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4-7

 日曜日。

 白い業務用ステーションワゴンが、牛窓海岸沿いの県道232号線を制限速度で走り抜ける。左右のドアには紺色の文字で『藤宮スポーツ』と書かれてある。

「ごめんね、こんなボロい車で」

 樹は前方を見ながら、申し訳なさげにナビシートの望美に問い掛けた。

「ううん。こちらこそ、ごめんね。いきなり店長が、無理な使いを頼んじゃって」

「本当は、自分の車で行きたかったんだけどね」

 樹の愛車は青いプジョーのクーペ・カブリオレらしい。

 自分の取引先への届け物は書類なので、それで問題なかった。しかし、まほろば堂の店主の希望する荷物の方が、自分の車では乗せられなさそうなので断念したようだ。

「それにしても、うちの店長ったら……」

 望美は先日の、真幌の言葉を回想した。


 ◇


「丁度、良かったです。実はうちでも、お土産用に地元のオリーブの苗木の販売をと検討しておりまして」

 真幌は以前から牛窓のオリーブ園まで、望美に使いを頼みたかったのだと説明をした。男の自分が苗木選びをするよりも、女性の目利きの方が良さそうだからと付け加えて。

「でも、うちには車がありませんし。レンタカーを借りるにも、彼女は運転免許を持っていません。自分がドライバーとして同乗しても良いのですが、それだと店の中が、からっぽになってしまいます」

 そんな理由で、望美は樹の車に同乗させてもらうことになったのだ。

 出発前に真幌は「帰りは遅くなって全然構いませんので。幼馴染で気心知れた方でしたら、こちらとしても安心です」と、ふたりに言った。


 ◇


 ――なにが「安心です」よ、「遅くなって構いません」よ。

 望美が唇を尖らせながら、心の中でぼやく。

 ――店長、心配じゃないのかな。男の人とふたりっきりなのに。

 これはあくまで仕事の使いなのだと、自分に言い聞かせる。だから服装も、あえて普段の地味な通勤着のままだ。

 そんな彼女とは反対に、お洒落カジュアルに決め込んだ樹は「店長さんには、感謝しなくちゃね」と、弾んだ気持ちでアクセルを踏んだ。


 オリーブ園で状態の良い苗木を、望美は十本ばかり買い付けた。

 樹に手伝ってもらい、第一駐車場のワゴン車に乗せる。

「せっかくだし、上がって見ない?」

 樹がショップの屋上にある展望台を指差す。望美は「うん」と頷いた。

 牛窓オリーブ園は山頂にある農園だ。その展望台からは、瀬戸内海の穏やかな景観を一望できる。加えて今日は晴天だ。夏の晴れた日の牛窓の海は、地中海さながらの美しき青さをもたらしてくれる。

