺し合いでも見ていればいいじゃないか。

 支部長は勿体ぶっているのか、それとも言うべきことを忘れたのか。しばらく、口を開かず、僕らを見た。そんなに見ても無駄だよ。あのころの僕らはすっからかんだったからね。いや、すっからかんであることを確認したのかな?

「きみたちが殺人術を教える相手は組織のものではない。外部のものだ。その外部組織は我々の組織とのあいだに古い同盟がある。そして、その同盟に基づいて、一人の少年が立派に人を殺せるよう、きみたちが訓練するのだ」

 つまり、若いもん同士でよろしくやれ、ということだ。いやはや!

「完全に仕上げますか?」

 僕のいう完全というのは僕らみたいな馬鹿になるまで暗殺術を叩き込むかということだ。

 支部長は首をふった。そうではなく、ただ人の喉を左耳から右耳まで掻き切れるだけでいい。

「つまり、後ろから忍び寄るやり方も教えると?」

「その必要はない。殺される男は二人がかりで押さえつけられる予定だ。その少年はただ喉を掻き切れればいい」

 僕とアレットの頭のなかをクエスチョン・マークが飛びまくっていた。そこまでお膳立てされた殺しなんて初めてきいた。僕らに預けるよりは豚の屠殺場で一日働かせたほうがいいんじゃないかな?

「明日の夜、アンリがきみたちを迎えにいく。後のことは現地についてからきけ。以上だ」

「はい、マスター」

 じゃあね、マスター。バイバイ。僕とアレットはこれからランルザック通り一一一番地に帰って、洗濯工場の薬品臭がする蒸気に鼻をつまみながら、いかにしてギャングたちと関わり合いのない店でアーティチョークを調達するかを相談することにするよ。

 翌日の夜、アンリがやってきたが、ちょっと驚いた。自動車に乗ってきたのだ。お雇い運転手のお仕着せを着て。それは二人乗りの箱馬車から馬を外して、ハンドルとエンジンをつけたやつで金持ち家族が郊外へピクニックに行くときに乗る用途でつくられたものだ。きっとアンリが磨いたのだろう、ライトやホーンがピカピカ輝いていた。

「はやく乗れ」

 自動車は貧乏人の好奇の視線がひしめく第二十一区を東へと走っていく。いろんなものが、ブウン! 前から後ろへ放り投げられたように通り過ぎていった。十年以上前から貼りっぱなしで漆喰壁に溶けつつある大統領選挙ポスターだとか、日雇い労働者でいっぱいの居酒屋とか、施療が吸い玉と辛子膏薬の二種類しかない救貧病院とか、ドアに塗りたくられたコールタールだとか、あってもなくてもどうでもいいものばかり。そうしたものが後ろへ飛んでいくたびに空の星が一つまた一つと隠れた。残暑に苦しめられた涼しい夜に雨の匂いがしてきた。この時期の空は気まぐれで、突然大雨を食らわせる。案の定、二十区へ入るころにはどしゃぶりになった。

 僕らが乗っている自動車は運転席と助手席には屋根がなかった。今は違うが、あの当時、金持ちたちはお雇い運転手が自分たちと同じように屋根を持つことを許さなかった。折り畳みの幌さえなかった。あわれアンリはずぶ濡れになりながら、車を駆った。セルロイド製の帽子の庇から水が垂れ落ち、アンリの顔を伝い落ちていく。ここまで馬鹿げた目にあっても、アンリは表情一つ変えない。帽子を後ろにまわして、顔に水が垂れないための工夫もしない。ただハンドルを握っている。立派なものだ。見上げた冷静さだ。夜露よりも冷たい平常心。それさえあれば世界の半分は手に入れたようなもんだ。ずぶ濡れの世界を半分プレゼント。全部きみのものだ、アンリ。

 いや、ひょっとすると、アンリも戦争を何とか生き抜いて、僕がいま書いているようなものを書いているかもしれない。そして、その文章で雨のなか、ガキどもの運転手役をさせられ、おまけに運転席に屋根がないばかりにずぶ濡れになったのだ、こん畜生め、と書いているかもしれない。あのときのアンリは感情なんて全くない人間に見えたものだが、僕らもその点ではどっこいどっこいだ。自動車に乗ってから、目的地に着くまで、一言もしゃべらなかったんだし。ああ、アンリ。きみは僕らが空っぽの非人間的な暗殺者だと思って、筆をとっているのかもしれない。でもね、アンリ、僕らも目覚めた。しっかり、把握した。世界というものがどんなものなのか知ったんだ。その域に達するまで、いろんな出来事があった。そうした出来事の大半が水死体の腹をふくらませる腐敗ガスのように不快で、生焼けのふすまパンのようにこなれていなくて、金ぴかの胸当てをつけた騎兵隊のパレードのようにいやらしく、そして自殺突撃を敢行する本物のサイコパスたる将軍たちの狂気にじかに触れて頭がおかしくなりかけるようなものだった。でも、僕はとりあえず、昔の僕ではない。そういうことなんだ、アンリ。

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