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4-9

「小学校の頃。ずっと、いっくんのことが好きでした」

 樹は「えっ、じゃあ」と、一瞬喜ぶ。しかし――。

 望美の瞳にうっすらと涙が浮かんでいる。どうやら嬉し涙の類では無さそうだ。

「のぞみ……ちゃん?」

 望美が言葉を続ける。

「まさか、お互いに初恋だったんだと分かって、凄く嬉しかった。こんなあたしを好きになってくれて、本当に本当にありがとう」

 深々と頭を下げる。

「でもね――」

 姿勢を戻し、すうと一呼吸置いて望美は言った。

「自分には、好きになりかけている人がいます」

 樹がじっと望美を見つめ返す。

「それは単なる憧れで。きっと小学生や中学生の女の子が、担任の先生を好きになるようなもので。しかも、その人には他にずっと想い続けている人がいて。だからその人と、どうこうって訳ではないんじゃけど……」

 言葉の詰まる望美に、樹が小声で話し掛ける。

「それって、あの店長さん……だよね?」

 こくりと小さくうなずく望美。

「それにね、それだけじゃないの」

 今、自分はこの仕事にやりがいを感じている。

 お客さんも店の仲間たちも、自分の存在を必要としてくれている。

 自分の作った料理を、いつも美味しい美味しいって言ってくれる。

「そんな声を聞くとね、ああ生きているんだなって実感が湧いてくるの」

 この店は、引っ込み思案で不器用な性格で転職ばかりしていた自分が、ようやく出会えた職場なのだと望美は続けた。

「あと、詳しい事情は話せないんじゃけど……」

 店主は夜な夜な大変な激務を抱えている。自分が店から居なくなれば、昼間に仮眠を取ることすら、ままならなくなるだろうと説明した。

「だから、あたし店長を放って、ここを離れられない。だって、今の自分の居場所は……ここだから」

「のぞみちゃん……」

「ここが、あたしの居場所まほろばだから」

 最後は涙声となった望美は「だから、本当にごめんなさい」と、もう一度深々と頭を下げた。

 しばらくの沈黙の後、樹は「そっか」と言いながら、にっこりと微笑んだ。

「そっか、分かった。きっぱり振ってくれてありがとう」

「いっくん……」

「盛大に振られちゃったけど、なんだか不思議と爽やかな気分なんだ。長年の想いも伝えられたし、これでもう何も未練はないよ」

 気が付けば、辺りはもう薄暗くなっていた。

 まるで無数の藤棚のように、空一面が深い紫色に染まる。

「さよなら、のぞみちゃん。元気でね」

「いっくんも、さよなら。あっちへ行っても、元気でね」

 笑顔で別れを告げ、樹が夕暮れの美観地区を後にする。

 望美の初恋の人は、最後まで爽やかな好青年だった。



 数日後の朝。

「いっくん、もうシンガポールに着いたかな」

 開店の準備を始める望美に突然、華音からの電話があった。

『のぞみちゃん、今朝のニュースや新聞とかって見た?』

「ううん。今日はちょっと寝坊しちゃって、まだ」

 どうやら様子がおかしい。スマホ越しの華音は涙声。狼狽している様子だ。

「ねえ。一体どうしたの、かのんちゃん?」

『どうしよう……いっくんがね……いっくんが……』

「…………えっ?」

 華音の口から昨日、樹が突然の事故で他界したとの訃報を受けた。



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