「わあ、素敵な眺めじゃねえ」

 まさに『日本のエーゲ海、牛窓』と称されるに相応しい絶景だ。

「やっぱ東京の海とは全然違うね。ねえ、もっと近くで見ようよ」


 車で下山したふたりは、牛窓ヨットハーバーへと立ち寄った。

 青い凪の上に、無数の白いヨットやクルーザーが並んでいる。停泊数は最高約四六〇隻。西日本最大級のヨットハーバー施設なのだ。

「凄い、まるでヨーロッパの映画のワンシーンみたい」

 望美は、ここでも歓喜の声を上げた。

「あれ、うちクルーザーなんだ。って言っても、親父のなんだけどね」

 樹が一隻の小型船舶を指差す。望美は「へえ、凄いね」と感心した。

 もっと自分の力でしっかり稼げるようになったら、自分の船を購入してここに停めたいのだと樹は言った。


「二名様でご予約の、藤宮様ですね」

 夕食は海岸沿いのホテル内の、ギリシャレストランでコースメニューだ。

 ホテル・リマーニ。地中海ギリシャ・ミコノス島の建造物を彷彿とさせる洒落たリゾートホテルだ。白い建物にセルリアンブルーのアクセントカラーが印象的である。

 オレンジの夕日が、瀬戸内海の穏やかな凪の彼方へと沈み行く。

 そんなロマンチックな風景が巨大な銀幕さながらに、窓一面に映しだされる。

 望美は思わず「綺麗」と、うっとりとした表情で呟いた。

「本日のオードブルです」

 ウェイターが料理が運ぶ。地元牛窓産の取れたてカサゴを用いたムニエルだ。

「わあ、美味しそう」

 ニンニクとオリーブオイルとイタリアンハーブの香りが絶妙に絡み合う。

「ここのシェフはね、オーストラリアでナンバー1のギリシャレストランシェフに選定されたこともあるんだよ」と樹が解説する。

 望美がまたまた「凄いね」と言う。本日もう何度目だろうか。

 食事を終えたふたりは、グラスで乾杯をした。

 望美は白ワイン、樹は車なのでジンジャーエールだ。

「自分だけアルコールは悪いから」と望美は断わったのだが。樹に「せめて、ひと口だけでも」と半ば強引に進められた。彼女は密かに押しに弱いのだ。

 ギリシャワインを「じゃあ少しだけ」と口にする。

「わあ、美味しい」

 サントリーニ・アシルティコ・アシリ。世界のワイン産業をリードするドメーヌ・シガラス社のものだ。

 エーゲ海に浮かぶサントリーニ島の白葡萄アシルティコを用いた白ワイン。柑橘類や蜂蜜などのフルーティーで豊かな香りが、爽やかな酸味と共に口の中に広がる。

「でしょ? 親父とクルージングに来た時、飲ませてもらって感動したんだよね。だから、のぞみちゃんにも、どうしても味わって欲しくて」

 樹は岡山に帰ったばかりで、地元の観光地には行けていないと言っていた。その割には随分と牛窓に詳しい様子だ。ようするに、望美をデートに誘う為の方便だったようである。

 ワインのせいだろうか。望美は、次第に口が滑らかになる。

「ギリシャって、ワイン発祥の地なんですってね」

「へえ、そうなんだ」

「七千年の歴史があるそうなの。ブドウ栽培が始まるよりも、もっと以前からワイン造りって行われていたんじゃって」

「のぞみちゃん、良く知ってるね」

「店長の受け売りなの。うちの店長、やたらと蘊蓄うんちく話が長くってね」

 ほろ酔い加減となった望美は、店主の真幌がいかに物知りで、話が理屈っぽくてまわりくどくて、客へのおもてなしが丁寧すぎて、仕事が遅いのが玉に瑕なのかを滔々(とうとう)と語り始めた。

