水に生える木
山に沿ったぐねぐね道を車に揺られていると、だんだん気分が悪くなって外の木々をぼんやりと眺めた。
そのとき、私には木々が水から生えているよう錯覚する。
木々の隙間からちらちらと差し込む光が水面の反射にみえ、木のある程度下の部分は暗く水に沈んだようにみえる。
また、その水の中になにかいるのではないかと考え探したことは数えきれない程であった。
しかし、ふと水など無いことをはっきりと認識すれば、なぜそのようなことを思ったかわからないし、木が水から生えているというような勘違いはなくなった。
それが何故だか寂しいように感じてしまう。
それは、確かにあった空想の世界がなくなってしまったことへの寂しさなのかも知れない。