「でね、店長ったらね――」

 結局、望美はグラスのワインを飲み干した。

 彼女のグラスにおかわりを注ぎながら、樹が少し拗ねた顔をする。

「のぞみちゃん。さっきから、店長さんの話ばっかりだね」

「あ、ごめんなさい。あたしったら」

「ちょっと焼けちゃうな、だって凄く楽しそうに話しするから」

 ワインのせいだろうか、望美の頬がぽっと顔が赤くなる。

「ねえ、もっと昔の話も聞かせてよ。俺の知らない、学生時代の事とかさ」

「それは……」

「あ、ごめん。あんまり喋りたくないかな。実はかのんちゃんから、ちょっとだけ聞いたんだ、ご家族のこととか」

「そうなんだ」

「ごめん、今の忘れて。ごめん」

「ううん、別にいいよ」

 望美は樹に、自分の過去を話し始めた。

 父は小学校六年生の時に、母は昨年末に共にガンで亡くなった。

 中高の学生時代は母子家庭で、母が水商売で生計を立てていた。そのことに後ろめたさを感じ、心を許せる友達ができなかった。

 ずっと気を使ってくれていた親友の華音に対しても、こちらから距離を置いてしまい疎遠になった。それをずっと最近まで悔やんでいた。

 母の内縁の夫だった継父の存在にも、少しだけ触れた。

 さすがに連帯保証人にされたことや、いかがわしい行為をされそうになったこと、クズの極みの連続詐欺行為で実刑をくらい、現在服役中である事までは喋らなかった。

 高校卒業後は、家族から逃げるように家を出た。

 そんな内容を望美は淡々と語った。

「そっか……ごめん、嫌なこと思い出させちゃって。俺、転校したから知らなくて……」

「ううん、大丈夫。話せて、ちょっとすっきりした。聞いてくれて、ありがとね」

 望美の中高の暗黒時代を樹は知らないのだ。知らないからこそ、こうやって懐かしい思い出と共に好意的に接してくれている。

 そうでなければ自分なんて、こんな素敵な男性に誘って貰える訳がない。望美はそう思った。

「俺が転校さえしなかったら、のぞみちゃんに寂しい思いなんて絶対にさせなかったのに」

「ありがとう、いっくん。そう言ってくれるだけで嬉しいよ」

「別にカッコつけて言ってる訳じゃないんだ。ていうかさ、実はうちも――」

「――え?」

 当時の自分は、望美と同じような境遇だったのだと樹は語った。

 小学生の頃、樹は転校して行った。家業が順調で、岡山市内の高級住宅街に豪邸を新築したのだと、担任からは説明を受けていたのだが。

「実は、それ嘘だったんだ」

 その頃に両親が離婚して、自分は父方の実家の祖父母に預けられていたのだと樹は言った。実の母親は浮気相手の方を選んだのだと、そう付け加えて。

「親父が新築したってのは、それから四年後の話。俺も高校に入ってから住み始めたんだ」

 高校入学したばかりの頃に父親が若い女性と再婚し、樹は再び親と同居することになった。しかし父の後妻である継母との関係は、未だに上手くいっていないそうなのだ。

「ずっと居心地が悪くてさ。その頃じいちゃんも具合を悪くして、そっちにも迷惑掛けれなかったし。それで家から逃げ出したくて、東京の大学を受験したんだ」

 今は会社の近くにマンションを借りて、ひとり住まいなのだとか。

「そうだったんだ……」と望美が言う。

「あたし全然知らなくて。こっちこそ、ごめんね」

「なんだか、俺たちって似た者同士かもね」

 重くなった空気を取り払おうと、樹は笑顔で振る舞った。


 午後九時の美観地区。

「いっくん、今日はありがとうね」

 まほろば堂の近くに停車したステーションワゴンから、望美は降りた。

「オリーブの苗木、店まで運ばなきゃ。店長を呼んで来るね」

 樹は「いや、いいよ」と、自分が店の前まで運ぶからと制止した。

「ありがとう、正直助かる。うちの店長、この時間は夜の接客で忙しいから」

「土産屋さんが夜の接客?」

「……え、あ……ちょっとサービスで。そう、人生相談……みたいな……ことも」

 うっかり口が滑ってしまった。ごにょごにょと語尾がくぐもる。

 苗木を灯りの零れる店頭まで置いた樹は、ステーションワゴンへと乗り込んだ。

 望美が見送る。

「楽しかった、本当にありがとうね。おやすみなさい。じゃあ、また」

 運転席のドアを閉めた樹が、ウィンドガラスを空ける。

「ねえ、のぞみちゃん。実はさ俺……もうすぐシンガポールに赴任するんだ」

「ええっ、そうなんだ?」と望美は驚いた。

 本格的にアジアの先進国に向けて事業展開をする為に、現地に長期赴任することになったのだと樹は言った。

「残念だね、せっかく……」

 せっかく転校して行った幼馴染と、しかも初恋の相手と再会できたのに。

 望美は寂しい気持ちでいっぱいになった。

「こっちに何時戻って来れるか、正直わからない。じゃけえその前に、どうしても気持ちを伝えておきたくて」

 ドア越しに真剣な顔をする樹。気が高ぶったのか、東京帰りの彼の言葉にすこし地元の方言が混ざる。

「気持ち、って?」

 樹は望美の目をじっと見つめて言った。

「初恋だったんだ」

「……え?」

 望美の目が点となる。樹の思わぬ唐突な発言に、理解が追い付かない様子だ。

 樹が「だからさ」と続ける。

「俺、のぞみちゃんの事がずっと好きだったんだ」


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